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第6部 空条 徐倫
― 石作りの海 ―


「ストーンオーシャン」





「週刊少年ジャンプ」2000年1号〜2003年19号にて連載されました。
承太郎の娘:空条徐倫(ジョリーン)が主人公となる第6部。2011〜2012年のアメリカ・フロリダでの物語。5部連載終了から約8ヶ月の時を経て、満を持してスタートした今作は「ジョジョ」史上唯一の女性主人公が活躍する部です。「女性は描けない」と言ってたはずの荒木先生が、あえて女性のジョジョに挑戦した意欲作。同時に、想像をブッ飛び超える荒唐無稽で破天荒な内容に、今も賛否が分かれまくる(否の方が多い?)問題作としての側面も。
5部から連続するように荒木哲学や運命論が前面に押し出されている宗教要素の濃い作品なので、ついて行けない人はトコトン置いてけぼりにされちゃいます。暇潰しのためというより、読むために読む作品になってますね。でも、センス・オブ・ワンダー全開で描かれており、まるで予想もつかない展開は娯楽性充分!宇宙や生命の神秘に満ち溢れた荒木流SF作品に仕上がっています。
テーマは「愛」、と私は解釈しました。人が命を懸けて何かを成そうとするのも、過ちを犯してしまうのも、愛という心があるからこそ。それは時に家族愛として、恋愛として、友愛として、人間愛として、自己愛として、6部の中でも取り扱われました。そして、世界も時間も運命も超えて人が巡り会うのも、愛がお互いの魂を引き合っているから。ともすれば安っぽくなりかねないテーマですが、最後まで堂々と描き切った6部を私も愛しています。
ジョースターが長きに渡る因縁から解放された、「ジョジョ」の歴史における特異点であり、2つ目の区切りとなる部でした。こうして全てが一旦リセットされ、7部にあたる物語「STEEL BALL RUN」へと改めて続いていくのです―――




<ストーリー>

ストーリー性は1部に匹敵する程の高さを誇っています。少なくとも、スタンド編では最高だと思っています。この部はDIOが遺したものとの決着をつけるためにあるといっても過言ではなく、DIOの親友が最大の敵となり、DIOの骨から生まれた赤ん坊や、3人のDIOの息子達も登場。その過酷な戦いの末、ついにジョースターの血統さえも滅ぼされてしまいます。ジョースターの意志を継ぐ者(=エンポリオ)とDIOの意志を継ぐ者(=プッチ神父)の最終決戦。そして、徐倫が守り抜いた希望・エンポリオが全ての因縁に終止符を打ったのです。血統を超え、魂や運命の領域にまで達した彼らの戦いは、「ジョジョ」を読み続けてきた者に特別な感情を湧き上がらせてくれた事でしょう。
「聖書」をモチーフとしているような部分も各所で見られます。荒木先生はカトリック系の学校出身の上、イタリア大好き男ですから、その影響が表れているのでしょうか。グェスは聖書から引用した言葉を徐倫に話していたし、プッチ神父も聖書を読んだり、「ドミネ・クオ・ヴァディス」などと叫んだりしてました。イヴをそそのかして楽園を追放させた(サタンの化身とも言われているらしい)は、徐倫を罠に陥れて牢獄へと送り込んだプッチと『ホワイトスネイク』そのものです。そう考えると、叡智が封じられた「承太郎の記憶DISC」こそが禁断の「知恵の実」。囚人達が変化させられた樹木は、生命の樹。そこから生まれた、新たなDIO=「緑色の赤ん坊」こそが「生命の実」。(「赤ん坊」に永遠に辿り着けなくするスタンドは、「生命の実」への道を護る天使ケルビムか?)その2つの実を食べたプッチは神へと近付く道を歩み、「運命」をも変える力を手に入れます。生物だけを新たな世界へと導く『メイド・イン・ヘブン』は、まさしく「ノアの方舟」。彼が生み出そうとした『天国』は「エデンの園」だったのかもしれません。こんな具合に色々と深読みやこじつけも出来ます。6部は言わば、「ジョジョの奇妙な創世記」なのです。「ジョジョ」1〜6部の世界と歴史は全て、エンポリオと我々読者だけが知る神話になったのです。
ちなみに、ギリシャ神話に出て来るという「ウロボロスの蛇」は世界創造の象徴であり、「無限」・「永劫回帰」などを意味するとの事。時間加速によってもたらされた宇宙一巡を彷彿させます。プッチのスタンド名が『ホワイトスネイク』だったのも納得だし、必然なのかも。


