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第8部 東方 定助

「ジョジョリオン」





「ウルトラジャンプ」2011年6月号~2021年9月号にて連載されました。連載期間10年、コミックス全27巻という、歴代最長の部となっています。
記憶喪失の少年:東方定助が主人公となる第8部。2011年の日本、地方都市・杜王町での物語。ただし、7部「SBR」から120年後の世界、4部の杜王町とは別の杜王町です。初めて現代日本を舞台にした部ともなっていまして、なんと我々の住む現実世界と東日本大震災の経験を共有しています。それもそのはず。今作の設定を構想中に、あの震災が起きてしまい、杜王町のモデルである故郷・宮城県仙台市も被災。荒木先生としては避けて通れない問題であり、作品にも大きな影響を及ぼしたという経緯があるのです。そのため、理想やファンタジーで描かれた4部の杜王町とは対照的に、今作の杜王町は非常にリアル。また、「場所」よりもそこに住む「人」を、「町」よりも「家」「家族」をメインに描くという、4部とは異なるアプローチとなりました。
月刊誌・青年誌で連載スタートした初めての部という事もあってか、少年漫画的な作劇からは完全に脱却しています。さらなるエロスの表現にも挑戦。やはり「人間」を描く作品である以上は、「セックス」や「エロ」は切り離せませんからね。露骨に下品で生々しい表現というより、あくまで主題のサスペンスを盛り上げる要素としての表現ではありますが。表現という事で言えば、「ユルさ」「白さ」も意識しているようです。あまり描き込み過ぎる絵だと読者も疲れちゃうので、あえて描き込みを減らしたり画面を白くしたりして、巧みにリズム・緩急を付けています。それらも一因となり、今までに無くしっとりとした情緒おどろおどろしい空気が漂っていました。
ぶっちゃけ、いろんな意味で6部以上に人を選ぶというか、賛否や好みが明確に分かれそうな作品ですね。偏見ではありますが、たぶん、若い人よりもある程度年齢重ねた人の方が楽しめると思う。私は大好き。「ジョジョ」が大人気コンテンツとなった今でも、最新作が常に最先端で在り続けてくれる事に「ジョジョ」の真髄を見た気持ちです。ややもするとドえらいスケールの展開になりかねないところを、身の周りの「小さな世界」だけの話に終始した点も筋が通ってました。そして何より……、10年という歳月を掛けて我々読者に心から寄り添ってくれた、愛に満ち溢れた清らかで優しい作品なんですから。10年を費やす意味と必要がある作品なんですから。この10年を、共に歩めて良かった。

ちなみに、3年ほど前にも一度「ジョジョリオン」を評価していますので、宜しければそちらも参考にしてみてください。 ⇒ 「「ジョジョリオン」は面白い?つまらない?




<ストーリー>

記憶を失った定助が、もう1人の主人公とも言える少女:広瀬康穂と出逢った事で始まるボーイ・ミーツ・ガール。定助は「自分の過去」を追い求め、後に、「自分の母」を救うために戦う。何かとややこしい話に受け取られがちな今作ですが、定助の目的自体は至ってシンプルです。そして、記憶も名前も存在理由も何一つ持たなかった彼が、多くの人との出会いや繋がりを通じて、「自分」「愛する人」「家族」を得るのです。血統から誇りを得てきた多くのジョジョ達とは違い、「SBR」のジョニィは血統こそが「呪い」の原点でした。自分の血統すら知らない定助は、それがさらに進んだ形。そんな彼が自分のルーツを知り、血以上に想いを受け継ぎ、そこから揺るぎない誇りを得ていったのでした。孤独という「呪い」を解いて、「祝福」を受ける物語。それが「ジョジョリオン」なのです。
とは言え、それだけではありません。10年前の大震災、そして今、世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス……、これらの「厄災」を越えて行くための、我々読者1人1人に対する力強いメッセージでもあるのです。あの震災以降、生きる事の根底が大きく揺らぎ、自分の道を見失ってしまった多くの人々。「厄災」は、いつ、どこで、誰に起こるか分からない。避けたくても、絶対に避けて通る事は出来ない。ひとたび巻き込まれたら、伝えたい事も伝えられないまま、やりたい事もやり残したまま、唐突に大切な人を失ってしまうかもしれない。その恐れや怖さは常に付き纏うし、失った痛みや悲しみは消える事はない。……それでも、人との出会いや繋がりも決して消えはしないし、それは巡り巡って、新しい何かを生み出す「流れ」にも成り得ます。そんな、ありふれた「必然の奇跡」の中に、私達は生きている。これを忘れない限り、人はまた立ち上がれるはず。定助達の姿を自分と重ね合わせ、また歩き出して行けるはず。現実世界にいる我々への祈りと救いをも込めた、「福音」を届ける物語。それが「ジョジョリオン」なのです。
そこを踏まえると、定助最大の目的であったホリーさんの救出が実現されずに完結しちゃったのも、ちゃんと意味が隠されていそう。「何も報われぬまま終わった」のではなく、「報われるかどうかは誰にも分からない」という事です。全ての希望が潰えたのではなく、あくまで現在進行形という事です。被災地や被災者にとって震災は今も終わってはいないように、コロナ禍という災いが今もなお続いているように、定助達の人生はこれからも「続いていく」のですから……。都合良く何もかも安易に解決したりはしない、厳しい現実と地続きの誠実な物語。それが「ジョジョリオン」なのです。


