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岸辺露伴は動かない 短編小説集(2)





2017年は「ジョジョ」連載30周年!その記念企画の一環として、気鋭の作家陣による「岸辺露伴は動かない」の短編小説が書き上げられました。そしてそれらの作品は、月刊「ウルトラジャンプ」付録の小冊子にまとめられたのであります。第1弾(感想はこちら)に続いて、9月号(2017年)にはこの第2弾が付いて来ました。
収録された物語は全2編。維羽裕介氏の「検閲方程式」宮本深礼氏の「夕柳台」。これまた申し訳ありませんが、このお二方の事も今回初めて知りました(汗)。しかし、私が知っているかどうかと、作品の面白さはまったくの無関係。それは第1弾ですでに証明済みです。
……この2つの短編については、今回も、それぞれ個別にあらすじと感想を書いていきたいと思います。では、どうぞ。








検閲方程式



(あらすじ)
編集部から「未知との遭遇」をテーマにした短編の執筆依頼を受けた露伴は、杜王町近くの大学の図書館を訪れていた。そこでは、近森 優斗(ちかもり ゆうと)という大学院生兼臨時職員が、資料を探す手伝いをしてくれた。露伴が取材を終えると、近森は散らかった資料を片付けてくれた。その時、露伴は近森が机に置きっぱなしにしていたキャンパスノートを発見する。ノートを開いてみると、そこには何かの方程式がぎっしりと書き込まれていた。その内容はさっぱり理解できない。方程式について訊ねてみると、なんと近森は白目を剥き、無機質な声と世界各国の言語で「警告」を発して来るのだった。背後からは何故か、何者かの視線も感じる。
ふと我に返った近森に、警戒しながらも改めて方程式について質問した。彼によると、この方程式は別次元に干渉するためのものだと言う。空間構造や物理定数などに関連した係数を用いて、別次元に干渉するための鍵となる数字を探す。未だ解かれていないこの方程式を考案したのは、他ならぬ近森の彼女であった。だが、彼女は方程式を解いている最中に倒れ、3年も意識が戻らないまま。もう命も長くはもたないらしい。
露伴は、この方程式に好奇心を刺激された。近森は、彼女の無念を晴らすためにもこの方程式を解きたい。露伴はこの方程式をテーマに短編を描いて発表し、近森は方程式を解く手掛かりを広く集める。2人の利害が一致した。

近森の彼女に会いに病院を訪問する露伴。ベッドで1人横たわる彼女に、『ヘブンズ・ドアー』を発動。彼女の記憶を読み漁る。やがて、方程式について書かれているページを見付けた。背後にまたも何者かの視線を感じつつも、ページをめくっていく。
―― この方程式は、彼女が大学図書館で偶然発見した物理学者の手記をヒントに組み立てたものであった。しかし、方程式を解くための問題が3つ。1つ目は、「定数」が分からない事。2つ目は、解いた答えを次の方程式の定数に代入し、それを延々繰り返す必要があるために、コンピューターの演算が意味を成さない事。3つ目は、方程式に取り組んでいる時、誰かの視線と気配を感じる事。それでも、彼女は諦めなかった。この方程式を発見したのは彼女が最初ではなかったのだ。何百年も昔から先人達が方程式に挑んだ痕跡が、世界中の至るところに遺されていたのだ。彼らの研究成果を引き継ぎ、彼女は地道に計算を続けた。
そして2年後、ついに彼女は「定数」に辿り着いた。「定数」は3286764。解はD=37。その途端、ずっと彼女を苛んできた視線が消えた。そして、彼女の周囲の全ての文字が「数字」に変わった。全ての数字が一斉に「5」になったかと思うと、カウントダウンが開始される。この方程式の存在は、完全な形では決して他人に伝える事も認識させる事も出来ない。方程式そのものが解かれる事を拒んでいるかのように。にも関わらず、度重なる警告の視線を無視して解き明かした後での、カウントダウン。「0」になる前に、この方程式を抹消しなくては。時間ギリギリで何とか、方程式に至った物理学者のアイディアが書かれた紙切れを飲み込む。しかし次の瞬間、彼女は「誰か」の姿を見、意識を失った……。
そんな彼女の記憶を通じ、方程式の解を知ってしまった露伴にも、カウントダウンが始まる。振り返った先にいた「誰か」に、『ヘブンズ・ドアー』を食らわせる。だが、書き込んだはずの命令も「数字」の羅列にしかならず、効力は発揮できない。全てが「0」になる。意識が途切れる。


