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ジョジョの奇妙な冒険
無限の王





< グアテマラ編 >

「ジョジョ」35周年を記念し、2022年3月19日に発売された「JOJO magazine」2022 SPRING!それに掲載されたのが、真藤順丈氏による「ジョジョ」の小説「無限の王」です。「グアテマラ編」という表記からも分かる通り、これは全体のストーリーの一部でしかなく……、続きは「JOJO magazine」の次巻に掲載されるのか、単行本としてドドンと発売されるのか、今はまだ不明。
正直、序盤も序盤といったところなので、そこまで盛り上がっているワケでもないんですが、個人的にはけっこう好きですね。本編の隙間をただ埋めるだけに終始したスピンオフはあんま求めていないので、新しい要素がいっぱいの、これ単独で1つの物語として成立するであろう今作は読み応えがありますよ。

まぁ、細かい感想については、箇条書きで述べていきたいと思います。


まず、そもそもタイトルロゴがカッコイイ!「無限の王」……、シンプルにイカすッ!渦を巻いたロゴも、歪んで謎めく感じがゾクゾク来ますね。いかにもヤバそうで。
そして、ロゴを取り巻くように「La Extraña Aventura de JOJO」の文字。グアテマラを起点とし、中南米が舞台の物語である事を示すかのようなスペイン語。本編では描かれた事のない国・土地が舞台となるのだから、否が応にも期待が高まるってもんです。


時は1973年、場所は中米グアテマラ。かつてアステカ文明が栄えたメキシコのお隣で、第2部と第3部の間の時代に起こったストーリー。主人公はなんと、年老いたリサリサ先生です!
さすがに80歳超えだし、アンチ・エイジングを意識するのもやめたのだとか。せっかく再婚したのに、ひ孫の承太郎だって産まれてるだろうに、平穏な余生を送ってはいないらしいのが少し寂しい。突出した力を持つ者の宿命なんですかね?しかしながら、そんな心配もよそに「千紫万紅の波紋疾走 (サウザンド・カラー・オーバードライブ)」なんて新技まで披露してくれるほど、変わらず元気&現役なのでした。表紙イラストを見たって、ちょっと白髪はあっても、体は全然若いまんまですしね(笑)。
第2部と第3部を繋ぐように、波紋の時代とスタンドの時代の橋渡し的な物語にもなっているみたいです。スタンドがまだ「スタンド」と呼ばれる以前、リサリサとスピードワゴン財団はすでに、この「驚異の力 (ラ・マラビジャス)」と出逢っていたのです。


真藤氏の他の作品を読んだ事はないのですが、舞台となる土地の風景や歴史、文化の描写が細かく、旅情がかき立てられます。グアテマラの事なんてほぼ何も知らなかったけど、まるでその場の空気を吸ったかのような、風を浴びたかのような、そんな気持ちにもなれました。後で色々ググッてみたら、イメージもより鮮やかになり、中南米への興味も引かれてきましたよ。
スペイン語読みのルビがやたら多いのは、ちょっと気になっちゃいますね。確かに異国っぽい雰囲気は出るものの、多すぎて若干のうっとうしさもあります(笑)。


リサリサが主人公とは書きましたが、実際はオリキャラがメインな感じ。スピードワゴン財団の調査員:J・D・エルナンデス、アンティグアの裏通りの顔:オクタビオ・ルナ・カン、オクタビオの相棒:ホアキン・ルイス=ホルーダ。この調査員トリオが主役で、リサリサは若き彼らを導く役目と言った方が正確かもしれません。今のところはリサリサが波紋で無双状態ですけど、オクタビオとホアキンはスタンド使いになりそうな気配ですし、これからの時代の立役者になる事も明示されてますしね。
エルナンデスさんは特殊な能力も無く、生真面目な常識人なので、いっつも振り回されて大変そう(笑)。ただ、「ジョジョ」の名を冠する物語において、「J」「D」の文字は特別ですからねぇ。その両方の文字を持つ彼は、今後、重要な役回りが巡って来るのではと期待しています。そして、野心家で自信家のオクタビオと、喋る事は出来ないけれど高い知性と気品を秘めたホアキン。その生まれ育ちゆえに一筋縄ではいかない2人。なかなか面白いコンビです。私はホアキン推しかな。ちなみに、偶然なのか狙ったのか、「Joaquin (ホアキン)」と「Octavio (オクタビオ)」の頭文字を合わせると「JO」になります。


