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恥知らずのパープルヘイズ
−ジョジョの奇妙な冒険より−





荒木飛呂彦先生執筆30周年&「ジョジョ」連載25周年を記念して企画された、「ジョジョ」を愛する気鋭の作家陣が「ジョジョ」の小説化に挑む「VS JOJO」!今作はその第1弾として、2011年9月16日に発売されました。上遠野浩平氏による、「ジョジョ」5部のノベライズ小説です。そのタイトル通り、フーゴを主人公に据えた、5部完結より半年後のストーリーとなっています。2001年に発売された、同じく5部の小説「ゴールデンハート/ゴールデンリング」も、ジョルノ達と袂を分かった後のフーゴの姿が描かれていました。みんな、やっぱりフーゴのその後が気になってるのね(笑)。
読み終えた率直な感想としましては、「面白かった!」ですかね。今まで出版された「ジョジョ」の小説の中で一番好きかもしれません。乙一氏もそうだったけど、「ジョジョ」をこよなく愛しているからこそ、自分なりに「ジョジョ」を消化して、自分なりの「ジョジョ」を生み出す事が出来ていると思います。様々な要素や因縁を詰め込みつつも、1つの作品としてまとめ上げた筆力と発想はお見事。


これは、一歩を踏み出すことができない者たちの物語。しかし、その一歩を踏み出すまでの物語ではなく、本当のスタートライン(作中のジョルノの言葉を借りれば「扉の前」)に立つまでの物語だったのでしょう。フーゴにとってこの物語は、今までずっと避け続けてきたものを、あるいは、意識する事さえなかったものを見つめ直すための物語。自分と向き合い、自分を知り、自分を受け入れるための旅路だったのです。
原作では、イルーゾォのセリフだけであっさり流されてしまったフーゴの生い立ち。それが丁寧に描写され、彼の精神性や人生観までも浮き彫りにされていました。高い知性と才能を持つがゆえの、挫折と孤独。常識に縛られるだけの、自分の意思がどこにもない日々。何もかもが許せない気持ち。いくらブチャラティに救われたとは言え、彼の心の奥底にある暗闇までは照らせなかったのかもしれません。そんな心の暗闇、「歪み」そのものが『パープル・ヘイズ』となったのでしょう。
そして、旅の果て。偽りない自分の心に気付き、それを受け入れる事で『パープル・ヘイズ』は成長ッ!それは紛れもなく、フーゴ自身の成長でもあります。それまで見る事すら嫌悪していた『パープル・ヘイズ』と、真っ直ぐに見つめ合うフーゴの姿が印象的でした。
フーゴは最後まで、一歩を踏み出す事は出来ないままでした。それでも、ジョルノは彼と向き合い、「半歩」近付いてくれました。そしてフーゴもやっとの想いで、倒れ込むようにもう「半歩」を踏み出す。でも、それで良いのです。そんなズタボロで無様で情けない「勇気」を讃えましょう。これもまた、間違いなく「人間讃歌」です。フーゴという不完全で不器用で不安定な人物が主人公であったからこそ、感情移入もしやすく、どこか物悲しいけれど力強く清々しい読後感が味わえたのだろうと思います。


