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岸辺露伴は動かない 短編小説集(1)





2017年は「ジョジョ」連載30周年!その記念企画の一環として、気鋭の作家陣による「岸辺露伴は動かない」の短編小説が書き上げられました。そしてそれらの作品は、「ありがたい」と言うべきか「もったいない」と言うべきか、なんと月刊「ウルトラジャンプ」8月号(2017年)の付録の小冊子にまとめられたのであります。
収録された物語は全3編。北國ばらっど氏の「幸福の箱」「くしゃがら」吉上亮氏の「Blackstar.」。失礼ながら、このお二方の事は今回初めて知りました。なので、ある意味、余計な前知識や先入観も無くニュートラルな状態で作品を読む事が出来ました。個人的には、好きなスタンドが『チューブラー・ベルズ』という北國氏に、妙な仲間意識を抱いてしまいましたが(笑)。『チューブラー・ベルズ』、イイよね。
……それはさておき、この3つの短編について、それぞれ個別にあらすじと感想を書いていきたいと思います。一応、掲載されてる順番通り、最初の話から「読んで書き上げて」、それから次の話を「読んで書き上げて」……というやり方で完成させました。では、どうぞ。








幸福の箱



(あらすじ)
知り合いの古美術商:五山 一京(ござん いっけい)に招かれ、露伴は彼の自宅を訪れていた。このろくでもない男に、不釣り合いなほど美しい妻がいた事を知り、驚く露伴。だが、あまりにも雑多で美的センスが微塵も感じられない客間に通され、不快感を露わにする。そこで五山から持ち掛けられた話とは、中に幸福が詰まっている「幸福の箱」なる品を「ただ見てほしい」という奇妙な依頼だった。
話を勝手に進め、露伴を残してさっさと出て行ってしまう五山。好奇心はあるものの、他人の思い通りに動くのは癪だから帰ろうとする露伴だったが、導かれるかのように「幸福の箱」とやらを見てしまう事となる。一見すると、「箱」だった物が割れて砕けた破片に過ぎなかったが、観察し触れてみて露伴は理解した。「幸福の箱」とは、陶磁器製の立体的なパズルなのだ。特別な何かを持つ者だけが組み立てられるパズル。そして、バラバラだった欠片を夢中で組み立てていくうち、雑多な部屋や露伴の身に、不思議な変化が現れ始める……。
没頭からふと我に返り、部屋を見回すと、貴重な品々が置かれている事に気付いた。CD類だったり、本だったり、漫画だったり……、見る者が見れば、ここはまさに宝の山。さらに、ずっと座っていたはずのソファも、実は露伴好みの高級ソファであった。挙げ句の果てには、どこからか部屋にトンボが紛れ込んでおり、よくよく観察してみれば極めて珍しい日本固有種のトンボ。いつの間にかこの部屋は、居心地が良く、好奇心も刺激される幸せな空間になっていたのだった。だが、不意に不自然な眠気に襲われる露伴。懐かしい景色の中で、誰かが微笑んでくれているような、温かで寂しい夢を見る。

