TOP  <<13~18話 戻る 25~30話>>



ジョジョの奇妙な冒険
黄金の風 (TVアニメ)






Episodio 24  ノトーリアス・B・I・G



今回は『ノトーリアス・B・I・G』戦前編。ジョルノの腕に成長していくブローチを、トリッシュが見付けるところまで。
まず、飛行機をゲットして離陸するまでのあれこれが、ごっそりカットされちゃってるのは残念すぎました。警備員とのやりとりや、ナランチャの独り相撲、離陸する飛行機に走って追い付き乗り込むミスタ達、離陸した後のナランチャやアバッキオのセリフ……などなど、観たかったシーンはいっぱいあったんですけどね。逆に言えば、このハイテンポな展開により、いかに一刻を争う状況かが伝わってくるとも言えますか。
ただ、それ以外は大きな不満点も無く、手堅くまとまってて面白かったです。作画も安定していて、毎回このぐらいのクオリティで維持してもらえたらなと思いました。
この『ノトーリアス・B・I・G』戦は、どこにも逃げ場のない密室、追撃してくる死肉……という王道ホラーなシチュエーションが魅力。「違和感」が「異常」に、「異常」が「恐怖」に変わっていく様が、じっくりと描かれていて良かったです。贅沢を言えば、ナイフに映るサッカーボールを描いてほしかったけども(笑)。あれは当然、単なるトリッシュの見間違え・思い込みに過ぎないワケですが、トリッシュ視点で物語が進行していくのだからそれで押し通してほしかった気持ちはあります。そして同様に、バヂョンと窓に張り付く『ノトーリアス・B・I・G』も、画面いっぱい使ってトリッシュにしっかり見せ付けてほしかったかな。せっかくの「恐怖」を、さらに極上のものに仕上げる余地はあったかもしれません。


今回はやはりカルネのインパクトが凄い。ビジュアルからしてヤバいですからね。個人的には、もっと青白い肌で、唇だけは真っ赤か真っ黒だったらベストだったんですけど……、ヤツの尋常じゃない雰囲気はビンビンに感じられました。それに、『ノトーリアス・B・I・G』も含めて、カルネは愛嬌もあるデザインですよね。どこか可愛らしさもあって、けっこう好き。
ちなみに、カルネは謎だらけの男ですが、生前から『ノトーリアス・B・I・G』を使えていたと私は解釈しています。「恨み」のエネルギーで強弱する能力。『エボニー・デビル』に近いスタンドだったんじゃないかな、と。で、殺される時の強すぎる「恨み」をもとに、本体からも解放され、真の姿と能力を得るワケです。能力の完成に自らの「死」が必要という事は、本能的になんとなく理解していたんでしょう。喰うために誰かに取り憑いている時、ある程度はその相手の知性をも取り込んで行動できるため、ジョルノの知性を利用してこっそりラクガキもしていたんだろうと思います。


連載当時の感想はこちらへ)

(2019年3月30日)






Episodio 23  クラッシュとトーキング・ヘッド



今回はスクアーロ&ティッツァーノ戦決着まで。「裏切り者のレクイエム」は、この一週間で予想通りすっかり馴染みました。いいね!
作画の不安定さというか、ぎこちなさみたいなものは残るものの、この「水の都」の死闘をしっかりと盛り上げてくれました。特に、スクアーロとティッツァーノの耽美なセクシーさがムンムンに立ち込めていましたね(笑)。やっぱこの2人、好きだなぁ。ボスの任務や自分の命以上にお互いを大事に想っていて、敵ながら天晴れです。でも、こうしてアニメで改めて観ると、この2人は互角の戦いに慣れていない感じはしました。能力が能力だけに、今までは一方的に始末して来れたんだろうと。例えば、スクアーロは常に水筒を持ち歩くくらいの用心はすべきだし、ティッツァーノも取り憑いた相手が「意図的についた嘘」にいちいち反応してしまってたしね。死闘の連続で鍛えられまくったジョルノやナランチャに一歩及ばなかったのも仕方なし。
スクアーロと言えば、ティッツァーノが身代わりになって機銃に撃たれた際のリアクションが薄めだったのは不満。もっと原作みたく取り乱して彼の名を叫んでほしかったです。ただ、その後にティッツァーノが息絶える描写が加わり、スクアーロの復讐に燃えたぎる鋭い目が強調されたのはベネ寄りのベネでした。