物語の大筋についての感想はこんな感じですが、今度はもうちょっと細かい点について箇条書きで語っていきまっしょい。




1. キャラクターやスタンドの個性について


 @原作ファンとして気になるのは、キャラクターの性格や口調が自然なものかどうかって事。これがおろそかだと、読んでいても違和感ばかりが先に立ち、物語を純粋に楽しむ事が難しくなってしまう恐れがありますからね。しかし、今作において、それはまったくの杞憂でした。どのキャラの動きも、頭の中でナチュラルに思い描く事が出来ました。上遠野氏がしっかりと原作を読み込んでいるからこそ、でしょう。
 ただ、ヴェネツィアでフーゴがチームを離脱した事について、フーゴ自身もミスタも妙に気にしすぎな印象。組織を裏切る選択をした者達は、自分がいかにヤバくて異常な決断をしたのかを弁えていると、私は思っています。組織に残る選択をしたフーゴの方がよっぽどマトモ、というか普通。自分の正義やら野心やらのために前向きに選んだ道であっても、誰もがフーゴの選択もまたよく理解し、尊重しているものと思っています。罪悪感を抱くのだとすれば、それはむしろジョルノやブチャラティ達がフーゴに対して抱くべきだろう、と。そしてフーゴも、自身の決断に、少なくとも「後悔」はしていないと思っています。
 ……なもんで、フーゴが「裏切り者」扱いされる事に対してだけは、ずっとモヤモヤしたものを感じていました。まあ、でも、これは見解の相違ってヤツです。私の解釈と上遠野氏の解釈が違っただけの話。そこんとこは割り切って読ませていただきました。


 Aどうでもいいちゃどうでもいい点なんですが、ミスタが「2」という数字も避けていたのが疑問でした。ミスタにとって、悪い数字は「4」のみ。それ以外は良い数字だと、サーレー戦でも語っています。だから、「4」だけは避けても、あとは「2」だろうが「14」だろうが「44」だろうが、ミスタはまったく気にもしないんじゃないかな〜。さすがに、「4」が「4」つ並んだ「4444」なんかは怪しいけども(笑)。


 B原作キャラだけでなく、小説オリジナルキャラもまた魅力的でした。フーゴとチームを組む事となった、シーラEムーロロ。正義のために犠牲になる事を望み、自ら危険に飛び込んでいくシーラEは、フーゴとは対照的です。姉:クララや愛犬:トトォを殺した「他人」という存在を根本的に嫌っている反面、盲信するジョルノのためにはどこまでも愚直になれる少女。どことなくナランチャにも似ているかも。ムーロロは飄々とした、謎多き男。器の小さな役立たずを装いながら、実は誰よりもジョルノを崇拝し、その高い能力をすべてジョルノのために捧げています。掴みどころがないキャラで、密かにこの小説で一番のお気に入り。
 そんな彼らと敵対する麻薬チームの4人も良かった。ビットリオアンジェリカコカキ、そしてマッシモ。「一体、どんなイカれたヤツらなんだ?」と思ってたら、彼らもまた、ブチャラティチームや暗殺チームに勝るとも劣らぬ立派なチームでしたよ。かなり病んでいる連中ではありますが、互いに身を寄せ合い、心を許し合い、強い絆で繋がっています。そんな彼らの戦いとその行く末、読み進めていく度に悲しい気持ちにさせられました。彼らの幸せを願っている自分がいました。


 C小説オリジナルのスタンドは、正直言うと、能力だけを見ればどれも微妙。スタンドバトルとしても、駆け引きらしい駆け引きはあまりなく、ちょっと物足りなさもありました。ただ、それぞれの能力が本体の性格や過去と密接に関わっており、この能力以外にあり得ないという説得力を持っているのです。恐らく荒木先生は描かないであろう能力で、だからこそ、上遠野氏の個性が滲み出ているのだと思います。
 スタンド名は『パープル・ヘイズ』にちなんで、みんなジミ・ヘンドリックスで統一。『ヴードゥー・チャイルド』、『オール・アロング・ウォッチタワー』、『ドリー・ダガー』、『ナイトバード・フライング』、『レイニーデイ・ドリームアウェイ』、そして『マニック・デプレッション』。すべてジミ・ヘンドリックスの曲名が元ネタとなっています。また、『パープル・ヘイズ・ディストーション』の名も、ジミ・ヘンドリックスが得意としたディストーション・ギターから来てるっぽい。上遠野氏のこだわりが感じられます。