オリジナルのスタンドも登場しました。「蠅」を支配して操る能力を持つ、ファビオ・ウーブフのスタンド『蠅の王 (エル・シニョル・デ・ラス・モスカス)』。地面に「落とし穴」を空ける能力を持つ、イザヘラ・メナ=メナのスタンド『石蹴り遊び (ホップスコッチ)』。スタンド名は小説のタイトルが元ネタになってます。
どちらもスタンド黎明期に相応しい単純明快な能力ですが……、特に『ホップスコッチ』はルールが面白く、リサリサ一行がジワジワと追い詰められていく描写に「ジョジョ」っぽさをスゴく感じて、かなり好みのスタンドでした。恐らく今後もいろんなスタンドが登場するでしょうけど、どんな能力なのか素直に楽しみですね。オクタビオ達がスタンド使いになれれば、きっとヴィジョンの方の説明も加わって、よりイメージしやすくなるはず。


まだディアボロがエジプトで『矢』を発掘する前なのに、スタンド使いが増え始めている理由。それは、やっぱり『矢』でした。っていうか、少なくともこの作品内においては、『矢』の原料である隕石はグリーンランド以外の土地にも飛来していた模様。ペルーとブラジルの国境付近でも、1966年の地震によって地表に現れたようです。実は世界各地に隕石は眠っていて、本編とは別ルートから『矢』が出回っているみたい。
公式とは言え二次創作の同人作品ですから、そんな大胆な設定もアリですけど……、すでにリサリサがスタンド発現の原理の核心に迫っちゃっており、ポルナレフの立場が無さすぎなのでは(笑)。でも、まるで示し合わせたかの如きタイミングで『矢』や隕石が表舞台に現れ、スタンド使いを増やしていく様は、時代のうねりや運命の呼応を感じさせます。まさに歴史の転換点・過渡期。我々はこの先に起こる出来事の多くを知っているワケですから、いろんな不吉な予兆を読み取らずにはいられません。そして、だからこそ、激動の中で若き世代が駆け抜けてゆく気高い姿を追い求め、未来に胸躍らせてしまうのでしょう。


さて、リサリサ一行が追跡するのは、『矢』の所有者である請負屋アルホーン。こいつがこの作品のボス的存在になるんでしょうか?こいつが「無限の王」なる存在なんでしょうか?
「無限の王」と聞いて私が真っ先に想像したのは、DIOでした。DIOが100年の眠りから目醒めるまでの物語なのかな、と。……でも、この作品がどう展開し、どんな結末へと着地するのか、今はまったく読めません。差し当たって、次の舞台は南米になるのかなぁ?「ジョジョ」で南半球が描かれるのは超珍しい事態です。せいぜい「ジョジョリオン」のニューギニア島くらいじゃない?そういう意味でも新鮮さがあって、なんだかワクワクしてきます。


(2022年4月3日)





< ペルー編 >

「グアテマラ編」に続く第2話「ペルー編」は、2022年12月19日に発売された「JOJO magazine」2022 WINTERに掲載されました。
個人的に、これまで読んできた「ジョジョ」の小説作品の中でもトップクラスに面白いですね。荒唐無稽じゃなく、しっかりと地に足がついた物語っていうか。人物像も舞台背景も展開も描写も、リアリティと説得力があるのが良いです。前回もそうでしたが……、実在かつ原作未登場の場所が舞台なので、ストリートビュー等でその土地を調べたりすると、なおのこと空気感が伝わってイメージが湧きますよ。
今回はストーリーもかなり進行し、いよいよ盛り上がってまいりました。倒すべき敵も明確になり、キャラクターの内面や会話が魅力的に描かれ、ラストは意外で切ない内容になってて、ずっと楽しんで読めました。やっぱこういうのが好みだなぁ。

では、細かい感想については、また箇条書きで述べていきましょう!


