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ジョジョの奇妙な冒険
黄金の風 (TVアニメ)






Episodio 39  眠れる奴隷



ついにこの時が訪れました。正真正銘の最終回です。アニメでも第5部、堂々の完結ッ!!
うん、素晴らしかった!今、壮大な映画を観終わった後のような、清々しい充足感でいっぱいです。拍手喝采を贈りたい気分。

とりあえず、最初のうちにちょっとした不満点を述べておきます(笑)。
銃弾で撃った『ローリング・ストーンズ』の内部から、なんかドロドロとした物が実際に溢れ出してましたけど、そこは自分のイメージと違ったなぁ。あれはやっぱ、あくまで彫刻された石なので、傷が深くなって血が流れ出たかのような形に変わったって程度に抑えてほしかった。
それと、ブチャラティが7階にいると判明した時、エレベーターが4階にいるっていう描写も欲しかったです。「4」が嫌いなミスタらしいエピソードですし。

スコリッピ役の野島健児さんはかすれ気味のイケボで、スゴく雰囲気のある演技をしてくれました。さすがにキリストがモチーフとなったと思われるキャラクターだけあって、振る舞いにも神聖さが感じられます。花屋の娘の話をしてるシーンなんか、磔刑にされてるみたいでした。
そして、コロッセオに向かうジョルノの元に「黄金の風」が吹く。第1話冒頭、風が吹いて微笑むジョルノと対になるシーンなのかな?ほんの数日間の旅の中で、ジョルノは大きく成長しました。大感動のフィナーレです。


このエピローグに、私の心は本当に救われました。これが最後にあってこその第5部ですし、読者1人1人に向けた強烈なメッセージが込められているように思えます。激しい戦いの連続だった5部を締め括るに相応しい、荘厳なる余韻にも満たされましたね。素晴らしい構成です。
エピローグでは、『ローリング・ストーンズ』=「死の運命」そのものが敵。このエピソードの肝は、「ブチャラティの死は運命で決められていた」という事と、その事実を「ミスタと我々読者が知った」という事にあります。そして我々読者は、全ての結末を知っている上で、今このエピソードを目にしているワケです。確かに、『ローリング・ストーンズ』を破壊した事も一因となり、ブチャラティは肉体が死しても生きる事が出来たのでしょう。それでも、破壊できようができまいが、どっちみちブチャラティもアバッキオもナランチャも死んでいたろうと思います。それが「運命」なのだから。
全ての出来事が「運命」として予め決定されているとしたら……?「運命」を切り拓いたという事さえ「運命」に組み込まれているとしたら……?人が皆いつかは死ぬ定めなら、生きたり頑張ったりする事に意味は無いのか?「運命」を変えられない事は敗北なのか?―― 答えはNO!何故なら、人間は、去って行ってしまった者から「何か」を受け継ぎ、先に進めていく事が出来るから。自分が成し遂げられなかったとしても、意志や行動を「どこか」の「誰か」に伝え、「いつか」の未来へと託す事が出来るから。それを幾度も繰り返す事で、人はここまで来たんです。その歩みは無駄なんかではないんです。

死は、ただの結果の「形」の1つであり、誰にでも訪れる平等な運命。「結果」=死が皆同じならば、その死に向かう「過程」=生こそが大切です。
結果・運命の「形」は絶対に変えられない。それでも、その「形」の中に潜む「意味」を変える事は出来る。自分が生きる事の「意味」を変える事は出来る。運命の「形」に、より良い「意味」を込められるよう、我々は生きていかなければならないのです。それは、「安楽」の死では決して実現できないもの。「苦難」の生でもってのみ齎されるものです。自らの意志を貫く事は……、自分で「道」を選び歩む事は……、大きな苦痛も伴うけれど、それこそが生きる事の素晴らしさ。誠の真実であり、勝利であり、幸福であり、決して滅びはしない「遺産」となるのです。
死=不幸でも、死=終わりなんかでもありません。幸福かどうかを決めるのは、あくまで「どう生きたか」「どんな姿勢で運命に対峙したか」。真っ正面から運命と向き合って生きられたのなら、その人生は紛れもなく幸福と言えるはず。だからこそ、たとえ道半ばに斃れてしまったとしても、「正しい道」を追い求めた事、「自分の道」を歩んだ事、それ自体が最も尊いのでしょう。
我々は皆、「運命」に従う奴隷。それでも、己の「運命」に屈し、諦め、心を殺してしまった「死せる奴隷」であってはいけません。何も考えず、何も見ようともしない「眠れる奴隷」からも目醒めなければなりません。「目醒めた奴隷」ならば、自分の置かれた境遇の中にも大切な「意味」を見出せるのだから。それを、エピローグでは高らかに謳っているのだと思います。これぞまさしく人間讃歌ッ!


