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ここに書いているのは、スタンドの個人的な解釈に過ぎません。
原作の設定・描写をベースに、
勝手に考察・妄想しただけのものです。
正確な公式データが欲しいという方には何の役にも立ちませんので悪しからず。




キング・クリムゾン / 本体: ディアボロ
< 「時間」を飛び超える能力 >





<特徴>
本体:ディアボロが『矢』で射抜かれた事によって発現したスタンド。
なお、1986年に『矢』をエジプトで発掘したのが、当時19歳だったディアボロ本人である。彼はその後、故郷:イタリアでギャング組織「パッショーネ」を作り、ボスとして君臨する事となる。


射程距離が2m程の近距離パワー型スタンド。
「能力」に頼らずとも「基本スペック」も優れており、『ゴールド・エクスペリエンス』や『スティッキィ・フィンガーズ』をも凌ぐ圧倒的なパワーとスピードを誇る。ただ、持続力は低いらしく、長時間発現し続ける事は出来ない。


「悪魔」をイメージさせる、不気味な人型のヴィジョンを持つ。
細身でありながらも引き締まったその全身は、網の目模様で覆われている。また、両肩には大きなプロテクターを纏っている。
そして、何より特徴的なのが「顔」である。見開かれた鋭い両眼はぬらぬらと濁った妖しい輝きを湛え、その小さな口は歯を強く食いしばっている。常に、怒りに歪んでいるかのような邪悪な表情を浮かべているのだ。さらに、額にはまったく同じ表情をした、小さな「もう1つの顔」が付いている。


ディアボロは非常に奇妙な出自を持つ男である。彼の母親は女子刑務所に服役する囚人で、実刑10年のうち2年が過ぎた頃、ディアボロを出産した。囚人も看守も全員女性で、男性は1人もいない刑務所での出産だったが、彼女が言うには「父親はすでに病死」しており、「妊娠したのは2年以上前」であったらしい。そして、ディアボロは二重人格者である。威厳に満ちた「ディアボロ」という邪悪な青年の人格と、臆病でどんくさい「ヴィネガー・ドッピオ」という気弱な少年の人格、まるで正反対の2つの人格を、1つの肉体の内に宿しているのだ。
「ディアボロ(=悪魔)」という名の示す通り……、恐らく彼の父親は、この世に現れた「悪魔」そのものか、「悪魔」の化身(「悪魔」に魅入られ、取り憑かれてしまった者)だったのだろう。人と悪魔が交わって出来た子どもだからなのか、彼の魂は母親の胎内で2つに分かれた。そのため、産まれるまでに常人の2倍以上の時間を要したし、生まれつき2つの魂を持つ事となった。「人間」としての魂と、「悪魔」の魂である。前者がドッピオに、後者はディアボロになり、年月の経過とともにディアボロはドッピオを侵食し支配していった。
スタンド『キング・クリムゾン』の額に付いている「もう1つの顔」『エピタフ (墓碑銘)』も、この「2つの人格・魂」を表している。


ディアボロがドッピオを侵食し支配できたのには理由がある。それは、生来の二重人格者の「悪魔」ディアボロだけが持つ、人間離れした「特技」ゆえなのだ。その特技とは、自分の「魂」を自在にコントロールできる、というものである。(これはスタンド能力とは無関係である。)
恐らく、年齢を重ねるにつれ、魂のコントロールの精度も増していったのだろう。ある時、この特技によってディアボロは、ドッピオに自分の魂の一部を分け与えた。そうする事で、ドッピオとの「会話」が可能となり、ドッピオが「表の人格」として現れている時でも外の様子を知る事が出来るようになった。そして、ドッピオを腹心の部下として服従させ、いつでも「表の人格」として出て行ったり「裏」に引っ込んだり出来るようにもなった。
また、スタンドが発現してからは、スタンドを持たないドッピオに『キング・クリムゾン』の両腕と『エピタフ』を貸し与えている。娘:トリッシュ・ウナと似た部分を与える事で、「魂の形」しか感じ取れなくなっていたブローノ・ブチャラティに対し、ドッピオをトリッシュに錯覚させるという器用な芸当も披露していた。


