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「ジョジョリオン」の謎と考察・予想をまとめたよ


No.23 【 夜露が持っていた「フルーツ」とは何なのか? 】






【第1版】
夜露が持っていた、イチジクにも似た形の謎の「フルーツ」。夜露は、石化している犬(岩助)にこれを食べさせ、元の姿に戻したらしい。
「ジョジョリオン」という物語の核心に迫るキー・アイテムが、この「フルーツ」です。その正体とは一体、何なんでしょうか?



単刀直入に言うと、あれは「聖書」にも書かれている「生命の実」です。「聖書」によれば、「エデンの園」と呼ばれる楽園の中央に、「生命の樹」と「知恵の樹」という2本の樹が植えられているとの事。2本の樹と言えば……、そうです。杜王町の海岸にある「瞑想の松」こと「二本松」
「SBR」17巻にて、磔刑から復活したイエス・キリスト(ここではあえて断言しちゃいます)は日本っぽい土地に立ち寄り、そこで船を造ってアメリカ大陸に渡ったとされています。その日本っぽい土地こそが、実は現在の杜王町なのです。イエス・キリストの聖なるパワーの影響で「二本松」は聖樹と化し、2000年以上にも渡ってその場にそびえ続けていました。「二本松」の1本が「生命の樹」に、もう1本が「知恵の樹」になったのです。「生命の樹」に成る「生命の実」、「知恵の樹」に成る「知恵の実」……、この2つの聖なる果実は数百年に一度だけ実ります。樹から切り離された「果実」は、その後は決して腐る事なく、そのままの状態で存在し続けるでしょう。





さらに、この「二本松」の根本の洞には、1901年にジョニィによって「聖なる遺体」(イエス・キリストの遺体)が隠された事もありました。その際、「二本松」に宿る聖なるパワーがもっと強まったものと思われます。普段は普通の松の木だけど、この時はイレギュラー的に聖樹化し「実」を付けたのでしょう。


あの「フルーツ」が「生命の実」である根拠はまだあります。常敏に接触して来た男が、あの「フルーツ」の成る木を鉢植えで持っていましたが……、その形状が実に奇妙。重力が逆転したかのように、上下さかさまに実が成っていたのです。
上下さかさまの樹と言えば、「セフィロトの樹」を連想します。これは「神の法則」「世界の真理」の概念図と言うべきものでもあり、その形は上下さかさまになった構造として描かれています。そして、この「セフィロトの樹」の別名が「生命の樹」なのです。
ただし、夜露が持っていた方の「フルーツ」は、実は「記憶の男」から預かったものだった、と予想しています。「記憶の男」はかつて、「二本松」から大量に「フルーツ」をもぎ取って保管していたのです。(⇒ No.5 【第1版】参照) 樹木の形が『キング・ナッシング』の予測とは異なるのも、もともとの出どころが違うから。鉢植えの木は、「記憶の男」が持っていた「フルーツ」の種から栽培したものだったのでしょう。 (2016/01/31:削除)


……ちなみに、「聖書」には、「エデンの園」は「東の方」にある、とも書かれています。「東の方」、すなわち「東方」家。東方家は「エデンの園」でもあるワケです。フルーツ屋であり、果樹園でフルーツを栽培してもいる東方家。そんな「東方」家の敷地に「二本松」があるというのは、ある種、必然だったのかもしれません。
(果樹園では、東方家が栽培している立派なイチジクが意味深に描かれてもいました。なんか重要な意味がありそうな気もしますが、単に「生命の実」がイチジクに似ている事を絵的に説明するためだけの「ストーリー上の小道具」だったのかも。)
そう考えると、自分の居場所も帰る場所も見失ってしまっている定助と康穂は、楽園を追放されたアダムとイヴだったりするんでしょうかね?




では、この「生命の実」を食べるとどうなってしまうのか?
溢れんばかりの生命力を得る事で、どんな病気もケガも治り、不老長寿を手に入れられるのです。さらに、その聖なるパワーを取り込む事により、スタンド能力まで引き出されるのです。ただし代償として、食べた者(とその血を継ぐ者)は「岩人間」として生きる宿命を負う事になります。真っ当な人間としての人生はもう送れなくなってしまうでしょう。
この「岩人間」については、別のページにまとめています。(⇒ No.25 【第1版】参照)


もう1つの「知恵の実」についても、別のページにまとめています。(⇒ No.15 【第1版】参照)



