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「ジョジョリオン」の謎と考察・予想をまとめたよ


No.23 【 夜露が持っていた「フルーツ」とは何なのか? 】





【第1版】
(追記1)廃止
謎の「フルーツ」の成る木を鉢植えで持っていた男、「大年寺山愛唱」。彼が持つ「フルーツ」を2個も食べたジイさんは、失った「右脚」を取り戻す代わり、「両眼」を失う事になりました。
まず、愛唱が鉢で持ち歩いていた「フルーツ」も、やはりまた「生命の実」……という前提で予想します。ただ、夜露が持っていた「生命の実」と、愛唱が持っていた「生命の実」は、厳密には別物です。簡単に言っちゃうと、夜露が持っていた方が野生の「天然モノ」、愛唱が持っている方が栽培された「養殖モノ」。「天然モノ」から取り出した種を埋めて、人工的に育てたのが「養殖モノ」って事ですね。
(フルーツに「養殖」っていうのは変なんですが、あくまで例えとして、です。)

「天然モノ」は前述の通り、食べた者にどんな病気やケガも治してしまう強い生命力不老長寿を授けます(さらにスタンド能力も)。その代償として、普通の人間としての人生を失い、「岩人間」と化してしまうのです。それもまた「等価交換」と言えるでしょう。岩助が食べたのは、こっちの方。現に岩助は、「岩犬(岩族)」ではあるものの、肉体そのものは五体満足で健康そのものっぽい。
一方、「養殖モノ」はパワーそのものが弱い、出来損ないに過ぎません。食べた者自身の体内で「等価交換」が行なわれます。ジイさんが「眼」と引き替えに「右脚」を得たのは、つまりそういう事です。東方家に伝わる病気「石化病」を治すのは、この「養殖モノ」ではかなり厳しいはず。もっとも、いくらパワーが弱くとも、ヨボヨボの老人を走れる程度に元気にするには充分。(逆に言えば、2個も食べてやっとその程度、って事でもある。)

ただし、出来損ないの「養殖モノ」には、「岩人間」やスタンド使いを生み出すほどのパワーはありません。「等価交換」で失う部位を石化させるのが精一杯。
さらに、石化して砕けてしまった部位は、「養殖モノ」をいくら食べたって完全には取り戻せないのです。それでもジイさんは「両眼」を取り戻すために、また別の部位を代償にするでしょう。それを延々繰り返していけば、最終的には全身が石化し、砕け散ってしまいます。
石化した部分は、「岩人間」や「発病者」同様、「壁の目」と一体化していく結果になります。だから、夜露や愛唱の仲間であろう「記憶の男」としては、それもまた好都合なのでしょう。



(追記2)廃止
第45話で、新事実が判明しました。かつて吉良・「X(=自称:仗世文)」・カレラは、「ロカカカ」を大量処分しちゃったらしいのです。現在、作中において「ロカカカ」という名で扱われている鉢植えのフルーツは、前述の通り出来損ないの「生命の実」と予想しております。……で、吉良がこっそり「ロカカカ」を1本だけ隠し持っていた、との事。まるで、吉良が持っている分が最後の「ロカカカ」とでも言わんばかり。
ところが、実際はそうじゃありません。少なくとも、愛唱が取り引きしていた分が、確かに存在していました。もし吉良達が処分したのが、「ロカカカ」のほんの一部でしかなかったのだとすれば、「岩人間」達もそこまで執拗に彼らを追跡・抹殺する必要もない気がします。愛唱が持っていた分が、吉良から回収した「ロカカカ」って可能性もありますけど、それとは違った可能性を予想してみましょう。


まず、天然オリジナルの「生命の実」は、1901年に「記憶の男」が手に入れた物。その「実」から取り出したを埋めて、人工的に栽培した物が「ロカカカの樹」となります。その「樹」は、どれも一度だけ「実」を付けます。一度にいくつの「実」が成るかは、栽培の条件等にも左右されるのでしょう。「実」を落としたら、その「樹」はもう枯れ果てていくのみ。そして、その「実」から取れた種をまた埋めると、また新たな「樹」が育って「実」が成る。……その繰り返しです。
ただし、「ロカカカ」は新しい世代ほど、その「実」に宿る聖なるパワーが弱くなっていくのです。オリジナルと違い、「ロカカカ」が「岩人間」を生み出せず、体内での「等価交換」で終わってしまうのもそのせい。恐らく、吉良達が処分したのは、オリジナルにかなり近い古い世代の「ロカカカ」だったと思われます。パワーも強く、貴重に扱っていたはず。オリジナルにも数に限りがある以上、古い世代の「ロカカカ」も重要性は高いのです。
つまり、吉良が隠し持っていた「ロカカカ」も当然、その古い世代の物。「岩人間」としては、やはり何とか取り戻したいし、処分してしまった3人は許し難い存在となるでしょう。

なお、吉良の「ロカカカ」の現在の在り処については、別のページに予想しておきます。



(追記3)廃止
第46話冒頭での「岩人間」解説の中で、「岩人間」が数千年以上昔から存在しているらしい記述がありました。それが事実だとすれば……、また、「生命の実」を食べた者が「岩人間」に進化するという予想が正しいとすれば……、どう解釈すべきなのでしょうか?
恐らく「生命の樹」と「知恵の樹」は、イエス・キリストの力で杜王町に生まれるより遥か以前にも、別に存在していたのでしょう。それこそ数千年以上もの大昔に。その時、「生命の実」を食べた人間が続々と「岩人間」と化し、いつしか「進化の木」の中にも存在を書き加えられる事となりました。ところが、理由や詳細は謎ですが、この2本の聖樹はやがて歴史の闇の何処かへと消え去ります。ただし、人々の間で伝説としては語り継がれ、それが「創世記」の内容にも反映された……りしたのかもしれません。

「生命の実」が失われた事で、「岩人間」は永らく自然交配でのみ個体数を増やしていきました。生来の先天性「岩人間」しか存在しない時代が続きます。
しかし、およそ2000年前、イエス・キリストによって2本の聖樹は杜王町に復活!新たに成った「生命の実」を食べる事で、後天性「岩人間」もまた新たに誕生していったのです。即ち今は、先天性と後天性、微妙に異なる立場の「岩人間」が混在している状況と言えるでしょう。
(定助の半身「X」や愛唱は先天性、夜露や「記憶の男」は後天性の「岩人間」と予想しています。)




なお、最新版はこちらに置いときます。 最新版




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