囚人として常に行動が制限・束縛され続けた不自由な状況下での、徐々に謎の中心へと向かっていく渦巻き状の構成・ストーリー運びは見事でした。刑務所(=石の海)の中だけで進行していく物語は独特の新鮮さと息苦しさを感じますが、なんと後半であっさり脱獄。しかし、これはさりげに5部・ヴェネツィアでの組織への裏切りに相当するイベントで、「眠れる奴隷」が目醒める転機でもありました。こうしてプッチを追って、ケープ・カナベラルまでの短い旅が始まります。結果的に、6部は4部的箱庭感5部的疾走感の両方が味わえるお得な部になりました。もちろんそれだけではなく、そんなミクロな舞台でマクロな展開をやってのけてしまった極大スケールの部でもあるのです。
加速する時の中で、なんと承太郎も仲間達も徐倫さえも死亡!ただ1人生き残ったエンポリオがプッチを倒した事で、世界も人々も新しく生まれ変わるという驚天動地のラスト(この辺の解釈はこちらで)。賛否両論ですが、私は本当に感動しました。空を仰ぎ見る蟻の姿で、思わず涙しちゃいます。無限に広がる宇宙から見れば我々人間も蟻も、取るに足らない小さな小さな存在。でも、それら1つ1つが集まって、世界や宇宙が形作られているのです。誰もが運命の中に確かに組み込まれている、唯一無二の大切な存在なのです。それを強く感じました。あのシーンほど美しく力強い生命讃歌は見た事がありません。今思えば、ちっぽけなミジンコの集合体であるF・Fは、その象徴的なキャラなのかも。
そして、引力に導かれるように再び集っていく仲間達。雨の日の、恋人とのドライブ。ヒッチハイカーとの出会い。苦難への道の始まりだったあの日と、まったく同じ状況。しかし、運命という「石の海」から自由になった彼女達にとってのそれは、新たな希望への道の始まりなのです。完全なるハッピー・エンドとは言えませんけど、愛に満ちた最良のエンディングだったと私は断言します。




<キャラクター>

6部は今イチ、各キャラクターの個性と繋がりが希薄に感じられました。読者が見ていない所で出会ったり親しくなったりしていたから、これまでの部のような強い絆とか仲間意識が伝わらないままでした。特に女性陣と男性陣がうまく噛み合っていなかった印象。そもそもメインの6人全員が揃ったシーン自体、一度も描かれなかったワケで。「人と人の繋がりの素晴らしさ」をテーマとして表現するなら、もっとそれぞれの関係性を深く描写してほしかった所です。敵もプッチの操り人形が多くを占め、能力も満足に使いこなせていませんでした。覚悟が足りない敵は、どうしても不満が残りますね。徐倫とプッチを主軸に置き過ぎたためなんでしょう。
しかし反面、徐倫達(=罪人)とプッチ(=聖職者)の戦いを通じて、「悪の中の正義」「正義の中の悪」が存分に描かれているのが興味深い。「悪」の中で「正義」を貫こうとする5部をさらに突き詰めた内容になったのは、荒木先生の善悪観の変化ゆえなのでしょうか?刑務所内では、チンケな欲望を利用されて操られただけのDISC製スタンド使いとの戦い。脱獄後は、何よりも希望・成長・幸福を純粋に欲し、自らの意志を強く抱くDIOの息子達との戦い。そして最後は、常軌を逸した信念と覚悟を持つプッチ神父との戦い。徐々に敵側の戦う動機がステップ・アップしている事が窺えます。その分、敵の個性も強くなっていったし、同時に徐倫達の精神も成長していきました。これがもし先生の計算だったとすれば、刑務所の敵達のキャラが薄いのは自然な事だったのかもしれません。