(追記1)廃止



(追記2)廃止



(追記3)廃止



(追記4)
第47話にて、「ロカカカ」のルーツが説明されました。それによれば、1938年にニューギニア島の高地で発見された果実であるらしい。ただし、島の原住民達は古来より「ロカカカ」を重宝し、「等価交換」の力の恩恵を受けていた様子。そして、第2次世界大戦の際、ニューギニア島の半分は日本軍によって占領され、以来、「ロカカカ」の報告は途絶え、伝説と化してしまったとの事です。
非常に重要な過去話ではありますが、これだけではまだ謎も多く残されたまま。「ロカカカ」はいつから存在するのか?何故、「ロカカカ」がニューギニア島に存在したのか?原住民は5万年も大昔から島に住んでいるそうですが、「ロカカカ」も初めから島にあったとは限りません。いつの時代にか、誰かが人工的に作り出したのかもしれないし、誰かが島に運んで来たのかもしれない。……その真のルーツに迫ってみたいと思います。これまでの予想を活かしつつ、考えて(こじつけて)みました!


そもそもの起源が、約2000年前にイエス・キリストが杜王町を訪れた際に生まれた「生命の樹」と「知恵の樹」である、という部分は変わりません。この時、「生命の実」がいくつか海に落ち、遠く流されていきました。それらはやがて、ニューギニア島に漂着。原住民が「実」を拾って食べ、神懸かった力に気付いて畏怖します。神聖視された「実」は、島で最も高い地にその「種」を埋められ、崇められたのでした。そして、埋められた「種」から芽生えたのが「ロカカカ」だったのです。
「生命の実」の「種」は、地球上でもニューギニア島独自の環境下でのみ発芽・発育できます。それも、「ロカカカ」という突然変異種となって。はるばるニューギニア島まで流れ着いたのも、「実」と土地が引かれ合ったためなのです。
そして時は流れ、第2次世界大戦の頃……、この「ロカカカ」は、ニューギニア島へと出征してきたある日本兵によって、日本に持ち込まれました。その日本兵の名は、東方 常照。3代目「東方 憲助」その人であり、現家長:憲助さんの父親にあたる人物です。偶然にも、見た事もない奇妙なフルーツを見付け、故郷にまで密かに持ち帰ったのです。(「ロカカカ」が杜王町の「生命の樹」と引き合った結果でもあります。)それが今、日本に、杜王町に、「ロカカカ」が存在する理由。
……ただし、「東方ふるうつ屋」の蔵に保管していたはずの「ロカカカ」と研究データは、後に「記憶の男」に盗み出されてしまいます。こうして「ロカカカ」は「岩人間」の手に渡り、東方家は「ロカカカ」というフルーツの存在すら忘れ去っていくのでした。

「生命の実」も「ロカカカ」も、聖人の遺体と同様、決して腐る事はありません。だから、そのままの姿で海を渡れたし、長い年月、維持・保存する事も出来ました。しかし、突然変異種「ロカカカ」は、原種「生命の実」と比べて聖なるパワーが著しくダウン。「岩人間」を生み出す力はもはや無く、食べた者の体内で「等価交換」を起こすだけ。
さらに、ニューギニア島以外の場所で生育した「ロカカカ」は、世代が新しくなるごとに聖なるパワーがどんどん減退していきます。発育も悪く、鉢植えでの栽培で事足りる程度の大きさにしか育ちません。ゆえに、まだ強いパワーが残る古い世代の「ロカカカ」は貴重なのです。 それを吉良達が勝手に処分・強奪したんだから、「岩人間」の怒りも当然でしょう。 (2016/06/30:削除)
なお、「ロカカカ」は新しい世代ほど強い依存性・中毒性を持つようになります。「等価交換」の力自体にはそれほど大きい差はありませんが……、 (2016/06/30:削除) 新しい世代の「ロカカカ」を食べた者は、しばらくするとまた「ロカカカ」を渇望してしまうワケです。その上、「等価交換」で失った部位を再び「等価交換」で取り戻しても、元々の肉体よりも脆くなってしまい、最終的には全身が土砂と化して崩れ去ってしまうでしょう。こうして土砂化した肉体は、「ロカカカ」の養分として再利用される事にもなります。(⇒ No.30 【第1版】参照)


――このように、「ロカカカ」が出来損ないの「生命の実」である、という予想は変わりません。どちらも同じ起源を持つフルーツなのです。
「岩人間」達は、世代が新しくなるごとに失われていく「ロカカカ」の聖なるパワーを復活させたいと思っています。日本でもニューギニア島と同じように、それ以上に、「ロカカカ」を強く健全に生育させたい。そして可能ならば、「ロカカカ」を「生命の実」にまで還元させたい。それを実現する方法を発見・確立しようと、模索しながら栽培・改良を続けているのです。その研究材料としても、古い世代の「ロカカカ」(またはニューギニア島で育った「ロカカカ」)はやはり重要。「岩人間」の吉良達への憎悪は、尚の事ハンパじゃ済みません。 (2016/06/30:削除)



