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JOJO’S BIZARRE ADVENTURE
OVER HEAVEN





荒木飛呂彦先生執筆30周年&「ジョジョ」連載25周年を記念して企画された、「ジョジョ」を愛する気鋭の作家陣が「ジョジョ」の小説化に挑む「VS JOJO」!今作はその第2弾として、2011年12月16日に発売されました。西尾維新氏による、DIOを主人公に据えたノベライズ小説です。そのタイトルからも推測できるように、6部で語られた『天国』にまつわる物語。
読み終えた率直な感想としましては、「まあまあ」ですかね。淡々と、普通に、特に大きく感情を動かされる事なく、読み終えてしまいました。残念ながら、最後までこれと言ってカタルシスも得られず、強い印象も残らないままでした。決してつまらないワケでも、出来が悪いワケでもないんだけどね。



最初に主人公がDIOと知って、正直、不安もありました。それほどの大物を描き切れるものなのか、と。でも、承太郎が焼却し封印したという、DIOのノートそのものを書き起こすという大胆な発想で驚かされましたね。予想だにしなかった面白いアプローチでした。DIOのノートを復元&解読した中身って設定だから、たとえ内容に不備や矛盾があっても、誤訳って事で言い逃れが出来る作りも巧い(笑)。
DIO視点で物語を書くとなると、相当に「ジョジョ」を読み込んで、自分なりに消化し昇華していないと無理でしょう。西尾氏にとっては、その自信の表れであり、それゆえの挑戦でもあるのだろうと思います。その姿勢は大いに評価したい。
ただ、1本の小説として、1つのメンターテイメントとしては、やはり盛り上がりに欠けると言わざるを得ません。いや……、読んでいる時は面白いし、続きも気になりました。でも結局は、西尾氏による、なりきりDIO日記・DIOエッセイでしかなかった気がするんです。DIOの視点や心情が混じる事で、今までとは異なる印象も受けたけど、すでに分かり切っている事実を延々と書き綴られてもなあ。作品や商品として、この世に送り出すのであれば、ファンによる原作の設定補完やつじつま合わせに終始してほしくはないのです。西尾氏の表現する「ジョジョ」であってほしい。西尾氏ならではのメッセージが込められた作品を期待していたので、そういう意味では、作品そのものの評価が難しいですね。

しかし、この作品で一貫しているのは、DIOの『天国』へのこだわり。それを突き詰めていけば、この物語は、DIOと聖なる女の物語。DIOとの物語。そう言えるでしょう。「天国」へ行くために清く気高く生きた母親の存在が、まるで呪縛のように、DIOの運命を決定付けるのです。母を「愚か」と断じながら、良くも悪くも、影響を受けていたDIO。エリナやホリィの中にも「母」を見ていたDIO。聖なる女を恐れていたDIO。それでも、心のどこかで「母」をずっと追い求めていたようなDIO。
の語る「天国」に想いを馳せるわ、ジョナサンの母・メアリーをリアルに想像するわ、エリナに手を出したばっかりにジョナサンにボコられるわ、ホリィさんの命を真っ先に狙う事を超警戒するわ、真逆の性格の女達を身ごもらせるわ……、DIOの聖なる女に対する執着は尋常ではありません。実は1部ラストで、DIOがエリナに救われていたという仮説も、確かにあり得るかもしれないし。増してや、最終的にはプッチが創り出した『天国』すら、聖なる女である徐倫の遺志によって打ち砕かれてしまうワケです。
そういう前提で改めて考えると、DIOとジョースター家の因縁がより深く感じられます。ジョースター家の男達だけではなく、ジョースター家の女達もまた、DIOと戦っていたのです。少なくとも、DIOはそう思っていた事でしょう。そして、その全ての根源が、DIO自身の母にある。このような因果の味わいが、今作の魅力の1つと言えますね。



