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ここに書いているのは、スタンドの個人的な解釈に過ぎません。
原作の設定・描写をベースに、
勝手に考察・妄想しただけのものです。
正確な公式データが欲しいという方には何の役にも立ちませんので悪しからず。




マンダム / 本体: リンゴォ・ロードアゲイン
< 「時間」を戻す能力





<特徴>
@アリゾナ砂漠「悪魔の手のひら」にて発現したスタンド。


Aでっかい腕時計に人型の頭部とコードがくっ付いたようなヴィジョンを持つ。
スタンドそれ自体は何の力も持たない。


B「スタンド」とは基本的に、本体の「生命」や「精神(魂)」のエネルギーから生まれる「スタンドパワー」によって形作られ、強い「意志」や「感情」のエネルギーによってコントロールするものである。そのため、心に迷いや負い目があると、スタンドパワーの量もコントロールの精度も落ちてしまう。
本体:リンゴォ・ロードアゲインは、過去の壮絶な体験から、「男の世界」という独特の美学を重んじていた。公正なる決闘は、神聖なる修行。自分の目的も能力も全て正直に話し、敵にあえて先手を取らせ、正々堂々と振る舞っていた。それによって後ろめたさのない精神を得、自身のスタンド能力を最大限に発揮していたのである。




<能力>
「時間」を戻す能力



@本体:リンゴォ・ロードアゲインが強烈にこだわる「男の世界」という美学は、もはや時代に取り残されてしまった古い価値観である。彼以外の者にとってその生き方は、新しい時代を否定・拒否し、「過去」に縛られ囚われ続ける、「後ろ向き」な生き方と映る事だろう。『マンダム』とは、そんな「後ろ向き」なエネルギーから生み出されたスタンドなのだ。
それゆえに『マンダム』は、この世の時間を(ほんのわずかではあるが)「過去」に戻してしまう能力を獲得した。


Aリンゴォの腕時計の秒針を戻す動作に反応し、一瞬のうちにこの世の時間を6秒だけ戻す。そして、戻る前とは異なる行動を取る事が出来る。
「6秒」という時間はキッカリ固定されていて、それ以上長くも短くも出来ない。能力の連続使用は不可能で、6秒間のインターバルが必要とされる。


B秒針を戻す動作は絶対に必要な行為ではなく、「時間を戻す」というイメージが強くなるからやっているだけである。
だが、すでに条件反射のように心身に染み付いてしまっているらしく、事実上、能力を意識的に発動させる際の必須条件となっているようだ。


C時間が戻っても、リンゴォ自身と、彼の近辺(=Dで後述する「時空の蟻地獄」の領域内)にいる者だけは戻る前の記憶が残っている。
ただし、リンゴォから数m以内の近距離にいる者に限っては、記憶の有無や程度をリンゴォがそれぞれ選択できるらしい。ジャイロ・ツェペリとの最初の撃ち合いの記憶がジョニィ・ジョースター達に残っていないのも、リンゴォに奇襲を掛けようとしたホット・パンツが前と同じ言動を繰り返してしまったのも、この影響である。とは言え、世界の大半の者は時間が戻った事を認識すらしていないので、混乱が起こるような事もない。


D『マンダム』を生み出した「後ろ向き」なエネルギーは、リンゴォが自らの信じる「男の世界」に殉じようとする精神は、極めて純粋なものである。一切の穢れ・濁りがなく、狂気の域に達するほど研ぎ澄まされている。そのため、このエネルギーは非常に強大で、ただ時間を戻すだけでは終わらない。
このエネルギーはさらに、リンゴォを中心とする時空間の歪み・捻れをも創り出し、周囲(作中では果樹園全体)に展開してしまうのだ。それは「時空の蟻地獄」とでも呼ぶべき領域で、この領域内に入り込んだ者は、外に抜け出す事が出来なくなる。抜け出そうとすると、『マンダム』が自動的に発動。時間を戻し、侵入者を領域内に延々と捕えるのである。そして、まさに蟻が嵌ってしまった蟻地獄のように、領域の中心にいるリンゴォの元へと次第次第に引き寄せていく。そうやって自分の元に訪れた侵入者と、リンゴォは半ば強制的に決闘を行い、自らの成長の糧とするのだ。


E「時空の蟻地獄」は、領域の外に抜け出すためのヒントの存在さえ許しはしない。領域内においては、方位磁石もまったく利かなくなる。侵入者がたとえ目印を残しながら進んだとしても、いつの間にかその目印が別の地点にも増えたりして、目印としての意味を失わせてしまう。どんな形であろうと、空間ごとヒントを歪め、侵入者を捕え続けるのだ。
周囲が似たような景色であった場合、侵入者は、時間が戻され、空間が捻じ曲げられている事にも気付けず、単に道に迷っただけと錯覚を起こしてしまうだろう。ところが実際は、リンゴォが囚われている「過去」の世界の中に、自分もすでに飲み込まれているのである。この「時空の蟻地獄」から抜け出す方法は……、リンゴォ本体を殺すか、リンゴォに決闘者としての価値無しと見捨てられるか、2つに1つだ。


F時間を戻してやり直す事が出来るという事は、即ち、この世界の「運命」が厳密に決定されてはいないという事である。
第1部〜第6部で描かれた「旧世界」は、ある超越的・絶対的な力で満たされており、ありとあらゆる存在がこの力を共通して保有していた。『フー・ファイターズ』(が引用した天文物理学者フレッド・ホイル)の言葉を借りるなら、その力とは「知性」である。全ての物質や生物はこの「知性」に導かれて生まれ、物質や生物に宿る「知性」は自身の「情報」を絶えず記憶し続けている。そして、この「知性」は大なり小なり互いに反応し合い、影響し合い、「物質世界」において1つの巨大な流れを形作る。何者にも抗えぬ「因果の流れ」、なるべくしてなる「必然の連続」。人はそれを「運命」と呼び、「運命」を決定付ける「知性」そのもの(が持つ意志のようなもの)を「神」と呼ぶのである。
「旧世界」において、「予知」した結果は必ず実現されたし、多少なりと「運命」に干渉できる能力を持つスタンドは稀有な存在であった。それほどまでに、「運命」の力とは強固なものだった。ところが、第6部ラストで世界は新生する事となる。エンリコ・プッチが『メイド・イン・ヘブン』を発動し、宇宙を完全に一巡させる前に死んだ事で、プッチが存在しない歴史を歩む世界に根本から生まれ変わったのだ。この時、砕け散った『メイド・イン・ヘブン』から「運命」を変える力が宇宙中に拡散・伝播したのか……、あるいは、人類が「運命」の庇護から独り立ちして「次なるステージ」に突入する事を、「知性」=「神」の意志が認め祝福してくれたのか……、生まれ変わった「新世界」は、「旧世界」よりも「運命」の力が大きく弱まったのである。
第7部以降は、この「新世界」で紡がれる物語。「旧世界」に近い歴史を辿りやすくなる「流れ」こそあれど、絶対的な「運命」への隷属からは解き放たれた世界。「運命」ではなく……、個々の「縁」によって回り、「意志」によって「因果」が導かれる世界。「神」ではなく「人」が道を選べる世界。数多の可能性に満ちた、不安定だが自由な世界。『マンダム』もまた、そんな「新世界」に生まれたスタンドであるがゆえに、「過去」を修正する力を得る事が出来たと言えよう。




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