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ここに書いているのは、スタンドの個人的な解釈に過ぎません。
原作の設定・描写をベースに、
勝手に考察・妄想しただけのものです。
正確な公式データが欲しいという方には何の役にも立ちませんので悪しからず。




ヘイ・ヤー / 本体: ポコロコ
本体に「声援」を送る能力





<特徴>
@本体:ポコロコに人生最大の「幸運の時期」が訪れた際、幸運にも発現したスタンド。
ブリキの人形か何かのような不気味なデザインをしている。


Aスタンドのヴィジョンに物理的な干渉力はまったく備わっていない。ただそこにいるだけの存在である。


Bポコロコの愛馬の名前は「ヘイ!ヤア!」である。それと(ほぼ)同じ名前をスタンドにも付けるあたり、ポコロコのテキトーさが窺える。
それとも、彼にとっては、自分を鼓舞するためのゲン担ぎ的なネーミングであり、愛馬もスタンドも同じくらい大事に思っている……という事なのだろうか?




<能力>
本体に「声援」を送る能力



@本体:ポコロコに訪れた「幸運」とは、僅か2ヶ月程の期間限定ではあるが、50億人に1人という神懸かり的な強運であった。ポコロコの希望・欲望を叶えるために天が味方してくれている、まさに無敵の状態と言えよう。そしてこれは、スタンド能力によるものではない。神の気まぐれとでも言うべき、純然たる「運」の巡り合わせゆえの奇跡である。
しかし、この「幸運」は「怪我の功名」的な要素も多く、ポコロコ自身にもまるで予想が付かない形で実現される。さらに「幸運の時期」とは、その期間全体を1つの流れ・スパンと見なし、最終的に空前絶後の超ラッキーなハッピー・エンドに導くものとなっているようだ。つまり、四六時中ラッキーな事ばかりが繰り返され、何不自由ない状態が続く……というワケではないのだ。ハッピー・エンドに辿り着くまでの過程の中では、したくもない苦労だってするし、痛い思いや辛い思いもするし、悲しい出来事や悔しい出来事も降り掛かってくる。もちろん、それらは全てハッピー・エンドへの布石・伏線となるのだが、あくまでこの「幸運」はポコロコの希望・欲望を叶えるために存在している。途中で自信を失ってネガティブになってしまえば、自ずと希望や欲望も慎ましいものになり、起こる「幸運」もささやかなレベルで終わってしまいかねない。
せっかくの「幸運」を最大限に活かすためには、常にポジティブかつアクティブである必要があるのだ。そして、このスタンド『ヘイ・ヤー』こそ、ポコロコが常にポジティブかつアクティブでいられるようにサポートしてくれるパートナーなのである。


Aスタンド自体に明確な意思があり、何かにつけてポコロコに話し掛けてくる。自身の「幸運」の力を信じ切れず、疑ったり躊躇したりしている時には、ハッタリかまして勇気づけたりアドバイスしてくれたりもする。ただ「ラッキーである事実」をポコロコに言い聞かせてくれるだけの存在であり、ラッキーを起こしてくれるような能力など一切持たない。
ガラの悪いチンピラみたいな口調ではあるが、実際にその声援でポコロコは元気と自信を取り戻していた。そして最終的には、「SBR」レース優勝という栄光と名誉を得、莫大な賞金をも手に入れる事が出来たのだった。


Bポコロコという男は、陽気で純粋な性格である反面、感情の起伏が激しく繊細な面も持つ。このスタンドは、そんな彼の「自分を信じる心」「自分を信じたいと願う気持ち」そのものなのかもしれない。だからこそ『ヘイ・ヤー』の「声」には、ポコロコの心を直接揺さぶり、前向きにしてくれる能力が宿っているのだ。
「幸運の時期」が過ぎた後も、ポコロコはきっと『ヘイ・ヤー』の声援を力に変え、逞しくハッピーに人生を謳歌していった事だろう。


C余談だが……、ポコロコ自身の希望や欲望に応じて「幸運」の大きさも変わるという事は、即ち、この世界の「運命」が厳密に決定されてはいないという事である。
第1部〜第6部で描かれた「旧世界」は、ある超越的・絶対的な力で満たされており、ありとあらゆる存在がこの力を共通して保有していた。『フー・ファイターズ』(が引用した天文物理学者フレッド・ホイル)の言葉を借りるなら、その力とは「知性」である。全ての物質や生物はこの「知性」に導かれて生まれ、物質や生物に宿る「知性」は自身の「情報」を絶えず記憶し続けている。そして、この「知性」は大なり小なり互いに反応し合い、影響し合い、「物質世界」において1つの巨大な流れを形作る。何者にも抗えぬ「因果の流れ」、なるべくしてなる「必然の連続」。人はそれを「運命」と呼び、「運命」を決定付ける「知性」そのもの(が持つ意志のようなもの)を「神」と呼ぶのである。
「旧世界」において、「予知」した結果は必ず実現されたし、多少なりと「運命」に干渉できる能力を持つスタンドは稀有な存在であった。それほどまでに、「運命」の力とは強固なものだった。ところが、第6部ラストで世界は新生する事となる。エンリコ・プッチが『メイド・イン・ヘブン』を発動し、宇宙を完全に一巡させる前に死んだ事で、プッチが存在しない歴史を歩む世界に根本から生まれ変わったのだ。この時、砕け散った『メイド・イン・ヘブン』から「運命」を変える力が宇宙中に拡散・伝播したのか……、あるいは、人類が「運命」の庇護から独り立ちして「次なるステージ」に突入する事を、「知性」=「神」の意志が認め祝福してくれたのか……、生まれ変わった「新世界」は、「旧世界」よりも「運命」の力が大きく弱まったのである。
第7部以降は、この「新世界」で紡がれる物語。「旧世界」に近い歴史を辿りやすくなる「流れ」こそあれど、絶対的な「運命」への隷属からは解き放たれた世界。「運命」ではなく……、個々の「縁」によって回り、「意志」によって「因果」が導かれる世界。「神」ではなく「人」が道を選べる世界。数多の可能性に満ちた、不安定だが自由な世界。『ヘイ・ヤー』もまた、そんな「新世界」に生まれたスタンドであるがゆえに、より強い「幸運」を引き寄せられるよう本体の意志を強くする力を得たのであろう。




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