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「STEEL BALL RUN」 コミックス感想
21〜24巻






●第24巻● (星条旗よ 永遠なれ)



<カバーイラスト>
最終巻は昔のアメリカのポスターを彷彿とさせる、今までに無いデザインでした。全体はほとんど白と言ってもいいくらいの薄〜〜いクリーム色。中心には、目立ちまくりの真っ赤なタイトルロゴ。そして、「鉄球」と「馬」と「回転」と「無限」をモチーフとした、この物語を象徴するエンブレム。その上には、蒸気機関車とニューヨークの街並み。そして、周囲を取り囲むように、ジャイロとジョニィ、ルーシー、スティール、ディエゴ、大統領という主要キャラの絵。ロケットペンダントに入れる写真を思わせる、楕円形の中に1人1人が描かれています。
すごくシンプルなのに、スタイリッシュで最高にカッコイイですね。ジャンプコミックスのロゴも、サブタイトルも、作者名も、全てがデザインの一部になっているかのよう。レトロな空気も出ていて、長かった旅が過去のものになったのだという感慨を抱かせてくれます。そして、最終巻で初めてカバーに刻まれた「ジョジョの奇妙な冒険 Part7」の文字。ジャイロが舞台から退場した事で、ジョニィはたった1人で立ち上がり、自分の道を歩み始めました。「ジョジョ」ではなくなった物語は、紆余曲折を経て、「ジョジョ」7部として完成したんだなあ……。これまでの日々を思い返し、しみじみできる絵ですね。マジにポスターにして飾りたいよ。嗚呼、感無量。
裏表紙には、表に入れなかったレースの脇役達が。ポコロコ、スループ・ジョン・B、ノリスケさんのトリオです。バーバ・ヤーガ達の姿がないので、レース完走者という括りなのでしょう。正式なタイトルロゴもここにひっそりと配置されております。
最後の背表紙は、ちょっぴり物憂げな『ザ・ワールド』さんの横顔。これからの読者にとっては、かなりの衝撃映像ですね。あの異次元ディエゴ&『ザ・ワールド』登場の驚愕と興奮は、リアルタイムで連載を追っていた人だけの贅沢であり、特権だったようです。

<作者コメント>
「聖なる遺体」について。荒木先生は「ハッキリとは言い切らなかった」と話していますけど、実質的には言い切ってるに等しかったですね。あれだけの描写を見せられて、イエス・キリスト以外の人物を思い浮かぶ方が困難です(笑)。まあ、「遺体」の正体なんて、別にどうでも良くて。先生は「遺体」を「清らかさ」の象徴として描きたかったのだそうです。
「清らかさ」とは一体、何なんでしょうか?「清らか」というワードで思い出されるものは、『シビル・ウォー』戦と、大統領に鉄球を放ったウェカピポでしょうか。前者は、自分の犯した罪を清めたかったアクセルとH・Pの姿が印象的でした。後者は、会った事もない女の子のために国を敵に回してしまったにも関わらず、自分を縛る何かから解放されたかのようなウェカピポの独白です。こうして見てみると、「清らかさ」とは迷いの無さであり、「救い」や「誇り」と同義でもあるのかもしれません。それゆえ、「清らかさ」は「幸福」に繋がるのです。
ただ、前述のウェカピポや最終回のジョニィを見ても分かる通り、「遺体」なんて無くても人は「清らか」になれるのです。きっとジャイロだって、「清らか」な気持ちで天に昇っていったはず。作中でジョニィも言及していましたが、「遺体」は本当に必要なものだったのでしょうか?「清らか」なもののために繰り返される醜い争いと行ない。「遺体」自身、処女を孕ませるなんてえげつない事もしてたしね。もしかすると、「遺体」は所有者の願いを叶えまくり、欲望を満たしまくる事で、逆に「私欲」の無い人間に清めてくれるものだったりして。何でも叶ってしまうなら、やがては欲望を持つ事自体が虚しくなってきそうだし、個人のちっぽけな欲を超越した存在になれそう。だとしたら、「遺体」を手にする者が誰であろうと、最終的には正しい「審美眼」を持つ人間になり、世の中もうまくまとまっていく事になるのかな。
「遺体」の所有者となった者の行く末は、この物語の中では描かれる事はありませんでした。そのため、どう考えてみても謎は謎のまま。明確な解答は出ません。しかし……、少なくとも私には、ルーシーよりもジョニィの方がよっぽど幸せになれそうに感じられました。

