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ここに書いているのは、スタンドの個人的な解釈に過ぎません。
原作の設定・描写をベースに、
勝手に考察・妄想しただけのものです。
正確な公式データが欲しいという方には何の役にも立ちませんので悪しからず。




ワンダー・オブ・U(ユー) / 本体: 透龍
< 本体を「守護」する能力 >





<特徴>
本体:透龍(とおる)は「岩人間」である。「岩人間」の95%はスタンド使いであり、恐らく生まれついての能力と思われる。
この「岩人間」とは、「ヒト(ホモサピエンス)」のような炭素系生命とはまったく別種のケイ素系生命である。外見は「ヒト」と見分けが付かないが、生態や思想はまるで異なり、両者が理解し合う事は決してない。


細身の人型ヴィジョンを持つ、遠隔操作型スタンド。
輪で覆われた顔部や全身、刃状の物が伸びた両腕が特徴的。無機質さを感じさせる、黒いロボットのようなヴィジョンである。


能力発動の際、このヴィジョンがターゲットの背後に現れる事があるが、振り向いても一瞬で消えてしまう。ほとんど目撃は出来ない。
逆に、この時、スタンド自体がターゲットを攻撃するような事もない。


後述する能力とも関連するが、ヴィジョンを「ヒト」の姿に化けさせる事が出来る。作中では、老人の姿に変身し、TG大学病院院長の「明負 悟(あけふ さとる)」という人物になり済ましている。
ただし、正体がスタンドである事を認識している者が見た時、その姿は半人半スタンドとでも言うような奇妙な姿に映ったりもする。




<能力>
本体を「守護」する能力



本体:透龍を自動的にひたすら護る能力。
この能力には、大きく分けて「防御」と「攻撃」の2つの能力効果が存在する。


「防御」の能力効果は、スタンド『ワンダー・オブ・U』を独立した一個人として人間社会に溶け込ませるというものである。透龍とは無関係の他人を演じれば、そもそも透龍自身を怪しむ者がいなくなるだろう。そのために、『ワンダー・オブ・U』は「変身」「認識操作」を行う。
まず、透龍にとって都合の良い他人が見付かったなら、その姿形や知識・記憶を自らの身に写し取ってしまう。そうして「変身」した後、本物の方を始末し、その人物に成り代わるのだ。『ワンダー・オブ・U』には自我が生まれ、透龍が直接操作せずとも、自分の意志によって行動するようになる。しかし、透龍のスタンドである事に変わりはなく、根底の意識も透龍と共通している。離れていても『ワンダー・オブ・U』の状況は把握できているし、スタンドが受けたダメージも透龍にフィード・バックする。
もっとも、単に変身するだけでは他人に成り代わる事は出来ない。一般人はスタンドを目視する事すら出来ないからだ。そこで次に必要となるのが「認識操作」である。一般人の感覚にも『ワンダー・オブ・U』を知覚・認識できるようにする事で、普通に会話を交わしたり触れ合ったりといったコミュニケーションが可能となるのだ。ただし、「変身」した『ワンダー・オブ・U』の正体がバレないよう、誰もその「顔」(たとえ写真や映像であっても)を認識・記憶する事は出来なくなっている。無論、透龍自身の意志で他人に見せよう・覚えさせようとすれば別だが。
ちなみに……、本体:透龍は「岩人間」である以上、30~90日もの睡眠期をどうしても定期的に迎えてしまう。しかし、「変身」した『ワンダー・オブ・U』は透龍から独立して存在しているため、たとえ透龍が眠っていようが気絶していようが、関係なく絶えず発現し続けている。普通の人間と変わらぬ生活を送る『ワンダー・オブ・U』を、スタンドや「岩人間」と関連付けて疑う者はまず現れない。
(『ワンダー・オブ・U』が「変身」できるのは老人の姿だけ、という可能性もある。むしろ、その姿に近い者を捜して成り代わっているのかもしれない。しかし、そうだとしても、どのみち「認識操作」で「顔」を覚えられなくする以上、どんな顔であろうと問題はないのだ。)


