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● 「ジョジョ」の呪縛? ●





「SBR」は「ジョジョ」第6部ラストで誕生した新世界が舞台であり、そこにはかつての「ジョジョ」シリーズで活躍した人物の名を持つ者達も登場しています。そして、サンドマンやポコロコにはスタンドらしき能力まで発現しています。タイトルから「ジョジョ」という名を取り払い、新作と銘打ってスタートした「SBR」ですが、何だかんだで「ジョジョ」のテイストに満ち満ちていました。
これに対して、「またジョジョか」「またスタンドか」「荒木先生はジョジョに縛られてる」「いい加減スタンドから離れてくれ」といった思いを抱く方も少なくないのではないでしょうか?こういう感想は、第6部スタート時にもよく見られたものですが。


第5部終了後のインタビュー(「ダヴィンチ」誌)にて、荒木先生はこう断言しています。「もう私にはジョジョしかないんですよ。人間がテーマだから人間がいる限り続きます。すべてをこれにぶつけてるから、何を描いてもジョジョになる。覚悟を決めてジョジョと心中ですね。」
また、第6部終了間際のインタビュー(週刊少年「」)では、「マンガ家として今後、挑戦してみたいジャンルは?」との質問に、「今のマンガをどんどん進めていきたいだけ」と答えています。最近では「青マルジャンプ」で「ジョジョ9部までの構想はある」と語っていました。
他にも幾度か同様の発言をされていますが、とにかく荒木先生は「ジョジョ」を終わらせる気など毛頭ないという事だけは確かです。

結局、今の荒木先生はもう「ジョジョ」しか描けないマンガ家なのか?答えはYESであり、NOでもあります。
荒木先生はひたすら人間讃歌を描き続けたい。そして、「ジョジョ」は人間讃歌。人間讃歌を描けば、何であろうと必然的に「ジョジョ」になる。「ジョジョ」しか描けないとも言えるし、「ジョジョ」しか描かないとも言えるでしょう。「変人偏屈列伝」ではありませんけど、荒木先生も「ジョジョ」を描く事を一生を通して貫こうとしているのだと思います。
「ジョジョ」とは、荒木先生が人間を、生命を、そしてマンガを愛している証拠。「ジョジョ」が終わる時……、それは荒木先生がマンガ家を引退する時荒木先生が人間を見限った時人類が滅亡した(=読者がいなくなった)時のいずれかに違いないでしょう。私個人としては、キッチリとした形で完結しなくてもいいと思っています。ある意味、「未完の大作」となるべき作品とすら思っています。この地球の生命や人間の歴史のように、終わらない事に、完成しない事にこそ意味がある。


荒木先生に対し、過去にこだわって、新しい物を生み出せなくなっていると感じる方もいるのでしょうが、私はそうは思いません。世界観や血統は共通しているし、人間讃歌という根本のテーマも、波紋やスタンドといった設定も変わりませんが、それを通じて表現されているものは部によって明らかに異なっています。その部ごとのテーマがあり、雰囲気もストーリーやバトルの傾向もまるで違う作品になっています。「SBR」に至っては、全てをリセットしてまでして始まった作品ですから尚更です。
3部から6部までずっとスタンドバトルが続いた事もあって、「SBR」にもスタンドらしき能力が現れた事に辟易する気持ちも分かります。私にも、「ジョジョ」や超能力などから離れた完全なる新作を読んでみたい気持ちは確かにありますからね。しかし、荒木先生の言葉から察するに、今までとは違う角度で描かれていきそうですし、このまま展開を見守っていくつもりです。荒木先生ならば、きっとまた我々をあっと驚かせてくれるでしょう。
「去ってしまった者たちから受け継いだものはさらに『先』に進めなくてはならない」

このジョルノの言葉が、荒木先生の心境を如実に物語っている気がします。少なくとも荒木先生の中では、全ては連続しているのです。決してどこかでプツリと途切れたりはしないのです。そして、連続していながらも、それぞれに独自の味わいがあるのが「ジョジョ」シリーズなのだと思います。

恐らく今後もこのような批判を受けていく事でしょうが、私が言いたい事はただ1つ。荒木先生には、これからも自分が描きたいものを描き続けていってほしい。そして、私はそれを読み続けていきたいし、そんな荒木先生について行きたい。これだけです。




(2004年3月11日)




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