そして、この戦いの主役であるナランチャ。ジョルノの協力あってこそではありますが、自分の舌を切り取るほどの「覚悟」を見せ付けてくれました。こんなの見たら、ティッツァーノじゃなくたって呼吸乱すだろ、と思いますが……、まぁ、普通の人はギョッと驚くぐらいでしょうからね。ティッツァーノは自分達の敗北と死に直結する事態だから、ドキドキ具合がハンパない。余裕で見分けは付くのでしょう。
で、ノドを食い破る『クラッシュ』すら意にも介さず、待望のボラボラですよ。キッチリと決めてくれました。カッコ良かった。この戦いは彼にとって、確かな「希望」をこの旅の中に見出す1つの転機だったのかもしれません。その理由はジョルノの存在。ジョルノが終始、ナランチャを支えサポートし続けてくれたからこその勝利です。やっぱジョルノは「希望」の象徴でもあるのです。ナランチャにとって、それを実感する戦いだったに違いありません。


ところで……、原作からして、スクアーロがティッツァーノの事を一度だけ「ティッツア」と呼んでますけど、たぶんコレ、誤植なんだろうなって思ってます。「ティッツァーノ」の「ーノ」の部分が「!」に見えて、「ティッツア!」と写植しちゃったんだろうな、と(笑)。でも、そうだとしても結果的には、ニックネームで呼ぶ親密さみたいなものに変換され、良い効果を生みましたね。


連載当時の感想はこちらへ)

(2019年3月23日)






Episodio 22  ガッツの「G」



総集編を挟んでの今回は、スクアーロ&ティッツァーノ戦前半。ジョルノが『クラッシュ』に襲われるところまで。
つーか、まさかこのサブタイを使うとは(笑)。あの「G」の人文字のトビラ絵が無いと意味不明だし、それがあっても「何故ガッツ?」という疑問が浮かびがちなサブタイなんですが……、そこはうまく理由を付けてくれましたね。「メシ食ってガッツをつけよう!」って事ね。マジョーレ島では「腹減った」「うまいもん食いてー」って言ってたし、なかなか自然な繋げ方。


いよいよ5部も後半戦の開幕で、ついに新OPが解禁ッ!ハセガワダイスケさんの歌う「裏切り者のレクイエム」!ハセガワさんは4部でも「Great Days」を歌ってらっしゃった方なので、安心と信頼の実績があります。
聴いた第一印象としては、悪くはないけどまだしっくり来ないって感じですね。まあ、例によって来週までには慣れてしっくり来てるでしょう(笑)。荘厳な雰囲気が漂う、これまたドラマティックな楽曲でした。悲しみも疾走感も「覚悟」も伝わる、まさに5部のイメージで作られた1曲。アニメーション的には、これまでの敵達との戦いを乗り超え、新たなるステージに突入した事が明確に描かれていますね。『スパイス・ガール』もドッピオも『矢』もガンガン登場で、初見の方達にはネタバレてんこ盛りですが、やっぱワクワクしてきます。ボスになったジョルノの回顧録みたいな映像になってるのかも。



