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岸辺露伴は動かない (TVドラマ)





2020年の年末、3夜連続で「岸辺露伴は動かない」TVドラマが放送されました。その完成度は非常に高く、多くの話題を呼んだのであります。 (第一話~第三話の感想はこちら
そして、続編への期待が集まる中、2021年8月!とうとう第2弾の制作が正式発表!今回もまた、日本の年末を露伴一色に染め上げてくれる事となりました。12月27日(月)~29日(水)の3夜連続、NHK総合テレビでの放送です。放送時間も前回同様、22:00~22:49。このまま年の瀬の新たな定番になってくれたら何よりです。

今回、ドラマ化されるエピソードは、「ザ・ラン」「脊中の正面」「六壁坂」の3編!どれも珠玉のエピソードなのですが……、なんと第五話の「脊中の正面」は、「ジョジョ」本編の『チープ・トリック』戦のアレンジなのだから驚きです。そう来たか、と。この3つのエピソードを、どのように1本のドラマとしてまとめ上げてくれるのか、この目で確かめるのが楽しみ。
配役ももちろん、前回から続投です。岸辺露伴は高橋一生さん!泉京香ちゃんは飯豊まりえさん!脚本は小林靖子さん。他のメイン・スタッフの方々もほとんど変わらないという事で、これはもはや、約束された名作と言っても過言ではありますまい。
ここでは、そんなドラマの感想を書き記していきます。








第四話  ザ・ラン



第2弾の1発目は、今のところの最新作「ザ・ラン」。今回も最初は露伴の自己紹介から。第1弾の泥棒2人組を演じた俳優さん達が、今度は不動産屋になってる(笑)。もうこれはお約束なのね。「読んでもらうため」という露伴の行動原理もここで語られ、ただの偏屈漫画家ではなく、彼なりに読者に寄り添っている事が明示されます。
そして、京香ちゃんも登場!1年ぶりの再会、嬉しいですねぇ。……で、この時点ですでに、中身は原作「六壁坂」の冒頭シーンでした。妖怪伝説の取材のために山を買って破産、と。第1弾では「太郎くん」という縦軸がありましたが、第2弾の縦軸は「六壁坂の怪異」。そのため、「ザ・ラン」の陽馬も「脊中の正面」の乙雅三も、全ての異変の元凶は「六壁坂」にある……という設定に変わっているようなのです。そして今回は、陽馬の怪談を露伴が京香ちゃんに語り出す、「動かない」シリーズの正しい様式・作法に則った構成になっていました。


橋本陽馬を演じるは笠松将さん。初めの印象は、なんか原作よりもフランクで人間味を感じました。でも、徐々に狂っていき、得体の知れない冷たさと恐ろしさを纏っていきます。ボディ・メイクで、「走る筋肉」に特化した肉体をデザイン。ひたすら「走り」にのめり込み、エスカレートしていくのでした。ランニングで人里離れた山奥まで行っちゃってますが、その場所は「六壁坂」。そこで彼は怪異に取り込まれてしまったのでしょう。
それにしても笠松さん、相当頑張りましたね!ガチでいいマッスルしてました。このエピソードは陽馬の肉体あってこそ説得力が生まれるってもんですから、そこにしっかりこだわってくれたのが素晴らしい。ボルダリングも見事に再現されていましたし、前鋸筋も本当に浮き上がってるし!こりゃスゴいわ!
露伴とのトレッドミル勝負も、まずシチュエーションや映像としての怖さが引き立っていますね。誰もいない夜のジムっていう静まり返った舞台が、えらい不気味。本来なら多くの人々で賑わっているはずなのに、陽馬によって「異界」へと変貌してしまいました。そんな場所なら、何が起きても不思議じゃない。露伴が自身の性格と行動を反省するほどのヤバすぎるラインを超えてしまうワケですが、それでもまだ好奇心の方が上回っているってのが逞しい限り(笑)。その点においては、原作以上でしたね。