「神」と「王」について書かれた序文について。1970年代とは、「神」と「王」とが人々の心に共存していた最後の時代、だそうです。
かつて人間は「神」の偉大さを信じ、崇めていた。だから人間の「王」は、「神」を模倣し、あるいは「神」の名や力を借りて、民衆を導こうとした。しかし永い時を経た末に、現代の人々は「神」の不在を知ってしまった。たとえ「神」がいたとして、それが何の役にも立たない事に気付いてしまった。「神」の威光が失われた世界で「王」は勢力を増し、欲望のままに略奪や破壊の限りを尽くし、隣国の領土を奪い、支配を広げていく。民衆もまた、そんな「王」に呆れたふりをしつつも、内心ではほくそ笑んで新天地へなだれこんでいく。
つまり、「王」と同じ貪欲な心が、民衆の中にも存在しているという事。それは鏡に映る二重写しの自己像であり、分かち難いもう1人の自分自身でもあります。誰もが心の中に「王」を宿し、それゆえに「王」と「王」の覇権争いは、もはや国と国の戦争ではなく、個人が個人に仕掛ける戦争という意味合いになってしまうワケです。
……と同時に、また異なる視座において、「王」という概念は「スタンド」という意味をも持ってきますね。二重写しの自己像、もう1人の自分自身、隠してきた欲望、心の叫び。この世のルールに対し、たった1つだけ発動できる王権。スタンド能力とは、人の心に在る、暴虐な「王」たる精神そのものと言えるでしょう。そしてそれは、この物語のタイトルであり、今回のラストに発現したスタンドの名にもなる「無限の王」に通じてきます。最初に出逢ったスタンドが「蠅の王」だった事も、一連の事件が起きたのが1970年代という時代であった事も含め、全てが象徴的ですね。


そんな意味深な序文でしたが、ちょっと思った事もあります。
かつて「神」になろうとした超越者……。これって当然、「柱の男」の事ですよね?地球の外へまで流刑となったのはカーズだけど、海の底に水葬されたってのは誰なんでしょうか?まぁ、エシディシとワムウは消滅しちゃったから、消去法でサンタナって事になるんでしょう。スピードワゴン財団がずっと紫外線を照射し続けていたワケではない、と。日の当たらない深海に沈めてしまったら復活しちゃいそうなもんですが、深海の圧倒的な水圧には「柱の男」の肉体さえも耐えられないという計算結果になったのかな。海底に封印……、なるほど、アリなのかも。 ( あ、コレ、後になってやっとこ気付きましたが、ディオとカーズの事なのね。)
スピードワゴン財団繋がりでもう1つ。ウーブフやイザヘラというサンプルが手に入り、スタンド能力や『矢』による影響を科学的に分析しようとする財団が新鮮でもありました。行動科学、精神医学、民俗学、生体力学、超心理学などなど、かなり幅広い分野からスタンド能力の真髄に迫ろうとしています。ただなぁ~……、この時点でここまで大っぴらにディープに調査しまくりだと、後の時代の3部以降の立場がなくなっちゃいそうじゃない?(笑)。


物語の舞台は、1974年の南米ペルーへ!請負屋アルホーンの故郷の国らしい。スピードワゴン財団の調査員が、彼のアジトを見付け出そうと探索中。もちろん、オクタビオホアキンも。
やっぱこの主役2人のキャラが好きですね~。優れた能力をいっぱい有しているけれど、決して完璧なんかじゃない不安定で歪なところが等身大で好感持てます。そして今回は、2人の出逢いも描かれていました。家族を失い、孤児院にも馴染めずにいたオクタビオ少年が、とある夜に出逢ったホアキン少年。黙っていても何を言いたがっているのか通じ合えていた2人。そうして今までずっと、言葉がなくても交換されていたものが、お互いの間を行き来しなくなる……。切ないラストとの対比にもなっています。
ペルー編はほとんどオクタビオとホアキンが主人公の物語で、リサリサ先生やエルナンデスさんの活躍はあんまり見られませんでした。リサリサはともかく、エルナンデスさんはもう1人の主役ぐらいに思ってたんで、今後に期待したいところ。彼はスタンド使いにはならず、あくまで一般人として頑張ってほしいです。