……露伴は、数分後に目を醒ました。事前に「方程式の解を知ったら10分後に忘れる」と、自分自身に書き込んでいたのだ。そのおかげで無事だった。方程式について記述されてある彼女のページを破り、病院を後にする。彼女のお見舞いに来たらしい近森にも、方程式の事を忘れるように書き込む。やがて病室から近森の大声が聞こえ、看護師達が立ち上がった。
近森の彼女は、あの方程式は技術的特異点(シンギュラリティ)を迎える事が出来れば解ける」と述懐していた。人工知能が人類の能力を上回る技術革新。自由意志を持つ人工知能なら、あの方程式を解き明かせるのかもしれない。いずれにせよ、あの方程式はまだ人類が触れてはいけないものなのだ。方程式を解いて人類が得られる新たな物理法則は、それほどまでに科学が発展した遠い未来でないと制御できないものなのだ。だからこそ、「何者か」が、あの方程式を検閲しているのだ。



(感想)
第1弾に収録された「Blackstar.」にもちょっと近い題材と雰囲気ですが、読んだ順番の違いだけで、どちらも面白い。このじわりじわりと迫る恐怖と謎、かなり好みのムードでした。正直、もう一捻りあればもっと良かったかな~、とも思いますけど。
宇宙人の存在にしても物理法則にしても、まだ知らない事を追い求めて「好奇心」を満たすというのは、やはり人間が持つ人間らしさ。それはもはや単純な損得の問題ではなく、ロマンと言ってもいいぐらい。そしてあの方程式は、我々が「好奇心」を先人から連綿と脈々と受け継いでいる証とも言えるでしょう。そんなところも「ジョジョ」チックです。しかし、それは時に、触れてはいけないものにも触れてしまいます。開けてはいけない扉を開けてしまいます。
人類が「技術的特異点(シンギュラリティ)」を迎えなければ解く事が許されない方程式。次元の境界を踏み超えるだけの資格、新たな物理法則を制御できるだけの科学技術や文明の発展、それがなければ決して許されない。我々より遥かに高次元の存在が、方程式を通じてそれを監視・検閲している。なかなかに唆る設定ですな。もっと言ってしまえば、それだけの技術を制御するには、人類全体の精神的な進化も不可欠のはず。個人の利益・快楽・保身ばかりにこだわって、最低限の責任・義務すら果たそうとしない連中が多い今の世の中では、まだまだ程遠い。だからこその人工知能、なのかもしれませんね。余計な感情を排し、「欲望」より「使命」を優先する、そんな存在じゃないと辿り着けない領域。それほどの純粋性・安定性・完全性が要求されるなんて、あの方程式の先に在るものは宇宙の真理そのものなのかも。
一説では、現実に「シンギュラリティ」を迎えるのは2045年頃だそうです。その時、世界はどうなるのか。どう激変していくのか。少し怖いけど、非常に興味深い話です。それこそ「好奇心」が刺激されますね。

さて、そういう壮大な話は置いといて……、数学にはとんと疎いアホ頭なもんで、方程式を解くくだりはイメージしにくかったです(汗)。近森の彼女も、近森も、(ヒントはあったとは言え)自力であの方程式に辿り着いたんでしょ?大学院生スゲーな!
近森の彼女の記憶の追体験。この辺は実に荒木作品っぽい描写だな、と思いました。一見するとしょうもない事なんだけど、自分の持てる力と知恵、そしてその場の環境の全てを駆使し、危機を乗り超えようとするところ。彼女にしても、「方程式を解く」だの「5秒以内に紙切れを破棄する」だのというミニマムな問題を、あの手この手で解決しようとしていたワケで。「好奇心」を受け継ぎ、懸命に努力した彼女の姿もまた、紛れもなき人間賛歌でした。
カウントダウンが始まる直前、思考が「数字」に侵蝕されるシーンは小説ならではの表現。違和感がシンプルに明確に伝わる、ゾッとするシーンです。この作品が露伴の一人称であったのも、当然であり必然ですね。その後のカウントダウンなんかは、逆に映像で見てみたい。つるぎちゃんの『ペーパー・ムーン』的なヤバさがあって好きです。
物語としては一応、ハッピーエンド。近森も彼女も方程式の事は忘れ去り、今後は幸せに暮らしていけるでしょう。あの方程式も解を飛び越えて研究が続けられるため、少なくとも「シンギュラリティ」までに解かれる事はなさそう。そういや、短編の内容は結局、「宇宙人」にしたのかな?








