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第3部 空条 承太郎
― 未来への遺産 ―


「スターダスト クルセイダース」





「週刊少年ジャンプ」1989年16号〜1992年19号にて連載されました。
ジョセフの孫:空条承太郎が主人公となる第3部。1988年頃の日本・東京から幕を開けます。1部ラストの感動はどこへやら、ジョナサンの肉体を奪ってちゃっかりDIOも復活
OVAやゲームなどにもなり、一般人気が最も高い部と思われます。日本〜アジア〜中東〜エジプトと旅をしていくロード・ムービー的な広がりを見せ、少年達の冒険心を刺激してくれました。先生自身の取材に裏打ちされた旅の豆知識なども多く盛り込まれ、まるで旅行記を読んでいるかような感覚が味わえます。このRPGみたいな展開に加え、どこからでも気軽に読めるテンポの良い構成明るいムードが、多くの読者の人気を集めたのでしょう。
もともと「ジョジョ」はこの3部で完結する予定だったので、因縁の宿敵であるDIOは完全敗北・消滅してしまいます。そのため、ある意味「ジョジョ」の核・中心とも言うべき部であり、「ジョジョ」の歴史に一区切り付けた部にもなりました。1・2部は3部へと収束し、その後の部は3部から派生したものですしね。
波紋とスタンド、怪物との戦いと人間同士の戦い、「肉体讃歌」と「精神讃歌」……、そんな過去の「ジョジョ」と未来の「ジョジョ」を繋ぐ架け橋のような側面も持っているのが3部なのです。




<ストーリー>

ストーリーはシリーズ中で最も単純明快。復活したDIOを倒し、母を救うため、戦いの旅に出る。ただひたすら、これだけの話です。それ以外には、物語自体に大した動きもありません。せいぜいアヴドゥルの離脱・復活くらいですかね。多分、ジャンプの連載を1年くらい読み飛ばしてても付いて行けただろうと思います。正直、ストーリー性で言えば、3部の私的評価は高くありません。
しかし、スタンドという新概念DIOとの因縁承太郎が旅立つ動機付けを、ホリィさんに集約した点は見事。彼女が自身のスタンドで倒れたというだけで、同時にそれらを自然に関連付ける事が出来、余計な描写が不要になっています。純粋にエンターテイメントに徹するため、あえて設定や構成・展開を極限までシンプルにしたのかも。カネで雇われたり、欲望を利用されただけのヤツが多いタロット・カードの敵との戦いを描いたアジア〜中東編、DIOへの忠誠のため、あるいは己の信念のために襲い掛かる「エジプト9栄神」と戦うエジプト編と、うまく分けた点もメリハリが効いて良かったですね。


ラストも泣けました。空港での3人が最高です。「つらいことがたくさんあったが… でも楽しかったよ」「みんながいたから この旅は楽しかった」。ポルナレフのこの言葉が全てです。我々も、心からそう思える人生を生きなければなりません。戻って来ないものがどんなに多かろうと大きかろうと、「みんな」と人生の旅を楽しまなければなりません。もらった命の時間だけ、自分の全身全霊をブチかます。それが人間の人間らしい生き方ッ!
――100年の時を経て、多くの犠牲と引き換えに、我々一人一人に取り戻されたこの世界のあらゆるもの。この世界で自由に生きる権利。この世界そのもの。そして、それは次なる世代へと受け継がれていきます。きっと、これこそが未来への遺産なのでしょう。




<キャラクター>

3部はとりわけ仲間意識が強い部だったと思います。戦いの末に友情が芽生え、旅の中でそれを育み、時にケンカやすれ違いがありながらも、心を通わせていきました。まさに少年漫画の王道。みんなでふざけたりバカ笑いしたりして、「仲間」という以上に「親友」って感じで、本当に楽しそうな旅でしたね。
承太郎や花京院のような少年に、ポルナレフやアヴドゥルといった青年、そして老人・ジョセフ。人種にしても白人・黒人・黄色と揃っているし、さらに犬まで加わります。年齢も人種も種族も超えた3部パーティーは、「地球」や「世界」の象徴なのでしょう。そう考えると、存在意義が微妙な家出少女も、「何の能力も因縁もない人間だって、DIOとの戦いと無関係じゃあないんだよ」って事を表現するためのキャラだったのかもしれません。つまり、一般人代表。3部はこの地球で真っ直ぐに生きようとする者と、欲望に歪んでしまった者の戦いであり、世界とDIOの戦いでもあるのです。
人間の本質・深層心理を暗示し、世界や宇宙の真理を表す「生命(セフィロト)の樹」にも対応するという、タロット・カードになぞらえた敵を打ち破っていく事。それは、彼らが人間の弱さや醜さを乗り越え、人間的に大きく成長して前進していく事を意味します。自分自身と対峙し、己のなすべき事を見据えて、その生命を輝かせていました。それぞれの心に巣食う「恐怖」を克服していく彼らは、確かに「生きて」いました。