<内容>
異次元から参上し、「遺体」を奪って逃げたディエゴ!それを追い、全てに決着を付けんとするジョニィ!幸せになるために、覚悟を決めるルーシー!7年にも渡って描かれた大陸横断レースと「遺体」争奪戦の終着点はッ!?そして、幸福の行方はッ!?全ての「答え」がここにッ!
ネアポリス王国のテロリスト事情や、ヴァチカンの「遺体」に対する見解、「ゾンビ馬」の正体、H・Pとダリオとの接点、ポコロコの能力の詳細……などなど、描き切れずに終わってしまった設定も(毎度の事ながら)残されてはおります。しかし、それらは所詮、瑣末な事。この「SBR」で描かれるべきは、ジャイロとジョニィの生長譚であり、友情と青春の物語なのです。レースの勝敗や「遺体」の行方さえ、もはや大した問題ではありません。ラストに描かれたジョニィの安らかな微笑み、これがこの物語の「全て」と言っても過言ではないでしょう。友を失い、宿敵に敗れ去り、レースにも失格し、「遺体」も手に入らなくても、それでもジョニィはあの笑顔を見せてくれました。何もかも奪われても、これまで彼が歩んできた旅は、間違いなく彼自身に幸福を齎したのです。己の呪われた宿命を清める、祈りの旅路。「正しい道」「帰る場所」を追い求める旅路。その長い冒険の果てに描かれるに相応しい表情でした。
コミックスでの修正・追加等ももちろんありました。セリフ面や演出面で臨場感がより増したと思います。ディエゴの死亡シーンも1コマ追加されてます。そして、個人的に最も大きかったのは、ラストのルーシー。「ええ…… 施錠(ロック)されたわ…」のコマの彼女、ウルジャン掲載時は無表情っぽかったのに、コミックスだとうっすら微笑んでいるように見えません?ほんの微妙な口元の修正で、イメージがだいぶ変わりました。ルーシー、ちょっと怖い。いや、印刷によるインクの滲みか何かだったりするかもしれないんですけどね。あと、レース結果表の獲得賞金額、円とドルが混ざっちゃってるよ……(汗)。
ラフ画は、ディエゴとジョニィと『ザ・ワールド』の3点!どれもいいけど、特にディエゴは妖しさと危なさが漂っていてグッドです。血だらけ傷だらけでも眼光鋭いジョニィは、主人公らしい不屈の闘志が宿っている感じでカッコイイ。絵柄やデザインは変わったものの、『ザ・ワールド』のラフ画が見られるってのも貴重でした。

ちなみに、サブタイトルは「星条旗よ 永遠なれ」。アメリカ人の愛国心の象徴とも言える行進曲の曲名らしい。最終巻の内容とも相まって、いろんな事を想起させられます。「遺体」の行方に関して様々な説があるようですが、私の説は至ってシンプル。ジョニィが船に乗せたのはジャイロの遺体、地下シェルター内には「聖なる遺体」ディエゴの首無し死体が同時に納骨。こう考えてます。
ルーシーからすりゃ、「遺体」の所有者になれる上、邪魔なディエゴの死体も片付けられるから一石二鳥。完成した「遺体」を自由に体内に取り込めるのかも不明だし(増してや、スタンドの才能の無いルーシーが)、取り込めても再び「女神」化が始まっちゃったりする危険もあるし、そもそもシェルターに納骨したヤツが勝ちってルールでストーリーが進行していたワケなので、素直に「ルーシーが納骨した」とするのが最も自然かな〜と。自分と夫の幸福を願う彼女にとって、ジョニィにみすみす「遺体」をくれてやる必要もまったくありませんしね。
結果的には、「遺体」はアメリカに永遠に眠る事となったのでしょう。「遺体」が今後の「ジョジョ」の物語に絡んでくる事は二度とないと思ってます。これはこれで終わってほしい。


