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岸辺露伴 ルーヴルへ行く (映画)





大好評を博し、今や年末の風物詩ともなったTVドラマ「岸辺露伴は動かない」。昨年2022年の末に放送された第八話のラストにて、「パリ」「ルーヴル美術館」といったワードでほのめかしていた通り……、2023年開始早々、満を持して「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」の実写映画化が正式発表されたのでしたッ!
もちろん、主役の岸辺露伴を演じるのは高橋一生さん!女性編集者の泉京香ちゃんは、飯豊まりえさん!監督は渡辺一貴さん、脚本は小林靖子さん、音楽は菊地成孔さん、人物や衣装のデザインは柘植伊佐夫さん。最強の布陣!他のスタッフさんもいつものドラマの面々という事で、こいつはもう安心っつーか盤石ってヤツです。この「ルーヴルへ行く」は、荒木先生にとっても記念すべき初のフルカラー作品ですし、ルーヴルにとっても「9番目の芸術」として日本とフランスを繋ぐ作品になった事でしょう。そして何より、この私自身が2009年、はるばるルーヴル美術館まで原画を直接観に行ったという個人的思い入れMAXな作品でもあるんですが、そんな大切な作品を任せても大丈夫って絶対的信頼感があります。
こうして多くの人々の期待を背負った今作は、2023年5月26日より、全国各地の劇場で堂々公開されたのでありました!上映時間は118分!



……ハイ。そんなワケで、仕事が忙しいにも関わらず、有給取って公開初日の初回を観に行って来ましたよ!さらに、昼食・休憩を挟んで2回目の鑑賞もして参りました!
グッズ欲は薄い人間なので、買った物と言えばパンフレットとビジュアル・ブックぐらいでしたね。とりあえず、この感想を書き終えるまでは読まないけど。


まず、初めて観た時の率直な感想を言いますと、「なかなか面白かった」です。ドラマ同様、原作のような大仰なケレン味こそ無いものの、原作の核たる部分を「人の芝居」と「アナログな創意工夫」によって抽出・表現・再構築し、情緒豊かに見せてくれていましたね。
この作品の核・本質とは何かと言うと……、「自分」と向き合う事、なんじゃないかなと思うんですよ。それこそ、美術館に飾られた絵画を鑑賞するように、自分自身と向き合って、見つめる。そんな物語です。フランスという遥か遠い地で、最も近いはずの自分自身と向き合う。他人が描いた絵を通じて、自分の血のルーツ・歴史を知る。華々しいパリの街や美術館の展示スペースから離れ、誰もいない暗い地下の奥深くに進むという展開も、それを暗示しているかのようでした。そして、作品全体に満ち満ちた、「美」を創り出す人間と、その「美」を取り扱う美術館という場所に対する惜しみない「敬意」
これらが丁寧に、誠実に、映像化されていたと思います。そこが素晴らしいし、荒木ファンの1人として嬉しい。相変わらず、一生さんの露伴としての所作・反応の1つ1つにリアリティがあって、それが特に嬉しい。きっと一生さんも、「自分」や「露伴」と向き合い続けてくれたんだろうな、と。
ただ……、初見の率直な気持ちで言えば、まだちょっとピンと来ない印象があったのも事実でした。ストーリーが改変された部分もありましたので、その辺を含めた全体像の理解・解釈が追い付かなかった。若干、間延びというか冗長に感じるところもあったしね。しかし、あれこれ考えた末に2回目を鑑賞する事で、ようやく自分の中に落とし込めた気がしました。今は素直に「面白かった!切なかった……。美しかった!」と言い切れます。


ざっくりした感想はこんなところですが、以下、箇条書きで細かい感想も書いていきましょう!




荒木先生初のフルカラー作品を原作にしているにも関わらず、この映画はカラフルさとはまったく逆。作品最大のテーマとなるカラー「黒」を、画面の基調としています。メインキャラの衣装などが特に顕著。気品があって、大人っぽいシックな空気を感じました。日本らしいしっとりとした風情やおどろおどろしい雰囲気が流れるこの作品に合った画面作りです。
けど反面、地下倉庫あたりは画そのものがメッチャ暗くて見づらかったかな~。露伴を襲いに来た仁左右衛門の顔とか、どうなってんだか全然分かんなかったし。



ストーリーに一切の無駄がなく、オリジナル展開も含め、全てが1つに繋がっていく構成なのが見事でした。
プロローグ。ある日、夢を見て、過去の記憶を思い出す露伴。「この世で最も黒い絵」……。続いて、毎度おなじみ、冒頭の露伴紹介パート。いつもの俳優さん2人組が、今回は盗んだ美術品を扱う「故買屋 (こばいや)」になってます。お約束通り、彼らは『ヘブンズ・ドアー』で「本」にされちゃいました。そこでたまたま、モリス・ルグランなる画家が描いた「黒い絵」が売りに出されるという、オークションのパンフみたいな本を発見。オークションに参加し、その絵を落札するも、露伴が求めていた物ではありませんでした。ところが、オークションでしつこく競り合ってきた男達が、露伴邸に侵入して絵を盗み出す!男は「モリスの黒い絵」の裏側の紙を破き、何かを探します。しかし、それは見付からない。代わりに、黒い塗料が滲み出てきて、男は謎の死を遂げるのでした。いたるシーンに度々映し出される蜘蛛が象徴的。
取り返した「モリスの黒い絵」の裏側には、モリスが書いたと思しきフランス語のメモ。「これは、ルーヴルで見た黒。後悔。」……。「この世で最も黒い絵」もルーヴルに在ると聞いていたワケで、次の取材先が決まりました。こうして露伴と京香ちゃんはパリへ飛ぶ!―― っていう流れですね。「運命」に導かれるような展開。もちろん、ルーヴルに向かうキッカケのみならず、映画全体がしっかりとまとまっているんですよ。さすがは靖子にゃん!