 Dまだスタンド使いではないナランチャに、素質があるというだけで『パープル・ヘイズ』が見えていたってのはどうなんでしょうね。そんな簡単に判別が付くんなら、形兆だって無差別に『矢』を使ったりはしなかったはず。承太郎が仗助の髪にケチつけてキレさせちゃった時も、康一くんには『スタープラチナ』や『クレイジー・D』の姿はまったく見えていませんでしたし。
 素質があればスタンドが見えるというのは、ブラックモアがルーシーに対して言っただけの言葉。これは「新世界」で……、もっと言うと、下手したら「SBR」でのみ有効な設定かと思われます。もっとも、原作53巻でのトリッシュのように、ナランチャ自身もハッキリ自覚していないだけで、すでにスタンドが宿っていたとすれば問題ありません。その場合、彼は『矢』には刺されず、『ブラック・サバス』との遭遇と戦いによって追い詰められた末、『エアロスミス』を自由に操作できるようになったと解釈する事も可能でしょうね。




2.
原作との絡め方について


 @原作ではあまり語られなかった、「麻薬」の恐ろしさや非道さがしっかり描かれている点が良かったです。麻薬の売買は本来「禁じ手」であり、「どんなにワルだろうと、麻薬で利益を上げるなんて仁義に反する」と、ブチャラティ達は麻薬に対して嫌悪感を抱いていました。しかし、個人的な因縁や憎しみがあるブチャラティはともかく、他の連中までもがそう思う明確な理由は触れられぬまま。なんでそんなに麻薬だけが特別視されるのか?頭では分かってても、作中の描写的にはしっくり来ない部分がありました。それを、麻薬チームとの抗争という自然な形で描き出し、巧く補完してくれたと思います。
 ただし、麻薬チームが描かれた事により、「パッショーネ」の扱う麻薬はマッシモのスタンド能力で作られた物である事が発覚。それは即ち、麻薬のナワバリを得ようという暗殺チームの企みが、まったくの無意味であった事になるのです。悲しすぎる……。増してや、トリッシュのスタンド能力もボスに近付くヒントにはならなかった。もっとも、肉親同士の感覚によってボスの居場所が分かったかもしれないし、メローネならトリッシュの細胞からボスを追跡可能な『ベイビィ・フェイス』を生み出せるかもしれません。彼らの行動や意志が、すべて無意味というワケにはならないでしょう。


 A小説オリジナルキャラに原作キャラとの関係性を持たせているので、なんか親近感が湧きますね。シーラEは、姉さんをイルーゾォに殺された過去があり、その仇を討つために組織に入団し、ボスの親衛隊にまで登り詰めました。ムーロロは情報分析チームの一員で、暗殺チームにも情報を流していました。ペリーコロさんが燃やしたサンタ・ルチア駅前の写真を復元し、それをギアッチョに渡したのも彼だったらしいのです。あまつさえ、ソルベとジェラートに最初にボスの情報を流した張本人!もしかしたら、そんなソルベとジェラートを、彼自身がボスにこっそり売ったのかもしれません。底知れぬトラブル・メーカーです。
 ペリーコロさんの息子さんも登場。その名はジャンルッカ・ペリーコロ。若い頃、大病を患って命の危険に陥った時、組織に救われ、その恩を返すために親子で入団したそうです。父:ヌンツィオ・ペリーコロさんの意志を受け継ぎ、今や立派なボスの側近。紳士的でいい人そうな感じ。
 麻薬チームのマッシモ・ヴォルペは、なんとトニオさんの弟!トニオさんの本名は「アントニーオ・ヴォルペ」。家を出て行く際、名前の愛称と母方の姓から「トニオ・トラサルディー」を名乗るようになったようです。えらい大胆な設定を創り出したものですね。しかし、料理を食べた人の肉体を健康にする『パール・ジャム』と、肉体を過剰に促進させて廃人にする『マニック・デプレッション』……。よく似ているのにまったく正反対の、兄弟のスタンド能力の対比。そして、2人の歩んだ人生と、選んだ道の対比。こんな事をされては、もはや納得するしかありません。