「変身」と「認識操作」を行ってもなお、『ワンダー・オブ・U』の正体を怪しみ、追跡して来る者が仮に現れたとしよう。しかし、その追跡者を翻弄し、追い付かれる事なく逃げ切るため、『ワンダー・オブ・U』は「特殊移動」をも駆使する。
例えば……、ガラスや壁などの障害物を透過したり溶け込んだりする事が出来る。また、それを目撃した者の認識を逆利用しているのか、何かに溶け込み映り込んだ自身の姿を「虚像」に変え、そこから向かい合う現実世界の対称地点に「実像」を瞬間移動させる事なども可能である。そのような縦横無尽で神出鬼没な移動を繰り返す事により、追跡者は『ワンダー・オブ・U』の居場所を見失ってしまうだろう。


続いて「攻撃」の能力効果を解説するためには、まず、次の前提から説明する必要がある。
第1部~第6部で描かれた「旧世界」は、ある超越的・絶対的な力で満たされており、ありとあらゆる存在がこの力を共通して保有していた。『フー・ファイターズ』(が引用した天文物理学者フレッド・ホイル)の言葉を借りるなら、その力とは「知性」である。全ての物質や生物はこの「知性」に導かれて生まれ、物質や生物に宿る「知性」は自身の「情報」を絶えず記憶し続けている。そして、この「知性」は大なり小なり互いに反応し合い、影響し合い、「物質世界」において1つの巨大な流れを形作る。何者にも抗えぬ「因果の流れ」、なるべくしてなる「必然の連続」。人はそれを「運命」と呼び、「運命」を決定付ける「知性」そのもの(が持つ意志のようなもの)を「神」と呼ぶのである。
「旧世界」において、「予知」した結果は必ず実現されたし、多少なりと「運命」に干渉できる能力を持つスタンドは稀有な存在であった。それほどまでに、「運命」の力とは強固なものだった。ところが、第6部ラストで世界は新生する事となる。エンリコ・プッチが『メイド・イン・ヘブン』を発動し、宇宙を完全に一巡させる前に死んだ事で、プッチが存在しない歴史を歩む世界に根本から生まれ変わったのだ。この時、砕け散った『メイド・イン・ヘブン』から「運命」を変える力が宇宙中に拡散・伝播したのか……、あるいは、人類が「運命」の庇護から独り立ちして「次なるステージ」に突入する事を、「知性」=「神」の意志が認め祝福してくれたのか……、生まれ変わった「新世界」は、「旧世界」よりも「運命」の力が大きく弱まったのである。
第7部以降は、この「新世界」で紡がれる物語。「旧世界」に近い歴史を辿りやすくなる「流れ」こそあれど、絶対的な「運命」への隷属からは解き放たれた世界。「運命」ではなく……、個々の「縁」によって回り、「意志」によって「因果」が導かれる世界。「神」ではなく「人」が道を選べる世界。数多の可能性に満ちた、不安定だが自由な世界。『ワンダー・オブ・U』は、そんな「新世界」に生まれたスタンドでありながら(だからこそ、なのか?)、「運命」を司る力をその身に宿している。


「攻撃」の能力効果は、邪魔な追跡者に「厄災」を激突させて排除するというものである。自らの手を汚す事なく、自動的に敵を始末できる力だ。
「厄災」とは、作中では「悪い事」「悪い力」「不幸」「禍い」とも言い換えられているが、この世で最も無慈悲最も平等なエネルギーと言えるだろう。たとえ聖人が「正しい道」を歩んでいようとも、時にそれは降り掛かって来る。どこであろうが、いつであろうが、どんな身分であろうが、誰にでも関係なく唐突に起こり得る。この「無慈悲さ」「平等さ」の前には、正しさも強さも優しさも美しさも富も名誉も、何の力も持ち得ない。「厄災」のエネルギーは、常にこの世を静かに覆い尽くし……、まるでロシアンルーレットか死神のように、ある瞬間、突然その牙を剥くのだ。
そして、『ワンダー・オブ・U』が発現中の時間では、「運命」の力と入り混じった『ワンダー・オブ・U』のエネルギーが周囲一帯を包み込んでいる。作中においては、日本のM県S市紅葉区杜王町の全域にも及ぶ空間がその射程範囲となっている。『ワンダー・オブ・U』は自身のスタンドパワーと、「厄災」という最も平等で最も手近なエネルギーとを結び付け、射程範囲内でのみ新たな「この世のルール」を1つ追加する。それが、「透龍か『ワンダー・オブ・U』を追跡すれば厄災が起こる」というルールである。そういう都合の良い「因果」の流れ・「条理」の繋がりに強引に変え、杜王町は「厄災」蠢く異界と化したのだ。
ただし、本来起こり得ない事ではあるが……、もし透龍が大きなダメージを負ってしまうような事があったならば、『ワンダー・オブ・U』のスタンドパワーは弱まり、「厄災」もまた不安定・不確実なものとなってしまう。
ちなみに、『ワンダー・オブ・U』から半径数m程の範囲内にはスタンドパワーが蜘蛛の巣のように張り巡らされており、「結界」に近い空間になっている。それを利用しての攻撃や捕縛までは不可能だが、その空間への他者の出入りをすぐさま感知する事ぐらいは出来る。ただし、出入りした者が誰なのかは分からないようだ。