EDもとうとう完成!やはり『ローリング・ストーンズ』と『G・E・レクイエム』に変化してる!やっとここまで来たんだな。
ED後のCパートでは、ボスになったジョルノが描かれました。ミスタが開けた窓からは、再び「黄金の風」。ジョルノの服もピンクからブラックに変化し、植物の柄も入って、王の威厳に満ちちゃってる。シーン的には、今までOPで描かれていたところなので、ここでも「おおっ!」って思いますよね。前日譚のエピローグといい、1話と対になるシーンといい、このCパートといい、見せ方が「円環」になっているのが『G・E・レクイエム』を想わせてベネ。なんか自然と、もう一度見直そっかなって気持ちになれる。終わりのないのが終わりです。



―― ただ、私達に向けて描き出されるジョルノ達の物語は、これにておしまい。寂しいけれど、お別れの時間です。荒木先生、制作に関わった全ての皆様、ディ・モールト・グラッツェでございました!お疲れさまでした!
これまでの部以上に絵にこだわり、アニメならではの描写や表現にこだわり、5部の魅力を引き出してくれた最高の作品でした。毎度毎度言ってますけど、このアニメがキッカケで5部を好きになってくれた人、「ジョジョ」に触れてくれた人も大勢いらっしゃるはず。そういう、「ジョジョ」と人の出会いを生み出す「重力」になってくれる事が本当に嬉しいし、有り難いのです。もちろん、私自身もますます5部が大好きになりました。この10ヶ月、心から楽しかった。月並みですが、私にとっても「黄金体験」でした。
こんな素敵な時間にまた出会いたいので、6部のアニメ化も待ってます!個人的に、アニメとして一番観てみたいのが6部なんで。6部は特に不当な評価が多い気がしてるんで、アニメ化によって、もっともっと多くの人達に好きになってもらいたい。まぁ、全然急がなくて結構なので、またいつの日にか素晴らしいアニメ「ジョジョ」を観させてください。運命の「糸」が、2011年の「石の海」へと辿り着く事を祈って……。


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(2019年7月29日)






Episodio 38  ゴールド・E(エクスペリエンス)・レクイエム



待ちに待った、3週間ぶりの5部アニメ!最終回スペシャルっつー事で、一挙2話放送です!その1話目となる今回は、ディアボロとの完全決着とエピローグ「眠れる奴隷」序盤。ブチャラティの形に彫られた『ローリング・ストーンズ』と、本体:スコリッピが姿を表すところまで。
まず、OPがレクイエムverに変化しました。期待はしてたけど、曲にギター音みたいのが追加されてる事にすぐ気付いて確信しましたね。こいつは絶対やってくれる、と。( ……などとドヤ顔で書きましたが、単なる勘違いかも。ギター音は前からある?) 『キング・クリムゾン』を無効化し、まるで父:DIOのような風格とポーズを見せつけるジョルノ!ディアボロを圧倒する様は、まさしく真の帝王のお姿でした。もうのっけからテンアゲです。


さすがに3週間も空いただけあって、内容の方も非常にクオリティが高くなってて、満足いく仕上がりでした。
無限に死に続けるディアボロは、臨場感たっぷり。最初は、自分が売り捌いた麻薬の中毒者に殺されるという、因果応報オチと思わせといて……、お次は、意識と痛覚を持ちながらの司法解剖。まるで洋画でも見ているかのようなサスペンスが味わえました。そして、かわいい子犬や女の子に脅える情けない姿によって、頂点に君臨する「帝王」を名乗っていた男の「誇り」すら粉々に打ち砕かれた事が明示されるワケです。ディアボロ完全敗北!

……ボスのくせにあっけないヤツだと思われがちなディアボロ。しかし、彼は「組織のボス」であり「倒すべき巨悪」ではありますが、5部の「物語のラスボス」ではないんでしょうね。5部は「群像劇」なので、ラスボスという役割を担う個別のキャラクターは存在しないのです。乗り超えるべき真のラスボスは、各々の「運命」であり、その「運命」に対峙する「自分自身」
「勝利の運命」の象徴たる『矢』を巡って争ったラストバトル。これはまさに、「運命」に対する姿勢が如実に現れています。ディアボロは、自分自身の片割れ(ドッピオ)さえ切り捨て、コソコソと逃げ隠れ、娘をも利用し、全てを踏みにじって『矢』を奪い取ろうとしていました。一方、ジョルノやブチャラティ達は、時には迷いや恐れを抱きながらも、互いに力と心を合わせ、命を賭して『矢』に向かって行きました。
自分に都合の悪い「運命」を捻じ曲げ、「運命」から逃げ続けたディアボロ。どんなに過酷な「運命」であろうと、それをあるがまま受け入れ、その上で自分の意志を貫き続けたジョルノ達。過去を忌み嫌い、無かった事にしようとしたディアボロ。悲しい過去を背負いながらも、未来へと繋げていこうとしたジョルノ達。「結果」のみを求めるディアボロと、「過程」を重んずるジョルノ達。ディアボロという存在は、「運命」への姿勢がジョルノ達と対照的・対極的な「登場人物の1人」「群像の1人」に過ぎなかったのでしょう。そして、「運命」がどちらに微笑むのかは、言うまでもありません。