ドッピオは本来、素朴な小心者でまったく無害の人格であった。しかし、ディアボロの「魂」の一部を与えられた事で、ドッピオの人格にも邪悪さが備わり出したのである。その邪悪さはある意味「心の強さ」にもなり、スタンドを操る事を可能にしてくれた。
そしてドッピオは、ディアボロと自分が同一人物という事実を知らない。ディアボロを自分の「ボス」と信じて慕い、ディアボロがかけてきた「電話」を通じて他人同士のように「会話」する。この時、ドッピオには身近にある物(人形、カエル、タバコ、アイスクリーム、オモチャの電話など)が「電話」に見えているようだ。
「電話」で伝えられたディアボロからの命令に忠実に従い、「ボス」の正体を誰にも知られないように行動する。だが、他人にむやみに触られたり、ディアボロとの繋がりがバレそうになったりすると豹変。キレて凶暴になり、だんだんとディアボロの邪悪な人格が色濃く現れてくる。顔や体格も、人格に応じて変化していく。心が落ち着いて、再びドッピオの人格が表に現れると、キレていた時の記憶はほとんど残っていない。


ディアボロとトリッシュは、ある程度近い距離なら、互いの存在を感知し合う事が出来る。ジョースター家とDIOが感知し合ったように、J・ガイルの受けた傷が母:エンヤ婆の肉体にも「聖痕」となって現れたように、ウェス・ブルーマリンが『矢』に刺された兄:エンリコ・プッチの影響で同時にスタンドを発現させたように……、「ジョジョ世界」では肉親同士の血や魂の繋がりが極めて強い者達が稀に存在するからだ。
ただし、トリッシュと感知し合うのは、あくまで「ディアボロ」である。「ドッピオ」の人格が表に現れている時は、お互いに感知する事は無い。もっとも、ドッピオが分け与えられた「ディアボロの魂」の量は、トリッシュが感知できないギリギリのラインであるらしい。それ以上「ディアボロの魂」が加わると、たとえドッピオであってもトリッシュに感知されてしまう。ブチャラティを騙そうとトリッシュになりすました際、トリッシュがドッピオを感じ取っていたのはそのためである。




<能力>
「時間」を飛び超える能力



本体:ディアボロは「悪魔」の魂と人格を持つ者であり、それゆえに、この世の邪悪さを強く引き寄せる。他者の悪意・敵意・害意を呼び込む「引力」が、生まれつき強く宿っているのだ。必然的に、彼の周りには危険が絶えず付き纏ってくる。そうして悪人や裏社会との接触が日常化していった彼にとって、ギャング組織を自ら構築し、町や国を牛耳ろうとするのは、ごくごく自然な流れであっただろう。
また同時に、自分の正体を隠し、付き纏ってくる危険を避けるため、自分の「魂」をコントロールする「特技」を磨く必要もあった。その結果、ディアボロの人格は普段「裏」に潜み、別人格であるヴィネガー・ドッピオに表立って動いてもらうという形を取る事になる。もっとも、ドッピオはディアボロの邪悪な魂の一部を分け与えられており……、ディアボロほどではないにせよ、ドッピオもしょっちゅうトラブルに巻き込まれる宿命を背負ってしまっている。
そんな危険に晒され続けたディアボロが発現させた能力こそ、「時間」を飛び超える能力である。自分の身に起きる危険を事前に察知し、回避するための能力なのだ。


『キング・クリムゾン』が持つ「時間」を飛び超える能力の「核」たる部分こそ、「もう1つの顔」『エピタフ』である。「手」を能力の「核」とし、「手」で触れる事で能力を発動するタイプのスタンドが、「手」を失うと能力が使用不能になるのと同じく……、もし『エピタフ』を破壊されたり分離されたりすれば、『キング・クリムゾン』も能力を使えなくなってしまうだろう。
『エピタフ』はそれ単独で発現させる事も可能で、その場合、ディアボロ(もしくはドッピオ)の額に現れる。そして、「今」という時間を飛び超えた、最大10秒ほど先の「未来」を覗き見る事が出来る。『エピタフ』が映写機のような役割を果たし、物質の上に「未来」の映像(音声付き)を映し出すのだ。「未来」の情報を敵に見られないようにするため、作中においてディアボロは、自分の髪の毛に映写していた。こうしてディアボロは「未来」を「予知」するのである。