「厄災」の発生条件は、透龍か『ワンダー・オブ・U』を「追跡」する事である。ここで言う「追跡」とは、実際に追い掛ける「行動」のみを示すものではない。追い掛けようとする「意志」さえも含んでいる。
そして、より正確に言えば、害意・敵意・悪意を持って「追跡」した者に対して発生する。その場合、「追跡しよう」と決心した時点で「厄災」は襲い掛かって来るし、透龍や『ワンダー・オブ・U』の正体への疑問を抱くだけで襲われる事すらある。追跡者は攻撃を加えるどころか、そもそも出逢う事も近付く事すらも出来ない。逆に、そういった害意や疑念を持たず、何か用事があったり好意を抱いたりして追い掛ける分には「厄災」は発生しない。もっとも、透龍にとって誰かに近付かれる事自体が不都合な状況下であれば、たとえ好意や心配から追い掛けて来る者に対しても、例外的に「厄災」が降り掛かる。
また、透龍が特に強い「厄災」で排除したい者がいる時には、「追跡」以外の特殊条件を追加設定する事も可能である。その条件は、何でも良いワケではなく、あくまで透龍にとって不都合な事に限られる。作中では、TG大学病院にある「ロカカカ」の研究室(ラボ)に無断侵入した者に対して、強い「厄災」が発生するよう設定していた。それにより、東方定助・豆銑礼・広瀬康穂・東方密葉の4人が同時にターゲットとしてロック・オンされたのだった。この場合、下記で後述する「厄災」の流れが悪い方向に切り変わるスイッチになるだけで、即座に「厄災」に襲われる事にはならない。「厄災」が具体的に襲い始める最初のキッカケは、『ワンダー・オブ・U』の姿を目撃する事である。定助・豆銑・康穂の3人は、TG大学病院で明負の追跡を開始してから初めて目撃したため、そこから「厄災」に見舞われ出した。一方、密葉は以前よりすでに明負と出逢っていたため、すぐさま「厄災」の影響を受けていた。同一の特殊条件によるターゲット同士は、「厄災」の流れの繋がりがとりわけ強くなる。たとえ離れた場所にいようと、相互に関係し合い干渉し合い、事態はより悪い方へ悪い方へとどんどん加速していくのである。


「厄災」は主に、何かしらの物質が予測も付かない方向から「激突」する、という形で襲って来る。例えば、担架や窓枠、ドア、椅子、傘立て、タバコの吸い殻、車、雨粒、包丁、熱湯、果ては人体……、身の回りにあるありとあらゆる物が気付かぬうちにブツかって来るのだ。その物質の強度やスピードも関係なく、「激突」すれば理不尽にも大ダメージを負ってしまう。そして、透龍か『ワンダー・オブ・U』との距離が近くなればなるほど、害意や関わりが強くなればなるほど、排除の優先度・緊急性が増して「激突」のパワーもより強くなる。
この「激突」は、透龍や『ワンダー・オブ・U』への害意を抱く限りは延々と持続する。仮に、(諦めたり気絶したりして)害意を失くして「激突」が一旦止んだとしても、再び害意を抱けば「激突」もすぐさま再開する。
また、「激突」は回避が可能である。避ける事も防ぐ事も出来るのだ。防ぐ際、自らのスタンド能力でガードしても、「激突」の凄まじい威力は変わらずそのままである。しかし、ただの物質でガードすれば、「激突」の威力自体は消え去るようだ。定助が雨粒の「激突」を防いだ時、「しゃぼん玉」によるガードはあっさり破壊・突破されたにも関わらず、車の屋根によるガードはごく普通の雨の勢いになっていたのはこのためだ。スタンド能力さえも、害意を持つターゲットの延長として扱われるという事である。もっとも、無事に防げたとしても、「激突」のパワーは跳ね返って近くの何か・誰かにブツかり、それが別の形で「厄災」となって実現してしまうだろう。いずれにしても、たとえ避けようと防ごうと、「激突」は命中するまでトコトン執拗に続くのだ。