 B舞台がタオルミーナというのは、思わずニヤリとさせられました。ポルポの遺産をゲットすべく、ブチャラティ達が向かったのはカプリ島でしたが、ジャンプ掲載時にはカプリ島ではなくタオルミーナだったからです。「次の舞台はどんな場所なんだろう?」とワクワクしながらタオルミーナについて調べてたのに、ズッケェロ戦後、何故かカプリ島に向かっているもんだから大混乱したのをよく憶えています。設定を変更したであろう事に気付いたのは、サーレー戦が始まってしばらく経ってからでした。
 そんなワケもあって、「ついにタオルミーナが来たァァアーッ!」って、ちょっと興奮しました(笑)。それに、そういった裏ネタ的要素だけでなく、土地の歴史もストーリーの中に上手く絡めてきていたので、話の流れとしても自然でしたしね。


 Cサーレーズッケェロの登場にもビックリしましたが、彼らの死にはもっと驚愕!私は彼らのキャラもスタンドも大好きなんですよ。フーゴと手を組む展開を期待したんですが……。なのに、敵の能力紹介や時間稼ぎのために利用され、あっさり始末されてしまうなんて。しかも、心臓が抉り出されたり、破裂・爆散したりと、なんとも惨い死に様。ギャングの世界は厳しいです。
 つーか、原作キャラをいともたやすく殺してしまうって、さりげにけっこうスゴイのかも?多少の批判を受けようとも絶対に面白い作品にしてみせるぞという、強い覚悟と自信があればこそ出来る事なのでしょうね。


 Dジョルノの「器」はあまりに大きすぎて、彼を見た者はそこに己の姿を投影してしまう。これは考えた事もない、面白い解釈でした。無理矢理と言ってしまえばそれまでですが、確かに納得できる面もありますね。心理テストみたいなもん?ここまで圧倒的支配者として描かれるとは、さすがジョルノ。ガチのカリスマじゃあ、親父も軽く超えちゃってますよ。


 Eこれがある意味、今作で最大の衝撃でした。まさかの石仮面ッ!!その暗黒の遺産は、「ジョジョ」の歴史とイタリアの歴史とが交差する点に、静かに眠っていたのです。上遠野氏もグイグイ攻めてきますね。こういう不意を突かれる驚きは、まさに「ジョジョ」を読んでいる時の感覚です。しかも、めっちゃ唐突なようでいて、意外と理に適っているという。
 安易に吸血鬼化せずに、石仮面が破壊されてしまうという結末も好印象。てっきりマッシモが吸血鬼になるものとばかり思ってたし。吸血鬼と『パープル・ヘイズ』のウイルスは、日光に弱いという設定も同じだから、そこら辺を活かしてくるのかなあ〜とかって。結局、物語を大きく動かすようなキー・アイテムとはならなかったけど、そのくらいのそっけなさの方が良いですね。あまり深く関わってくると、5部の世界観がメチャクチャに壊されちゃうでしょうから。なんつーか、分をわきまえたナイス・サプライズでした。
 とは言え、『マニック・デプレッション』で異常強化されたマッシモと『ナイトバード・フライング』で麻薬中毒化した人々の姿は、まさに吸血鬼屍生人(ゾンビ)がモチーフになっていますけどね。彼ら麻薬チームの行動は、石仮面があろうとなかろうと、人間を人間ではなくしてしまう。それは間違いなくなのです。


 Fたぶんポルナレフが橋渡ししてくれたんでしょうけど、「パッショーネ」とスピードワゴン財団は手を組むようになっていました。スピードワゴン財団の持つ情報はムーロロにも伝わっていたようで、石仮面とジョースター家の深すぎる因縁も、承太郎形兆重ちーの存在をも認識しています。さらには、自分やリゾットも含めて、群体タイプのスタンドを持つ者の心理解説まで始める始末。精神に決定的な欠落がある、との事ですけど、これもジョルノの「器」みたいに無理矢理っちゃ無理矢理な仮説。もっともっとヤバい精神の持ち主が、群体タイプ以外のスタンドを発現させている例はいくらでもありますし。