最終回のタイトルは「星条旗の世界 -OUTRO」。ジョニィの登場しない第1話がイントロ、第2話からコミックス5巻までがプレリュード、5巻の1話目がインタールード、レースの真の目的が明かされる5巻の2話目からが本編、大統領を倒してからがフィナーレ、そして最終回がアウトロ……って感じ?音楽用語は詳しくないので、使い方が正しいのか分かりませんが(汗)。荒木先生にとって「漫画を描くこと」とは、「音楽を奏でること」に等しいものなのでしょう。
先生はかつて、インタビューで「音楽家以外なら誰でも漫画家に向いてる」と話されていました。これは、音楽家はすでに音楽を奏でられるんだから、そもそも漫画を描く必要がないって意味なのかも。ホラー映画論だけじゃなく、先生の音楽論についても詳しく聞いてみたいもんですね。音楽をこよなく愛し、作劇においても音楽から影響を受けたりしているくらいです。さぞかし、独特で深い話を聞かせてくれるはず。
荒木先生の指揮のもと、多くの登場人物達が奏でた奇妙な交響曲第7番。実に壮大で素晴らしい楽曲でありました!もうスタンディング・オベーション状態です。荒木先生、ありがとうございました!続く第8番にも、大いに期待させていただきます!

(2011年6月4日)




●第23巻● (ハイ・ヴォルテージ)



<カバーイラスト>
コミックス3巻の#12のトビラ絵で描かれたジャイロと、まったく同じポーズを取ったジョニィが表紙。この絵自体は、「SBR」最終回が掲載されたウルジャンに付録として付いてきた、荒木先生のメッセージ・ペーパーと同じものです。しかし、やはりカラーで見ると印象も変わりますね。よりワイルドに、よりゴージャスに、よりダンディーになったジョニィが素敵すぎます。増して、6部クライマックスでの徐倫と『ウェザー・リポート』のように、ただ同じポーズをしているってだけなのに感動的。なんかこう、「意志を受け継いだ!」って感じでグッと来ますよね。
長き旅を象徴するかのような疾走するジャイロ&ヴァルキリーの絵も、「SBR」最終回掲載号の表紙で描かれたものと同じ。ただ、カラーリングは23巻用にチェンジしております。目新しさはない今巻のカバーイラストですが、この物語を完結させるに当たって、しっかりと残しておきたい絵だと思います。ヘタすりゃ、ウルジャンを買ってない人は、この素晴らしき絵をず〜っと見られないままになってたかもしれないワケだし。そういう意味においては、まさに相応しい絵ですよ。
背表紙は、まさかの鉄球異次元ディエゴ!1つ目の鉄球が1巻だったから、もう1つの鉄球も最終24巻だとばかり思ってたのに。まんまとフライングされました。こうなると、果たして24巻は何が来るんでしょうかね?『ザ・ワールド』か、ポコロコか、スティールかを無理に詰め込むよりは、いっそ景色だけでもいいかな。

<作者コメント>
「パフォーマンス」をする人について。う〜む……、これって東日本大震災後の政府やら東電やらの対応、タレントの方々のボランティア活動、そういった諸々の事についての想いなのかな?被災地・仙台出身である荒木先生だからこそ、そういう鬱憤や違和感は特に強くなるでしょうね。多くの国民もまた、「オメーは何がしてーんだよ」とモヤモヤイライラさせられている事でしょうし。
あるいは、本当に文字通り、パフォーマーの方々に対しての純粋な疑問だったりもするのかな。注目を浴びるために、何かをする。荒木先生にとっては不思議な行為なのかもしれません。漫画家で例えれば、「カネを儲けるために、売れそうな漫画を描く」となります。そんで、あれやこれやと、人気が取れそうなジャンルの作品を描きまくる。荒木先生なら「オメーには描きたいものがないんか?」と思うでしょう。目的と手段を混同すると、「正しい道」から外れてしまうのです。講演会やインタビューでも、「作品を多くの人に読んでもらうためには売れないとダメ。でも、売れる事自体を目的にするのもダメ。」と話してました。何か1つのものをトコトン続け、極めようとする事を良しとする、職人気質な荒木先生ならではのお言葉かも。
いずれにせよ、相反する目的は決して1つにはならない。ちゃんと目的を絞って、そこだけを目指して行動すべきなんでしょうね。まあ、カネ儲けもパフォーマンスも、時と場合によっては非常に重要なものでしょうし、綺麗事だけじゃ世の中渡っていけないのも事実。でも、荒木先生の話す美学綺麗事の方が、私も好きです。
あと、著者近影では何故か迷路が登場!これが地味にムズかった(笑)。自分も小学生の頃、友達と一緒にスンゲー細かい迷路書いて遊んだっけなあ。そんな想い出にも耽りました。