根底のテーマから考えれば、これほど素晴らしい物語はない事は確かなのですが……、しかしながら、1つの漫画作品として見ると、ストーリー的な粗やノイズや空白が多いのもまた事実。チグハグな事、曖昧な事がマジで多すぎなんですよ。
過去の描写と現在の状況は、どうにも噛み合わず。定助の脳裏によぎった男や、かつて杜王町に漂着した男の子には、その後は一切触れられぬまま。豆銑さんや虹村さん、常敏、花都さんは、恐らく死んでしまったんでしょうけど、特に明示もされず。いつか再会すると思われたカレラとも、結局会わずじまいのような、いつの間にか会ってるかのような。杜王スタジアムに向かうはずが、それはすっかり忘れ去られ。その他、細かいものも含めると、大量の矛盾と謎が残されてしまいました。個人的には、「壁の目」と「新ロカカカ」の「等価交換」の効果の違いが不明瞭だった事が、ストーリーへの理解を阻害していたように感じます。
第9部に持ち越される謎もあるのかもしれませんけど、かなりとっ散らかっちゃったな……というのが正直なところですね。理解できずに途中でリタイアしちゃう人がいても責められない。本来なら、横溝正史氏の「犬神家の一族」などを意識したミステリ風の構造だったはずが、ライブ感重視の荒木先生の作風とは相性が悪く、こういう結果になったものと思われます。(もしも、全て意図したものなのだとしたら、セオリーや常識からあえて外してみたとか、どこへ進むべきかも進んでいるのかどうかすらも分からない震災後の世の中を暗示しているとかかもしれませんけれども。) まぁ、整合性が高けりゃ面白いってワケでもないし、こちらで辻褄合わせぐらいいくらでも出来るからいいんですが、客観的な視点ではこう評価せざるを得ません。




<キャラクター>

あくまで定助と康穂がメインであり、その他のキャラは、2人を脇から彩るように描かれています。「自分」というものが無かった定助は、それこそしゃぼん玉のようにフワフワ掴みどころのない印象で、いまいち感情移入しにくい部分もありました。しかし、だんだん「自分」を確立し始め、どんどん「ジョジョ」の名に相応しい男になっていきました。メイン2人はもちろん、他のキャラ達もみんな魅力的。それぞれの立場から、善悪を超えて、エゴ剥き出しで、自分が信じる「幸せ」の形を必死に求め続けるイカしたヤツらです。見た目も中身もストレートに「カッコイイ!」っていうキャラは少ないのですが、杜王町らしく(?)一癖も二癖もあって味わい深いんですよね。
定助が居候する事になる東方家の面々は、最初こそメッチャ胡散臭かったけど、知れば知るほど大好きになりました。一見すると理想的で、何不自由なく暮らす大金持ちの仲良し一家。しかし実際は、石化する謎の「病」に呪われていたり、伝統と革新の間に揺れる親子関係があったり、殺人という罪を巡る夫婦関係があったり、かなりドロドロゴチャゴチャしている。そういう各々の問題や心情を抱えつつ、でも、お互いに想い合ってもいる。どこにでもある家族なんです。そんな彼らが、先祖からの果樹園を燃やされ、美しい家も破壊され、仲直りも叶わぬまま大切な家族さえも失った。それは被災者の姿そのもので……、変えられない現実も、二度と取り戻せないものも、受け入れたくない事実も、数多くある。だからこそ、その傷を傷のまま受け止め、忘れる事なく、残されたみんなで涙を流しながら新しい始まりを誓う姿は、本当に胸に迫るものがありました。
「ヒト」とは根本から異なる種族「岩人間」(「岩生物」)も、存在がとにかく不気味で、どこか愛嬌も悲哀もあってイイ。炭素系生命の「保険」「滑り止め」という設定もたまりません。こいつらは様々なもののメタファーにもなっていて、それは「自然」や「大地」であり、「得体の知れぬ隣人」であり、「理解し合えぬ他人」であり、「未知なるもの」であり、「人間の罪」であり、「呪い」であり、「厄災」であり……。どこまでも底が見えず、動機にしろ思考にしろ読み取りにくい。明確な対立軸としての「敵」や「悪」というよりかは、何か分からないけど襲って来る「害」「恐怖」として描かれているように思えます。その意味においては、ラヂオ・ガガ事件のガードレールなんて最たるものかも。