露伴の少年時代編。建物や衣装、バックに流れる民謡などなど、とにかく「和」を演出しまくりです。個人的なノスタルジィというより、日本人の心に根付く古き良き風景って感じ。夏という季節も刹那的で、またイイんだよね~。
さて、この作品における最重要人物である奈々瀬さん。原作での「藤倉」という姓は出て来ませんでした。あんまり深い意味のある姓ではなさそうだし、余計な混乱を与えかねないしね。で、そんな奈々瀬さんを演じられるのは木村文乃さんです。彼女の小麦色の肌からは健康美なイメージを受けましたが、繊細で儚げな奈々瀬さんの美しさを果たして表現できるのかな……という心配も正直ありました。しかしながら、結果的にはそれは杞憂。汗ばむ肌から立ち上る色気は凄まじく、和服もとっても似合ってて艶っぽく、ミステリアスな魅力が迸ってましたよ。しかも、妙な生活感のある原作と違って、ホントに実在していたのかどうかすら怪しいところもある。ケータイも使ってないし、婆ちゃんも記憶が曖昧になってたし。
長尾謙杜さん演じる若き日の露伴も、まだまだ青臭くてピュアで可愛げがあります。超人じみた今と異なり、非常に人間らしい。なんでああなっちゃったんだ?(笑) たとえ性格も違い、顔そのものも一生さんとあんまり似てなくても、ギザギザヘアバンドさえあれば同じ「露伴」として認識可能なのも便利ですよね。



ただ、この少年時代編は露伴にとっての大切な「始まり」なだけに、「もっとこうしてほしかった」っていう点もけっこうありました。
まず第一に、露伴少年と奈々瀬さんのセリフが今イチ聞き取りにくかった。現実の会話のようにボソボソッと喋る感じはムードたっぷりなんですけど、原作読んでないと理解し切れないかもね。
あと、2人の心の揺れ動きに唐突な印象も受けました。原作知らないと、「えっ、何なの!?」って思ってしまいそう。奈々瀬さんはもっと露骨に激しく泣いてくれても良かったな。感情の振り幅がエグくて不安定だからこそ、彼女の抱える悲しみや恐れが想像できて、放っておけない気持ちになっちゃうと思うんですよね。あんなにも理解不能な彼女だからこそ、「少しでも理解したい」という想いが湧き上がってきたと思うんですよね。そんな奈々瀬さんが淡々とし過ぎちゃっては、彼女に惹かれていく露伴少年の感情にも説得力がなくなってしまう。一方で、どんどん彼女を「好き」になっているという事自体はよく伝わってくる、靴音を聞いた後の露伴少年の走り方はグッドでした。
言葉じゃなくて表情や仕草で表現したいというこだわりがあるのかもしれませんけども……、ここでこそ露伴のモノローグが欲しかったです。「彼女はなぜ泣くのか?」とか、「涙が美しかった」とか、「心の中をのぞく事はやめよう」とか。あと、突然キレた彼女にもっと唖然呆然としてる露伴少年の表情も見たかったですね。少年時代編は雰囲気は最高でしたけど、全体的におとなし過ぎちゃった印象です。

ついでに言えば、露伴少年の絵を見る時の奈々瀬さんの「入って…」「座って…」っていう原作でのセリフが欲しかったですよ。
あのセリフに内心戸惑う露伴少年、なんか青春のドキドキ感があって好きなんです。ちょっぴりイケない事してる感もある、ソフト&ウェットなエロさ漂うシチュエーションがたまらんのです(笑)。



そして露伴は、山村仁左右衛門が描いたという「この世で最も黒い絵」を追い求め、いよいよフランス・パリへ!露伴も京香ちゃんもフランス語が達者じゃん。スゴイな!露伴が丸グラサン掛けてますが、これって婆ちゃんの形見だったりする?
ルーヴル美術館はもう、外観も中の様子も、14年前の記憶が蘇って個人的にとにかく懐かしかったです。ルーヴルに対して今、そういう想いを持って見られているという事実がなんとも奇妙。「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」という作品が存在しなければ、私もルーヴルへ行く事はなかったでしょうから。快く撮影許可してくれたルーヴルにも感謝!おかげで、ガチに贅沢な映画になりましたよね。
なお、露伴はフランスでも大人気らしく、ルーヴルでサインを求めて来る漫画ファン2人もフランス人になってましたね。……ん?勝手に今まで日本人だと思い込んでたけど、原作でも実はフランス人だったんかな?まぁ、どっちにせよ、ここは微笑ましいシーンでした。