<内容>
まず、特筆すべきはこの薄さ!たったの160ページしかありません。「ジョジョ」のコミックス史上最薄です。どうやら24巻もちょい薄になりそう。それよりなら、せっかくのラストなので1冊にまとめるとか、23巻は4話収録で24巻は「六壁坂」をオマケに収録とか、そんな風にしてくれれば良かったのに。でも、1冊になったらカバーイラストや作者コメントも、その分、減ってしまう事になります。ページ数に関しても、いつか出るであろう文庫版でうまく調整してもらえばいいか。よって、あえて気にしない事にします。ブ厚いよりは薄い方が、まだ読みやすいしな。
大統領との最後の一騎打ち、そして、異次元から現れたディエゴとの死闘ッ!ページ数は少ないけれど、内容はメチャ濃いです。改めて読むと、ジャイロとの別れは本当に寂しい。やたらあっけない死が多い中、ジャイロだけは魂が描写され、ジョニィとの別れの言葉を交わす事が許されました。7年にも渡って描き続けたジャイロとジョニィへの、荒木先生からの贈り物と言えるのかもしれません。ついでに、大統領からのとってもイヤな贈り物も。ディエゴの再来と『ザ・ワールド』の登場には、本気でビビリましたね。否が応にもハイになっちゃいますよ。ちなみに、今巻のタイトルである「ハイ・ヴォルテージ」は、AC/DCのアルバム名。最近、先生はAC/DCネタを多く使ってきますね〜。
今巻でも、ウルジャン掲載時からの微妙な修正や描き下ろしラフ画が見られます。何故か、ジャイロと一緒にヴァルキリーも行方不明と思ってる人が多かったみたいで、ジョニィのセリフも「それとヴァルキリーの世話も」に変更。分かりやすくなってます。ジョニィのラフ画も、首の角度が実にナイスでカッコイイ。
そして、ちょっと収穫と言えるのが、『ラブトレイン』による影響の解説でした。「女神」となったルーシーは、空間を引き寄せ、そこに「幸福」だけを集めました。その時、引き寄せられた空間の「スキ間」は、あらゆる「害悪」を弾き飛ばすフィルター的役割も果たします。どうやら大統領と戦った周辺地帯では、そのフィルターによって「害悪」と見なされた土地・家・人・動物等が、地球上のどこかへ飛ばされてしまった模様。そのため、面積も小さくなっちゃったぽいし、その地帯の「幸福」も相対的に増えたようですね。また、この事実に誰も気付けないでいる様子。結局、作中の時間は特に修正もされていないので、やはり『ラブトレイン』の影響で時間も引き寄せられ(あるいは弾き飛ばされて)、一気に20日も経過してしまったって事で脳内補完しときます。無論、それら時空間の歪みは、基本的に誰も気付けないと。

(2011年5月20日)




●第22巻● (ブレイク・マイ・ハート ブレイク・ユア・ハート)