夕柳台



(あらすじ)
ある晴れた日、露伴は公園のベンチでスケッチブックを広げていた。そこで出会ったのが、ケンちゃんという6~7歳ほどの少年と、その母親。露伴が漫画家である事を知った母親は、ケンちゃんが体験したらしい「不思議な話」をし始める。
―― ケンちゃん達一家は、1年ほど前に杜王町に引っ越して来た。駅の西側、山手の方にある住宅地「夕柳台」に一軒家を借りて。とても静かで素敵な場所ではあったが、近所には年寄りしかおらず、ケンちゃんにとってはツマラナイ場所だったようだ。夕飯の買い物帰り、ケンちゃんと母親は家の近くにある公園に立ち寄った。そこは何1つ遊具の置かれていない、公園というよりはただの広場。とは言え、ケンちゃんにとっては貴重な遊び場。ケンちゃんは探検隊ごっこをして賑やかに遊んでいた。しかし母親は、唐突に公園が静まり返った事に気付く。すると、ケンちゃんが母親の足にしがみ付き、怖気の表情を浮かべて震え出したのだ。何もない場所を指差し、「そこで変なお猿さんがにたにたしてる」と呟いて。
その日から、ケンちゃんは「猿」に何度も遭遇する事となる。家の庭でボール遊びをしている時、好きなアニメを観ながら主題歌を歌っている時……、「猿」は現れた。しかも、現れる度に「猿」はケンちゃんに対し、より強く干渉して来た。とうとう「猿」が覆い被さって来て、その恐怖でケンちゃんは口が利けなくなってしまう。「猿」はケンちゃんにだけ見えているらしく、母親にはまったく見えていない。だが、次第に「猿」の存在を信じるようになり、一家は夕柳台を離れる事にしたのだった。
……漫画家なら「不思議な話」をたくさん聞いているだろうし、「猿」についても何かしら知っているかもしれない。息子が言葉を取り戻すキッカケが欲しくて、母親は露伴にこの話をしたのだ。しかし、露伴もそんな話は初耳。がっかりして去って行く母親。だが、露伴はケンちゃんに「猿」の絵をスケッチブックに描かせてみた。それは全身が真っ黒で、蜘蛛のように細長く折り曲がった手足を持ち、白い乱ぐい歯を剥き出しにして笑う、異様な姿。「にたにた笑う黒猿」

その日の夕方、露伴は夕柳台へとやって来ていた。件の公園を調べてみると、確かに何もない。どうやら以前に遊具を撤去したらしい痕跡を見付け、編集者に電話して調査を依頼する。そして、近隣住民にも聞き込みをしようと公園から出ると、そこには大勢の老人が集まっていた。彼らは口々に、ここ夕柳台の素晴らしさを、夕柳台以外の土地に住む者の愚かさを、延々語り続ける。
そんな時、自転車の甲高いブレーキ音を響かせる学生が通った。老人達は呪いでも掛けるように学生を見つめ、不満を呟く。すると、学生は何かに怯える声を上げた。自転車のフレームが突然ひしゃげ、学生も投げ出されて大ケガをしてしまう。その様子を笑顔で眺める老人達。こいつらが「猿」を操っていると推測し、『ヘブンズ・ドアー』を発現。しかし、なんと今度は、露伴が「猿」に襲われてしまった。信じられない力で首を締め上げられる。その姿はケンちゃんのスケッチ通りだったが、それは「猿」ではなかった。「黒く干涸らびた老人」だった。
さっきの学生を救助しに来た救急車のサイレンの音が鳴り響くや否や、「黒く干涸らびた老人」は露伴を解放し、救急車へ向かう。救急隊員達はパニックに陥り、すぐに救急車は停止。サイレンも止まった。勝ち誇るように老人達が、夕柳台の良さと自分達の正しさを説く。露伴は悟った。「黒く干涸らびた老人」は、この夕柳台の静けさを破った者の前に現れ、襲い掛かる。カラスの鳴き声、車やバイクの走行音、そして子ども達の騒ぎ声。そんなやかましく不愉快な連中を、公園の遊具を撤去してやってもなお騒ぎまくるガキ共を、夕柳台から排除したいと老人達は願い続けた。その歪んだ強い「願い」は、やがて土地に宿り、彼らにも自覚のないまま夕柳台のルールそのものになったのだ。