ルーヴル編も、かなりオリジナルな部分が多かったですねぇ。実にサスペンスフル!
エマ・野口さんに館内を案内されていると、東洋美術のキュレーター:辰巳さんも加わったり、エマさんの同僚:ジャックが美術館2階から転落・大怪我する事故が起こったり。
さらに、地下のZ-13倉庫では急に、まるで探偵の謎解きパートみたいな展開になって面白かったですよ。なんと、辰巳さんもモリス・ルグランも、消防士2人も、露伴邸に絵を盗みに来た男達も全員、美術品窃盗グループだったのです!館内を自由に動ける辰巳さんや消防士達が手引きし、モリスをZ-13倉庫に忍び込ませ、精巧な贋作を描かせる。贋作を美術館に保管し、本物はモリスのオリジナル絵画の裏側に隠す。「モリスの黒い絵」の裏側にフェルメールの絵が隠されていると思い、連中はオークションで安く競り落とそうとし、落札した露伴から盗み出したワケですね。なるほどな~。でもその設定、ルーヴル的にOKなの?(笑)
モリスはZ-13倉庫で、仁左右衛門が描いた「この世で最も黒い絵」を見付け、その「黒」に取り憑かれるかのように描いた絵があの「黒い絵」。どうやら、仁左右衛門の絵に使われている顔料を少々、絵の裏側に隠していたっぽいな。もしくは、顔料=蜘蛛がモリスの絵に移動したのか。だから、絵の裏側を破いた男は蜘蛛に襲われ、死んだ。でも、その時に蜘蛛が全部抜け出したのか、露伴達は襲われずに済んだようですね。

それにしても……、窃盗グループの連中、フェルメールの絵を探してたんなら、なんでモリスが常駐していたであろうZ-13倉庫を探さなかったんでしょうかね?結局、倉庫であっさり発見されたじゃん。
実は、奈々瀬さんが裏で動いてて、良きタイミングを見計らって絵を隠したり出したりしてたとか?(笑)



「この世で最も黒い絵」は、見た者・触れた者の「過去」を映す絵。自分や先祖が犯した「罪」と、心に刻まれた「後悔」。決して逃れられぬ「因縁」。それらを見せる「この世で最も邪悪な絵」
その呼び名に相応しい、恐るべき絵画でした。ずっとそこに在ったのに、闇の中では絵と気付けないほどの暗黒を纏う姿。あまりに何気なく在り続けた、不気味すぎる存在感。そして、絵の中に描かれている奈々瀬さんが浮かび上がった瞬間は、ゾッとしたしマジ怖かった。
次々と「過去」に襲われ、倒れていく人達。ある者は撃たれ、ある者は溺れ、ある者は焼かれ。露伴は、斧を持った仁左右衛門に襲われます。この辺はほとんどホラー映画と化してましたね。しかも、露伴が仁左右衛門に襲われ、そこに奈々瀬さんが助けに現れる事で、彼ら3者の血縁関係までも示唆されるんだから巧いよなぁ。どうせなら、亡くなったはずの爺ちゃん・婆ちゃんも出した方が、より分かりやすい形になって良かったんじゃないかとは思いますが。
「過去」から逃れるため、『ヘブンズ・ドアー』で自分に書き込み、全ての記憶を消去!そして、書き込んだ文字をこすって消し、記憶を取り戻す!露伴のページが、記憶を失った時は白紙に、記憶が戻ったら文字でいっぱいになるのも、細やかな仕事っぷりで好印象です。ただ、記憶を消したと同時に、仁左右衛門と奈々瀬さんの姿も消え去るっていうのを明確に見せてほしかったですね。初見の人がちゃんと理屈を理解できたのか心配でした。
そして最後は、「黒い絵」によって焼かれた人の炎が絵自身にも燃え移り、焼き払われてジ・エンドです。ある意味、綺麗な着地点

ちなみに……、仁左右衛門との血縁関係って事で言えば、仁左右衛門の「黒い絵」が婆ちゃんちの蔵にあった事もそうですよね。
でも、そうなると奈々瀬さんが「黒い絵がルーヴルにある」って話してたのはおかしいんだよな。その時点ではまだ蔵の中だったのに。まぁ、ルーヴルに買い取られる事は決定していたんだから、「ルーヴルにある」で間違いとは言えないか。



京香ちゃんは、まさに「純白」の人ですね。あの「黒い絵」を見ても何ともない。犯した「罪」も、過去への「後悔」もない。「黒」にまみれたこの作品において、癒しと救いをくれるホワイト・エンジェルであります!だから、パリで着ていたコートは白かったのかな?
でも、なんの考えもない脳天気とは違うんです。亡き父への愛情、父の写真と同じ場所で撮った写真、エマさんへの共感。彼女なりの考えがある、素直で優しい言動がストレートに響きました。「この世で最も清浄な魂」の持ち主ですよ。ひょっとすると、先祖代々そういう性格の家系なのかもしれませんね。「怪異」へのスルー能力が強すぎる彼女といい、「怪異」への対抗能力が強すぎる露伴といい、この2人がメインだからこそ完全なるホラーにはならずに済んでるんだよなぁ(笑)。
京香ちゃんとエマさんが抱き合うシーンは、正直、涙ぐみましたね。エマさん、原作と違って生還できて良かった。彼女の心もほんの少しだけ救われたはず。一方、美術品をカネ儲けの道具にしてきた絵画窃盗グループの連中は、モリスも含めてキッチリ全滅の壊滅。無関係のジャックさんは一命を取り留めてましたし、その辺も「美」への「敬意」の有無の差なのでしょう。