 G『パープル・ヘイズ』が『パープル・ヘイズ・ディストーション』へと成長ッ!殺人ウイルスがより凶暴化し、感染した者は30秒どころか一瞬のうちに病死。ところが、あまりに凶暴化しすぎて、ウイルス同士が共喰いしてしまうのです。本気を出せば出すほど、ウイルスは凶暴に共喰いし、殺傷力もなくなる。逆に手加減すればするほど、より確実に相手を感染させ、死に至らしめる事が出来る。矛盾する、フーゴの心の「歪み」の形。
 実に意外な成長の仕方でした。例えば、光への耐性が強くなって、死滅しにくいウイルスになる……とか。あるいは、感染・発病させられる病気の種類が増え、自由に選択できるようになる……とか。そんな単純な想像ならした事はありますが、さらなる凶暴化の方向に成長しつつも、それを逆に利用し、もっと扱いやすい能力に変えてしまうとは。フーゴの精神性も同時に反映できてるし。その発想には唸らされました。
 ところで、あの能力に「本気」も「手加減」もあるもんなのかな?フーゴのテンション的な問題なのか、はたまた、散布するウイルスの量的な問題なのか?


 Hトリッシュは歌手となって、CDデビューまで決定してました。随分とブッ飛んだ進路だな(笑)。彼女は昔から、母親と一緒にステージに立っていたそうで。まあ、ドナテラ生存時のトリッシュの生活なんて、誰も知る由もありませんしね。ジョルノ曰く、トリッシュのデビューは組織とは無関係で、純粋に彼女の実力との事。こうなっては、きっとトリッシュとはもう二度と会う事もないくらいなんでしょうけど、それでもトリッシュはジョルノ達に感謝しているし、ジョルノ達も同様のはず。たとえ道は別れても、正しいと信じる「夢」のために進む想いは1つです。


 Iジョルノは部下達に、自分を「ジョジョ」と呼ばせたい様子。1〜7部までを振り返ってみると、ジョルノだけ誰にも一切「ジョジョ」と言われていませんからねえ。上遠野氏もそこに何か思うところがあったのでしょう。でも、ジョースターとDIOの血を同時に受け継ぐだけあって、やっぱジョルノは特殊です。「ジョジョ」というニックネームが何故か今いち似合わない!そりゃあ、フーゴも戸惑うよ(笑)。普通に「ボス」の方が似合う気がします。




3.
その他いろいろ



 @荒木先生の描き下ろしイラストが、やはり素晴らしいです。イラストが配置されているのは、各章の最初と最後のみ。それでも、充分にイメージが膨らみ、小説を読み進める楽しさを増してくれています。懐かしのスタンド表も嬉しい配慮。当然、5部連載当時のタッチとは違いますが、今のタッチで描かれるのも感慨深いものがありますね。
 フーゴは以前よりも穴ボコの多いファッションに。服の強度が心配ですが、これもまた、彼の心情が表れているかのよう。そして『パープル・ヘイズ』のデザインも、微妙に変化しています。細部のデザインがちょくちょく変わるのは、荒木先生にはありがちの事。でも、これは成長後の『パープル・ヘイズ・ディストーション』としてのデザインなのでしょう。縫い止められていたパンティーが脱げ、背中にあったトゲトゲも消え、全体的にスッキリした印象。フーゴが自分の殻を破った事を暗示しているのかな?また、足にもカプセルらしき物がくっ付いています。ウイルスが制御しやすくなった分、数も増えた可能性あり。