目を醒ますと、五山の妻:千波(ちなみ)が、完成した「箱」を愛おしそうに抱いていた。露伴が眠っている間に、ほぼ組み上がっていた「箱」を彼女が完成させたのだ。彼女は、夫は「箱」の中にいると言う。「幸福の箱」とは、大切な人の身体と魂を永遠に保管するための箱だった。保管された人は、「箱」の中で永遠に幸福な夢を見続ける。愛し合っていたはずの五山夫妻はいつしかすれ違い、いつも家を空ける夫に耐えきれなくなった妻が、夫を常に手元に置くために「箱」を使ったのである。
この「箱」は妻の家系に代々伝わる物で、誰も組み立てる事が出来ずにいた。しかし、夫から露伴の奇妙な逸話を聞いた彼女は、露伴になら組み立てられるかもしれないと淡い期待を抱いた。そして、露伴に依頼するよう夫をさりげなく仕向け、「箱」を組み立てる露伴に睡眠薬入りの紅茶を飲ませた。全ては千波の企みだったのだ。言葉こそ通じても、コミュニケーションは取れない相手。絶対に分かり合えない相手。露伴は、千波に対してそんな嫌悪感を強く抱く。
千波は、露伴へのお詫びと感謝の印として、夫が取り扱っていた商品を何でも持って行って良いと言う。その言葉に、露伴は決定的に怒りを覚えた。五山という男は、友人としては付き合いたくもないが、商人としては認められる男。商品に敬意を払い、丁重に扱い、決してまがい物を売りつけようとはしない男だった。だから「商売」という信頼があった。だからこそ、そこに土足で踏み込んだ千波が許せない。露伴は「箱」の中の五山に話し掛ける。すると、幸福な夢に囚われているはずの五山が、露伴の問い掛けに答えた。驚愕する千波。露伴は、あらかじめ彼に「露伴の質問に偽りなく答える」ように『ヘブンズ・ドアー』で書き込んでいたのだ。あの手この手で相手を出し抜こうとし合う「商人」と「客」、その対等な取り引きのために、露伴は強制的な信頼を課していたのである。五山は、優しく微笑む妻の夢を見ていた。自分ではない「自分」だけを見つめる夫に、千波は絶望の叫びを上げるのだった。


五山が妻とはまったく無関係の夢を見ていれば「ザマーミロ」とでも言えたのだが、予想と期待に反し、五山の妻への想いは筋金入りだったらしい。五山夫婦は確かに愛し合ってはいたはずなのに、悲しいほどすれ違っていた。しかし一方で、露伴は知っている。すれ違いやぶつかり合いを経て、愛を成就させた2人を。すれ違う。噛み合う。その境界はどこにあるのか。
……ともあれ、今回の件での露伴の収穫は、少なくともひとつ。  「結婚は、しばらくごめんだ」



(感想)
面白かったです。まず、露伴の言動だとか物語の発展の仕方とかに、違和感というものをほとんど抱かせなかった点に感謝したいと思います。「露伴ならこうするだろうな~」「こんなセリフを言うのも当然だよな~」と思わせられ、自分の中にすっと落ちて行く。脳内で、荒木先生の絵や作風で自然と思い描く事が出来る。そんな作品でした。北國ばらっど氏、なかなかやるじゃあないか(笑)。
五山に対して、とっくの昔に『ヘブンズ・ドアー』を使っていたってところも、イイ感じに意表を突かれました。読み返してみると、なるほど、確かに露伴の質問にはちゃんと正直に答えてる。しかも、冒頭の時点でしっかりと「ルールは無用」「ギリギリの信頼」「嘘は言えない<確信>」と明記されて、タネがさりげなく仄めかされている。してやられました。「信頼」を一方的に強制していたワガママっぷりが、しかし同時に、そうするに足るだけの「敬意」を相手に抱いてもいるというめんどくさい性格が、実に露伴ですね。

さて、この作品に出て来る謎アイテム「幸福の箱」。身も蓋もない事を言っちゃえば……、『死神13』や『ホワイトスネイク』なんかにも近い能力を宿す、1人歩きしたスタンド……だったりするのかもしれませんけど、怪談や都市伝説の不気味なムードが漂ってて良いですね~。家系に代々伝わる品物っていう部分も、荒木先生的なテイストであり、得体の知れぬ深い歴史の闇をも想像させる余地もあり。タイトルだけでは、3編の中で一番興味を惹かれ「読んでみたい」と感じましたし。
とは言え、この物語は結局、「愛」のストーリーでした。男女の愛のすれ違いの話。愛し合ったはずなのに、互いに求めるものがあまりに違いすぎた2人の話。愛しているからこそ、夫に執着し依存するようになった妻。愛しているからこそ、妻の執着や依存に応えなかった夫。この夫婦はとうとう、「箱」によって隔てられ、もはや交わる事もなくなりました。永遠にすれ違い続けるだけになったのです。「幸福」に、あるはずのない「形」を与え、それによって他人を縛り付ける。そしてそれは、自分自身を不幸にする。まさしく「呪い」ですよね。そんな2人を救うワケでもなく、愛の尊さを知るワケでもなく、そのまんま終わっちゃうドライさが「動かない」シリーズであります。読者としては安心しました(笑)。