無事に日本に帰国した露伴、なんと奈々瀬さんと再会です。あの場所はどこ?黒い顔料が採れたっていう御神木?それとも、仁左右衛門と奈々瀬さんの墓?
あの時は読めなかった彼女の記憶を読む。そこから始まる奈々瀬さんと仁左右衛門の過去編。おおっ、原作よりもだいぶ深掘りしてくれてて嬉しい。でも、余計しんどい方向に改変されてたもんで、心がえぐられて悲しかったですね。仁左右衛門も本来は優しい人で、絵を描くことを愛し楽しんでいたはずなのに……、奈々瀬さんと2人で穏やかに暮らしていたはずなのに……、メンツだとか嫉妬だとか、そういう人間の持つ「黒さ」によって無惨にも塗り潰されてしまったのです。しかも、自らの血筋によって。そりゃあ怨念も残るよな。原作と違って、あの絵に「月下」というタイトルさえ無かったのもなんか納得。
しかし、仁左右衛門の見た目が露伴に瓜二つなのは、どういう事?奈々瀬さんの旧姓が「岸辺」って事は、山村家を出た後は2人も「岸辺」を名乗ってたんでしょうかね?だとすると、2人の直接の子孫が露伴なのか?でも、2人の間に子どもがいたって描写もなかったしなぁ。実は子どもがいたのか?それとも、奇跡的な他人の空似?あるいは、仁左右衛門の生まれ変わり?う~ん……、子どもが出て来てくれてれば一番しっくり来たのに。

ここまで観て思ったんですが……、「黒い絵」を見た露伴が全身真っ黒に染まっていったのは、恐らく仁左右衛門の最期の再現だったんでしょう。鬼神の如く御神木を打ち付け、黒い樹液を返り血のように浴び、恨みを込めて「黒い絵」を描き上げ、息絶えた。その仁左右衛門の「罪」が、露伴の体を蝕んでいたんでしょう。
しかし、そんな露伴を奈々瀬さんは助けてくれました。原作では、もし奈々瀬さんに触れたら死んじゃうから、そうさせないために原稿を切り裂いて露伴少年の心をあえて傷付けていたワケで。そういう展開にならなかった映画版では、そもそもの意図が異なっていた事になりますよね。あの時、露伴少年は奈々瀬さんをモデルに描いた女性キャラの髪の「黒」にこだわり出していました。顔だけじゃなく、絵に対する追求心・好奇心まで仁左右衛門によく似ていた露伴少年。どうしても夫の姿を重ねてしまい、だから奈々瀬さんは泣いてしまったのかもな。そして、夫と同じ結末を辿らせないために、自分への執着や慕情を断ち切らせるために、あんな事をしたのかもしれない。



奈々瀬さんは、怨念に縛られた夫とその絵に縛られた自分を解き放ってほしくて、露伴のもとに現れたようです。巻き込んでしまった事を謝る奈々瀬さん。まっすぐに向き合った露伴が彼女に告げる。「あの夏も、ぼくにとって必要な過去の1つだ。」「二度と、忘れない。」 うっすらぎこちなく微笑み合い、目を閉じ、再び開ける。すると、もうそこには誰もいない……。鈴美さんみたく昇天していったりとか、あまり劇的にはせず、さりげない別れなのが逆にグッと来ました。この辺のシーンが一番好きかも。
そして、エピローグ。ラストは、いつもの露伴と京香ちゃんです。バキンは声だけ出演だけど、せめてバキンに声を掛けるぐらいはあっても良かったのにな~。京香ちゃんが集明社のHPにアップすべく露伴に同行して取材した、露伴の取材旅行記のタイトルは「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」!こんな単純な事なのに妙に感動して、鳥肌立っちゃいました(笑)。
邸内にそよ風が吹き込み、かつて奈々瀬さんに切り裂かれたはずの原稿が窓際に落ちていた。そっと拾い上げる。ちょいとやり過ぎ・演出過多な気もしないでもないけれど、とにかく、これで全てが終わりました。先祖からの因縁の終わり、そして、淡くほろ苦い初恋の終わり。不穏さ・不吉さを孕んだ原作の読後感とは打って変わって、爽やかで、切なさも入り混じった美しい締め。そして露伴は、また原稿用紙に向き合い、ペンを走らせるのでした。いつものように。




―― いろんな想いがゴチャ混ぜになって、言いたい事がいっぱいで、取り留めもなくなっちゃいました。でも、面白くて切なくて美しい作品って印象が、原作でも映画でも変わらずにいてくれた事は間違いありません。ずっとずっと、胸の奥に疼きとして残り続ける物語です。どちらかしか観てない方にはぜひ、両方とも観てみてほしいですね。原作は最近、お手軽に読めるコミックス版も刊行されましたしね。
さてさて、ドラマ版「動かない」の第4弾が実現するかどうかはまだ分かりませんが……、これで実写露伴のシリーズが完結となってもまったく不満はないってぐらいの、集大成のような映画でした。制作に携わった全ての方に感謝いたします。とは言え……、やっぱまた会えたら嬉しいよね!楽しみに待ってます!