さて、本編。前々回・前回と、超重要なボス戦がハイクオリティで描かれたので、ぶっちゃけ今回は捨て回にされるんじゃないかと危惧してました。バトルも激化する前だし、言ってしまえば、そもそもナランチャがウソついて苦しむってだけの回ですからね。実際、作監が6人もいるために作画も(絵柄の統一感という意味では)不安定ではありましたが……、でも予想以上の出来で安心しました。
今回は割と尺にも余裕があったのか、普段よりも「間」をじっくり描いてくれましたね。菜食主義のくだりはもちろん、ナランチャがスープを飲もうとスプーンを探して『クラッシュ』に襲撃されるまでの一連のシーンなど、たっぷりと時間を使ってる。また、『トーキング・ヘッド』に取り憑かれ、ウソしかつけなくなったナランチャの滑稽さと孤立と苦悩もバッチリ。直接的・攻撃的ではない敵の恐ろしさを表現するためには、こういう地味なシーンこそ丁寧に描写しないと説得力が生まれませんから。文字を書いて伝えようとするところがカットされちゃったのは残念だけど、致し方ないか。
結局、前回ラストの電話の主はドッピオって事みたいです。ティッツァーノ役は津田健次郎さんでした。スクアーロとティッツァーノ、声と動きで妖しさマシマシですね(笑)。スゴい良かった。個人的にはスクアーロもかなり好きなキャラなんで、ようやくアニメで見れて嬉しかったです。彼らの感情が爆発する次回も、大いに期待してます。

改めて、もうフーゴのいないチームが寂しいんですが、1人だけ組織に残ったフーゴはボスから信用されるのかという疑問が浮かびますよね。能力的にも脅威ですし、用心のために殺されたっておかしくない。しかし、そんな時に役立つのが『トーキング・ヘッド』です。絶対に本音とは逆の答えを発してしまう、うわべだけのごまかしなど不可能なスタンド。つまり、必ず「嘘」をついてしまうという事は、逆に言えば、偽りない「本心」を見抜けるという事。この能力で判定すれば良いんです。
ティッツァーノはフーゴに『トーキング・ヘッド』を密かに憑かせ、「組織に忠誠を誓うか?」と問います。そこで「いいえ、誓いません」と答えたら、フーゴは信頼に足ると判断できるワケです。小説などの二次創作は置いといても、きっとフーゴは無事に組織に残れたはず。こうして、フーゴの判定をさっさと終えたティッツァーノは、そのままブチャラティ達の元へ向かったんじゃないでしょうか?そんな可能性を考えたりもしています。



なんと、予想外にEDも一新されました。Enigmaの「Modern Crusaders」!クールでミステリアスなカッコ良い曲です。丸い石(=『ローリング・ストーンズ』)から始まり、画面は上にスクロール。これまで出会った全てのスタンドが連なって、最後には神々しい『ゴールド・E』で締め。当然、新たなスタンドに出会うたびに増えていくでしょうし、ラストでは『ゴールド・E・レクイエム』に変化しそうで楽しみ。


連載当時の感想はこちらへ)

(2019年3月16日)






Episodio 21  キング・クリムゾンの謎



今回は『キング・クリムゾン』からの脱出、そしてブチャラティチームの「ボートの決断」へ。
涙が出てしまった。ブチャラティの「正しくあろう」とする気高さが、「正しくありたい」と願う切実さが、本当に胸を打ちます。これってやっぱ、年齢を経るごとに、いろんな経験を積むごとに、リアルな実感が増していくんだろうな。間違いなく、今までの全21話中最大の感動でした。2部のシーザーの死に匹敵するほどグッとキちゃった。
まず、『キング・クリムゾン』の能力が映像化された事が嬉しいです。自分のイメージとの違いもあるにはあるけど、視覚的・感覚的に分かりやすく描写されていたんじゃないでしょうか。『ザ・ワールド』とは別物の能力だって理解できたんじゃないでしょうか。『キング・クリムゾン』の動きもボスの声も迫力たっぷりで、だからこそ、その脅威からギリギリ逃れられたブチャラティのスゴさも引き立つってもんです。ただなぁ~……、ホントにボスって、「物質」の動きは完璧に読めても、「人の心」の動きは全然読めないヤツだからなぁ~(笑)。トリッシュの手首を切って攫って行った時も、ボス的には「やっぱりボスってスゲーや!どこまでも付いて行きます!」ってブチャラティに思ってもらえるだろうと期待してたんだろうな。