<カバーイラスト>
ジョニィ、ジャイロ、ルーシーの3人が勢揃いッ!強い意志を秘めた眼差しでこちらを見つめています。絵の雰囲気としては、なんとなく6部の12巻っぽい印象。色の塗り方も、いつもより絵画的な重厚さがある気がします。美しい絵です。そんな3人の背後には、さながら心霊写真のように『ボール・ブレイカー』くんとチュミーさんが佇んでおります。いや……、ある意味、スタンドのあるべき姿とも言えるか。
しかし、こうして見てみると、3人ともほとんど同じ顔してますね。5〜6部あたりから、仲間キャラの顔の区別がだんだん無くなってきてるよーな。敵キャラやモブキャラを見る限り、別に描き分けが出来なくなったってワケでもなさそうなんですが。いつだったか、なんかのインタビューで「究極の形は1つ」とか言ってたし、荒木先生にとっての「美しい顔」も唯一無二のものなのでしょう。その「美しい顔」を持つ者こそ、美しい精神を持つ正義の味方キャラである、と。「ファッション=キャラクターの心」とも明言されており、実際、ファッションで見分けが付くからいいっちゃあいいんですけどね。でも、やっぱ顔のパーツでもキャラを描き分けていただけると、個人的には嬉しいです。口のデカいキャラ、タレ目のキャラ、鼻の高いキャラ、マユゲがぶっといキャラ……、そーゆーいろんなキャラ達の喜怒哀楽の表情を描いてほしいな〜と思います。最近は写実的な絵になった反面、表情のパターンがちょいと乏しくなってる感もありますし(特に明るい表情)。偉そうな事を書いちゃいましたが、私、荒木先生の絵は全面的に大好物でございますので悪しからず!
背表紙は、今巻で大活躍のチュミーさん!いかつくて無骨なデザインだけど、私は好きです。23巻こそもう1個の鉄球かな?そう思わせといて、全然違うような予感もするなあ。

<作者コメント>
「無限」について。「無限」は、荒木先生の大好きなフレーズですよね〜。絵はいくらでも、いつまででも、無限に描いていられる。これもインタビューで語られていました。だからこそ、締切りが来たら潔く原稿を渡すと決めているらしいです。そして、もう1つのお話。恋人の命を助けるために、嫌いなヤツの命を奪えるか?奪えるとしたなら、それは「正しい行動」なのか?そんな問いです。まさに、今の「SBR」のためにあるようなクエスチョン。
自分だったら……、善悪を悩むのは後にして、とにかく恋人の命を選ぶかも。でも、その行動は大統領と同じなんだろーな〜。「正しい道」を歩むのは難しいですね。著者近影での、迷路みたいなよく分からん写真+デザインも、荒木先生の迷いや悩みが表れたものだったりして?

<内容>
「ブレイク・マイ・ハート ブレイク・ユア・ハート」。サブタイトル通り、大統領の心もジョニィの心もボロボロに磨り減り、砕け散りそうな程に追い詰められています。戦いはもはや、単純に強いヤツが勝つという次元を超え、信念・倫理・価値観・哲学の次元へと突入ッ!大統領との取引はあまりに意外な展開であり、必見です。思えば、大統領との戦いは16巻から幕を開けました。もうかれこれ7巻分も続いています。物語全体のおよそ3分の1もの尺が使われている計算に。それほどの長きに渡る激闘が、濃厚に、大迫力の絵で描写されまくってきたワケですが、その終着点は実に静かなもの。静かに、厳かに、心をえぐっていきます。果たして、「正しい心」を宿しているのは誰なのか?「正しい道」を歩んでいるのは誰なのか?
ラフ画はジャイロ。目が影で隠れており、その表情は読み取れない。それが「去り逝く者」ってイメージを想起させるので、縁起でもありません。歴代『タスク』&チュミーちゃん変遷図の紹介もありました。こうやって改めて見てみると、チュミーちゃんの成長っぷりがよ〜く分かります。わんぱくに育ちすぎです。それと今更ですが、フキダシ内のアイコン祭り。あれは、派手なバトル描写が出来ない展開であっても、絵的な面白さを追求しようとする荒木先生なりの心遣いだったんだろーなあ。ウルジャン掲載時からの絵やセリフの細かい修正等も、相変わらずけっこう見られます。
ちなみに、オビでは素晴らしきニュースが報じられていました!2011年は荒木先生執筆30周年、2012年は「ジョジョ」25周年という事で、記念プロジェクトが発動するそうなのです。「SBR」は間もなく完結するでしょうが、「奇妙な冒険」は終わらない。詳細は順次、ウルジャンで報告されるようなので、恐らく8部もウルジャンで連載されそーだな。良かった。でも、プロジェクトって言っても、何があるんでしょうね?アニメ化、ゲーム化、フィギュア化……、そういったメディアミックスも嬉しいものですけども。でも結局、何より嬉しいのは「ジョジョ」の連載がより面白く、より増ページで読める事かな!しかも、カラーで!あと、『JOJO6251』、『JOJO A-GO!GO!』に次ぐ新たな画集の発売も希望です。また荒木先生の講演会なんてあったら、もちろん絶対行きます!いやはや……、来年・再来年は、我々ジョジョファンにとってお楽しみがいっぱいですな。ありがたやありがたや。