特に好きなキャラは……、う~ん、迷うなぁ。常秀でしょうかね!彼の良さは、何と言ってもブレないクズっぷり。こいつがいるだけで、どんなシリアスなシーンもシリアスになり切れない。そんな愛すべきムードブレイカーです。定助の相棒になってもおかしくないポジションにいたのに、最高にクールなスタンドが発現したのに、頑なに定助を認めようとはせず意地悪ばかり。康穂が大好きだけど、思い込みの激しいストーカーで、いつも空回りばかり。人のカネも平気でパクるわ、実の母に「おっぱい吸わせろ」と迫るわ、後先考えず腕を「等価交換」して後悔するわ、やる事なす事ゲスいロクでなしですが……、時には、自分には何の才能も無いと哀愁漂わせたり、康穂のピンチに体を張ったりもする。誰よりも等身大で人間臭い男なのです。最後の最後に、ようやく定助をちょっぴり認めてくれたのも嬉しかったな。
豆銑礼さんは、常秀とは正反対の、感情に流されない信念を持つプロフェッショナル!物語後半近くになって登場したにも関わらず、その存在感はあまりにもデカい。何せ、定助と康穂が「自分が何者か分からない」と苦悩している中で、彼は揺るぎない「自分」をハッキリと貫いているんですから。どーでもいい相手にはトコトン冷たくそっけないけど、自分が認めた相手には気前も良いし命も張ります。そして、死して魂だけになっても定助を導き続けました。実は熱い「義」の男なのです。
一応、今作のラスボスに相当する透龍くんと、そのスタンド『ワンダー・オブ・U』が変身した明負悟院長。透龍くんのアンニュイな雰囲気や、院長の余裕ブッこいた飄々とした態度が、今までに無い感じでとても気に入ってます。特に透龍くんは、「夢」と「想い出」という点において定助との対比的な人物。過去の想い出が何一つない定助と、今わの際に想い出を追って死んでいった透龍くん。何もかも失っても夢と想い出は残るし、土や瓦礫の中から生まれる新しい夢と想い出だってあるはず。作品テーマと強く結び付く、非常に重要なキャラですよね。とは言え、彼は厳密にはラスボスではなく、ラスボスはそれぞれの人生に降り掛かる「厄災」そのものなのであります。決して避けられぬ「厄災」と相対した時、その人が何を感じ、何を選び、どんな行動を取るのか?それこそが真に重要な事で、ストーリー上、透龍くんという存在は「厄災」を起こすための舞台装置に過ぎません。だからこそ、あえて彼のバックボーンや思想を深く描写しなかったのでしょうし、彼の目的も俗っぽいものになったのでしょう。「透龍くん」という1キャラクターの個性の方が際立ってしまっては、かえって色々と台無しになっちゃうってワケです。その辺の采配もお見事。