そんなボスだから、裏切り者も続出。5部のターニング・ポイントにして、「黄金の風」に吹かれて各々の「眠れる奴隷」が目醒める超重要シーンでもある、「ボートの決断」です。ハッキリ言って、ボス戦に比べて作画がイマイチの箇所もあったけれど、声とBGMが加わる事で感動も倍増!
チーム全員のそれぞれの選択にも注目です。組織という「巨大で絶対的な存在」よりも、ブチャラティという「自分が落ち着けるところ」を選んだアバッキオ。上からの命令にただ従う事をやめ、ブチャラティと並んで共に歩むのです。深刻に考えずシンプルに、「自分の野心」のために組織を裏切ったミスタ。もちろん、ブチャラティへの信頼あってこその選択でもあります。トリッシュを「かつての自分」と重ね、彼女を守るためにボートを追ったナランチャ。ボスとは逆に「人の心」には敏感な、彼の純粋さが泣ける。ナランチャを見捨てた父親と親友の姿がフラッシュ・バックしたのも良かったですね。でも、せっかくの彼のセリフが、フーゴのセリフとかぶってしまってたので残念。ここはちゃんと聞かせてほしかった。
そして、フーゴ。ブチャラティが「正しい」事をしていると頭では理解していても、同じ道を行く事はどうしても出来ない。危険な「理想」よりも、安全な「現実」を選びました。アニオリで描かれた過去とかを見ても、フーゴはずっと「自分の理想」から裏切られ続けて来たんだろうな、と思います。愛してもらえるはずの家族からも、尊敬していた教授からも。そういう意味では、彼はまさに今、共に組織の上を目指して行けるはずのブチャラティにまで裏切られてしまったワケで。これ以上、「理想」を追い求めようとは思えないのも当然かもしれません。「正しいバカには、なれない……!」というアニオリのセリフが染みます。
個人的に嬉しかったのが、アバッキオがアニオリで「ま、判断はそれぞれの問題だ」と言ってくれた事。ここで永遠に袂を分かつフーゴの選択も、ちゃんと尊重してくれているのが良かった。彼らは「仲良しクラブ」じゃないんです。結局のところ、孤独な者達がそれぞれ孤独なままに集って繋がった「チーム」。だから、選択も孤独でいいんです。自分で考え、自分で選んだ道なんです。そういうジメジメしてない、ある種のドライさが心地良くもありますね。彼らは自分の選択を決して後悔などしないでしょうし、我々も彼らの勇気ある決断を称えましょう。


さて、ラストはスクアーロへの電話。この声、ひょっとしてドッピオ……?ティッツァーノよりはドッピオなイメージの声だけども。原作は電話の主をティッツァーノだと思って読んでましたが、どっちなんだろ?ボス(ディアボロ)とドッピオは別人格で肉体ごと変化するのだから、声も声優さん自体を変えちゃってOKと思ってますんで、この斉藤壮馬さんがドッピオ役でもおかしくない。まぁ、次回を楽しみに待つとします。

(2019年3月2日)






Episodio 20  ボスからの最終指令



今回はブチャラティが『キング・クリムゾン』に腹を貫かれるところまで。「ここまでやってくれればいいなぁ」という私の理想通りのペースで、文句無しの最高でした。個人的に、ここまでの全20話中で一番の出来だと思いました。大満足です。いやぁ~、ホントにドキドキして観ましたよ。
ブチャラティとトリッシュが教会内をゆっくりと進み、エレベーターに乗って、トリッシュが突然消える。不安に脅えるトリッシュに寄り添う、ブチャラティの優しさ。これら一連の流れは、「間」「静けさ」が素晴らしく良かったです。緊張感もたっぷりだし、BGMもムードを盛り上げてくれるし……、何よりブチャラティの運命を知ってる上で観ると、そんな運命にならざるを得ない彼の温かな人間性にウルッと来ちゃう。贅沢を言えば、「そんな事を心配する親子はいない」というブチャラティの言葉を聞いた後のトリッシュの言葉は、もっと安心した感じの穏やかな雰囲気が欲しかったかな。くだらない事で不安になってた自分自身に思わず笑っちゃうような、それでも不安を拭い切れない自分自身に言い聞かせるような、そういう想いを感じさせてもらえたらベストでした。
教会に向かう直前、アニオリシーンとしてフーゴのセリフが追加。「ここから、さらに組織の上を目指しましょう!」なんて、真っ直ぐな瞳で言われちゃうとね……。直後に起こる出来事を知ってるだけに、こっちはこっちで切ない。でも、だからこそフーゴの選択にも重みが増すでしょうし、それを観た視聴者の納得も増すんじゃないでしょうか。小説「恥知らずのパープルヘイズ」の感想にも書きましたけど、フーゴが「裏切り者」扱いされるのは絶対に解せないんで、それぞれの選んだ「道」が観た人みんなに尊重されてほしいなぁ。
ボスと『キング・クリムゾン』もめっちゃ威厳に満ちてて、強く恐ろしく魅せてくれました。この頃のボスはやっぱ、頂点に君臨する支配者・帝王らしい凄みがありますね。