惜しむらくは、トレッドミル勝負での見た感じのスピードがちょっと遅めだった事。まぁ、大事な俳優さんにマジで時速25kmで走らせ、もしケガなんてさせちゃった日にゃあ、この作品もお蔵入りでしょうからね。しょうがないっちゃしょうがないんだけど、もっともっと高まるスピード感と緊迫感を表現できたんじゃないかって気がします。
あと、陽馬は原作でもアニメでも、殺したミカちゃんのネックレスを付けてたのに、ドラマでは違ったのが残念。陽馬の禍々しさが滲み出るところだから、そこは再現してもらいたかったですね。
そして、これは京香ちゃんも指摘していた事ではありますが……、実際、陽馬との結末がフワフワしてました。う~ん、陽馬はどこに消えたんだろ?露伴を狙わなくていいの?「逃げる (=ザ・ラン)」しかないってくらい追い込まなくて良かったの?そもそもの話、陽馬の変異は何だったの?それはひょっとすると、続く第5話か第6話で明かされるのかもしれません。でも、このエピソードの中である程度は示してほしかったですね。日本の怪談っぽくしている以上、さすがに「ヘルメス神」の化身じゃないだろうから、「韋駄天」の化身とか?


―― ともあれ、露伴と京香ちゃんが帰って来たと思えて、とても楽しかったです。やっぱり、ずっと見ていたくなるナイスなコンビ。
「場所というのは重要だ」ってセリフも、「ジョジョリオン」リスペクトでニヤリとするし、「坂」という場所へのほのめかしにもなっていて、第2弾最初のエピソードとして巧く機能していますね。先への期待が膨らみます。第6話まで見終えた上で見直せば、また違う感想も出て来そうだな。
あ……、そういや、今回も櫻井孝宏さんが声で出演されていたみたいです。さらに、なんとファイちゃんまで!あとでちゃんと確認しておこっと。




(2021年12月28日)








第五話  脊中の正面



続く第五話は、「ジョジョ」が原作の「脊中の正面」。まず、ストーリー構成が光ってました。「ジョジョ」という、ある意味別作品から持って来たエピソードですから、それをどう違和感なく「動かない」の一部に仕立て上げるかが問題なんですが……、実にお見事でしたね。
「振り返ってはいけない小道」「背中を見られてはいけない『チープ・トリック』」を、多くの神話や伝説に残る「見るな」のタブーで繋げてくるのは、とても自然で納得させられます。さらに、前回ほのめかしておいた「坂」から、「振り返ってはいけない小道」「黄泉比良坂」にしてしまう手腕もあっぱれです。どちらも「この世」と「あの世」の境目。境目=坂。魂を掴んで引っ張る無数の「手」は、黄泉の亡者達に。ここまで鮮やかだと、最初から全て想定しての「六壁坂」という名前だったのでは、とさえ思えてしまうほど(笑)。
そして、このタイトルの妙。「脊中の正面」とは、荒木先生が名付けたタイトルらしいのですが、「かごめかごめ」の「後ろの正面」を彷彿とさせるワードで、日本の怪談・都市伝説らしいおどろおどろしさが表れていますよね。古風で和風なイメージは「動かない」とよく馴染む。


さて、今回のエピソードは何と言っても、乙雅三役の市川猿之助さんでしょ。彼のインパクトがもうハンパない。背中を見られないための動作も、露伴とのやりとりも、いちいち滑稽で笑えてしまう。「くしゃがら」での志士十五との掛け合いにも似た、もっと見ていたいと思うシーンでした。スタンドである『チープ・トリック』を、乙と同じ姿の怪異として描いたのも正解ですね。この生々しさや手作り感あってこその、ドラマ版「動かない」だもんね。
露伴と京香ちゃんのバディっぽさが、この1年で増してるのも良い。相変わらず噛み合ってない2人だけど、京香ちゃんはすっかり露伴邸が気に入ってるし、露伴も京香ちゃんをメールで呼び付けたりしてるし、お互い自然と手を取り合えてるし……、これは第1弾の頃では見られなかった関係性。それに、恋愛にはどう間違っても発展しないので、せっかくのサスペンスに水を差される心配も無用。なんか、ちょうどいい距離感です。今回は京香ちゃんの情報収集が役立ってくれた上、怪異との相性も良さそうなので、ますます相棒として相応しくなってきました。さりげに優秀な編集だ。
「黄泉比良坂」という、あまりに確証の無さすぎる決め手で勝利したワケですが……、露伴がしっかり次善の策も用意していた事で、都合の良さがうまい具合に緩和されましたね。どうやら『ヘブンズ・ドアー』は露伴本人にも使えるようで、怪異の存在そのものを忘れ去ってしまえば怪異も力を失うみたい。でも、試した事はないし、「面白いネタ」を忘れるなんてもったいないから、後回しにしたんでしょう。京香ちゃんの登場も露伴が前もって呼んでいた事が分かるなど、とにかく唐突に思えるところに理屈を付けてくれたので、ちゃんと腑に落ちましたね。