主人公・承太郎の世間での人気は凄まじいようです。もちろん承太郎もめっちゃカッコイイのですが、私はイギーが大好きです。容姿の変貌ぶりには驚かされましたけど、誰にも懐かない孤高の野良犬であり続けたイギーには男の美学さえ感じてしまいます。あの誇り高き死に様に憧れてしまいます。最期の最期まで何者の命令も指図も受けず、自分の気持ちだけに従って生きた彼に乾杯。
幾度となく現れたホル・ホースもいいですね。自分なりの哲学を貫いていますし、憎めない性格で見てて楽しくなってくる男です。いかにも使い捨てな敵が多かったタロット衆の中で、群を抜いて個性的なキャラでした。敵か味方か、マジかギャグか、まったく読めない気マグレさが好きです。暗殺しようとしたDIOに圧倒され、DIOのために戦う覚悟を決めた彼なりの精神の成長も見所でした。
ポルナレフの直情的な明るさは、3部に欠かせない存在。荒っぽくてトラブルメーカーなヤツですが、心の底には優しさが溢れています。特に気に入ってるシーンは、蘇ったシェリー(『審判』の能力で創られた土人形だけど)との会話シーン。本当にシェリーを愛してるんだな、と切なくなってきます。私も妹を持つ兄なんで、なんか共感して泣けました。
そして、因縁の宿敵・DIO。1部の時代とは少々イメージも異なり、妖しげな色気圧倒的カリスマを遺憾なく発揮しています。しかし、彼のドス黒い本性やお遊び好きな性癖はそのまま。登場シーン自体は多くありませんが、その言動の1つ1つで巨大なインパクトを与えてくれました。ただ、典型的なRPGのラスボスの位置に落ち着いてしまっていて、1部の頃のような強烈なまでの個性が薄れている気がします。悪の帝王「DIO」という記号になっている感がありました。まあ、そんな変化も100年の時の流れ故でしょうし、彼の持つ多面性の表れでもあるのかも。何が変わろうと、どんな手段を使ってでも真のナンバー1を追求し続けるという野心さえ貫いていれば、それは紛れもなくDIOなのです。




<バトル>

3部で登場した新たな戦闘スタイル、スタンド能力。これは「ジョジョ」のバトルの可能性を大きく広げました。超能力を形にしたという絵的なインパクトだけでなく、個人の性格や欲望の具現でもあるのでキャラクターの個性化・差別化が進みました。と同時に、1人1人異なる能力を持つため、必然的に駆け引きの要素も強まります。
とは言え、この3部の時点では、まだまだ荒木先生自身も手探りの段階。初期の頃は特に、スタンドのデザインも生物的だし、能力よりもギミックや技で戦っていたし、戦法もシンプル過ぎるくらいだし、今となっては違和感を覚える程の物足りなさがあります。エジプトに入る前後辺りから、徐々に「スタンドらしさ」みたいなものが出て来たと思います。でも、この分かりやすさが一般人気に繋がったのかもしれません。タロット・カードと絡められ、混沌たるアジアの国々や歴史あるエジプトを舞台にする事で、溢れる生命力神秘的な雰囲気も演出されています。スタンドが怪物や魔術のように描かれていますね。


お好みのバトルは、なんと言ってもヴァニラ・アイス戦に尽きますね。DIO戦より好きです。アヴドゥルとイギーを失いながら、懸命に戦うポルナレフ。アイスのドス黒い執念。いつ殺されるかも分からない、ギリギリの死闘でした。それまではどこかお遊びムードが漂っていた空気を、一気に冷たく引き締めてくれました。DIOとの最終決戦に向け、いい感じで緊張感と恐怖感を繋いでくれたと思います。
それを受けての、ラストバトルのDIO戦。コミックス2巻分に渡って、「白」と「黒」の戦いが濃厚に描かれています。あらゆるスタンドを超越した『世界』の、反則的で絶望的なまでの時間停止能力。「恐怖」そのものとも言えるDIOに、「勇気」で立ち向かう承太郎一向。次々と散っていく仲間達が伝えてくれた『世界』の能力の秘密により、なんと承太郎も停止した時の世界へと入門します。許されたごくごく短い時間の中、死力を尽くす承太郎の姿に人間の美しさをも垣間見ました。凄まじいスケールの死闘の末の、最後のシンプルな一騎打ち。精神と精神の、魂と魂のぶつかり合いです。この決闘は、ついに「白」が制しました。崩れ落ちる直前のDIOを見る、承太郎のなんとも言えない表情が心に残っています。最終決戦に相応しい、文句なしの完全勝利でした。
3部バトルは、アイス戦やJ・ガイル戦のような真剣勝負だけでなく、オインゴ・ボインゴのようなコメディーもあり、ダービー兄弟戦のようなギャンブルもあり。戦いの方向性が実に多彩で、読む者を退屈させません。こういう部分も、3部人気の要因になったのかもしれません。




(2004年3月20日)
(2006年10月2日:少し改訂)




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