ブチャラティの過去もついに描かれました。人の悲しみを知りすぎる「優しさ」、自分と父の人生を狂わせた麻薬への「憎しみ」、それらがうまく描写されていたと思います。ナレーションに頼り切らずにドラマを進めつつ、シーンの省略と追加も自然な感じ。あくまでブチャラティ視点って事を重視したようです。
麻薬取引を目撃した父の様子は省略。何で父が撃たれたのか分からない状態で、警察がそれを教えてくれるワケですが……、そいつが父の命を「事件の証拠物件」程度にしか考えていないもんだから、ブチャラティが警察に頼れないのも理解できるようになってます。また、成長したブチャラティが、禁じ手としていたはずの麻薬に手を染めた「組織」に激昂するシーンも追加。2度目の裏切りとなる現在と巧く繋げてきましたね。ここは、「運命の車輪」がジッパーの「引き手」にも重なってて、そこからジッパーが開き、徐々に現在のブチャラティに近付いていく……という美しい繋げ方でした。
笑っちゃいけないんだけど、思わず笑っちゃったのが父の葬儀。喪服もあの模様なのかよ(笑)。それと、父親の名前は「PAOLO (パオロ)」というようです。聖人パウロに由来する名前らしく、あのブチャラティの父としては「なるほど」と実感できるネーミングですね。


さあ、次回は今回以上の超重要回!『キング・クリムゾン』の能力描写やら何やら色々……、アニメではどのように表現されるのか、スゴく楽しみでもあり怖くもあります。それでも、しっかりと見届けなければッ!

(2019年2月23日)






Episodio 19  ホワイト・アルバム



今回はギアッチョ戦決着まで。やはり止め絵が多く、作画がちょいと怪しいところもあるものの、ラストまで楽しく観られました。
弱点らしい弱点のないギアッチョの恐ろしさよ。あのジョルノが唯一、自分の判断ミスを認めて、(原作では)謝罪までするほどの超強敵でした。それでもギリギリ勝てたのは……、ジョルノとミスタが2人だったからでしょう。失敗しても、お互いの前向きな覚悟と機転で助け合えたからこそ。そう思うと、暗殺チームの孤独さが悲愴に見えるな。
ちなみに、「勝利」の条件について、ジョルノがポンペイの時と違う事を言っていました。ポンペイでは、「鍵」よりもフーゴを優先し、アバッキオと対立。しかし今回は、「DISC」を優先するようミスタに言ってます。でも決して、言う事がコロコロ変わるいい加減なヤツってワケじゃありません。敵の能力が未知かどうか、これが重大な違い。ポンペイの時は敵の能力が分からず、フーゴの居場所すら見失った状況でした。うかつに動くのは危険と考えるのも当然でしょう。一方、今回は敵の能力は分かってるし、敵自体も目の前に迫っている状況。それも、下手するとガチでこっちが全滅しかねない危険すぎる敵。そんな一刻を争う場だから、2人の生還よりも「DISC」を手に入れる方を優先したのです。ジョルノはその時その時で、冷静に平等に判断しているって事です。もっとも、ジョルノはアバッキオとは違い、自分が犠牲になって死ぬつもりなど毛頭無いでしょうけども。