歩道橋の男に命令を書き込む際、ついでに「歩きスマホはしない」と書いてました。私としては、「月曜日 天気-雨」のドラマ化の布石と受け取っちゃいたいところ。来年の年末で見られるといいなぁ。
歩道橋の男と言えば、『ヘブンズ・ドアー』での攻略も今ひとつ盛り上がらない印象でした。淡々としてるっていうか。「黄泉比良坂」で決着が付く時も、「地獄に行く」が無かったしね。まぁ、でも……、「ジョジョ」(特に週ジャン時代)にはカタルシスがあるけど、「動かない」はアプローチが別物ですからね。スカッとする終わりを求める方が間違いなんでしょうな。


あ……、本日の櫻井さんとファイちゃんは救急隊員でしたね!昨日はジムの客。明日は何だろう?




(2021年12月29日)








第六話  六壁坂



第2弾ラストを飾るのは、言わずもがなの「六壁坂」。第六話で六壁坂とは、なかなか小洒落た事をしてくれるぜ。「六壁坂」と言えば、2007年の青山学院大学での荒木先生の講演会がメチャクチャ想い出深い。まだ掲載前の「六壁坂」の原稿をスクリーンに映し、先生自ら1コマ1コマ解説を交えながらセリフを読んでくれたんですよ。感激だったなぁ。
「ザ・ラン」と「脊中の正面」の怪異を総括するエピソードとなるこの「六壁坂」ですが……、残念ながら、詳しい事は分からずじまいでしたね。大郷家が屋敷に戻って来た事で、六壁坂に力が戻り、「境目」が開いてしまった。それだけの説明。結局、得体の知れぬ怪異・妖怪の1つでしかなかった。もっと具体的に語られるのを期待してただけに、ちょっと肩透かしでした。最後に京香ちゃんが言っていたように、6体いる妖怪のうちの3体が紹介されたって事なのかもしれないし、全然違うのかもしれないし、真相は闇の中。まぁ、明かされちゃった時点で怪異は怪異でなくなり、妖怪も妖怪として存在できなくなるんでしょうから、こういうオチも必然と思うべきなのかな。


ドラマ版は原作とは異なり、まずは六壁坂村での探索・推理パートがありました。陽馬と乙の行動から、かつて在ったはずの六壁坂の場所を割り出していきます。そして、その場所は大郷家の屋敷へと続いていたのです。おお、ゲームっぽくて面白い。ただ、さも「捨てる」って行為がキッカケで怪異に取り憑かれたかのような言いっぷりでしたけど、メロンを投げ捨てた乙はともかく、陽馬は違いますよね。陽馬がミカちゃんの死体を捨てたのは、もうとっくに狂ってしまった後の話なんですから。正体や法則を掴めそうで掴めない、なんとも気持ちの悪い感覚だ。
山を買い占め、村を嗅ぎ回っている、ウワサの露伴。そこに現れたのが、大郷楠宝子でした。『ヘブンズ・ドアー』で彼女の記憶を読み、その恐るべき過去を追体験。正直、「D・N・A」で生々しい表現をことごとく改変していたから、あそこまでしっかり再現してくれるとは思っていませんでした。でも、そもそも鼻血が出やすい荒木先生の「このまま死んでも血が止まらなかったらどうなるんだろう?」という発想から生まれたエピソードなので、流れ続ける血が描かれなければ、「六壁坂」である意味がなくなっちまいます。この難題はなんと、画面をモノクロにする荒業で解決ッ!どうせ白黒にするんなら、血を水でごまかさなくたって良かった気はしますがね。しかも、水で代用しておいて、血をゴクゴク飲むシーンはカットするという意味不明さ。う~ん、どっち付かずで中途半端な印象です。
楠宝子を演じるのは内田理央さん。美しく気品があり、鬼気迫る演技もこなし、まさに適役でした。「ジョジョ」好きってのもポイント高い。そして、郡平は原作以上に調子こいててムカつくし(笑)、修一は逆に自信なさげでいい人っぽさが増してました。だから余計に、楠宝子の郡平への愛情や執着がおぞましく歪んだものに感じられます。完全に魅入られちゃってる。