請負屋アルホーンの本名は、フェルナンド・アルホーン。ペルー編を読む限り、完全に彼こそがこの物語のラスボス!そのキャラクター性は、ディオやカーズ、吉良などの「ジョジョ」本編のラスボス達ともまた違った個性があり、何も無い「空っぽ」が彼の根底なのです。
大仰な理想も思想も信念も葛藤も何も無い。軽くて浅い人間。まぁ、それだけ聞くと単なるつまらんヤツにしか思えませんけど……、紛争や死や残酷さが身近な治安最悪の環境では、命の扱いも軽いワケで。例えば、戦争や殺人において、起こった「結果」に釣り合うだけの「原因」や「理由」なんて存在しない。戦争を起こすのも、人を殺すのも、いつだって軽すぎてどうにもならない自己愛や狂信や意地に過ぎない。そんな深みや重みの無さゆえに、逆に戦争も殺人も容易く起こってしまうし、絶対に無くならない。「非対称」「不均衡」ゆえの普遍。「等価交換」の否定とすら取れる、もう1つのこの世の真理。それを体現するかのような男なんですね。
日常生活の一部として殺人や暴力があり、そんなヤツだからこそ、簡単に軽く『矢』を扱える。その罪悪感の無さっていうか、あまりに自然体な気軽さが、いかにもヤベぇ裏組織のボスって感じで恐ろしい。彼は『矢』によって、心の奥底の叫び、「絶叫する魂 (アルマ・グリタンド)」を本人から解放させてやる事こそが使命と信じているようです。つまりは、より多くのスタンドを目醒めさせ、この停滞した世界を変える事。でも結局は、何も感じず何にも執着しない自分が唯一、好奇心を持って楽しめる事だったというだけなんですよね。どこまでも暇潰しのお遊戯に過ぎない。
実際、アルホーンは本当にホイホイと『矢』を使いまくっちゃってるもんで、想像していた以上に多くのスタンド使いが今後も登場しそうですよ。この外道がどんな最期を遂げるのかも注目ですね(笑)。


ホアキンが出会った、アルホーンの城砦の外壁に仕掛けられていたスタンド『エクエ・ヤンバ・O(オー)』(勝手にホアキン命名)。
セキュリティ・システムの如きその能力。警告を無視して外壁を登って行くほど、どんどん壁が傾いていく。直角90°だったはずの壁が、120°……、150°……、そしてついには180°の水平の角度にまで傾いてしまう。これまたシンプルながら面白い能力でした。とは言え、現実に物質的に建物ごと傾いているとはさすがに考えにくいので、あくまでターゲット個人の「体感」「実感」する角度を変化させ狂わせているのかなと思います。ひょっとしたら、角度だけではなく、高度や温度なんかも変化するよう設定できるのかもしれません。
しかし、今回はホアキンが逃げ切っただけで終了。本体も分からずじまいです。まぁ、順当に考えればアルホーンの手下の誰かが本体なんでしょうけど……、さりげにアルホーンが本体という可能性もありますよね。取調官とのやり取りで彼が話していた「感覚の網」とか「蜘蛛の巣の糸」という言葉。『エクエ・ヤンバ・O』そのものって感じしません?さらに、アルホーンに捕らえられてしまった時のオクタビオも、「眩暈がして体が傾ぎ」云々なんて印象を受けて後悔していましたが、これまた『エクエ・ヤンバ・O』の能力そのものじゃん。
ちなみに、「エクエ・ヤンバ・オー」とは、神を崇めるような意味合いの言葉みたいです。「神」など信じていない「王」たるアルホーンが本体なら、そのスタンド名が逆に皮肉が効いてくるじゃないですか。う~む、ますます怪しい。それとも変に考えすぎ?


アルホーンの最側近ドス・サントスのスタンド『緑の家 (ラ・カサ・ヴェルデ)』
植物を操り、森を生み出してしまうという、原始的でかなり大規模な能力です。ありがちっちゃありがちな能力ですが、ストレートで分かりやすい。でも、単調で大味というワケでもなく、操る「気根」はそれぞれ異なる役割が与えられており、その辺を見破って対策・攻略しなければならないという知的ゲームな側面も兼ね備えていました。
意外とあっけなくやられちゃったようにも見えましたが……、サントスは終始、『矢』から生き残った者達のスタンド発現を手引きし、その能力を見定めようとしてて、本気の殺意で向かって来たんじゃないしね。その上、オクタビオ&ホアキンの野生児コンビと、リサリサ&サーシャの波紋師弟コンビを同時に相手にするのは、ちょいと分が悪かった。でも、この期に及んでの波紋の活躍は嬉しいかも。波紋とスタンド、2つの時代の過渡期だからこそか。スタンドと真っ向勝負で立ち向かえる波紋、これはもはや3部の時代ですら見られませんでしたからねえ。