この「厄災」は、透龍や『ワンダー・オブ・U』が明確にコントロールしているものではない。前述の通り、「この世のルール」だから起こるものであって、具体的にいつ誰にどんな「厄災」が起こって「激突」して来るのかは、透龍も『ワンダー・オブ・U』さえも知り得ないのだ。
そしてターゲットは、このルールを逆手に取って利用する事が可能である。「追跡すれば厄災が起こる」事が絶対のルールである以上……、逆に捉えると、「厄災」が起こったならば、自身の行動は透龍や『ワンダー・オブ・U』に近付き、その正体を追い詰め得る「追跡」と見なされた、という意味になる。つまり、「厄災」が「激突」して来る行動を見付け出せば、その先には必ず、透龍や『ワンダー・オブ・U』にとって不都合な「何か」が在る、という事だ。もちろん、自身を危険にさらす事にもなる諸刃の剣だが、「厄災」をセンサーとして利用できるのである。
また……、誰かにとっての「厄災」が同時に、別の誰かにとっての「幸運」になる事もあり得る。『ソフト&ウェット』の見えない「しゃぼん玉」が「厄災」となって豆銑に致命傷を与えたが、それは同時に、自分自身の隠された能力に気付くという定助にとっての「幸運」にもなった。これも、透龍や『ワンダー・オブ・U』が意図しない形で「厄災」が利用された一例であろう。


「激突」自体も恐ろしいのだが、最も厄介で恐ろしいのは、「厄災」のエネルギーの流れを変えてしまう事である。
ターゲットとしてロック・オンされた者は、目には見えない「厄災」のエネルギーに、まるで「呪い」のように纏わり付かれる。物質が物理的に「激突」して来るだけでは済まず、些細な不運が重なり、次第次第に状況に追い込まれていくのだ。例えば……、定助に絡んできた患者の男が首を折って死んでしまったのも、定助が周囲から孤立するという結果で「厄災」となっている。東方つるぎの級友:ミナちゃんが鉄門に挟まれる事故に遭ったのも、つるぎが疑われる事により、母:密葉がやはり周囲から孤立するという結果で「厄災」となっている。(さらに、東方邸に笹目桜二郎を呼び寄せるキッカケともなった。)
そしてそれは、伝染病のように感染し、拡大していく性質を持つ。距離的にであっても血縁的にであっても心情的にであっても、ターゲットとの繋がりが強い者にまで「厄災」のエネルギーは広がっていく。必然、家族や恋人、友人達は「厄災」に見舞われる危険性が高くなるだろう。すると、やがて「厄災」のエネルギーが極端に強く渦巻く「掃き溜め」のような場所が生まれる事になる。作中では、東方邸がそれに当たる。こうなってしまうと、もはや「厄災」が新たな「厄災」を連鎖させ、物事は悪い方向にしか進まず、その場にいる者達はターゲットであろうがなかろうが全員「死」という終局を迎えるのみである。
なお、『ワンダー・オブ・U』が直接触れた物質には、「厄災」のエネルギーがとりわけ濃密に纏わり付く。それをここでは「呪物」と仮称するとしよう。誰かが「呪物」に触れてしまった際にも、その者に「厄災」が降り掛かる事となる。その時に起こる「厄災」では、触れてしまった「呪物」が関係する可能性が極めて高い。たとえ「呪物」には直接触れなかったとしても、「追跡」して「厄災」の発生条件を満たしてしまうと、やはり周囲の「呪物」が優先的に関わった「厄災」が起こる。
―― そして、本体:透龍への害意や疑念を抱いた状態で透龍の顔や姿を直接目視すれば、この「厄災」の流れは一気に最終段階に到達。目視してしまった者は極大の「厄災」に襲われ、直ちに死ぬ。透龍の命と正体は護られ続ける事となるのだ。結果として、他者にとっての「厄災」は透龍にとっての「福音」となる。