露伴が楠宝子の娘に取り憑かれかけるという展開は原作通りでしたが、なんと京香ちゃんまで楠宝子の息子に出会い、取り憑かれ……てなかった!いくら妖怪と言えども、取り憑く相手はちゃんと選んでいる模様(笑)。根っからのお気楽ポジティブ娘である京香ちゃんは、妖怪にとってはウザすぎて、自分の手に負える相手じゃないと判断されたのでしょうか?さすがだぜ。それにしても、この大郷母子3人が階段で突っ立っている画には何故か一番ゾッとしましたわ。
どうにか無事に取材を終え、帰還。集明社からお金を前借りでき、家を売らずに済みました。何も取り戻さずに破産したままの原作の潔さが好きなんですが、ドラマの続編を考える上では、ここで家を失ってしまうのも確かにもったいない。あの家はドラマ版のシンボル的な場所ですしね。……かくして、露伴と京香ちゃんは再び日常を過ごしていくのでした。


あ……、本日の櫻井さんとファイちゃんはバスの運転手と村内放送でした。
ちなみに、楠宝子に関係する人物達の名前が判明。たぶん父親が「宝生 (ほうせい)」。娘が「桐子」、息子が「櫂」。さらに、修一の姓は「高窓」でした。でも櫂くん役は、最初に露伴を見付けてお友達を呼びに行った子の方が合ってたよね?郡平の子って感じするよ。




―― そんなワケで、第2弾も終了。いや~、今年も楽しい3日間だった!制作に携わった全ての方々に感謝いたします。
さて、早くも気になるのは来年の年末ですよ。続編第3弾、絶対やるでしょ。高橋一生さんはインタビューにおいて、「ジャンケン小僧のエピソードをやりたい」「鈴美さんに当たる人物が出て来てほしい」「露伴の過去や血脈、運命に向き合う物語が立ち上がって来るはず」と発言されていました。それも実現すれば、必ずや面白い作品になるでしょう。ただ……、私個人としては、それはやっぱ「ジョジョ」の領分であって、「動かない」でやる事ではないんじゃないかとも思います。あくまでも「動かない」原作が基本で、小説版や「ジョジョ」本編からは流れ上の必然性があったらやるぐらいで十分。露伴本人よりも「怪異」そのものにフォーカスを当ててほしい。まずはとにかく、「月曜日 天気-雨」が観たいですね!待ってますッ!




(2021年12月30日)




(追記)
もう少し語りたい事があったので、箇条書きで書いていきます。
ここはこうしてほしかったという希望・要望や、新たな気付き・発見、SNSで見付けた面白い意見・解釈などです。


< ザ・ラン >
露伴は「漫画」のために、陽馬は「走り」のために、全てを犠牲に出来る男。ある種、似た者同士かもしれません。
ただし、絶対に相容れないものがある。それは、他人への敬意の有無です。陽馬は「走り」の邪魔になる者を漏れなく殺して排除していました。しかし、露伴にとっての他人は、「読者」か「これから読者になるかもしれない人」なんです。いくら変人偏屈ではあっても、読んでもらうために漫画を描き、読者サービスも忘れない。この回で描かれた露伴のそんな一面は、陽馬との対比でもあったんでしょう。セリフや行動は原作と同じでも、シチュエーションや見せ方が変わるだけで、そこに秘められた意味も変わってくるんですね。

それで言えば、ド・スタールの絵もそう。露伴が解説した通り、彼の絵はギリギリのせめぎ合いを描いています。これもまた、1つの「境目」
第2弾の3つのエピソードは、とにかく「境目」=「坂」をテーマにしているのが窺えます。陽馬が坂道を走って鍛えるっていうのも納得できる話ですし、本当によく出来てるよ。感心しきり。

トレッドミル勝負の際、ガラスが割れるシーンや陽馬が落ちていくシーンを直接的に見せてくれた方が良かったんじゃないかと思います。つまり、敗者が支払う代償をしっかりと描写してほしかったという事。
NHKの放送コード的なアレがあったりするんでしょうかね?何かしらの明確な理由や意図があるんなら仕方ないですが……、もし手間を惜しんで音だけにしたっていうのなら、そこは残念です。