原作との繋がりもニヤリとしました。どうやら時系列的に「六壁坂」よりは後の出来事らしく、五山に露伴の「妖怪」話をしたのも貝森 稔くんだった模様。うん、彼なら言いかねん!
また、「箱」の組み立て中に露伴が見た夢(「箱」に魅入られたのか睡眠薬によるものかは謎ですが)には、鈴美さんアーノルドらしき姿も。康一くん間田についても言及があったし、康一くんの由花子さんとの恋愛にもチラッと触れていました。「動かない」シリーズの世界で「ジョジョ」本編と同じ出来事が起こったのかどうかは、正確には不明だけど、まぁ、こういう読者サービスも楽しいもんです。








くしゃがら



(あらすじ)
同じ集英社で仕事をする漫画家:志士 十五(しし じゅうご)に、カフェ「ドゥ・マゴ」で出くわした露伴。馴れ馴れしく話し掛けてくる十五に辟易としながらも、彼の漫画に対する姿勢には共感する部分が多く、邪険にもしきれない。そんな十五は、露伴にある物を見せる。それは、十五の新人担当編集者が渡して来たという「禁止用語リスト」であった。漫画で使ってはいけない用語の数々。そのあまりにも過剰な内容に、露伴は戸惑いと憤りを隠せない。
しかし、十五が本当に見せたかった物は「リスト」そのものではなく、その中に載っていた1つの単語だった。―― 「くしゃがら」。まったく聞いた事もない言葉に面食らう露伴。十五が言うには、「リスト」を渡して来た担当編集者とも、それ以来会えていないらしい。ここで露伴はハッキリと違和感を抱く。だが、「くしゃがら」なる言葉の意味を追い求める十五の真剣さに、露伴も「調べて何か分かったら連絡してやる」と告げるのだった。

それから1ヶ月も経たず、露伴は古本屋で十五と再会する。彼は物凄い剣幕で、店の主人に「くしゃがら」について問い詰めていたのだ。彼をなだめて店を出る。知識欲旺盛な十五は、あれから「くしゃがら」の事が気になって仕方なく、仕事そっちのけで調べまくっていたようだ。にも関わらず、何ひとつとして情報は得られぬままで、彼の苛立ちは頂点に達していた。頬もこけ、人相まで変わってしまっている。
そんな言葉、もう気にしないよう説得するが、十五は激昂する。まるでうわ言のように、呪文のように、「くしゃがら」という言葉を繰り返し唱える。……すると、明確な違和感。十五の喋るセリフのところどころに、「くしゃがら」という言葉が脈絡なく入ってくるのだ。クシャミやしゃっくりのように、自覚なき病の発作のように、明らかに不自然なタイミングで割り込んでいるのだ。そして、露伴は見た。十五のノドの奥から奇妙な何かが顔を出しているのを。「くしゃがら」という言葉を発していたのは、こいつだったのだ。
すかさず『ヘブンズ・ドアー』で十五を「本」にして気絶させ、どうにか危機を回避。ところが、彼のページをめくっていった先に、なんと「袋とじ」があった。その「袋とじ」の中から「くしゃがら」という声が聞こえ、ピリピリと「袋とじ」が切られていく。ヤバイと直感し、「「くしゃがら」について忘れる」と書き込もうとするも、「くしゃがら」という文字が書いたそばから消えていく。これが「くしゃがら」という禁止用語。禁止されているのだから使えない。その不条理でシンプルなルール。しかし、追い詰められた露伴は、別の命令を書き込んだ。