「厄災」のエネルギーと結び付き、周囲一帯を包み込んだ『ワンダー・オブ・U』のスタンドパワーは、時に凝り固まり、「厄災」「不吉」の象徴としての「イメージ像」をターゲットに見せる。
その「イメージ像」は、『ワンダー・オブ・U』が「変身」している人物の形を取り、いつも後ろ姿で現れる。そしてその後ろ姿は、見た者に本能的な不安や恐怖を抱かせ、不幸に追い詰められる気持ちにさせる。これはスタンドそのものではないため、同時多発する事もある。「イメージ像」はただ「見える」「移動する」というだけで、実際に攻撃を与えるようなパワーは無いし、逆に攻撃を受ける事も無い。だが、『ワンダー・オブ・U』のスタンドパワーの塊ではあるため、「イメージ像」が見聞きした情報は本体:透龍にも伝わるようだ。
たとえ「イメージ像」であろうとも、その顔や正体を知ろうとすれば直ちに「厄災」は起こる。これは一種の警告にもなっているのか、最初のうちは遠くに姿を現し、起こる「厄災」も命に関わるほどではない。だが、その時点でおとなしく追跡を諦めないと、「イメージ像」もだんだんと近くに出現するようになり、「厄災」もより強いものになっていく。ターゲットが複数人いた場合、それぞれの「厄災」のエネルギーは互いに絡み合い影響し合いながら、より高まっていく。そのうちの1人が追跡をし続けたりすると、他のターゲットに降り掛かる「厄災」もまた強くなり、現れる「イメージ像」も同様にどんどん近くなっていくのだ。……そうして、「厄災」のエネルギーが最大級に高まった時には、例外的に「イメージ像」さえ真正面を向いてターゲットに語り掛けてくる事もある。その姿も、半分スタンドの形に見えたりする。
ちなみに……、「厄災」を直に喰らっているつるぎや東方常敏には見えていないのに、留置場で豆銑と同室となった男(小学生死傷事件の犯人)には見えるようになっていた。これは、「厄災」のターゲットとなった豆銑と深く関わったからではなく、男の私物のスマホで「イメージ像」を撮影したからなのだ。この行為により、男と『ワンダー・オブ・U』の繋がりが強くなり、とばっちりで新たなターゲット(=追跡者)と見なされてしまったのである。


まさに無敵と言える「厄災」だが、実は弱点も存在する。人の意志を感知してスイッチとするがゆえに、その弱点もまた人の意志なのだ。
透龍や『ワンダー・オブ・U』への害意さえ抱いていなければ発生しないという事は……、「透龍を殺す」「『ワンダー・オブ・U』の正体を掴む」などという目的意識を持たない者に「厄災」は起こらないという事である。即ち、たとえ結果として追跡に繋がったとしても、別の強烈な目的意識に従って行動していた場合は発生しないのである。事実、定助が「母を救う」という一心で行動するようになってからは、「厄災」は起こらなくなった。
しかしながら、相手の事をまったく考えずに相手の元へと自ら近付き続けるという行為は、現実的には非常に困難であろう。ここでさらに、透龍や『ワンダー・オブ・U』の意志も重要となってくる。彼ら自身が「行きたい」と思っている場所であらかじめ待っていれば、彼らがターゲットに「会いたい」と思っていれば、「厄災」に襲われる事なく安全に接近する事が出来る。つまり、透龍か『ワンダー・オブ・U』に自分を追わせ、自分は何もせずにそこにいれば良いのだ。
自ら会いに行く事を目的とせず、自分を追わせる事が出来た場合にのみ、「待ち伏せ」によって初めて出逢う事が叶うのである。しかも、「待ち伏せしていれば会える」という期待や目的意識が、心の中でメインになっていない事までもが必須となる。一見、矛盾とも思えるそんな状況を作り出し、さらにそれを維持し続けない限り、この能力を攻略する事は不可能だろう。事実、定助も他の誰もが、最後まで「厄災」を完全に回避し切る事は叶っていない。