同じくトレッドミル勝負の際、途中で勝負が中断したり、陽馬がハンデを与えたりしていたため、原作の爆発的な勢いが削がれてしまっていました。
やっぱり勝負というものは真剣勝負。やるからには一切の容赦も手加減も無しで、トコトン全力でやり抜いてほしかったですね。

高橋一生さんの露伴は、かなり仰々しく芝居掛かった演技が多いですよね。舞台での演劇や歌舞伎のように。ナチュラルとは言い難く、非常にクセがスゴい。
でも、荒木作品ならこれほどのクセでも耐えられる強度があるし、なんならちょうどいいぐらいです。露伴にとって他者とのコミュニケーションとは、確固たる目的があるもので、それを実現するためのツールなのかもしれませんし。気分次第の何気ない意味ない雑談なんかはせず、あくまで欲しい情報(リアリティ)を手に入れるための手段。即ち、「体験」であり「取材」なんでしょう。素じゃないんだから、芝居じみているのは当然なのです。


< 脊中の正面 >
このエピソードに限った話ではありませんが、高橋一生さんの露伴としての所作がイイ。その立ち姿にせよ、本になった乙雅三のページをめくる動きにせよ……、1つ1つの所作に神経が通っていると言いますか、思惑が込められているように感じられます。

『チープ・トリック』的な背中の妖怪乙、重いのか重くないのかがよく分かりません。露伴も、画面にヤツが見えている時は重そうに、見えてない時は軽やかに動くからね(汗)。
ガチにおぶらなくても、単に背中に抱き付いて、後ろから付いて回る存在ってだけで良かったんじゃ?

「黄泉比良坂」がタイミング良く開いたのは……、ギフト持ちの露伴、「六壁坂」の妖怪乙、当たりやすい京香ちゃんという、「この世」の領域からちょっぴりはみ出ている三者が揃っていたからなのかな。奇妙な引力のシナジーで境目が広がった、みたいな。
そんなにちょくちょく日常的に開いちゃってたら、都市伝説どころか、誰も近寄れなくなっちゃいますもんね。

「黄泉比良坂」は「泉平坂」とも書くようです。「泉」京香と「平坂」。まるで最初から計算し尽くしていたかの如き符号。
「くしゃがら」でも触れられていたように、言葉には「言霊」という力があります。そんな力や縁で繋がっているのなら、そりゃあ境目も開いちゃうわなぁ。

結局のところ、あの妖怪乙が襲って来た理由って何だったんでしょうね?「六壁坂を返せ」「六壁坂は六壁坂に」と言われてもね。
村のよそ者が村の土地を所有してしまう事、それ自体に拒絶を示してしているって事なのか。人の理屈なら露伴が所有している方がよっぽどマシなのでしょうが、妖怪的にはそれだと納得できない何かがあるのかもしれません。だったら、土地をよそ者に売らないように地主に取り憑いとけよ、とも思いますけどね(笑)。


< 六壁坂 >
「六壁坂」の名の由来・意味について。「坂」は境目ですが、「壁」もまた区切りや隔たりといった境目ですよね。「六」という数字は、例えば六曜や六道なんかを連想させられます。六つの領域を区切る境界……みたいな意味合いだったりするのかも。3つのエピソードで登場した怪異は、そのうちの三つの領域それぞれを象徴している……とかね。だとしたら、やはりもう3つの怪異が残っている事に。(それが描かれる事もないでしょうけど。)
あるいは、六つの壁に囲まれた空間、ともSNSで言われていました。それはつまり、決して逃れられない「箱」であり「結界」。まさに「呪い」と言い換える事も出来そう。ラストで京香ちゃんが持って来たケーキも、Nicolas&Herbsというお店の「キューブ」って名前のケーキらしく、それを暗示しているかのよう。郡平に魅入られた楠宝子は、もうどこにも行かず、郡平の元から離れる事はありません。呪われて、六壁坂村や屋敷という箱・キューブに永遠に閉じ込められてしまったのです。