(追記5)
ダモカンこと田最環とのバトルにて、「X(=空条仗世文)」と「吉良吉影」の過去編が描かれました。この2人が「融合」し、定助が誕生するに至るストーリーも語られたワケですが……、そこには驚きの事実も隠されていたのです。
なんと、「壁の目」近辺の樹に「継ぎ木」して育てた「ロカカカ」の実に、他の「ロカカカ」には無い新たなパワーが宿ったのです。通常の「ロカカカ」は、食べた本人の体内でのみ「等価交換」を引き起こします。本人の「眼」と引き換えに、「脚」を取り戻す。「口」と引き換えに「肩」を治す。実際に食べた者達には、そんな現象が起きていました。……ところが、「継ぎ木」して育てた「ロカカカ」(以下、「新ロカカカ」と呼称)は、「食べた本人」と「それ以外の他人」との間で「等価交換」を起こしたのです。「新ロカカカ」を食べた吉良の肉体と、その吉良に触れた仗世文の肉体との間で「等価交換」が発生しました。これにより、吉良が負った致命的な傷は、仗世文の肉体と引き換えに完治。
この世のどこかの誰かと「等価交換」する「聖なる遺体」。一緒に埋まったモノ同士が「等価交換」される「壁の目」。……「食べた者」と「触れた者」が「等価交換」する「新ロカカカ」は、つまり、それらに次ぐパワーを有しているという事です。

では、何故「ロカカカ」が「新ロカカカ」になったのか?それはやっぱり「二本松」の近くだったから、でしょう。前述の通り、「二本松」が2本の聖樹「生命の樹」と「知恵の樹」であるなら、これこそが全ての起源。聖なるパワーの根源。その場所で「ロカカカ」を育てれば、「二本松」を中心とする土地一帯の聖なるパワーと共鳴し合い、より強いパワーを宿すのは至極当然です。
このまま「新ロカカカ」の栽培を続けていけば、やがては「生命の実」に限りなく近い果実にまで変異したりするのかもしれません。あるいは、条件次第では、オリジナルをも超えるパワーを秘め始める事もあり得る?



(追記6)
第81話にて、「ロカカカ」のメカニズムについて詳しく説明がありました。その内容は次の通り。

 ●平均的体重の日本人の場合、1回の「等価交換」に必要な果肉量は125g以上。1個の約2/3の量。
 ●「ロカカカ」を食べると、果肉と果汁は直ちに成分として体内に取り込まれ、血液とともに一気に全身を巡る。
 ●病巣に達した「ロカカカ」は自動的に反応し、「等価交換」が開始される。平均時間3分21秒で完了。
 ●「ロカカカ」125gで病巣1ヶ所にしか反応しない。病巣の深刻さや痛みの大きさに応じて優先治療される。
 ●「等価交換」には痛みは無く、麻酔も必要ない。
 ●「等価交換」される部位は、「ロカカカ」が選び、「ロカカカ」だけが知っている
 ●「等価交換」される部位には、が高確率で選ばれる。理由は謎。



小指の切り傷を治療する代わりに、脳の一部が「交換」されるというケースもあるらしいです。少なくとも、人間の視点ではとても「等価」とは思えぬ「交換」。もし「ロカカカ」自体に何かしらの意志が宿っているのだとしたら、それは人間からは掛け離れた視点と言えます。その視点の主は、果たして神か悪魔か。
私は、朽ち果てた「岩人間」「発病者」(「石化病」に罹った者)の塊が「壁の目」の正体である、と予想しています。(⇒ No.3 【第1版】参照) それをもっと拡大して考えれば、「壁の目」にも、そこに生える聖樹や果実にも、その変異種である「ロカカカ」にも、超常的な何者かの意志が宿っている……のかもしれませんね。



(追記7)
物語も進行し、「ロカカカ」にまた新たな種類が増えました。今回はそれらについて整理し、語っておこうと思います。

まずは「LOCACACA 6251」。「新ロカカカ」から得られたデータによって「不死産業」を確立し、人間社会を牛耳ろうとする「岩人間」の医療チームが開発した薬剤です。
効果は旧タイプの「ロカカカ」と同じで、飲んだ者自身の体内で「等価交換」を起こします。とは言え、これは単なる「ロカカカ」ジュースではありません。多くの患者達に「ロカカカ」を投与して得られたデータを基に、「ロカカカ」の効能を科学的に再現した薬なのでしょう。天然の「ロカカカ」の果実よりも安価な、言わば「ジェネリック・ロカカカ」。もし世界中に広まれば、人間社会は根底からひっくり返り、大きな変革が巻き起こる事は必至。これを取っ掛かりに、いよいよ「不死産業」を具体化・実現化していくワケです。