……その後、十五は元の明るさを取り戻し、これまで通り仕事に打ち込むようになった。露伴が「1ヶ月間の記憶を失う」と書き込み、「くしゃがら」の事も忘れたためだ。だが、露伴には気掛かりな事があった。編集部が言うには、十五は、新人担当編集者との初顔合わせの約束をすっぽかしていたらしいのだ。ならば、あの「禁止用語リスト」を十五に手渡した「編集者」とは、何者だったのだろうか?
真相は闇の中だが、露伴は「くしゃがら」について仮説を立ててみた。言葉そのものに意味など無いのではないか。人の好奇心を刺激し、言葉を媒介にして、病原菌や寄生虫のように「伝搬」「繁殖」していく事自体が目的の存在。
改めて古本屋を訪れると、十五に絡まれた主人もまた「くしゃがら」が気になっている様子。『ヘブンズ・ドアー』を使ってみると、やはり主人にも「袋とじ」が出来ていた。十五同様に記憶を失わせて封じる事は出来たが……、果たして十五は、この1ヶ月足らずの間にどれだけの人達に「くしゃがら」という言葉を聞かせたのだろうか?疑問は尽きない。しかし、これ以上の詮索は危険だ。これ以上、好奇心を抱いてはならないのだ。



(感想)
これまた面白かったです。露伴と十五のやり取りは、両者の漫画家同士のリスペクトがあってイカしてるし、読んでてちょっと笑えてくる部分もありました。でも、規制とか自粛とかって縛りは、漫画家にせよ小説家にせよ避けては通れない問題なんでしょうね。表現者・創作者としての欲求と、社会人・商売人としての妥協。その板挟みの中で苦しみながら、何かを生み出しているのでしょう。そんな北國氏自身の葛藤そのものを題材にし、投影しちゃったかのような物語にも感じられました。それでも、しっかりと奇妙で怖い話に昇華できているのはさすが。
個人的にスゴく好きなのが、「袋とじ」のアイディア。人を「本」にする『ヘブンズ・ドアー』の能力を見事に活かした設定です。中が見えないから、気になって覗いてみたくなる。「好奇心」と「恐怖心」を同時に刺激してくれました。

それにしても、「くしゃがら」とは何者だったのか?露伴の推測を参考にするなら……、これも一種の「超常」的・「妖怪」的な存在っぽいですね。
禁じられた事ほど、隠された物ほど、知りたくなってしまう。そこに意味や価値があろうがなかろうが、暴き出したくなってしまう。そういう人間のサガを利用するために生まれたのか、あるいは、人間のサガから生み出されたのか?……「名前」を与えられる事で、明確な「形」を持てる存在になった異質な「何か」。生の「声」以外の方法で発する事を禁じられた「言葉」という、この世のルールそのもの。その「言葉」を知った者の内部に巣食い、人の「好奇心」をエサにして成長・繁殖する未知の生物。そんなところなのかもしれません。
十五が出会った「新人担当編集者」とやらも、作中では登場しないのに、ひときわ不気味な存在感を放っていました。彼は恐らく、「くしゃがら」の成長体なのでしょう。何せ、本来は「声」でしか発せないはずの「くしゃがら」という単語を「文字」として記せていたんですからね。人間社会に紛れ込み、「好奇心」の強そうな人間に「くしゃがら」を教え、繁殖しようとしていたんでしょうか?


ラストページで明かされた「作中の嘘」は、「そりゃそうだよな」と思える内容でした。本当は「くしゃがら」という単語ではない別の単語だった、と。そういうメタなオチも、「作家」や「言葉」をネタにした「小説」には相応しいと思えます。
しかし、「好奇心」の塊のような男である露伴が、自らの「好奇心」を抑えて戒めるハメになるとは……。それだけでも「くしゃがら」の恐ろしさが分かるってもんですよ。






Blackstar.