露伴は今度こそ『ヘブンズ・ドアー』を発動。「常に大声で喋る」と書き込まれた老人達は、自分達が生み出したルールという怪物「黒く干涸らびた老人」に襲われる。まさか自分が騒ぐ側になろうとは夢にも思わず、息も絶え絶えに、しかしやはり大きな声で、露伴に助けを求めてきた。露伴は救急車を、夕柳台の坂の下に呼んでやる。何せここには、うるさくすると「静かにしろ」と怒るジイさんバアさんが大勢住んでいるのだ。
大声で喋り続けなければならない老人達は、これから夕柳台で暮らしにくくなるはず。もし引っ越す事になったら……。閑静な住宅地。こんな静かな土地でなら、気持ち良く漫画が描けるだろう。仕事場に出来そうな家に目星を付けておこう。露伴の頭上には、老人達が自慢していた通りの満天の星々が輝いていた。



(感想)
「田舎に行ったら襲われた」系ホラーな感じで、これも面白かったです。身勝手な意見を押し付けて来るジジババ共がなんとも不愉快で不気味でした。ジジババ共だけのためのルール、常識、世界。夕柳台はまさしく異界です。でも、そんな閉鎖的な土地が、日本のどこかにまだまだありそう。そういう気分にもさせられて、身近な怖さを感じます。
いや……、それは何も土地に限った事ではありませんよね。最近はとにかく、いろんなものが過剰になってる気がします。クレームにしても、子どもの防犯にしても、騒音にしても、すんごい過敏になってる。「モンスター」などと揶揄されるクレーマーや親もいるし、批判を恐れてTVや漫画も自主規制ばかりだし、防犯が行き過ぎて挨拶や手助けすらままならない世の中になってもいます。他人のちょっとしたミスでも揚げ足取りして、SNSなんかで悪意が簡単に拡散・炎上したりもしています。人同士が繋がり合う事は素晴らしいけど、それが逆に恐怖を生み出す事もある。自分の都合や偏った価値観のために、他人を犠牲にする行為は「悪」でしょう。
そういうリアルな世相を反映し、皮肉った物語でもあったと思いました。そういう意味では、歩きスマホをテーマにした「月曜日-天気雨」にも近いかも。やっぱお互いに気を使って、思いやり歩み寄る社会じゃないとね。気に入らんものを何でも否定・排除ばかりでは、お互いに生きにくいですから。

個人的には、露伴の描写が人間味溢れてて楽しかったですね。大人げの無さ底意地の悪さが言動から滲み出ていて、とっても痛快でコミカルでした。「動かない」シリーズであるがゆえに問題の根本的解決はしないため、やっぱり夕柳台のルールは変わらずそのまま。それでも、あのジジババ共がいなくなって、いくらか住み良い土地になる事でしょう。ケンちゃんの事は心配だけど、そのうち治ってくれると思いたい。何なら「検閲方程式」みたく、ケンちゃんの記憶を消してやってほしいもんです。
それと、空の描写も巧かったです。天色、茜色、星空……。冒頭から最後まで共通して空について書かれ、時間経過も分かりやすく、オチもしっかり利いてました。散々、ジジババ共のおぞましく汚らわしい執念が描かれた末、ラスト1行だけは美しくちょっぴりロマンティック(笑)。





―― 今回も、どっちの物語も充分に愉しめました。つくづく露伴の性格と『ヘブンズ・ドアー』の能力って、短編向きですよね~。どんな奇妙な状況にも首を突っ込ませられるし、土壇場の逆転も描きやすいし。この共通の設定で多くの作家さんに「動かない」シリーズを執筆してもらえば、それぞれの作家性・個性もより浮き彫りになりそう。
そんな期待に応えてくれるかのように、ウルジャン1月号(2018年)は「短編小説集(3)」が付録との事!やったぜ!今後ももっともっと「動かない」シリーズを堪能させていただきたいものです。




(2017年12月9日)




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