(追記)
喜ばしい事に、この作品は非常に好評を博しているようで。動員ランキングでも上位にランクインし、Twitterとかで感想を見ても絶賛の嵐!
しかし、これで終わりではなかったのです。なんと、6/2~8までの間、荒木先生描き下ろしイラストカードが入場者特典として配布されるというじゃありませんか!舞台挨拶の際、高橋一生さんに贈られた絵ですね。原作「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」のカバーイラストをリメイクしたもので、カラーは映画に合わせて「黒」ベース。こいつァ絶対に手に入れなくてはッ!……というワケで、6/2のレイトショーで3回目の鑑賞をして来ました!
さすがに3回目ともなると、あの「間」にも慣れてきまして、むしろ心地良くすらある。ストーリーも、ビジュアルも、演技も、映像も、音楽も、高いレベルで溶け合い、1つの「美しさ」を生み出してくれていました。なんというか、「夏の終わり」のような作品だな、と思いました。少年時代、夏休みに親戚の田舎で過ごした日の夕暮れ時みたいな、どこか懐かしくてもの寂しい空気感がある。そこが好きです。

では……、とりとめもない感想をまた箇条書きしていきたいと思います。



パンフレットによると、荒木先生のご意見も内容に反映されているようです。仁左右衛門と奈々瀬さんの過去編が「悲恋」だったのも……、「黒い絵」で死んだのが悪人ばかりで、善人のエマさんは生還できたのも……、先生からの希望だった模様。
イイですね~。過去の悲恋なんてド定番を外さないのも、自らを「王道」と語る荒木先生らしいストレートさ。あの過去編は「黒い絵」の事件が解決したクライマックス後なもんだから、「蛇足だ」とか「バランスが悪い」とかって感想も目にしましたけど、個人的にはディ・モールト好みの展開でした。全てが終わった後に全ての起源と真相が明かされる、パズルのピースがハマっていく「答え合わせ」のカタルシスっていうかゾクゾク感っていうか、そういうのがグッと来るんです。しかもそれが切なくて美しいんだから、文句の付けようもない。



「黒い絵」を見た者に襲い掛かって来る「過去」。その順番も、荒木先生からの回答があったみたいです。まず、自分自身の犯した「罪」が優先的に、もしそんな「罪」が無いのなら、次に先祖の犯した「罪」が襲って来る。そういう順番らしい。
という事は、露伴に対して仁左右衛門が現れたのは、そもそも露伴自身には「罪」を犯した意識も「後悔」も無かったって事ですね。さすがの強メンタル(笑)。それで、一気に遠い先祖にまで遡り、血縁者である奈々瀬さんの「罪」や「後悔」として現れたのが、あの仁左右衛門だったのかもしれません。両親や祖父母といった近い血縁をスッ飛ばしたのは、それほどまでに奈々瀬さんの想いが強く強く遺っていたって事なんでしょうね。
ただ、そう考えると、ますます露伴と仁左右衛門を同じ顔にする必要性・必然性が薄れる気がします。2人はどういう関係なんだろう?まぁ、その辺はあえて、いかようにも取れるようにしたのかなぁ?



露伴少年と奈々瀬さんの演技、最初は不満も言いましたけど、あれはあれでとても良いなと思い始めました。蠱惑的なオトナの女性と、振り回されながらもDAN DAN 心魅かれてく純朴な少年。暗闇の中で、囁くように話す2人の姿、なんだかアバンチュールなエロスの香りが漂ってます。
ただ、つくづく思うのが、なんで奈々瀬さんに涙を流させなかったのかって事。う~ん……。でも、涙が見えないから、視聴者的にも彼女の本心・本意が読めず、余計に気になっちゃうって気持ちも出て来ますよね。露伴少年をたぶらかす悪女なのか、何か深い事情を抱えた不安定な女性なのか、実在していたのかいないのか。何もかも掴めないミステリアスな奈々瀬さん像が創り出されたんだから、これが正解なのかもしれません。あまりに清らかな涙を見せちゃうと、彼女も清廉潔白な聖女のイメージで固まっちゃいますもんね。



「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」というタイトルの割にパリやルーヴルでの映像が短すぎる、という意見もけっこう見掛けます。そっか~。原作を読んでる人間からすれば、特に違和感も無く、ああいうもんだと思えたんですが、原作未読の人からすればそう思っちゃうのかもしれませんね。
でも、露伴には「黒い絵」を調べるという明確な唯一の目的があり、観光なんてそもそも眼中にすら無いワケですから。パリやルーヴルのあちこちをのんびり歩き回って見て回る……なんて必然性がまったくありません。そんなシーンを無理に増やしたところで、それこそリアリティの無い展開と映像になってしまうだけでしょう。まぁ、しょうがないですよ。
そんな中で、曇天のパリが絶妙な雰囲気を醸してましたね。こればっかりは運とタイミングによる偶然なんでしょうけど……、晴れ渡った青空でもなく、大粒の雨が降るでもない、どっち付かずの曇り空っていうのがドンピシャでハマッてくれました。何か良からぬ事が起こりそうな、そんな兆しを演出してくれました。



地下倉庫で「黒い絵」を見た人々が、それぞれの「過去」に襲われるシーン。一人芝居状態になってるワケですが、正直に言うと、そこはちょっと滑稽に映ってしまいました。いや、俳優陣はもちろん、迫真の演技を見せてくれているとは思います。でも、突然叫んで怯えて、1人で暴れてるだけだから、なんか「ええぇ……?」ってなって白けちゃう。
ここはいっそ、見せ方を逆にしちゃっても良かったんじゃないかな、と。唐突に現れた何者かに理不尽に襲われる様を最初に見せ、その後で「実は幻覚で一人芝居状態でした~」とタネ明かしした方が、もうちょっとすんなり受け入れられた気がします。