大筋はこんな感じです。以下、細かい感想等を箇条書きしていきましょう。




 @DIOがやたらと人間臭くて面白かったです。意外と部下思いだったり、葛藤したり、ユーモアがあったりで、なんとも憎めないヤツでした。強い違和感を覚える方も多いのかもしれませんが、DIOは謎多き底知れぬ人物。6部で描かれた彼を思えば、こんな姿もありっちゃありでしょう。生きている彼が描写されたシーンなんて、実際はそんなに多くありません。吉良やプッチ、大統領の方が多いくらいなんじゃないかな。様々な面を持つDIOのほんの一面しか、我々も知らないのです。ただ、どんな面があるにせよ、ひたすら頂点を目指す野心さえ貫いていれば、それはDIOだと思いますよ。
 大体、悪のカリスマだの救世主だのと言われても、自分と同種の悪党にしか発揮できない程度のもんです。それ以外の者には、めっちゃ嫌われるか怖がられるかするのがほとんど。吸血鬼の能力や「肉の芽」の効果、あるいはカネで釣ったりして、部下を作って支配していましたが、それらが無ければどうでしょうか?純粋に彼の個性や力に魅了され、崇拝していた部下なんて、ごく一部に過ぎません。だから、私の中のDIO像は、決して絶対的な帝王なんかではないのです。むしろ、常に「自分」である事を貫き通し、常に「上」を目指し続け、必死に生き抜いていた、誰よりも人間臭い人物。人間の持つ「悪」の部分の象徴的キャラなのですから、人間臭くて当然です。だからこそ、その対極をなすジョナサンと共に、人間讃歌を謳い上げる事が出来たワケですし。
 でも今作では、そんな人間臭さが先に立ち、鼻に付いてしまっていたのも事実。あそこまで迷って悩んで悲壮感たっぷりなDIOならば、さすがに批判を受けるのも致し方ないでしょうね。それに、あまりの邪悪さゆえに焼き払われたという触れ込みの割に、いざ読んでみても、そうは感じられなかったのが正直なところでした。まあ、DIOの性格やら文面やらの邪悪さではなく、『天国』へ行く方法が実行される可能性が危険すぎるワケですし、そこはツッコむべき部分ではないかもしれませんね。


 ADIOの設定が、「SBR」にかなりインスパイアされていました。自分とジョナサン達の戦いを、「奪う者」「受け継ぐ者」の戦いと受け取っている点なんかは、特に顕著。また、DIOの母親の人物像も、ディエゴの母親によく似たものとなっています。しかも、同じスタンドを持つ次元が存在する事からも分かる通り、DIOとディエゴの魂は非常に近しい。ディエゴの設定をDIOにスライドさせても、むしろしっくり来るくらい。
 ダリオのようなゲスな父親に育てられようと、母のような誇り高い母親に育てられようと、「ディオ」は必ず「奪う者」になってしまう宿命にあるようです。もし仮に、流れてしまったらしい弟か妹が生まれる事が出来ていたならば、ひょっとしたら彼も「与える者」になれていたのでしょうか?スピードワゴンは「生まれついての悪」と一言で切り捨てましたが、「ディオ」という人物の魂が持つ因果に悲哀を感じてしまう面もあります。


 Bそもそも20年以上前に焼却された1冊のノートを復元って、一体どうやったのか?そんな疑問もあります。仗助の『クレイジー・D』である程度は復元できた事は理解できますが、そのノートの灰自体、よく入手できたもんだな〜。
 案外、承太郎本人がスピードワゴン財団に、灰を厳重に保管させていたのかも。悪意を持つ誰かが、万が一にでもノートを復元したりしないように。……だとしたら、その行為が逆に、ノートを復元させる手助けとなってしまった事になります。皮肉なものです。


 C文章そのものは読みやすいけど、言い回しがいちいちくどい印象。これは西尾氏の個性やクセなのかな?
 原作のセリフをそのまんま書かなくても良かったのでは、とも思います。過去の回想ではなく、あくまでDIOの記録。そこまで詳細に憶えている方が違和感を抱きますね。おおよそのニュアンスを書き出す程度で充分だったのではないかなあ。


 D『天国』へ行く方法を、DIO自らが1から思い付き、編み出していた事に驚きました。私は、スタンドに精通するエンヤ婆の一族に伝わる秘術か何かをヒントに、DIOが研究を進めていたのかな〜……とか、漠然と想像していたので。3部に登場した敵キャラ達の能力や行動がDIOに影響を与え、『天国』に近付いていく様は必見です。既存のキャラやスタンドを、うまく再利用して繋げてきたなあ。
 とりわけ、ボインゴを使って、DIOが「運命を覚悟する事こそ幸福」と考えるようになった点は、目からウロコどころか体液を発射しそうでした。もっとも、DIOもプッチと同じ思想を持っていたのかどうかは疑問がありますが。『天国』という行き着く先は同じでも、そこから見えるものは全然異なるものだったのではないでしょうか。プッチは「全人類が運命を覚悟できる」と受け取り、DIOは「自分だけが運命を超越できる」と受け取ったものと、私は考えています。その方が、お互いの個性や目的が際立ちますしね。
 DIOからすれば……、どんな能力や大金を得ようと、他人を支配しようと、それすら運命に従わされているだけだと感じていたのかも。ジョナサンとの関係もそうでしたが、DIOはとにかく数奇な運命に翻弄され続けてきました。運命に支配されている事が、DIOは気に喰わない。運命をも支配してこその真の「頂点」真の「幸福」。そう固く信じていたのではないか、と思っています。だからDIOは、運命を変える力を、運命を操作する力を得ようとしたのです。その力こそが、DIOが追い求めた『天国』。ただし、DIOの志を受け継いだプッチにとっての『天国』は、また異なる思想や視点から導かれるものだったと。