好きなキャラは徐倫ですね。痛々しいまでに一直線でひたむきなその姿には勇気づけられました。初めはメソメソしてばかりの不良娘に過ぎなかったけど、父親の愛情を理解する事で空条承太郎の娘としての誇りを得て、やがては他の何者でもない「空条徐倫」として戦いを挑むまでに成長。男勝りな熱血ド根性娘でしたが、そんな彼女の常人離れした強さは、自分の弱い心を必死に押し殺している事の現れでもあります。ウェザーの死後などを見ても分かるように、本当は不安で迷ってて誰かに寄り掛かりたい気持ちも抱えているのです。いくら百戦錬磨の猛者であっても、やっぱり19歳の女の子。それゆえに深い慈愛の心を持ち、エンポリオの母親的役割をも果たしています。命を懸けて子供を守り、育て、その子が新たな世界を築いてゆく。文字通り、新世界を生み出した聖母となりました。死の瞬間に、そして死した後に、彼女は真に6代目「ジョジョ」として完成したのかもしれません。徐倫はかわいくて、切ないキャラです。
そして、ラスボスのプッチ神父。歴代ボスの中でも一二を争う程のお気に入り。世界征服とか最強とか、そんな俗なものにはまったく興味なく、ストイックに全人類・全生物の幸福のため戦っている点が異質です。善も悪も超越した別の次元に行っちゃってて、物語を動かす強烈な力があった彼はもう1人の主役と言うべき人物でした。彼が目指した『天国』とは、「自らの運命を覚悟して生きていく事こそ幸福」というもの。確かにある意味では正しいし、ツェペリさんやブチャラティのように幸福になれる者もいるでしょう。しかし、あらゆるものを巻き込んで犠牲にしてまで到達し、自分の「正義」を全人類に押し付けた彼は紛れもない「邪悪」。自覚なき悪の恐ろしさが光っていました。運命を重んじていた彼が、運命を変える力を手に入れたために、運命に敗れた。悪に相応しい実に皮肉な最期でした。
ウェザーも大好きです。記憶がない頃の穏やかで天然っぽい彼も、記憶が戻った後の死ぬためだけに生きている彼もカッコイイ。言葉少なで目立たないけど、いざって時に頼りになるキャラに私は憧れます。プッチの双子の弟だったとは夢にも思いませんでしたが、運命に翻弄される人間の儚さが詰まった彼らの過去は泣けました。その過去ゆえに他人を憎んでいたのに、徐倫達のためにDISCを遺して死んでいった彼は誰よりも優しい男なのだと思います。仲間と再会する事さえ叶わなかった孤独で悲運なウェザーに涙。




<バトル>

スタンドはいよいよ混沌の一途を辿り、荒木先生の手にも余る領域に達して来た感があります。シンプルな能力をいかに応用して戦うかという頭脳戦・心理戦の要素溢れるスタンドバトルは、複雑で曖昧な能力をいかに強引に解釈して戦うかというとんちバトル・屁理屈バトルの様相を呈して来ました。5部の『レクイエム』級の不条理が全編に渡って漂っており、観念的・概念的すぎてスッキリしない戦いが多いですね。さんざん謎を引っ張っておいて、それが解けた途端にあっけなく決着ついたり、後出しジャンケン的な部分が多かったり。もう一捻りほしかったトコでした……。
逆に言えば、6部じゃあなければ描けないであろうトンデモな能力や戦闘を堪能する事が出来ました。特殊なシチュエーションやフィールドを創り出す能力、6部を読み解くキーワードとも言える「宇宙」・「運命」・「引力」・「記憶」が関わる能力が多かったように思います。どのみち宇宙一巡させるんだからと、もうやりたい放題に世界を混乱に陥れる能力ばかり描いてたのかも。そんな大スケールなスタンドがひしめく中、地味な能力を駆使してピンチを切り抜けていく徐倫達が熱かったです。絵的な迫力とインパクトも随一。ただ、それを重視するあまり、痛みやダメージのリアリティが欠けてしまっていたのは残念。


お気に入りのバトルは、ラング・ラングラー戦。無重力&真空という擬似的な宇宙空間内での死闘。次々と襲い来る危機的状況に、手に汗握ります。雲の宇宙服を着て、荒涼とした洗濯場に佇む絵が心に焼き付きました。ハードなバトルの合間に見られるギャグも笑えます。徐倫の空中放尿とかね。
ウエストウッド看守戦はリアルタイムで読んでいた頃は、展開が遅くてじれったく感じられましたが、コミックスでまとめて読むと最高に燃えるッ!徐倫の生涯や「不滅の詩」をつぶやくシーンなどを見ても感じ取れる通り、6部は原点回帰を意識していたようで、1・2部のような肉弾戦も豊富。看守のマッチョな肉体と隕石能力にどれだけズタボロにされても、立ち上がる事を、立ち向かう事を決して諦めなかった徐倫が、あまりにもカッコ良く美しかったです。
ヘビー・ウェザー編は徐倫&エルメェス、ウェザー&アナスイ、エンポリオ、プッチ、ヴェルサスの5者に分かれ、それぞれの思惑が同時進行で絡み合っていった珍しく複雑なシチュエーションです。カタツムリ化が蔓延していく悪夢と狂気の世界の中、全てはプッチとウェザーの元へと集束。2人の激しい兄弟対決は、哀しい空気に満ちていました。
5回以上にも渡って繰り広げられたプッチ神父とのバトルは、どれもがメッチャ盛り上がりました。さすがはラスボス。懲罰房棟編も鳥肌立ちまくりですが、ラストバトルも終末感たっぷりで大興奮。重力逆転に時間加速、まさしくこの世の終わりを感じさせてくれました。ここまで来ると、プッチももはや神々しさすら放っていましたね。理屈抜きで、ただただスゴかった…




(2005年11月15日)
(2006年10月3日:少し改訂)




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