 Aジョルノは組織を乗っ取った際、「もともと自分がボスだった」という設定で公に姿を現しました。ところが、本当のボスであった「ディアボロ」の名も、ある程度は知られている模様。そうなると、ディアボロはどういう男として認知されているのでしょうかね?麻薬チームと密かに手を組んで、その利益を横領し、ボスの反感を買った元・側近……的な?
 そもそも、ジョルノがもともとボスだったって設定自体、無理がありますよね。そうなると、組織が作られた時点で、ジョルノは何歳だったんだって話になるし。……まあ、明らかに怪しい話ですけど、それは逆に、ジョルノの「無駄に騒ぐな。余計な詮索はするな。今までと変わらぬ忠誠を誓え。」という意思が込められているからなのかもしれません。組織のボスを公然と名乗り、平然とその地位に君臨できている事が、ボスである何よりの証。きっと構成員の人達も、「彼がかつてのボスを始末して、新たなボスになったんだ」と薄々感じながらも、その手腕と風格に圧倒され、何も言えない状態なのでしょう。あまりに見事なボスっぷりに、何かを言う必要すらないのでしょう。


 Bやたらと「眼」を多用している点は気になりました。「オレと同じ眼」、「人殺しの眼」、「ナランチャと同じ眼」、「あのときの眼」、「腐った眼」、「見たことのない眼」、「キレた同級生の眼」、「チンピラの眼」、「覚悟している眼」……。その人の目付きを見れば、どんな気持ちでいるのかを感じ取れる事もありますし、漫画や小説でもよくある演出ではありますが、使い過ぎじゃないかな〜と。そういう不確かなもので重大な事を確信されても、どうも納得しきれません。


 C『ソフト・マシーン』の能力の解釈も、私と上遠野氏とでは少々異なるようです。シーラEは、ズッケェロが雨による水分の膜と石畳の間にも潜めると言ってました。確かに潜めるのかもしれませんが、果たしてそれで有利になるのかな?結局、ガラスの向こう側のように姿は丸見えで、あっという間に居場所がバレちゃうだけなんじゃないかと思ってしまいます。上遠野氏は、「空間」と「空間」の間に入り込む、『ラブトレイン』発動時の大統領みたいなものと解釈してるのかな?


 Dコカキ戦にて、落下の感覚を定着されたフーゴが、それを打ち破るために取った行動。それは、『パープル・ヘイズ』によって自分を上空へと投げ飛ばし、実際に落下するというものでした。感覚を定着されても、それ以上の精神力でなら別の行動を取れるらしい事はコカキが示唆していますし、スタンドで自分を放り投げるという事も可能でしょう。ただ、それが数十m程度ならともかく、数百mもの上空ってのはさすがにやりすぎな感がありました。


 Eジョルノがフーゴに「マッシモ抹殺」を命令した本当の目的とは、『パープル・ヘイズ』の成長と制御にありました。フーゴが死んだ後、『パープル・ヘイズ』が『ノトーリアス・B・I・G』のように一人歩きし、暴走する事を危惧していたというのです。う〜ん、なんか今いちピンとこない理由。本体の死後も存在し続けるスタンドってのは ―― 『アヌビス神』や『スーパーフライ』、『チープ・トリック』のように、(存在の保持や能力の行使のために)「別の本体」が必要なタイプか……、『ノトーリアス』や『リンプ・ビズキット』、『シビル・ウォー』のように、(能力の完成のために)「本体の死」が必要なタイプ ―― くらいのはず。あるいは、せいぜい『アトム・ハート・ファーザー』のように、本体自身が幽霊となっているタイプか。「HUNTER×HUNTER」の念能力じゃないんだから、そんな事はそうそうあるもんじゃない。でなければ、とっくに『エボニー・デビル』あたりが暴走して、世界を滅ぼしてます。
 ただ、あらゆる可能性を考慮し、危険を排除してこそのボス。『ノトーリアス』の恐怖を目の当たりにしたジョルノなら尚更か。まあ、それすらも詭弁で……、本当の本当は、堂々とフーゴを再び仲間にしたかっただけなのかもしれませんね。ミスタ達やフーゴ自身も含め、組織の誰もが納得できるような理由を作り上げるために、この任務を与えたと。いずれにせよ、生贄に捧げられた麻薬チームは哀れ。