 E『天国』へ行く方法の、具体的な内容について。強引な部分もあるとは言え、なかなか興味深く読めました。
 「14の言葉」は、なんと母が歌ってくれた子守歌の歌詞でした。そのため、言葉自体には大した意味はない模様。どんな子守歌だよ、とは思いますけど(笑)。それが人々の魂を『天国』へと導く鎮魂歌となるのです。「緑色の赤ん坊」はこの「14の言葉」で目醒めたワケで、子守歌で目醒めるっていう皮肉も効いています。しかし、超重要なキーワードに、母が歌ってくれた子守歌をセレクトするとは。決して忘れられない、自分だけの想い出の歌なのでしょう。DIOの、母親に対する愛憎入り混じった複雑な心理が伝わってくるようでもあります。
 「36名以上の罪人の魂」は、もっと面白い。魂1つ当たりの、善悪の割合や分量の話。悪人の魂には、強力なエネルギーが宿っています。悪の割合が10であるならば、36人分で360。360は「円」を意味し、さらには「時計」を暗示する。それゆえ、36名以上の罪人の魂のエネルギーさえ得られれば、時は一巡する。無茶な理論なんですけど、それでも何故か妙に納得させられてしまいます。この西尾氏の説を読めただけでも、今作を読んで良かったなと思えました。


 F面白い仮説や、それゆえの、私との解釈の相違。これはけっこうあります。「肉の芽」はスタンドパワーを弱めるって設定も、割と筋が通ってるし。ディオ少年がダリオの殺害を決意した時期だとか、DIOが子どもを作った理由だとか……、自分とちょっと異なる解釈にも触れて、刺激になりました。
 100年前にDIOが戯れで作った屍生人(ゾンビ)と人間の混成体の子孫が、エンヤ婆である可能性も示唆されました。これまた大胆かつ痛快な仮説。人と人の間に働く引力を考えれば、あながち的外れでもないのかもしれません。吸血鬼と人間の混成体の子であるジョルノは、髪が金髪になったワケですし、両右手が遺伝情報として上書きされる事もあり得るかも?死体を操る『ジャスティス』の能力も、そういったルーツがあったのかと。
 私の解釈との最大の違いと言えるのが、そもそものこのノートの記述内容。懇切丁寧に解説されたこのノートを読んでいるのならば、DIOに子どもがいるであろう事もプッチの存在や能力も、承太郎はとっくに知っていた事になる。そう考えると、原作の描写とは食い違ってきます。まあ、そこら辺は、承太郎には解読できなかった事にすればいいんでしょうけど……。私個人のイメージとしては、ノートのほとんどのページが、複雑な数式やら仮説やらメモやらがゴチャゴチャと書き殴られており、最後の最後に、原作で描かれた「必要なもの」が無機質に結論として記述されている感じ。一体、何について書いているのかさえ分からない、得体の知れぬ不吉さだけを孕んだような内容だったのではないかと。さすがにここまで日記風になっているとは思ってもいませんでした。


 G荒木先生の描き下ろしイラストは、やはりどれも最高でした。表紙イラストも、『ドラゴンズ・ドリーム』戦でのカラー扉絵で描かれた徐倫にそっくりな構図ではあるものの、荘厳で超カッコイイ。ページを開いた先にあるカラーイラストも、ロックテイストで邪悪な貫録漂う美しさ。こうして見ると、「VS JOJO」という記念企画でDIOが描かれるってのは正解だったように思いますね。「ジョジョ」の原点とも言える人物だしなあ。
 ラフ画とは言え、今の絵で3部キャラを拝めるのも眼福です。主役のDIOに、花京院やポルナレフ、アヴドゥルならともかく、まさかエンヤ婆やダービー兄弟、ホル・ホース、ンドゥール、ヴァニラ・アイスまでもが描かれるなんて!描き下ろすにあたって、荒木先生も3部を読み返したであろう事は確実。絵柄は変わっても、ちゃんとそのキャラだと分かりますから。特にホル・ホースは粋でイカしてるぜ。ちょっとジャイロっぽいですしね。




――少々厳しめな感想も書きましたが、「VS JOJO」第2の刺客である西尾氏も、なかなかの仕事をやってくれました。敬意を表したいと思います。最後の刺客となる舞城王太郎氏の活躍にも、期待させていただきましょう。ウワサではかなり個性的な作家さんらしいので、何も恐れずに、その個性をガンガン発揮させてほしいですね。




(2011年12月24日)




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