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ここに書いているのは、スタンドの個人的な解釈に過ぎません。
原作の設定・描写をベースに、
勝手に考察・妄想しただけのものです。
正確な公式データが欲しいという方には何の役にも立ちませんので悪しからず。




バーニング・ダウン・ザ・ハウス / 本体: エンポリオ・アルニーニョ
< 「物の幽霊」を扱う能力 >





<特徴>
生まれついてのスタンド能力である。
母親がスタンド使いであり、その素質を受け継いだようだ。


本体:エンポリオ・アルニーニョの肉体と一体化したスタンドであるため、ヴィジョンは存在しない。




<能力>
「物の幽霊」を扱う能力



「ジョジョ世界」はある超越的・絶対的な力で満たされており、ありとあらゆる存在がこの力を共通して保有している。『フー・ファイターズ』(が引用した天文物理学者フレッド・ホイル)の言葉を借りるなら、その力とは「知性」である。全ての物質や生物はこの「知性」に導かれて生まれ、物質や生物に宿る「知性」は自身の「情報」を絶えず記憶し続けているのだ。
そして、この「知性」は大なり小なり互いに反応し合い、影響し合い、「物質世界」において1つの巨大な流れを形作る。何者にも抗えぬ「因果の流れ」、なるべくしてなる「必然の連続」。人はそれを「運命」と呼び、「運命」を決定付ける「知性」そのもの(が持つ意志のようなもの)を「神」と呼ぶのである。
スタンド使いとはこの「知性」「運命」に選ばれた存在であり、それゆえ、スタンド能力は多かれ少なかれ「知性」に働き掛ける力を有しているという事になる。


「知性」「魂」が、有機物の「肉体」に宿った存在こそ「生物」である。生物は、自らの内に宿る「知性」によって、自分自身や外界の存在を感知し、認識し、記憶し、思考できるようになった。そして、より大きく、より複雑な構造の頭脳を持つ生物であるほど、「知性」をより高度に発揮する。自分の内的世界を外界に表現・創造し、外界からの刺激を自分に取り込んで変化・成長し、活動する事が出来る。現在の地球上では、人間が最も高度な生物と言えよう。人間が持つ意志だけが、「物質世界」において決定付けられた「運命」の形の中に「意味」を見いだし、その「意味」を変えたり、さらなる「意味」を付与したりする事が出来るのだ。
そんな人間を始めとする生物の「肉体」に宿って活動し成長した「魂」は、死の直後、「肉体」と「知性」から離れても、その意志と姿が保たれている。とは言え、死んで「魂」だけになれば、すぐに「あの世」に飛んで行ってしまう。そして、浄化されてまっさらな状態に戻り、意志も消え去って、やがては再び「この世」に生まれ変わって来るのだろう。ところが、時に「場所」や「スタンド能力」等が持つ力に縛られ、意志と姿を保ったまま「この世」に留まり続ける「魂」がある。それは俗に「幽霊」と呼ばれている。
「幽霊」は存在が希薄で、通常、生きている者の目には見えない。「幽霊」が起こした行動も、気に留める者はほとんどいない。声も聞こえないが、インターホンや携帯電話などの機械を通せば聞こえるようになるらしい。ともあれ、お互いの「魂」の波長とでも言うようなものが合った者にしか、存在を知覚されないのである。スタンド能力や何らかの霊能力を持つ者は、霊的な領域が常人よりも広いため、波長が合う事が多い。また、犬などの動物は、人間よりも本能に忠実なためか、「幽霊」の存在を感じ取りやすいようだ。


「魂」は無機物には宿れない。ゆえに、無機物の「幽霊」は存在し得ない。
しかし、無機物にも「知性」は宿っており、たとえ壊れたり焼失したりしたとしても、自身の過去の姿を「情報」として記憶している。それが、その過去の姿を知る人の想い出や愛着などといった「思念」と、何かの拍子で結び付く事がある。すると、在りし日の姿が「この世」に再び現れるのだ。もっとも、それは実体を持つ物質ではない。あくまでも、「知性」と人の記憶の中に残るイメージであり、幻や蜃気楼のような儚い映像に過ぎないのである。この存在は「幽霊」と似て非なるものではあるが、便宜上「幽霊」という言葉で括られる。「物の幽霊」、または、もし場所や建物そのものの姿なら「屋敷幽霊」とも呼ばれている。
人の「思念」が強いほど「屋敷幽霊」になりやすいため、学校や旅館など、多くの人々が集まっていた(多くの人々の想い出に残った)建物は「屋敷幽霊」として現れる確率が高いようだ。
ちなみに、ドナテロ・ヴェルサスのスタンド『アンダー・ワールド』が操る「地面の記録」も、この「物の幽霊」や「屋敷幽霊」と非常によく似た存在である。