『エピタフ』が映し出す「未来」は、あくまでディアボロ自身に訪れる「未来」の映像である。そのため、自分の状況を客観的に見られる、やや離れた位置を「視点」としている。この「今」の自分との視点のズレは、姿を巧妙に隠した敵の居場所を見付け出す際にも役立つ時があるだろう。
映像として予知した「未来」とは、すでに「運命」として決定されている出来事でもある。本来ならば、その「運命」の形を変える事など出来ず、ただ受け入れる以外にない。……「未来」に起こる出来事を前もって知る事で、運命に対する心構え・覚悟を持てる。辛い出来事にも冷静さを失わず、次の行動に移る事が出来る。「予知」の利点と言えば、せいぜいその程度のものだ。
だがディアボロは、『キング・クリムゾン』の真の能力 ・ 完全なる能力を使う事により、予知した「未来」さえも回避する事が可能となる。


『キング・クリムゾン』の真の能力……、それは、単なる「映像」としてではなく、実際に「現実」として「時間」を飛び超える能力である。能力の「核」である『エピタフ』から引き出したスタンドパワーを最大限に高めて爆発させ、外側に解放・展開する事で、この世界の「時間」を最大10秒ほど消し飛ばしてしまうのだ。(以下、この能力を「時飛ばし」と呼称する。)
地獄の業火の如き「情熱」が燃え滾る、強靭な生命力。他人を踏み台にして「永遠の絶頂」へと上り詰める、血塗られた真紅の宿命。「過程」を無視し、「結果」だけを求めるドス黒い精神。覇道を歩む帝王としての「誇り」。他人、社会、世界、運命……、自分の進む道を妨げるあらゆる邪魔者への「排除」と「拒絶」と「反骨」の意志。「時間」さえも吹き飛ばす「暗黒の嵐」。『キング・クリムゾン』とは、ディアボロが持つそれらを体現したスタンドなのである。


『キング・クリムゾン』の「時飛ばし」は、「A→B→C」と連続して進む運命から「B」の時間を消し飛ばして、「A→C」という流れに省略してしまう。ただし、消し飛ばされた「B」の時間内の意識・記憶は人々に残らないが、「B」の時間内に起こるはずの出来事は物質的には実現されている。つまり、「過程」は全て飛ばされて「結果」だけが残るのである。
こうして「時間」を飛び超えた人々には当然、多少の混乱はあるだろう。もっとも、「ジョジョ世界」内では運命の「意味」は変わっても、運命の「形」を変える事は出来ない。人々がどれだけ焦ろうが騒ごうが、起こる運命は必ず起こるし、起こらない事は決して起こらない。結局のところ、時間を飛ばしても飛ばさなくても結果は同じなのだ。
しかし、本体:ディアボロが絡んでくると話は違ってくる。前述の通り、『エピタフ』で予知した「未来」の運命さえも、「時間」ごと消し飛ばし、都合の悪い出来事を回避する事が出来るからである。「時間」が消し飛ばされている間は、この世界にディアボロが存在していないかのように運命が動くのだ。即ち、ディアボロにとっての「時飛ばし」とは、運命の改竄にも等しい。落ちるはずだった落とし穴を見付け、飛び越えて回避する。そのための力である以上、『エピタフ』の「予知」と『キング・クリムゾン』の「時飛ばし」は2つで1セットの能力なのである。どちらか1つだけでは、その真価を発揮する事は無い。


「時飛ばし」中は基本的に、『キング・クリムゾン』(とディアボロ)が他者と干渉し合う事は無い。ただ、すり抜けて重なり合うだけである。「時間」そのものが消滅している世界(=「KC世界」と仮称)に属する物質は、「時間」が普通に刻まれている世界(=「通常世界」)に属する物質とは別次元の存在になっているからだ。もちろん、ディアボロ自身は「通常世界」の存在のままである。そして「KC世界」の物質同士は、同じ次元の存在であるため、互いに干渉し合える。「時飛ばし」中はディアボロが存在していないかのように運命が動くのは、これが理由なのだ。
ただし、異なる次元の物質が重なり合ってしまうと、2つの次元の危うい均衡が崩れ、数瞬後には「時飛ばし」が強制的に解除されてしまう。「ジョジョ世界」には、世界自体が自ら正常な状態に戻ろうとする、言わば「世界の修復力」(自己修復力・自浄力)とでも呼ぶべき力が働いているからだ。「時飛ばし」とは、この「世界の修復力」に『キング・クリムゾン』のスタンドパワーで辛うじて対抗・抵抗している状態に過ぎないのだろう。だからこそディアボロは、「世界の修復力」に押し負けて「時飛ばし」が解除されないよう、敵の攻撃をいちいち避ける必要がある。
もっとも、リゾット・ネエロとの戦いで『エアロスミス』の銃撃を受けた際は、もともと0.5秒しか飛ばす気が無かった事もあり、例外的にあえて避けなかったようだ。(無論、避けるだけの体力も残っていなかったという理由もある。)