この「厄災」の能力は、「運命」を大きく変化させている可能性もある。まず、上記でも述べたように、「新世界」において「運命」の力は弱くなっているが、『ワンダー・オブ・U』には「運命」を司る力が宿っている。その力でもって、「厄災」を引き起こしているワケだ。ここで重要なのが、「因果」の流れ・「条理」の繋がりである。「因果」とは、「原因」と「結果」の事。「条理」とは、物事の筋道・道理の事。こういう「原因」があるからこういう「結果」が生まれる、という当たり前の流れであり……、この世の「理 (ことわり)」とも言える、出来事と出来事の繋がりである。「運命」の筋書きというものは、本来、そういう必然が重なった内容になっている。ところが、『ワンダー・オブ・U』の「厄災」は時に、必然性・連続性を無視した形でも起こり得るのだ。
当たり前の流れが崩れ、「原因」が存在しないにも関わらず、「厄災」という「結果」を脈絡なくいきなり生み出してしまうのである。その場合、起こった「結果」から逆算し、それが起こるに相応しい必然性・連続性のある「原因」に書き換えられる事になる。即ち、「過去」の出来事が変化してしまうのだ。「因果」の流れ・「条理」の繋がりとは、それほどに重要で強固なものなのである。
例えば……、小学生死傷事件の犯人の男に出されていた食事の魚フライが、ウジやネズミに汚染されるという「厄災」があった。これも、元々は安全で美味しいフライだったはずなのに、「厄災」のせいで不潔極まりない殺人フライにされている。適切な工程で調理され配給されたという「過去」は消え去り、ろくでもない「過程」「原因」があったという事に無理矢理書き換えられてしまった。また、彼のスマホに保存されていた自身の犯行の写メも、元々は存在すらしていなかった。しかし、現実逃避を続ける彼にとって、自身の犯行の記録を見せ付けられる事は耐え難い苦痛であり「厄災」であった。そのせいで、存在しないはずの写メがどんどん現れ、気付かぬうちに何かの拍子で撮影されていたという「原因」が後付けで作り出されたのである。
さらに言えば、「ジョジョリオン」の物語には「過去」と「現在」の描写のツジツマが合わないように見える事が度々起こっている。もしかするとこれも、書き換えられる前の本来の「運命」の中での出来事と、「厄災」によって「過去」との脈絡を無視して書き換えられた後の出来事であり、読者がそれだけを見せられたがゆえの矛盾や齟齬だったのかもしれない。「新ロカカカ」収穫13分前の時点で、つるぎが東方邸書斎で祖父の体を引きずっていた描写も、恐らくは「厄災」の連鎖に見舞われなかった場合の本来の流れの中で起こるはずだった未来の出来事なのであろう。


「運命」をも書き換えるほどのとんでもなく強大な能力を一個人が獲得できた理由は、まず1つに、「厄災」に襲われる本人の「因果」「条理」を利用しているからなのだろう。本人が今までやってきた事・関わってきたものが「厄災」となり、その逆も然り。「厄災」として起こった出来事の原因は、本人の人生・過去そのものに深く繋がっていた事になる。『ワンダー・オブ・U』はあくまで、それら「因果」が巡る「流れ」をほんのちょっぴり変えるだけ。そのキッカケを与えるだけの能力。だが、「流れ」は『ワンダー・オブ・U』の手からも離れてうねり、他の支流とも新たに繋がり、徐々に大きな急流・奔流となっていくのだ。
もう1つには、透龍が奇跡的に選ばれ、「創造主」から寵愛を受けて産まれた者だからこそなのかもしれない。もし、個人個人の「縁」や「意志」によって「因果」を紡ぐ存在が「ヒト」であり炭素系生命なのだとしたら、その「滑り止め」「保険」であるケイ素系生命「岩人間」は、対照的に「運命」や「神」によって定められた「因果」「条理」を重んじる存在なのだろう。つまり、『ワンダー・オブ・U』は「神」の御心と通じるための能力、「神」の代行者となる資格を得るための能力、と言える。そうならば、途方もない能力であっても不思議ではないし、むしろ自然である。
そして何より最大の理由は、実は能力のみならずヴィジョンまでも含め、元々この世に存在し続けている「厄災」のエネルギー ・ 「厄災」の理(ことわり)そのものと一体となって発現するスタンドだからである。「厄災」自体は借り物の力に過ぎないから、その「厄災」を透龍のために利用するだけのスタンドだから、そこまで膨大なスタンドパワーを必要としないのだ。逆に言えば、たとえ透龍が死んだとしても、「厄災」のエネルギーや理は滅びはしない。永遠にこの世に在り続ける。透龍の死後わずかの間であれば、スタンドパワーの残滓によって『ワンダー・オブ・U』のヴィジョンを保ったまま行動する事さえある。
何にせよ、「厄災」がこの世の理である以上、たとえ誰であろうと、この世に存在する限り『ワンダー・オブ・U』を倒す事は決して出来ない。もし、「この世に存在しない存在」というモノが在るならば、それだけが唯一、全てを越えて行き、『ワンダー・オブ・U』を貫けるのだろう。




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