ロギンズとメッシーナの子孫が登場するのは驚きました。これは正直、想像すらした事なかったですね。そっか~、確かに彼らにも子孫がいたのかもしれんよなぁ。
ロギンズの孫:サーシャ・ロギンズと、メッシーナの孫:グスターヴ・シャウロ・メッシーナ。リサリサが信頼を置くのも納得の人物!しかし、2人は『矢』に射抜かれて、祖父の代とは逆に、当代ではメッシーナの方が死んでしまいました。せめて、どんなヤツだったのか知りたかったもんです。
生き残ったサーシャに発現したスタンドは、鳥の群れのスタンド。まだまだ能力は未知数ですが、成長するスタンドは『エコーズ』っぽくもあります。生まれたての状態から急成長し、なんとか空を飛べるくらいにはなったところで、サーシャ本体をサポートするように動き始めました。今回は紐を運んで、波紋の伝導ルートを繋ぐ助けになってくれましたけど……、もっともっと成長すれば、スタンドそのものが波紋を帯び、空を舞って遠くまで伝導させられるようになるかも。あるいは、波紋とはまったく別の能力だったり?鳥の種類ごとに異なる性質を有しているとか?非常に気になりますね。


ドス・サントスは辛くも撃破したものの、どさくさでアルホーンはオクタビオとホアキンの2人を『矢』で射抜いてしまいます。去り際、アルホーンが「2人のどちらとまた会えるか、どちらとも会えないのか。楽しみのリストの端っこに加える。」などと言い捨てて行きましたが、ヤツの予想外の「どちらとも会える」という展開を当然期待したいところです。しかしながら、2人があっさりとスタンド能力を発現させる事はありませんでした。何日も生死の境を彷徨い、ようやく目覚める。アンジェロや由花子さんなんかの例とは大違いですが、果たしてこれは才能の差なのか、『矢』の性能の差なのか……。
病室に閉じ込められたホアキンの元に、リサリサが訪れ、ホアキンにせがまれて自分の昔話を語ります。その時のリサリサの雰囲気がなんとも優しげで、また、話す言葉からは彼女の持つ強さ・深さも感じられました。これからの世代に、正しく時代を明け渡す。未来へ置き土産を残すそのために、彼女は再び戦いに身を投じたそうです。そんなリサリサが生きた時間の空気を感じ取ったホアキン。自分達はリサリサの物語の一部であり、リサリサもまた、自分達が紡いでいく物語の一部になる。そう思ったようです。なんか、人間の在るべき生き方っつーか、人間讃歌をビンビンに感じる良いシーンですよね。
一方、オクタビオはホアキンよりもよっぽど重症で、なんと左脚を切断!元気が取り柄だったのに、心もすっかり折られてしまいました。アルホーンのアジト潜入からドス・サントス撃破まで、縦横無尽に破天荒な活躍を見せてくれただけに、このドン底展開はあまりにギャップが痛々しい。とは言え、2人がこれからの時代の立役者になる事はすでに明示されていますし、生き残っている以上はスタンドももちろん発現するはず。必ずや再起してくれるでしょう!