『ヘブンズ・ドアー』が仁左右衛門には効かず、奈々瀬さんには効いた事を、疑問に思う人もいるようです。でも、それは別に不思議じゃない。
奈々瀬さんは実在する「幽霊」で、仁左右衛門は心が見ているだけの「幻覚」に過ぎないからでしょう。「ジョジョ」原作じゃあ、幽霊にもスタンドにも『ヘブンズ・ドアー』は有効ですしね。まぁ、「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」原作じゃあ「幻覚」にも『ヘブンズ・ドアー』してたけど、それはそれ(笑)。



仁左右衛門が遺した「黒い絵」を見て、「恐ろしい」でも「おぞましい」でもなく、当たり前のように「綺麗」と笑顔で言えちゃう京香ちゃん。そんな心の持ち主だから、絵の呪いも効かないんでしょうね。
ラストで、露伴が描いた奈々瀬さんのスケッチを見付けて微笑んだあたりもそうですが、彼女は何気にものの本質を感じ取れちゃう人なんだろうなぁ。仁左右衛門の絵も、露伴のスケッチも、その根底に在るのは奈々瀬さんへの純粋な愛情。善性の塊みたいな子だから、他人のそういう感情にも敏感なのかな。



Twitterとかで読んだ他の方々の感想にあったんですが、ルーヴルから帰って来た露伴の前に現れた奈々瀬さんは、「モナ・リザ」がモチーフになっているようです。言われてみると、確かにあの下ろした黒髪に、黒くてフワッとした服……、「モナ・リザ」を意識してるっぽいな。
だとすると、奈々瀬さんという存在は、露伴にとっての「究極の美」であり「永遠の美」の象徴なのかも。原作で奈々瀬さんは、「モナ・リザ」について「万人が認める この世で最も美しい絵」と表現していましたしね。「黒い絵」が「モナ・リザ」の逆の絵とも話していましたから、彼女が「黒い絵」の呪縛からようやく解き放たれ、本来の彼女自身を取り戻せたという意味合いも含んでいるのかもしれません。
ルーヴル美術館にて、「モナ・リザ」の実物に対し、露伴は興奮するでもなく背を向けて会話をしていました。高橋一生さんも語っていたように……、いかに名画であろうと、「敬意」こそ払っても、決して「崇拝」「神聖視」はしないっていう、一筋縄ではいかない感じが伝わってきます。そして一方で、「モナ・リザ」モチーフの奈々瀬さんに対しては、目を逸らさず真っ正面に向き合い、躊躇いながら手を伸ばす。かつてほのかな慕情を抱いた奈々瀬さんだけは、「モナ・リザ」よりも美しいものだったんでしょう。

あとは、露伴が「モナ・リザ」に似てると言われ、奈々瀬さんがその「モナ・リザ」をモチーフにしているって事で、2人の血縁関係を暗示していた……と取る事も出来ますかね。



仁左右衛門が「黒」にこだわる理由を、奈々瀬さんの美しい黒髪にした以上、もっとその髪を艶やかに印象的に見せてほしかったなと思います。
増してや、露伴少年もまた、奈々瀬さんをモデルに描いた女の子キャラの髪の毛の「黒」に執心していた程なんですから。その割に奈々瀬さんの髪、うっすら茶髪だったしね。露伴少年が彼女の黒髪に見とれ、思わずスケッチしまくって、彼女に見付かって……っていう流れにした方が自然だったかもしれません。我々観客にすら、「うわぁ~、綺麗な髪だな~」と強烈に心に焼き付かせるぐらいじゃなきゃ、本来はダメですよね。



初見の時からちょいと気になってはいたんですが、「黒い絵」の根源が原作と微妙に変わっています。
原作では、御神木の中だけに生きる未知の「蜘蛛」が正体でした。しかし映画だと、御神木の「黒い樹液」が仁左右衛門の怨念と混ざり合って、初めて「蜘蛛」になったっぽい描かれ方でした。言ってしまえば、『ノトーリアス・B・I・G』にも似た、仁左右衛門の死後に発動したスタンド能力みたいな。まぁ……、そういう設定にしとかないと、奈々瀬さんが持ち帰ったり、仁左右衛門の体が真っ黒に染まったりするシーンが成立しなくなっちゃうでしょうしね。
それはともかく、改めて観てみると……、仁左右衛門の死に際、彼の左眼あたりに蜘蛛が蠢いているのを発見。それがまるで、彼が最期に流した涙のようにも見えたのが印象的でした。蜘蛛を安易に出し過ぎな気もする今作でしたが、そういう良いシーンもあるんですよ。



今回初めて気付いたのが、露伴邸のサンルームについて。実はここ、地味に重要な場所でした。
まず冒頭、奈々瀬さんの夢を見る露伴。うたた寝していたのは、このサンルームです。で、露伴が京香ちゃんに黒の色を説明している時、サンルームに荒れた風が吹き込む不穏な画が映っていました。そしてラスト、サンルームに涼やかな風がそよぎ、かつて奈々瀬さんに切り裂かれたはずの原稿が落ちる。
つまり、最初と途中と最後に映る場所であり、この作品全体をビシッと貫いているワケですね。始まりの場所から旅立ち、帰って来る。そういう、ある種の「まとまり」がありました。