(2010年11月5日)




●第21巻● (ボール・ブレイカー)



<カバーイラスト>
鉄球を掲げ、華麗なるポージングを決めるジャイロ。たなびくマントと共に、いくつもの花々が舞っています。そしてカラーリングは、落ち着いたセピア調。見とれるほどにビューティフルです。しかし、本編を読んでいると、このイラストはジャイロへの手向けのようにも見えてしまいますね。どこか儚さも感じられる絵です……。絵の下方だけ背景が黄色く塗られているのも、ジャイロは確かに「光輝く道」を歩めていた事を現しているのでしょうか?「正しい道」を歩み、そして去っていくジャイロを描いているのでしょうか?
――断じてNO!しつこいくらいに言ってますが、私はジャイロは生き抜いてくれると固〜〜く信じておりますよ。ツェペリ家の宿命?そんなもん、前の世界に置いて来てますとも。今までの「ジョジョ」の定石や常識をブチ破ってくれるのが、新世界を舞台としたこの「SBR」なんです。……きっと。
背表紙には、なんと回転くん(仮称)が登場!姿が空に浮かんでる的な描写なんでしょうけど、本編とは逆に橋より巨大に描かれてます。身長の低さが彼のコンプレックスなのかもしれません。次の22巻こそ、もう1個の鉄球が描かれてフィナーレかな?

<作者コメント>
ワケルくんについて。ワケルくんとは、仙台市のゴミ分別にまつわるキャラクターのようです。けっこう有名らしいけど、私もまったく知らなかった。いくら仙台出身だからと言っても、荒木先生が知らなくたって不思議じゃないですよね。さりげにうまいオチをつけてくれる先生でしたが、そんな会話、誰としたんだろ?もしや仙台の役人さん?仙台のザ・ニューキャラのデザインを荒木先生に依頼したとかッ!?(笑)

<内容>
丸々1巻分を使って、ジャイロと大統領の一騎打ちを濃密に描いています。内容はとっくに読んで知っているとは言え、改めて連続して読むとスゴイぜ。話の勢いも絵の迫力もハンパねえっス。最後の戦いって空気がビリビリ伝わってきますよ。やっぱ面白いな。ウルジャン掲載時と微妙に変わった箇所もありますが、そんなに大きな違いはありません。
新情報としましては、「女神」ルーシーの能力名が『ラブトレイン』である事が確定しました。そして、ジャイロが「騎兵の回転」を放つ際に現れた回転くん(仮称)の本名。今巻のタイトルにもなっている、『ボール・ブレイカー』という名前らしい。『D4C』と同じく、AC/DCの曲名が元ネタってトコが意味深ですな。元ネタの方はちょいと卑猥な意味みたいだけど、「SBR」の場合は「鉄球を超えた者」的な意味なんかな?
ちなみに「騎兵の回転」は、その昔、ツェペリ家のご先祖様が騎士のために研究した技術との事。どんな経緯があったんだろう?一子相伝の鉄球術を他人に伝授するなんて、よっぽどの事情があったんでしょうな。「このままだと戦に負けちゃうから、おまえんとこの技術みんなに教えて?あと、もっと強い技考えといてね」と、国王様あたりから命じられたりしたんでしょうか?しかも、封印されたとも書かれていますから、あまりの強力さにご先祖様もビックリしちゃったのかも。そんな秘話、外伝として読んでみたいなあ。
ラフ画は、穏やかな表情のジャイロ。カッコイイ。これまた表紙イラストの如く、ジャイロの死を暗示しているかのようです。……が!私はジャイr(略

(2010年7月3日)







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