六壁坂における「捨てる」というキーワードについて。その行為が一種の「捧げもの」「贄」とでも見なされ、妖怪の力を与えられるんでしょうか?
陽馬の場合、彼が六壁坂に捨てたのは、ミカちゃんの死体だけじゃなかったのかもしれません。よくよく考えれば、宅配の兄ちゃんも殺されたはずなのに、死体は見付かっていないっぽい。陽馬は、トレーニングの邪魔と判断し「取り除いた」ものを、六壁坂まで運んで捨てていた可能性があります。あんな人気の無い山奥、死体を隠すには持ってこい。恐らく、ミカちゃんの前に、宅配の兄ちゃんも自転車も六壁坂に捨てていたんでしょう。それなら筋は通ります。怪異に呪われたのは、最初に自転車を捨てた時……という事になる。

楠宝子の場合はどうなんだろう?彼女もかつて何かを「捨てて」しまったから、郡平と出逢ってしまったのかな?でも、大郷家が戻って来た事で六壁坂が息を吹き返したのであれば、もっと根本的な因縁がありそう。
大郷家の屋敷はもともと神社か何かで、それが「結界」となって妖怪達を封じていたとか。それこそ、この世界の六壁神社ですよ。しかし三百年ほど昔、この土地にやって来た大郷家の遠い先祖が、神社を壊して屋敷や味噌蔵を建ててしまう。朽ち果てた階段や地蔵なんかはその名残り。そうして、封印が解かれた妖怪達が現れ、屋敷に取り憑いてしまう。時に、大郷家の人間や近隣住民を襲うようになり、恐れられるようになる。ところが百数十年以上も前、大郷家が村を出て行ってしまった事で屋敷に近付く者も居なくなり、妖怪達は次第に力を失っていった。村人達も妖怪を目醒めさせないため、忘れ去るため、関係する記録を焼き捨て、話題にする事さえも完全に禁忌とした。時は流れ、三十数年前……、大郷家は屋敷に帰って来た。これにより、妖怪達は再び力を取り戻す。そして、もう二度と大郷家が屋敷から離れないよう、大郷家の血にすら入り込もうとしたのである。
……といったような歴史・経緯があった、のかもしれませんね。もしそうだとしたら、楠宝子は大郷家の人間だから郡平に取り憑かれてしまったという事になります。自らの血を大郷家と混じり合わせる事で、自分達妖怪の存在を守ろうとしたってワケですね。

露伴は具体的に何かを六壁坂に「捨てた」ワケではありませんが、大切なもののためなら躊躇いなく何でも捨てられる人間。要・不要を区切り、優先順位を付けられる人間。事実、漫画のネタのために全財産を投げ打ってます。そういう人間性だから、楠宝子の娘にも選ばれてしまったんでしょう。
しかし、選ばれなかった京香ちゃんは違います。彼女は何も捨てないのです。ラストでも、空っぽのケーキの箱ですら捨てずにいましたから。いや、もちろん、ゴミを溜め込む人間だって意味じゃないですよ。これはただの比喩であって、ケーキの箱も最後にはちゃんと捨てるはず。でも彼女の人間性は、何かを犠牲にするというものではないんです。彼女はたぶん、人を本気で嫌ったり傷付けたりは出来ず、本当に必要ない物なんて無いって信じ切ってるような性格だと思うんですよ。「陰」がまったく無い、完全なる「陽」の人。そんなイメージ。

京香ちゃんの存在は、この作品において唯一の「光」だよなぁ。絶対に必要な人だ。
人の心の闇や暗部とか、それにまつわる怪異や呪いとか、そういう「影」を色濃く描くのがこの作品です。だからこそ、対極に位置する彼女の圧倒的な「光」が眩しく暖かく、見てる側も癒され救われるんですよ。当たりやすい割に、妖怪からは選ばれないってのも、そこから来てそう。「彼ら」は光に引き寄せられはするけど、決して光に照らされては生きられないのでしょうから。

露伴の京香ちゃん締め出し芸は第2弾でも健在。こういう定番・お約束が、「帰ってきた」って気持ちになってホッと安心するんですよね。



―― 以上です。
役者や脚本のみならず、衣装も音楽も小道具もカメラワークも演出も、全てにこだわりがある素晴らしいドラマでした。そして、それらが織り成す、作品全体から滲む雰囲気がたまらなく好きです。来年の年末も、この大好きな空気に包まれる事を願っています。「岸辺露伴」次回作……、きっと傑作!




(2021年12月31日)




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