そして、常敏版「新ロカカカ」。「新ロカカカ」の枝をサボテンに継ぎ木し、常敏が自室内で育てた果実です。
少なくとも、今まで描かれてきた仗世文版「新ロカカカ」とは、ビジュアルがまったく違う。となれば、もしかすると、食べた時の効果も異なるのかもしれません。仗世文版は「食べた本人」と「それ以外の他人」との間で「等価交換」を起こしましたが、常敏版はさらにパワーアップしている可能性もあります。実際、仗世文版だけなら「壁の目」と大差ないので、誰もが追い求めるに相応しいだけのパワーになっている事を期待しちゃいますね。
仮に本当にパワーアップしていたとしたら、その理由はいくつか考えられそう。「二本松」の近くの木に継ぎ木され、その地に宿る聖なるパワーを長期間蓄え続けたから。超一流の果樹栽培師:豆銑礼さんが枝の中に入れた謎の「幼虫」の効果がスゴかったから。サボテンによる継ぎ木の効果がスゴかったから。いろんな偶然と必然によって、「新ロカカカ」は常敏版に生長を遂げたのでしょう。



(追記8)
第99話にて、「岩人間」の生態を皮切りに、「岩生物」全体の存在理由にまで突っ込んで語られていました。この地球では炭素系生命(人間)とは別に、ケイ素系生命(「岩人間」)も一緒に自然発生したようです。炭素系生命に隠れるように存在するケイ素系生命。もし炭素系生命が失敗し行き詰まってしまったとしても、生命が滅びないための「滑り止め」「保険」として、ケイ素系生命が存在しているとの事。だからこそ、「創造主」は生命に2つの道を与えたのです。
なんだか途方もない話ではありますが、私が予想で度々語っている「生命の実」と「知恵の実」も、これに大いに関わりがあると考えます。この2つの聖なる「果実」は、生命が歩む2つの道を行き来するための物なのでしょう。炭素系生命が「生命の実」を食べればケイ素系生命に、ケイ素系生命が「知恵の実」を食べれば炭素系生命に、それぞれ生まれ変わる事が出来るワケです。恐らく、両系統の生命のバランスを保つ目的で、また、どちらかの生命の道が完全に断たれた時にもう1つの道へシフト・避難させる目的で、「創造主」が救済措置として創り出した物。どちらの「果実」にも、細胞を構成する炭素とケイ素を「等価交換」する効能があるんでしょうね。
聖なる「果実」を実らせる「生命の樹」と「知恵の樹」は、イエス・キリストの力で杜王町に生まれるより遥か以前にも、別に存在していたと思われます。激動の時代に姿を現し、その度に生命のバランスをうまく保ってきました。人々の間では伝説として(やや誇張・脚色されて)語り継がれ、それが「創世記」の内容にも反映されたのです。


 ●「人間」「生命の実」を食べると、あらゆる病気やケガが回復し、「岩人間」になる。
 ●「岩人間」「生命の実」を食べると、若返って健康体になり、寿命がさらに延びる。引き換えに、石化の効果が弱まる。

 ●「人間」「知恵の実」を食べると、求める目的に至るための知恵・知識が得られる。引き換えに、石化の病気の宿命を背負う。
 ●「岩人間」「知恵の実」を食べると、感情や愛情が豊かになって、「人間」になる。

2つの「果実」の効果をざっとまとめると、こんな感じじゃないかなと思います。
「生命の樹」はケイ素系生命を、「知恵の樹」は炭素系生命を、それぞれ司って創られた樹。そのため、ケイ素系生命は「生命の実」の力を、炭素系生命は「知恵の実」の力を、生まれながらにすでに宿しているワケです。なので、もし「岩人間」が「生命の実」を食べたり、「人間」が「知恵の実」を食べたりしてしまうと……、「実」の力を過剰に取り込む事となります。「実」のさらなる恩恵を受ける代わりに、副作用として、かえって自分の系統の道から少し外れてしまうのです。




なお、旧版はこちらに置いときます。 旧版




(2015年1月9日:【第1版】更新)
(2015年1月19日:【第1版】追記1)
(2015年7月18日:【第1版】追記2)
(2015年8月23日:【第1版】追記3)
(2015年9月22日:【第1版】追記4)
(2016年1月31日:【第1版】追記1・2を廃止)
(2016年6月30日:【第1版】追記5)
(2020年5月6日:【第1版】追記6・7)
(2020年7月23日:【第1版】追記3を廃止、追記8)




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