さて、今回は個人的に、ミスタの過去エピソード部分が一番良かったですね。第8話で語られた話の続き、ブチャラティとの出会いが描かれています。あの時点ですでに「覚悟」というワードを使っていたので、今回、ジョルノの「覚悟」をキッカケに挿入されるのも自然でしたし。でも正直、わざわざ分断する必要があるのかと思ってたけど、最後にはなるほど納得!
原作とは大きく変更し、ブチャラティとミスタが例のリストランテで食事するシーンに。ブルスケッタを「4つ」じゃなく「5つ」注文するブチャラティ。ミスタは恐らく、「4」という数字を無意識的に避けてくれる「縁起の良い男」と認識し、ブチャラティとはうまくやっていけると直観したのでしょう。仲間になって付いて行けば、きっと良い事が起きる、と。そして、全員分の料理を頼んだ通り、ここでついにブチャラティチーム揃い踏み!仲間達の過去を描き、全員集合でキッチリ締めるという、ディ・モールト美しい流れでした。チーム入りの順番も、フーゴ⇒ナランチャ⇒アバッキオ⇒ミスタの順のはずだから矛盾無し。その上で、たぶん次回にはブチャラティの過去が語られるワケで。全体の構成がしっくりと噛み合ってる感じで嬉しいですね。
私は1・2部の頃からBlu-rayも全部買ってるんですが、5部Blu-rayの2巻のブックレットにて、シリーズ構成の小林靖子さんのインタビューが収録されていました。それによると、アニオリは荒木先生のご意見も伺い、ちゃんと了承も得て描いているらしい。荒木先生は「餅は餅屋」というか、各々の「領域」「領分」ってものを重んじる人なので……、基本、自分の仕事である「漫画」以外には寛容で、いちいち細かく口出ししたりもしません。それぞれのキャラクターが全力を尽くしている事。ストーリーが常にプラスである事。ちゃんとテーマに沿っている事。そこさえ押さえていれば、大概の事はOKなんじゃないかな。私も、先生が描いた原作以外は、出来の良し悪しや公式・非公式に関わらず、全て等しく二次創作と割り切って楽しんでます。なので、アニオリ部分もあくまで「アニメのジョジョ」ではそうだというだけ。それはそれって事で、小林さんを始め、スタッフのみなさんや荒木先生に敬意を表しながら鑑賞しましょう。


ギアッチョ戦では、シーン特色として使用されたダークカラーが良いですね。時間的に「夜明け前」というのもあるし、シチュエーション的に「暗闇の荒野」を進んでいる事も暗示してるし。だからこそ、朝日の明るい輝きと、ジョルノの凛々しく爽やかな神々しさが引き立つってもんです。
血が付着した「凍った空気」の隙間を縫って『ピストルズ』が弾丸をパスしていくところや、銃弾が飛び交う中でのミスタとギアッチョの我慢比べのところなんかは、ド迫力でカッコイイ!原作の方がより臨場感や緊迫感を感じられる箇所も多々ありますけど、やっぱりアニメはアニメで本当に魅力的なのです。
決着後のジョルノとミスタのホモ疑惑パートも笑える。壮絶な戦いが続く5部なので、こういう肩の力が抜けたギャグシーンは癒やしです。かと言って、それで楽しく笑って終わり……とはしてくれません。Cパートでは、闇技術者のおっさんを始末し、行方をくらますリゾット。そして、その報告を受け、いよいよ動き出すボス。今後の展開の布石を打ちつつ、『キング・クリムゾン』の能力の片鱗もちょっぴり見せてくるアニオリ。ピリピリとした空気で、次回に続きます。次はとうとうマジョーレ島か。観る方も「覚悟」を決めねばなりませんね。

(2019年2月16日)







TOP  <<13~18話 戻る 25~30話>>

inserted by FC2 system