(余談ではあるが……、「この世」が死者の「魂」で溢れ返らないように清掃する役目を負った、「魂の掃除屋」なる者も「デッドマンズ・Q(クエスチョンズ)」の物語で確認されている。
この「掃除屋」は、卵から孵化し、ミニサイズの恐竜のような姿で現れる。生物とも幽霊ともスタンドともつかない奇妙な存在である。死者の「魂」、即ち「幽霊」に触れると、その部分をたちまち何らかの生物の姿に変えてしまう。つまり、強制的に「魂」を生まれ変わらせ、「この世」と「あの世」の「魂」のバランスを保っているのだ。輪廻転生、生命のサイクルを表すかのように、体表には円形の模様が無数に描かれ、皮膚からは円形に並んだ歯が剥き出しになって生えている。
「屋敷幽霊」を巣にする事があるが、「屋敷幽霊」を自ら襲ったりは決してしない。これもまた、「幽霊」と「屋敷幽霊」が厳密には別物である事の証明と言えるだろう。「屋敷幽霊」は「魂」ではないからこそ、「掃除屋」のターゲットにはなり得ず、「この世」に存在する事が許されているという事だ。ただ、「掃除屋」の卵が割れ、中身のドロドロの液体が掛かってしまった部分は、「屋敷幽霊」であっても例外的に生物の姿へと変えられてしまう。)


前述の通り、「物の幽霊」や「屋敷幽霊」は、「幽霊」に近い存在でもある。したがって、「幽霊」なら「物の幽霊」を普通に使えるし、「屋敷幽霊」の中に入って歩き回る事も出来る。生きている者なら、たまたま波長が合った時に目に見える程度であろう。
本体:エンポリオ・アルニーニョは、この「物の幽霊」を生きたまま扱える能力を持っている。そして、他の物質や生物に対する干渉力・存在感を操れるのだ。そのため、エンポリオ以外の者でも「物の幽霊」に触れられるように、「屋敷幽霊」の中に入れるように、調節する事も可能である。


エンポリオは、自らのスタンドパワー「思念」を宿す事によって、「物の幽霊」を支配し、自由に扱っている。「物の幽霊」はもはや、エンポリオのスタンドと言っても良いだろう。
人の「思念」というものは、「知性」そのものや「知性」が持つ記憶と結び付きやすい。「知性」の記憶と結び付く事で「屋敷幽霊」が現れるように、その場所や建物に宿る「知性」と結び付く事で霊的な「結界」を作り出す。「幽霊」は、その「結界」を作り出した主の「許可」が得られない限り、「結界」内に入る事が絶対に出来ないのである。(主が言葉に出そうが出すまいが、とにかく侵入を心で許せば「許可」が下りた事になる。) また、「幽霊」は、「思念」の大元である人間の方から不意に触れられると、大ダメージを受けてしまう。「幽霊」自身の意志が抵抗力になるのか、逆に「幽霊」の方から人間に触れる分には問題ない。
このように、「幽霊」にとって人の「思念」とは、非常に厄介で面倒なものだ。だが反面、「幽霊」が人間と「この世」で棲み分けをし、うまく共存していくためには不可欠なものでもある。エンポリオの「思念」も、本来は存在もおぼろげな「物の幽霊」を縛り付けるものである一方、その力と可能性を「この世」に示せる大きなキッカケともなっているのだ。


そもそもエンポリオは、囚人の母親から産まれ、刑務所内にある「音楽室の幽霊」の中で人知れず育てられた。どうやら母親も「物の幽霊」を扱うスタンド能力を持っていたらしい。
エンポリオが産まれ育ったフロリダ州立グリーン・ドルフィン・ストリート刑務所は、1984年に火災に見舞われ、90年代には改築・増築されている。そのため、刑務所内には「屋敷幽霊」となった場所があちこちに点在しているようだ。「音楽室」はそのうちの1つである。恐らく、他にも「通路の幽霊」や「部屋の幽霊」があるのだろう。これら「屋敷幽霊」は、エンポリオの「思念」によってある種の「結界」と化し、その存在がより感知されにくくなっている。長年に渡ってバレずにいられたのは、実はそのためなのだ。
エンポリオは、「物の幽霊」の影に隠れたり、点在する「屋敷幽霊」に潜んだりしながら、見付からないように刑務所内を移動している。そうやって、必要な物品や様々な情報を収集して暮らしてきた。都合の良い「秘密の抜け道」などというものは実在しないが、「秘密の場所」ならいくつも存在しているのである。