この作品は「記憶」「想い出」がキーワードになっていましたね。
人の「心」や「記憶」を読む能力『ヘブンズ・ドアー』、ずっと忘れていた遠い夏の日の想い出、その人の血肉に刻まれた「記憶」を辿って襲う「黒い絵」、「何もかも、全て忘れて」という奈々瀬さんの言葉、そして、文字通り全ての「記憶」を消し去る事で危機を脱する露伴。これらを踏まえた上だからこそ、奈々瀬さんへの露伴の最後の言葉「二度と、忘れない」がメチャクチャ効いてきます。
そしてそれは、仁左右衛門と奈々瀬さんが生きた証、という意味においても通じてきますよね。仁左右衛門が描いた絵はもう失われてしまったけれど、奈々瀬さんの「記憶」を読む事によって、彼らの過去や想いを知る事が出来たワケです。あの2人が確かに存在し、生きていたという事実を、露伴はずっと忘れずに生きていく事でしょう。なんか、とても特別で尊い事にも感じられますが……、亡き父親を想う京香ちゃんと何ら変わりはしません。すごく身近で等身大でありふれた事でもあるんです。もっと言えば、「美術館」だって、そういう場所なのかもしれませんね。時空を超えて、遺された作品を通して、人の「記憶」「想い出」の一部を受け取っていく場所。
いつか、自分自身の「記憶」「想い出」も、未来のどこかの誰かに遺していけたらイイですよね。




(さらに追記)
6月9日より、副音声上映がスタート!もちろん私も聴きに行きましたよ。これで4回目の鑑賞になります。映画を観ながら、高橋一生さん・飯豊まりえさん・木村文乃さん・渡辺一貴監督の4名による貴重な話を聞けるという贅沢。ついでに、この回はあえて字幕版で観ました。露伴の婆ちゃんの名前が「猷 (ゆう)」である事なんかも判明。普通に観るのとはまた違った楽しみ方が出来ましたね。
そして、6月16日~22日の間には、入場者特典第4弾として『ヘブンズ・ドアー』で「本」にされた誰かのページがカードとして配布。当然、ゲットしないワケにはいきませんッ!結果的に、この5回目の鑑賞が、私にとってのフィナーレとなりました。

それでは……、感想をまたまた箇条書きしていきましょう。



この作品は緻密な計算だけでなく、様々な「偶然」にも助けられて出来上がったものでした。
例えば……、露伴が婆ちゃんの形見のグラサンを付けていたのも、最初から決めていた事ではなく、現場でのやりとりの中でたまたまそうなったみたい。ルーヴルに到着した時、露伴の脇に鳩がちょうど舞い降りて来たのも……、ルーヴルでのラストカット、露伴と京香ちゃんが去ると同時に雲間から太陽が少しずつ覗き始めたのも……、全てが偶然。
驚いたのは、奈々瀬さんと「モナ・リザ」のビジュアルは意図して寄せたのではなく、これまた偶然似てしまっただけという事。これら偶然の化学反応が起こらなければ、この作品もまったく違った印象を抱くものになっていたのかもしれませんね。



キャストの話。露伴の部屋の水槽で泳ぐイカや、地下倉庫での仁左右衛門は、実はダブルキャストだったそうです。カットによって別人が演じていたって事。
たびたび登場する蜘蛛ちゃん達は、実はCGではなく、ほぼほぼリアルの蜘蛛だったというのもビックリしました。その辺の野で捕まえた野生の蜘蛛ではない、タレント的な蜘蛛で、撮影後はちゃんと全員回収されたようです。
あと、地味に気付かなかったんですが、京香ちゃんの父親って渡辺監督だったんですね(笑)。普通に違和感なく溶け込んでて分からんかった。



所作や動作について。副音声で一生さんも絶賛していた、奈々瀬さんが露伴少年に近付く時の、窓のサッシに手を掛ける所作。改めて注目してみると、確かに素晴らしい。手指の動きに品の良さ艶めかしさがあって、ありゃあ魔性の女だ(笑)。部屋に呼んだ露伴に、「座って」の畳ポンポンもイイよね。
あと、今さら過ぎではあるんですが、モリスの「黒い絵」を盗みに来た男に『ヘブンズ・ドアー』をかける動作をちゃんとやってたんだな、と気付きました。「黒い絵」にやられて溺れかけてるエマさんに対しても、『ヘブンズ・ドアー』を使ってた事も分かりました。う~ん、まだまだ見逃しちゃってる点が残ってそう。



見逃しポイントという事で言うのなら……、副音声でもいくつか挙げてくれていましたね。
まず、冒頭の骨董品屋。露伴の偽サイン色紙の奥に、骨董品屋役を演じられている増田朋弥さんのサイン色紙があります。これは確認完了。
続いて、地下倉庫でのクライマックス。露伴が自分の顔を「本」にして命令を書き込むシーンがありますが、実は自身の手に命令を書き込む動作もしっかり演じられていたらしい。そして物語終盤、仁左右衛門と奈々瀬さん達の墓を訪れる露伴。ここで全体の遠景が映るんですが、よく見ると露伴の姿も映っているらしい。……でも、この2つに関しては確認できませんでした。無念。円盤化したらチェックしたい。
ついでに言うと、地下倉庫で、仁左右衛門も「本」自体にはなっていましたね。ただ、命令を「書き込めない」という事だったようです。ページが真っ黒だからなのか?これも円盤を買ったら、じっくり確認したいです。