<バトル>

世はまさに自動操縦型スタンド時代!……ってのは半ば冗談ですが、実際増えてますね。互いのスタンドで直接殴り合うようなイケイケのガチンコバトルは一切なし!それを宣言するかのように、スタンドの手足も異様なほど細身になり、球体関節人形みたいになっています。実際、オラオララッシュなんてフィニッシュに使われた試しもなく、もはやただのお飾り。これは恐らく、ストーリーやテーマとも密接に絡む問題で、目に見える誰かをボコボコにして倒せばめでたしって話ではない事を象徴している気がします。「勝つ」でも「負ける」でも、「戦う」でも「逃げる」でもなく、「越えて行く」ための物語なんですから。そこがスッキリしなくてイヤ、という人も多そう。……もっとも、スタンドのデザイン自体はメチャクチャ洗練されてて、歴代でもトップクラスに好みだったりする。
とにかく、ヴィジョンではなく能力で敵を追い詰めるスタンドがほとんどなのです。面と向かい合う事もせず、距離を隔てて、知らず知らずのうちに相手を追い込む。そんな「呪い」の如きスタンドばかり。スタンドとは心の形ですから、現代社会における人間関係なんかも同時に表現しているのかもしれませんね。直接向き合わず、触れ合わず、どこか殺伐とした無機質で冷たい関係性。杜王町の人々も無関心・不干渉な連中が多く、4部のように「町を守りたい」と思える描き方がされていない点からも、それは伝わってきます。町の中でも殺害OKな「岩人間」の設定も、さらに輪を掛けてますね。そこまで踏まえた上で考えると、家族みんなで話し合ってケーキを選ぶというエンディングの重みも変わってきます。「岩人間」達と大差ない程度にはバラバラで「個」の集まりでしかなかった東方家が、やっと本当に1つに繋がったんですから。
また、絵的なこだわりが増し、違和感や恐怖のディテールがじっくりねっとりと描写されているのも特徴。圧倒的リアリティを伴って、読者に能力の脅威を見せ付けてくれました。ただ、その分、スピード感やテンポは削がれている印象を受けます。月刊という事も加わり、なかなかストーリーが進まず、じれったい思いをした人もいた事でしょう。


お気に入りのバトルは、間違いなくプアー・トム戦です。定助・豆銑サイド、常敏・つるぎサイド、プアー・トムサイドと、3つの陣営が知恵と能力を駆使して「新ロカカカ」の枝を奪い合う名バトル。6部の『ヘビー・ウェザー』編にしろ、「SBR」の大統領戦にしろ、私はこういう別々の思惑を持った複数勢力が同時に入り混じる構図が好きなのです。プアー・トムのスタンド『オゾン・ベイビー』も、「ジョジョリオン」中で一二を争うほど好きな能力ですし。どさくさに紛れて、常敏・つるぎサイドがまんまと枝をゲットするという意外な結末にも驚かされました。
常敏とのクワガタ相撲も捨て難い。テーブル上の直径30cmにも満たぬリングで繰り広げられる、たった45秒の小さな小さな決闘。こんな夏休みの少年達の遊びみたいなものが、その裏では知略と陰謀渦巻くスタンド戦であり、己の未来と誇りを賭けたギャンブルにもなっているワケです。そのギャップというか、小手先でチマチマセコセコやってるのに実は緊迫感MAX……って感じが「ジョジョ」らしくて面白いんですよ。もう一方で、これは常敏の人物紹介も兼ねており、大人の聡明さと子どもの無邪気さが同居する彼の奇妙な魅力がたっぷり描かれていました。定助と常秀もいい味出してて、読んでて楽しかったです。
そして、21巻から始まる「ザ・ワンダー・オブ・ユー (君の奇跡の愛)」編から全ての決着に至るまでの、長い長い1つの大きな流れ。院長の追跡、各地で巻き起こる「厄災」、桜二郎の急襲、時間切れが近付くつるぎちゃん、揺れる東方家、院長との決戦、正体を現す透龍くん、「ゴー・ビヨンド」、花都さんの覚悟。その中のどれか1つのバトルやシーンのみに限定せず、全体を通して壮大で読み応えがありました。最終戦だけあって、この「ジョジョリオン」という作品のテーマがそのものズバリ表されています。「ジョジョ」史上最大級のどうしようもない絶望とジレンマに陥り、次々と斃れる者達。「死」は決して劇的でも感動的でもなく、ただただ無慈悲に淡々と訪れては去って行きます。しかし最後には、奇跡と愛でそれさえも乗り超え、我々に温かな希望を示してくれたのです。人生に何が起ころうと、きっと越えて行こう。新しい空を見上げよう。そんな勇気を与えてくれました。まさに、みんながいたから辿り着けた結末。




(2021年8月22日)




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