サン・ジョルジョ・マジョーレ教会の地下納骨堂にて、過去のブローノ・ブチャラティが未来の自分自身を目撃するという奇妙な現象が起こった。これも「世界の修復力」が関係している。
あの時の納骨堂内は、「2つの時間が重なっている状態」にあった。本来ならピッタリと隣り合わせにくっ付くはずの、「時飛ばし」発動直前と解除直後の時間が数秒間、互いに重なり合っていたのだ。「時飛ばし」が解除される瞬間、『キング・クリムゾン』の残ったスタンドパワーを再び爆発・解放させ、「世界の修復力」にさらに抵抗。そうする事で、時間にごく僅かなズレ・狂いが生じ、結果としてあのような現象が起こるのである。ある種のタイム・パラドックスとも言えよう。
あの時のディアボロは、ブチャラティに自分の恐ろしさと無敵の能力を思い知らせてやるべく、納骨堂内だけ時間をほんのちょっぴり重ねてみせたのだろう。ただ、特に大きなメリットは無いため、わざわざやろうとする事も滅多に無いと思われる。スタンドパワーの消耗が無駄に激しく、次の時間を飛ばせるまでの間が、通常より長くなってしまうデメリットもありそうだ。


「時間」というものが存在しない「KC世界」は、非常に特殊な空間になっている。「時飛ばし」を発動すると、「通常世界」そのものが崩壊するように消し飛び、暗闇の空間と化す。この「KC世界」でディアボロが感じ取れるものは、物質の動きのみである。動いている物質だけが、暗闇から浮かび上がって見える。
仮に『キング・クリムゾン』が5秒の時間を消し飛ばしたとしよう。その間の「KC世界」は、「時飛ばし」した直後の瞬間であり、1秒後であり、2秒後であり、3秒後であり、4秒後であり、5秒後でもある。だから、その間に起こる動きの軌跡は全て「残像」の重なりとなって見え、手に取るように予測できるのだ。もっとも、「通常世界」での「今」に相当する時点にのみ「実体」があるため、それ以外の「残像」と接触しても「時飛ばし」の強制解除は起こらない。
なお、「KC世界」内における時間(のような概念)は、「通常世界」の時間よりも長いようだ。「通常世界」での5秒も「KC世界」では数倍の長さだったりする。5秒が数倍の時間に引き延ばされるため、全ての動きはスローモーションに見える。そしてディアボロは、他の物質・生物が行う5秒分のスローな動作に、その数倍の時間を掛けて悠々と対応できるのだ。攻撃を回避するなり、都合の良いポイントへ移動するなりして、「時飛ばし」が解除された瞬間に反撃に転じれば良い。


「時飛ばし」の能力射程は世界中である。ただし、『キング・クリムゾン』との距離が近ければ近いほど、飛ばされる時間も長くなる性質がある。より正確に言うなら、「KC世界」内における時間(のような概念)は『キング・クリムゾン』のスタンドパワーによって生み出され、発生源である『キング・クリムゾン』との距離が近い物質ほど多く与えられる。
仮に『キング・クリムゾン』が5秒の時間を飛ばしたとしよう。世界中の時間は結果的に、平等に5秒飛ばされる。しかし、『キング・クリムゾン』の間近にあった物質は「時飛ばし」中にキッチリ5秒分の動作が出来るが、やや離れた場所にあった物質は3秒分程度の動作、もっと離れた物質は1秒分、そして世界のほとんどの物質はほんの一瞬にも満たない分だけの動作しか行えない。
そのため、たとえ5秒飛ばされても……、世界全体から見れば、実質的には一瞬しか飛ばされていないようなものなのだ。時計の針さえも一瞬分しか動いていないため、まず誰も「時飛ばし」の事実に気付きもしないだろう。つまり、ディアボロの周囲にいる者以外には、余計な混乱や影響を与えずに済むのである。