――長々と語りましたが、個人的には満足な内容でした。私は荒木先生の描く「ジョジョ」以外はすべて完全に別物と割り切ってますが、「VS JOJO」という企画を期待させるに足るだけの『スゴ味』がありましたよ。上遠野氏に敬意を表しつつ、次なる刺客となる西尾維新氏と舞城王太郎氏の健闘を祈らせていただきましょう。






(追記)



トリッシュ、花を手向ける





2014年3月19日に発売された「恥知らずのパープルヘイズ」新書版に、新たに収録された書き下ろし短編。わずか19ページ(実質的には17ページ)ではありますが、トリッシュの後日談が語られています。
このトリッシュは当然、「恥知らずのパープルヘイズ」での設定が踏襲されており、歌手として忙しく活躍中の身。そんな彼女がたまたま、営業でブチャラティの故郷を訪れる事となり、その仕事終わりにブチャラティの墓参りをする……という内容です。そして、彼の墓前に花を手向けた時、そこに現れたのがブチャラティの母親。あまりに唐突過ぎたブチャラティとの別れ。そのまま宙ぶらりんになって前に進めずにいた、2人の女性の心。まったくもって罪深い男です、ブチャラティは……。
しかし、そんな2人がここで出会えたのは、ブチャラティのせめてもの罪滅ぼしだったのかもしれません。トリッシュの知らない、幼い頃の彼の姿。母親の知らない、大人になった彼の姿。それをお互いに垣間見る事で、想い出の中のブチャラティがより鮮やかになったはず。そしてそのブチャラティは、置き去りにされた彼女らの背中を優しく押してくれたはず。彼女らは、ブチャラティやジョルノ達ほど強くまっすぐには生きられません。大きな悲しみで傷付き、立ち止まってしまう事も後ろを振り返ってしまう事もあります。そんな時、悲しみを理解し合える人がいたなら、ようやくその悲しみを受け止める事が出来るのでしょう。
――この短い物語もきっと、一歩を踏み出すことができない者たちの物語。想い出の中のブチャラティが「半歩」分、彼女らの背中を押してくれたからこそ、彼女らももう「半歩」前へ進めるはずです。かすかな「救い」を感じさせる、切なくも清らかな物語でした。


トリッシュの回想として、コロッセオでブチャラティの遺体を前にしたジョルノとミスタのやりとりも読めます。これまた感慨深いものがある。
ジョルノはさすがの風格と貫禄(笑)。やっぱカッケーなー。ミスタは『レクイエム』の混乱で「ディアボロの魂」を捜してた時のように、えらいテンパり様(汗)。またもやジョルノに銃口を向けてきました。あんま軽々しく仲間に銃を向けるなよ、とは思いますが、仲間の死が絡んでるから仕方ないのかな。まあ……、それでもすぐに全てを受け止め、前へ歩み出せるのが彼の明るさであり強さです。
ただ、そもそもの話として、トリッシュはそんなミスタにも引けを取らないほどの精神の強さを持っていると、個人的に感じていました。なので正直、今作の彼女の描写とはフィットしない印象もあります。とは言え、「命懸けの戦い」と「ほのかな恋心」とじゃ、まるで別物だしね。ブチャラティの死を目の当たりにした事で、自分でも気付けずにいた想いにやっと気付けたのだとしたら……、その想いの持っていきどころが分からなくなっちゃいますよね。彼女が恋する女の子だからこそ、好きな人を永遠に失ったからこその特別な苦しみだったんでしょう。

残念ながら、荒木先生の描き下ろしイラストはナッシング!トリッシュは確か、5部ゲーのポスター用イラストを最後に描かれていないはずですよね。あれが2002年発売だから、かれこれ12年描かれてないって事に!当時は6部連載中だったから、トリッシュもやたら逞しく雄々しかったけど、今の荒木先生なら可愛くエロティックに描いてくれそう。見てみたかったなあ。




(2011年10月2日)
(2014年3月21日:追記)




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