(あらすじ)
露伴は、とある財団の代理人(エージェント)を名乗る男:ガブリエルと、カフェにいた。彼は、「スパゲッティ・マン」なる人物の肖像画を描く仕事を、破格の報酬で露伴に依頼する。何故ならそれは、「スパゲッティ・マン」から生還した唯一の人物である露伴にしか出来ない仕事だからだ。
「スパゲッティ・マン」とは、ネットを中心に語られ、世界中で目撃されている「謎の男」にまつわる都市伝説。よれよれのスーツに、くしゃくしゃの帽子を被り、ぼさぼさの眉毛とぎょろっとした大きな目を持ち、半開きの口はいつも薄笑いを浮かべている男。この男は、どんな時でもどんな場所でも、必ず同じ格好をしているらしい。何枚もの写真にこの男が写り込み続け、やがてこの男と遭遇した者は行方不明になってしまうと言う。そして、失踪現場にはいつも、あり得ないほどに細く長く捩れた遺留品が遺されていた。電子機器だろうと筆記用具だろうと、スパゲッティのように細長く変形していた。そこから付けられた通称が「スパゲッティ・マン」。
……そんな得体の知れぬ男の姿が、露伴が取材用に撮った写真にも写り込んでいた。それも、数年単位にも及ぶ期間で、場所もバラバラ。にも関わらず、いつもその男はこちらを見つめて笑みを浮かべているのだ。好奇心を刺激された露伴は、「スパゲッティ・マン」の調査を開始する。だが、まるでそれを妨害するかのように、彼のケータイに「いま、どこにいますか?」と訊ねる奇妙な電話が掛かってきたのだった。

調査を進めるにつれ、「スパゲッティ・マン」の存在は着実に露伴に迫って来ていた。写真に写る姿は以前よりも大きくなり、視界の隅にまで男の姿が過ぎる。このままでは自分も「失踪者」になってしまうかもしれない。「スパゲッティ・マン」の正体を突き止めるべく活動しているネットフォーラムの仮説は随分とSFチックで荒唐無稽なノリだが、この仮説に匹敵する何らかの力を持っているからこそ、誰も逃れられなかったのだろう。
久しぶりに杜王町に帰って来た露伴に、再び奇妙な電話が掛かってきた。「いま、どこにいますか?」。背後を振り返ると、露伴の目の前に「スパゲッティ・マン」が立っていた。すると、明らかな異変が生じる。周囲の物全てが「スパゲッティ・マン」に吸い寄せられる。「スパゲッティ・マン」の心臓部に空いた真っ黒な穴に、引き寄せられる。その穴に近付いた物は、あたかもスパゲッティのように細長く捩れ、消失してしまった。露伴は理解した。「スパゲッティ・マン」の正体は、人の姿をしたブラックホールなのだ。その周辺に存在する「事象の地平線 (イベント・ホライズン)」と呼ばれる領域に接近すると、物体は潮汐力によって引き伸ばされる。そして、ブラックホールに呑み込まれ消滅するのである。
「スパゲッティ・マン」は1人だけではなかった。どこからか同じ姿をした無数の「スパゲッティ・マン」達が現れ、その重力を増していく。大木にしがみついていた露伴も、とうとう引き込まれてしまった。荒唐無稽と思っていたネットフォーラムの仮説は間違っていなかったのだ。だがその時、露伴は打開策を閃く。呑み込まれる刹那、『ヘブンズ・ドアー』で「スパゲッティ・マン」を「本」にし、「岸辺露伴を認識できなくなる」と書き込んだのだ。仮説通り、「スパゲッティ・マン」同士はワームホールを介したネットワークで同期しているらしく、全ての「スパゲッティ・マン」は姿を消した。こうして露伴は奇跡的に生還したのだった。