「屋敷幽霊」への出入口を開いたり閉じたりする事が出来る。それは、空間の切れ目・裂け目として現れる。
その出入口はどこにでも自由に作れるワケではなく、(当然ではあるが)「屋敷幽霊」が存在する地点でなければならない。しかし、実体のない存在であるため、その位置・座標は完全には固定されていない。「大体この辺」というぐらいの大雑把な範囲で合っていれば良いのだ。
エンポリオは通常、「音楽室の幽霊」への出入口を、女子監と医療監房を繋ぐ階段の踊り場に作っている。囚人達は階段や通路をただ通行するだけで、居座ったりたむろしたりは出来ないから好都合なのだろう。だが、状況によっては、出入口の位置を変える事もある。例えば、エンポリオが空条徐倫の衣服から急に出ては消えたり、通路に掛けられた服の内部に潜んだりしていたのも、服の中に「音楽室の幽霊」への出入口を作っていたからだ。つまり、服で隠されてはいたが、実は「屋敷幽霊」を行き来していたのである。


「物の幽霊」は物質ではないため、物理的な大きさや重さを持たない。そのため、エンポリオの意志によって、自由に大きさを変える事が出来る。もっとも、エンポリオ以外の者は、その大きさに応じた重さを感じてしまうようである。小さくなっていれば軽く、大きくなっていれば重く感じる。
「ゴミ箱の幽霊」「リュックサックの幽霊」等を小さくして、ポケットやヘソの穴に収納する事もしていた。外見上の大きさが変わっても、中の容量は変わらないため、たくさんの「物の幽霊」を持ち運ぶ際には非常に便利である。(『ホワイトスネイク』が精製した「DISC」も「物の幽霊」に近い存在で、同じように収納して持ち運べる。)


「物の幽霊」は、たとえエンポリオが扱っても、生物に対して強い影響を与える事は出来ない。殺す事はおろか、傷付ける事も不可能である。ただし、同じ「物の幽霊」や無生物には干渉できる。
もし「拳銃の幽霊」で人が撃たれても、死にはしないし傷付く事もないが、痛みだけは感じるだろう。その一方、本を普通に撃ち抜く事は出来た。
「食べ物の幽霊」は、食べる事は出来ないし無くなる事もないが、口に入れれば味だけは感じられる。
「ライターの幽霊」の炎も、人体を直接焼く事はないが、猛烈な熱さと苦しさは感じる。ただし、無生物であるガソリンには実際に燃え移るため、そこからは本物の炎が出る。
「電気の幽霊」もコンセントを通っているようで、実物の電化製品を起動させる事が可能である。


破壊された物質から「物の幽霊」を生み出し、使用する事が出来る。
作中では、ミューミューことミュッチャー・ミューラーにパソコンを破壊されたが、そこから「パソコンの幽霊」を生み出した。以後、それでネットを使って情報収集していた。エンポリオにとって想い出や愛着のある物であるほど、より簡単に「物の幽霊」として生み出せると思われる。


上記でも述べた通り、「物の幽霊」と「地面の記録」は非常によく似た存在ではあるが、当然、違いもある。
「物の幽霊」は、物に宿っていた「知性」の記憶・イメージと、人々の「思念」、さらにエンポリオのスタンドパワーが結び付いたもの。「地面の記録」は、地面に宿る「知性」の記憶・イメージと、ヴェルサスのスタンドパワーが結び付いたもの。前者は基本、自然発生したもので、それを『バーニング・ダウン・ザ・ハウス』の能力で利用しているだけだが、後者は『アンダー・ワールド』の能力によって作り出されたものである。
「物の幽霊」は消え去る事なく常に持ち運べるが、結局は「便利な道具」「変わった道具」止まりのパワーしか持たない。一方、「地面の記録」はスケールが大きく、運命をも再現するほど強力である反面、自由に持ち運んだりは出来ない。ヴェルサスの精神力に依存する存在で、集中力が途切れれば消え去ってしまう。そのような差異があるのだ。ただ、両者に優劣があるワケではなく、使い方次第でどうにでもなる。


「物の幽霊」は、エンポリオのスタンドパワーと「思念」によって使用されている限り、彼のスタンドと言っても良い存在である。他のスタンドと同様、『メイド・イン・ヘブン』の能力による「時の加速」にも付いていけず、通常のスピードのまま動く。
だが、一巡後の世界での「音楽室の幽霊」では、時計や花が加速していた。あれは恐らく「時計の幽霊」と「花の幽霊」であり、本来は加速などしないはずだ。ところが、あの時のエンポリオは『ウェザー・リポート』の新たな本体にもなっていたため、『バーニング・ダウン・ザ・ハウス』に割かれていたスタンドパワーが減退してしまった。エンポリオの能力の支配が弱まり、「音楽室の幽霊」は彼のスタンドとは言えない状態となる。その影響で、「時の加速」にも乗ってしまったのだった。
もっとも、「時計の幽霊」は針がグルグル回り続けるだけ、「花の幽霊」は枯れては再び咲いてを繰り返すだけで、どれほど時が加速しようとも崩壊・風化・消滅するような事はない。「物の幽霊」や「屋敷幽霊」が消え去る時は、その物や場所を憶えている者(「思念」を向ける者)が誰もいなくなってしまった時なのだ。




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