そして、時はジョルノとブチャラティの出会い前にまで遡り、エピローグへ。最後の最後で、まさかの前日譚。とにかく、過去とは言え、ブチャラティチームの皆に再会できた事が嬉しくなります。生き生きとした皆の姿がね、何とも言えないですよ。花屋のおっちゃんも良い演技してくれました。
謎の石にまつわるエピソードですが、全貌が明らかになるまではやっぱりホラーチック。「間」がじっくりと取られているおかげもあって、いい感じの不気味さが漂います。ただ、石に触れた時の「オレヲ殺シテクレ」の文字が、ここに来て何故か日本語だった事と声無しだった事は不満ですね。ラストの『ローリング・ストーンズ』登場シーンも、エレベーターの扉がゆっくりと開き、ミスタがエレベーター内の明かりに照らされていくにつれ、その表情がどんどん歪んでいくって風に描写してほしかったところ。


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(2019年7月29日)






Episodio 37  王の中の王(キング・オブ・キングス)



今回はブチャラティ昇天、そしてついに『ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム』発動!ディアボロに無駄無駄ラッシュをブチこむところまで。
この時が来てしまいましたね。開始早々、ブチャラティが『レクイエム』を完全破壊。自らの命と引き換えにトリッシュを救い、全てをジョルノに託して、天へと昇っていったのです。やっぱ声やBGMが加わると感動も上乗せされ、涙が出ちゃいましたよ。あんなに穏やかな声で、まさに今、自分が死ぬっていう時に「自分の心は生き返った」「幸福だ」って語るんだもんね。死=バッドエンドなんかじゃなく、自分の「道」を歩んで逝けたのなら、「誰か」に「何か」を伝えて託して逝けたのなら、それは紛れもないハッピーエンド。そんな事を荒木先生もおっしゃっていましたが、このブチャラティの誇り高き死は、特にそれを強く実感させてくれます。悲しいって言うよりも、ただただ敬意を払って、彼の人生を労ってやりたい。
ブチャラティの肉体はヴェネツィアで死んでしまっていたけれど、その心と魂は誰よりも生きていました。残酷で苛烈な「運命」にも屈さず、どこまでも優しくあり続けた男。あとはどうか、仲間達や父親のいる場所で安らかに。

そして……、ブチャラティの言葉と意志を受け取り、『矢』をその手に掴んだジョルノ!神々しくて、めちゃくちゃカッコ良かった!元の肉体に戻ったディアボロが1人でワーワー言ってる間、何故かジョルノまでブッ倒れていたのは意味不明でしたけど、それ以外は素晴らしかった。
『G・E・レクイエム』に進化した後のジョルノのセリフも微妙に改変。原作だと「ブチャラティは死んだ」と、この時点で明言しているんですが、「仲間達は死んでいったが」という具合にオブラートに包んでくれています。ここでブチャラティの死に触れちゃうと、後々のミスタとトリッシュの脳天気っぷりに違和感が出て来ると判断したんでしょう。
「時飛ばし」を逆行させる『G・E・レクイエム』の能力の描写もイカしてました。動きの無いはずの背景が急流となっている様は、全てが逆流している事を分かりやすく示してくれていました。数珠繋ぎボスも、なんかヤバい画ヅラで笑ってしまった。いや~、この無敵さは圧倒的ですね。最高のカタルシス!『矢』は、「勝利の運命」の象徴。それを手に入れるまでが5部のラストバトルであり、ジョルノが『矢』を手にしてからは実質、エンディングの一部のイベント戦闘なのです。もはやディアボロに勝機などゼロ。


今回はこのように、「去って行く者」「託す者」「残された者」「受け継ぐ者」の姿が描かれた美しい回でした。その絆の強さと対比するように、ディアボロの孤独と弱さも浮き彫りになっています。もう1人の自分=ドッピオさえも切り捨てた時点で、彼はもう「頂点」「絶頂」では無くなっていたのでしょう。
次回はなんと7/28(日)の1時間拡大スペシャル!38話「ゴールド・E・レクイエム」、39話(最終話)「エピローグ 『眠れる奴隷』」を一挙放送といったところかな。3週間も空くのはキツイけど、よりクオリティの高い作品に仕上げてくれるなら我慢しますし、「ジョジョリオン」を読みながら待つとします。で、通常放送ではラストだった事もあって、OPは恒例のSE付きでしたね。これがあると「終わり」を感じます。EDの方も、『G・E・レクイエム』や『ローリング・ストーンズ』への変化を期待しています。


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(2019年7月6日)







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