時間を消し飛ばす際に『キング・クリムゾン』が触れていた物質だけは、「時飛ばし」中でも『キング・クリムゾン』(とディアボロ)が干渉する事が出来る。即ち、例外的に「時飛ばし」中の攻撃が可能という事だ。これは、多くのスタンドが、ターゲットである人物に能力を仕掛けた時、着ている衣服や所持品も含めて「ターゲット」と認識・判定している事に近い。(例えば、『リトル・フィート』はターゲットと一緒に衣服や所持品も小さくしている。) もっと言えば、許可した者だけを「鏡の世界」に引きずり込める『マン・イン・ザ・ミラー』の能力にも近い。
要するに……、『キング・クリムゾン』と接触し、かつディアボロが許可した物質は、「ディアボロ」の延長として見なされるのである。よって、「時飛ばし」中であっても、ディアボロと同様に「通常世界」の存在のまま(「時間」を刻んだまま)でいられるのだ。地面や空気に触れながら「時飛ばし」をすれば、それらも「通常世界」に在り続けるため、「時飛ばし」中に触れても強制解除される事はない。
「時飛ばし」中でも攻撃可能というのは相当なメリットに思えるが、逆に相手から攻撃を食らうかもしれないデメリットもある。しかも、「通常世界」のままでいる以上、相手もまた、「時飛ばし」中の意識・記憶が残っているままという事。それは、『キング・クリムゾン』の能力をハッキリと体験させ、認識させる事に他ならない。そもそも敵と接触して「時飛ばし」するためには、当然、敵の眼前にまで近付かねばならない。正体を知られる事を極端に恐れるディアボロは、ゆえに、一方的に瞬時に敵を始末できる絶対の自信がある状況でしかそれをしないのだ。


「時飛ばし」中、ディアボロの体外に流れ出た血液は、もはや「ディアボロ」の一部としては見なされなくなる。その血液もすぐさま「KC世界」の存在に切り替わり、同じく「時間」が消し飛んでいる物質に対し、干渉する事が可能となる。ディアボロは、受けた傷口から流れる血を敵に浴びせ、目潰しとして利用する事も多い。
恐らく、もしディアボロの腕が切断されたりしたら、その腕もまた「通常世界」から離れて「KC世界」の存在となるだろう。


一見、対抗する術など何もない無敵の能力だが、ジャン・ピエール・ポルナレフが探知法を編み出した。
自分の指先を傷付け、滴り落ちる血を注意深く観察する。もしディアボロが「時飛ばし」を使ったなら、その間も血は滴り落ち続けるが、本人にその自覚や記憶は無い。そのため、「時飛ばし」が解除され、再び「時間」が刻み始めた瞬間、落ちた血の雫の数がいきなり増えたように感じるだろう。それこそが「時間」が消し飛んだ合図であり、ディアボロがすぐそばまで近付いて来た警鐘となる。
ただし、この探知法をもってしても、勝負はほんの一瞬で決する。『キング・クリムゾン』の攻撃を交わせるかどうかは、ほとんど運次第である。


本来起こるはずの「運命」を強引に捻じ曲げ、不運・不幸から逃れて来たディアボロ。だが彼は、より強い不運・不幸に襲われる事になる。「ジョジョ世界」には、あらかじめ定められた運命の結果に強制的に向かわせる、言わば「運命の修正力」とでも呼ぶべき力もまた働いているからだ。「運命」に抗おうとすればするほど強まる「反動」と言っても良い。第3部での「(『トト神』に描かれた運命に)逆らおうとすると苦しむだけ」というボインゴのセリフも……、第6部の「一巡後の世界」にて、エンポリオ・アルニーニョが「屋敷幽霊」の部屋から離れようとして、かえって余計なダメージを受けて部屋に辿り着いてしまった事も……、すべてはこの力ゆえのものなのである。
もともと悪意・敵意・害意を引き寄せやすい上に、「運命の修正力」の作用も加わり、ディアボロに迫り来る危険はどんどん大きくなっていった事だろう。だが、ピンチとチャンスは表裏一体である。彼はそんな危険や危機をさらに乗り超え、逆に利用し、裏社会で一気にのし上がっていった。そして普段は、「同一人物」であり「別人格」のドッピオを隠れ蓑にし、運命の目すら欺いて危険を最小限に留めたのだった。この世界にとって、すべてを邪悪で蝕む彼は、まさに「異物」であり「毒」であっただろう。
……とは言え、最終的には『ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム』によって、「無限の死」を与えられてしまう。「死」という「結果」「終わり」に辿り着く事すら許されなくなった。「運命」から逃れ続けた分だけ、「運命」からさえも強い敵意を向けられ、より悲惨で最悪な結末になっただけなのかもしれない。




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