気になってた点を確認できた事項について。
奈々瀬さんが「黒い絵がルーヴルにある」と話していた……と思っていましたが、実際は「ルーヴルに……」とまでしか言っていませんでしたね。「ルーヴルに”在る”」とは明言していない。苦しい言い訳のように聞こえなくもないけど、意図してああいうセリフになったのであれば、靖子にゃんもなかなかの策士(笑)。
それと、仁左右衛門の死に際、彼の左眼あたりに蜘蛛が蠢いている……と思っていましたが、コレは気のせいでした。ちゃんとでしたね。そして、仁左右衛門と露伴の血が繋がっていない事も、副音声でバッチリ語られていました。



カットに関する話。副音声で聞いて、なるほどと思いました。
奈々瀬さんの部屋にて。露伴の原稿を見る時の奈々瀬さんと、露伴少年。この時、2人の顔がまったく見えないカットになっています。だからこそ、表情や感情を想像させますね。また、暗い部屋の中でほのかな灯りに照らされ、「黒い絵」の話をする時……、カメラはどこにもピントが合っておらず、ボヤけた暖色と寒色と黒が映るのみ。象徴的だなぁ。
象徴的と言ったら、ルーヴルでの「モナ・リザ」のカットもそう。露伴が「モナ・リザ」を背にして、「黒い絵」について話しているシーン。ここは、後に「黒い絵」が映る時のカットによく似ており、予兆として機能しています。やはり「モナ・リザ」と「黒い絵」は対極の絵なんでしょうね。



ずっと疑問なんですけど……、モリスの絵の裏にマジモンの名画を隠す、というのは理解できます。でも、そのモリスの絵をわざわざ売りに出して、安価で買うなんて事する必要あるんですかね?そんな手間を掛けず、単にそのままくすねときゃいいだけじゃないの?
絵画や美術品の流通にまったく詳しくないので、そのまま盗めない何かしらの都合があるのかもしれませんが。



パリでのラストシーン直前、露伴と京香ちゃんがカフェで事件の顛末について話すシーンがありますが……、画面の奥に、「ジョジョリオン」の大弥ちゃんのような動物耳キャップを被った女性が映っています。実は彼女、大の「ジョジョ」ファンらしい。
そのキャップも自前で用意してきたのに、本番で外しちゃってたから、わざわざキャップを被らせて撮り直ししたみたいです(笑)。



冒頭の骨董品屋に対する『ヘブンズ・ドアー』はかなり雑で、ちょっと痛みすら感じるくらいのようですけど(笑)……、反対に、奈々瀬さんへの『ヘブンズ・ドアー』は最も優しい
躊躇いながら、吐息と共に囁くような言い方も……、倒れる奈々瀬さんをそっと抱き止めるところも……、とにかく露伴らしからぬ慈しみに満ちていますね。



露伴がいつものように原稿にペンを入れるエンディング。でも副音声を聞く限り、あれは普段の漫画原稿を執筆してるというよりは、奈々瀬さんにまつわる何かをスケッチしてるっぽいですよ。彼女の面影か、想い出の光景か、それとも彼女から想起されたイメージか。
もっとも……、この時、実際には一生さん、鷹と鹿だかを黙々と描いていたようです。



入場者特典第4弾は、『ヘブンズ・ドアー』で「本」にした露伴自身のページでした!
これを読むと、露伴がエマさんを、出会った最初の時点から怪しんでいるのも分かります。「心ここにあらず」で「魂が無い」という印象を受けていたそうな。エマさんが「黒い絵」と直接関係があるかはともかく……、ヤバいけどゾクゾクしてきた心境も書かれてありました。
こういう機会でもないと視聴者に読まれる事もないであろう超細かい部分。そんなディテールにも、決して手を抜かずにこだわりまくる熱量を感じさせられます。



―― 1回観ただけでは気付けずにいた部分や、制作陣サイドの視点で語られる裏側が知れて良かったです。多くの人々と様々な偶然に助けられて、この作品が在るんだなぁ……と、しみじみ思いました。
でも、誰もが真剣に誇りを持って自分の仕事を全うしようとしたからこそ、少しでも面白い作品にしようという情熱とこだわりがあったからこそ、そういう細部まで心置きなく楽しめるワケで。とにかくそこに感謝ですね。今度は家でじっくりまったり鑑賞したいので、円盤の発売を静かに待つとしましょう!
興行収入も10億円超えって事で、大ヒットと言っても過言ではない成績です。そうなると、期待されるのは続編の制作。私個人としては正直、映画化するほどのエピソードは無いと思うんですが、いろんな大人の都合もありますからねえ。あり得そうなのは、一生さんもあちこちのインタビューで語られている吉良や鈴美さん絡みのエピソードでしょうか。『バイツァ・ダスト』の設定をうまく使えば、タイムリープ物として面白い作品になるかもしれません。でも、それは結局「ジョジョ」の領分だし、「露伴」シリーズに無理に組み込まなくてもいいかな。やっぱ続編映画より、普通にドラマの新作が観たいですね。




(2023年5月27日)
(2023年6月10日:追記)
(2023年8月15日:さらに追記)




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