露伴の話を聞き終えると、ガブリエルは自分の目的と正体を明かす。彼はスピードワゴン財団 超常現象対策部門の調査員(エージェント)で、「スパゲッティ・マン」の情報を集めていたのだ。実は、「いま、どこにいますか?」と訊ねる奇妙な電話の主も彼であり、「スパゲッティ・マン」の居場所を確認し、露伴を保護するためのものだったのだ。例のネットフォーラムも、彼らが密かに手を貸しているらしい。
「スパゲッティ・マン」の正体について、彼らの推測はこうだ。宇宙物理学に「超弦理論」という理論がある。それによれば、この宇宙は10次元まで存在するという。「スパゲッティ・マン」は、この10次元にいる高次の存在が統制している。その「怪物」は、我々のいる3次元では行動が制限されるため、「スパゲッティ・マン」を使って接触して来る。「スパゲッティ・マン」とは、「裸の特異点 (ネイキッド・シンギュラリティ)」と呼ばれるワームホールの入り口。あの男の姿は重力の歪みゆえの幻影であり、「怪物」が人間をおびき寄せる「釣り餌」なのだと言う。これまた荒唐無稽すぎて理解不能になる露伴。
ガブリエルは露伴の身を案じ、「スパゲッティ・マン」を題材にした漫画を描くようなマネは止めるよう忠告する。だが露伴は、保身よりも、自分が描きたいものを描く漫画家の情熱を選ぶ。町の日常の光景を眺めると、そこには「スパゲッティ・マン」の姿があった。こちらを向かずに、虚空に向かって微笑んでいた。露伴はスケッチブックを開き、そんな彼の姿をスケッチするのであった。



(感想)
こちらも負けじと面白い。そして、露伴の言動にも違和感無し。3編中で唯一、露伴一人称の文章が読めた点も評価したいところ。最初と最後は三人称、露伴の回想だけ一人称なのが、「動かない」シリーズのムードが出てました。うむ、吉上亮氏もやるじゃねーか(笑)。
まず、「写真に写り込み続ける男」というコンセプトの時点で引き込まれました。荒木先生も言ってたけど、やっぱ「都市伝説」ってサスペンスを大いに盛り上げてくれますよね。「夢男」こと「This Man」にも通じる部分があって、なんかホントにありそうな話。噂として語られる男の薄気味悪さ、名前の滑稽さ、徐々に近付いてくる怖さ、遺留品の異様さ……、全てが絶妙です。
その正体も興味深い内容でした。人型ワームホールであり、生ける超常現象。「山の神々」や「月のウサギ」だって出て来るシリーズです。そんな連中だっていてもおかしくない。「幸福の箱」の「箱」の製作者や、「くしゃがら」の新人担当編集者なんかと同様に、「スパゲッティ・マン」を統御する高次元の存在が、作中には登場しないけれど物語の裏側でおぞましさを演出してくれていました。この高次元の存在=「怪物」の目的は謎ですが、3次元の中でも高い能力を持つ者(=「視える人間」)を、より高い次元へと引き上げようとでもしてくれているのかもしれませんね。行方不明になった者達も、ひょっとしたら今頃、別の次元で神に近い存在になってたりして?つまり、「スパゲッティ・マン」は「スカウトマン」でもある、と。

ガブリエルさんの正体や活躍も見逃せないポイントです。SPW財団の「超自然現象をあつかった部門」の、スタンド絡みじゃないお仕事が垣間見えたって事ですね。相手が未知数なだけに、かなりデンジャーな仕事だろうなぁ。それなのに、調査も保護も忘れないし、個人的な警告までしてくれるんだから、ガブリエルさんったらマジでいい人。脳内では勝手に、ローゼスさんと一緒にいた財団の人のビジュアルで想像されてました(笑)。
そして、最後に「身の安全」より「描きたいもの」を選んだ露伴がカッコ良すぎた。仕事人です!プロフェッショナルです!やっぱ「誇り」を貫いてこその荒木キャラですよね。この作品とは関係ないけど、ある意味「くしゃがら」に屈してしまったのだって、「好奇心」より「仕事」を優先しての結果。描きたいものを描き、読んでもらう。これが露伴にとって一番大切な事で、カネより倫理より命より優先すべき事。そこはいつだってブレていません。





―― 全3編、どれもがそれぞれに異なる味わいや刺激があって、めっちゃ面白かったです。これって稀に見る良企画ですよ。「動かない」シリーズって、「ジョジョ」本編以上に何でもアリですからね。どんなアイディアだって使えちゃう土壌が整ってます。だから、今後ももっともっといろんな方に書いてみてほしいし、私自身も何か書いてみたいと思わせられるくらいでした(笑)。
ウルジャン来月号は「短編小説集(2)」が付録という事なので、これもすんごい期待しています。楽しみだな~。




(2017年8月6日)




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