TOP  戻る



舞台「死刑執行中脱獄進行中」





読み切り短編「死刑執行中脱獄進行中」「ドルチ 〜ダイ・ハード・ザ・キャット〜」をベースとした、記念すべき荒木漫画初の舞台化作品!劇団「冨士山アネット」の中心人物:長谷川 寧氏が手掛け、気鋭の俳優:森山 未來氏が主演を務める、エネルギッシュな意欲作です。
2015年11月20日〜29日の期間、東京「天王洲 銀河劇場」にて上演。また、12月からは仙台や大阪など各地を巡る全国ツアーも予定されています。


そんなワケで、さっそく私も観て来ましたよ。11月20日夜の初回公演を。……とは言っても、私は舞台を観た経験がほとんど無いド素人。なので、一般的な舞台との比較なんかも出来ません。この舞台だけを観た、単純な感想しか書けない事をまずお断りしておきます。
よく分かんなかったけど、なんかスゴかった気がする。これが、単純で率直な感想でした。
基本、セリフらしいセリフはほとんど無く、終始踊り続けているため、ストーリーはあって無いようなもの。今現在、ストーリーの起承転結のどこにいるのか、起承転結が存在するのかさえ掴めません。ハイセンスと言うべきか、ナンセンスと言うべきかも分かりません。後でざっと調べたところによると、こういうのは「コンテンポラリー・ダンス」などと呼ばれているようです。長谷川 寧氏率いる「冨士山アネット」でも、もともとの台本のセリフをダンスに転換していく作り方をしているらしいですし。それゆえか、非常に難解に感じてしまいました。
とにかく、全編に渡ってミステリアスでシュール。言い方は悪いかもしれませんが、かなり狂ってイカれた空間が展開されています。ヘタしたらまったく付いて行けず、理解不能と困惑のまま睡魔に襲われる可能性すらあります(汗)。なんつーか、こりゃあもう「物語」だとか「演劇」だとか「エンタメ」だとかじゃなく、「アート」の域だね。

ただ、ド素人の私にも、この舞台のスゴさは漠然と伝わりました。完成された映像を流す「映画」とは違い、全てが生の「舞台」には独特のドライブ感・緊張感があります!理解はし切れずとも、圧倒される迫力は感じます。そんな張り詰めた空気の中で、「音」「光」「布」「枠」「肉体」を極限に駆使し、奇妙で幻惑的な感覚世界を舞台上に現出させていました。そのストイックなまでの発想力と表現力は圧巻です。
あまり細かい事を頭でゴチャゴチャ考えるよりも、目の前で繰り広げられる世界観に陶酔し沈没していくのが正しい鑑賞法なのかもしれません。これもまた、「肉体賛歌」「人間賛歌」の1つの形です。
漫画の舞台化、原作再現。そういったものを安易に期待して行くと、確実に翻弄され呆気に取られるでしょう。むしろ、原作のエッセンスだけを掬い取って、それを自分達で再解釈・再構築し、新たに表現した別作品と受け取るべきです。そして、そんな唯一無二で賛否両論の世界を体感できる事自体こそが、荒木漫画的と言えるのでしょう。



前述の通り、ストーリーは掴みどころがありませんでした。実に抽象的、象徴的、断片的、哲学的。正解なんてものがあるのかも謎ですが、一応、私個人の解釈を書いておこうと思います。
――恐らく、このストーリーの主人公は、「ドルチ」の登場人物:愛子 雅吾に相当する人物です(便宜上、以下「雅吾」と表記)。ある日、ヨットで遭難し、同行女性を死なせてしまいました。「囚人27号」は、そんな「雅吾」の心が創り出した「虚構」の存在。己の「罪」の意識から逃れようとする心理が、殺人を犯しても死刑を宣告されても「罪」を感じない極悪人として現れたのです。「囚人27号」がしきりに「オレのせいじゃない」「オレは無実なんだ」と言っていたのは、その正体である「雅吾」が自分にそう言い聞かせていたからでしょう。
つまり、様々なトラップが襲い来る「処刑室」さえも、現実ではなく「雅吾」の心象風景。逃れようと必死に足掻き続けても、目を逸らし続けても、「罪」の意識から逃れる事は出来ない。たとえ宇宙の果てまで逃げたとしても、他ならぬ「自分」から逃れる事など出来ないのだから。そんな「雅吾」自身の内面のせめぎ合い、葛藤が、「囚人27号」を襲う「処刑室」として描かれていたに過ぎないのです。いや……、それどころか、「雅吾」を執拗に責め立てるこの作品の全てが、彼自身の心が生み出す悪夢の世界なのです。
冒頭で「囚人27号」が何度も何度も水を飲んでいたのは、まさに遭難中の「雅吾」が強く水を欲していたせいだったのかもしれません。同じような行動を延々繰り返していたのも、無為に過ぎ行く遭難後の6日間の表現なのかも。

どれほど強烈に「生」にしがみつこうとも、やはり「雅吾」は、心の奥底に根を張る「罪」の意識からは逃れられませんでした。やがては、彼のせいで死んでしまった「被害者」たる女性や、一部始終の「目撃者」たる飼い猫(ドルチ)の姿までもが、次第に色濃く現れ出します。己の「罪」に雁字搦めに縛られ、呑み込まれ、いよいよ追い詰められる「雅吾」。彼の心は行き場を失います。
そして、ラスト・シーン。「雅吾」は全ての恐怖や苦悩から解き放たれたかのように、たった独り、自由に躍動的に舞っていました。きっと、この時点で「雅吾」は死んだのでしょう。自分を縛る「自分」からの解放。どこか清々しさと虚しさを覚えるエンディングでした。「生きる」という事は、あらゆるものから束縛され続けるという事。同時に、束縛からの解放を願い続け、束縛の中で「自由」を希求して足掻き続けるという事。醜くも美しい「生」そのものこそが、「死刑執行中脱獄進行中」なのです。
……そんな風に見れば、全体像としてストーリーをしっくり捉えられる気がしました。まあ、「何言ってんだ?」「全然ちげーよ」って言われるかもしれないけど。ラスト・シーンにしても、「雅吾」が死んだんじゃなく、実はずっと1人芝居を演じていたっていうタネ明かし的なオチかもだし。正直、初見だとうまく噛み砕けなかった上に、記憶があやふやな部分もあるから、もう1回改めて観てみたいもんですね。私はかなり前方の良い席に座れたんですけど、これは逆に、2階席あたりで舞台上を俯瞰しながら鑑賞した方が良さそうだなぁ。


このように、実に返答に困ってしまう挑戦的な作品で、今の私はまだまだ「超最高ッ!素晴らしい!絶対観るべき!」と手放しで大絶賛や推薦は出来そうもありません(笑)。是非ともいろんな人達のいろんな感想や意見を聞きたいですね。
しかし、ここまで読まれた方の中に、これから観劇に行かれるという方がもしいらっしゃったら、私の感想や解釈が舞台をより楽しむ一助になれば幸いです。




(2015年11月21日)




TOP  戻る

inserted by FC2 system