ホアキンにはスタンドが発現。……というより、今は暴走しちゃってる感じです。その能力は「夜」。ホアキンの周囲を「夜」で包み込む、というもの。射程内に入った者は、実際の時間が何時だろうと関係なく、体内時計が急激に狂わせられてしまいます。ド深夜に無理矢理起きてる時みたいに、くたびれて活動力が低下し、睡魔に襲われてしまうのです。その力はどんどん増しているようで、太陽が暗闇に覆い隠されるため、たちどころに気温さえも低下。生き物達を凍えさせてしまいます。そうか、延々と続く「夜」ってこんなに恐ろしいんだな。「火山の冬」や「核の冬」みたいなものですからね。
ただ、まだまだ能力の全容は不明です。今は「本当の能力」のごく一部の効果を見せられているだけ、という可能性も十分あるワケです。例えば、ホアキンの心理状態を現実世界に投影させるような能力なのかもしれません。暗く冷たく沈んだ想いを抱え込む事になったから、それが現実にも反映されて「夜」になった……とかね。ドス・サントス戦にて、ホアキンは「テレパシーが使えたら!」って願ってましたが、これもテレパシー能力の一種なのかも。自分の心を世界に伝送し、それを受け取った世界が姿を変える。
あるいは、そもそもホアキンの能力ではなく、オクタビオの能力という線だってあり得るでしょう。オクタビオこそが今、明けない夜の如き深い絶望に閉ざされているんですから。オクタビオのスタンドがホアキンに取り憑いているだけで、ホアキンのスタンドはまた別に在るんです。もっと言っちゃえば、オクタビオとホアキン、2人で1つのスタンド能力だったというオチだってあるかも?
能力の方はさておき、このスタンドは後に財団から名前を付けられたそうです。『無限の王 (エル・アレフ)』、と。うおおッ、まさかスタンド名だったとは!しかも、この物語の主役のスタンドだったとはッ!!調べてみると、「エル・アレフ」はホルヘ・ルイス・ボルヘスという作家の短編小説集のタイトルだそうで。それを「無限の王」と訳す真藤氏のセンスがイカしてるな。そして何より、小説のタイトルがスタンド名に付けられるこの作品において、この小説そのもののタイトルが主人公のスタンド名の元ネタになるっていうのがメッチャ巧いし熱いッ!渦を巻くタイトルロゴのデザインも、垂れ落ちた滴から渦巻く「夜」の闇を表していたのか~。


オクタビオは、さんざん欲していた「驚異の力 (ラ・マラビジャス)」=スタンド能力を手に入れる事が叶わず、それどころか左脚を失ってしまう。これだけでも絶望なのに、相棒ホアキンは五体満足で能力を獲得しちゃったもんだから、嫉妬や逆恨み、置いて行かれてしまったような孤立感まで抱いてしまう。しかし、ホアキンもホアキンでしんどいワケです。理不尽に訪れた「人生の変転」に対する混乱、相棒を差し置いて自分だけが「当たり」を引いてしまった負い目、本物の「悪霊」のような力で周りの人達を巻き込んでしまう事への恐怖。結局、ホアキンは逃げるように、自らを流刑に処すように、財団を後にするのでした。
「悪霊」を恐れ、自ら牢屋に引き篭もった承太郎と、やってる事自体は同じなんだよなぁ。でも、「夜」「暗闇」「眠り」「凍え」「滅び」、そういった寒々しいものを引き連れての旅だから、悲壮感がより一層増しています。それでも、オクタビオとホアキンの2人は一緒。何があろうと、お互いがお互いの一部であり半身なのです。それがお互いを縛る「呪い」となるか、はたまた、未知の「悪霊」を飼い慣らす「支え」となるか。そこは次回を待つほかありません。
そんなワケで、次回はブラジル編になりそう。2人が流れ着いた先は、アマゾンだったのです。ブラジル、アマゾン……。荒木先生は恐らく中南米を舞台にする事はないだろうから、この初めての響きにワクワクが止まらないぜ。2人の成長と再起が、生命溢れる密林の奥地でどう描かれるのか、スゴく楽しみです。オマケに言うと、ドス・サントスからサーシャが守ったメスティーソの少年もまた、スタンド使いとして目醒め、どこかで見せ場が来たりするのかな?


(2023年9月20日)





< 完結編 >

「ペルー編」に続く第3話は、なんと「完結編」!2023年12月19日に発売された「JOJO magazine」2023 WINTERに掲載されました。
ええ~、もう完結なのかよ。てっきり「ブラジル編」って事で、まだ続くものとばかり思ってたのに。残念。その上、正直、私が期待していたような展開や結末とは程遠かった事もあって、その点も実に残念でした。予想外のストーリーとなって、面白い事は面白かったんですがね。やっぱさ、前2話を読んできてオクタビオとホアキンにも愛着が湧いているワケで。応援したい気持ちが強まっているワケで。彼らの絶望からの再起を描き、大活躍して幸せになってほしかったし、もっとスカッと気分良く終わってもらいたかったですよ。
まぁ、でも……、本編では描かれない舞台で、個性的なキャラクターと能力が躍動する、唯一無二の物語でした。時代的に3部との繋がりも濃く、デーボやJ・ガイル、フォーエバーなんかの存在も示唆されてましたし、エピローグにはジョセフも出て来ますしね。モヤモヤした感情が残るラストではあるけど、総じて楽しかったです。

では、細かい感想については、またまた箇条書きで述べていきましょう!


まず、「ペルー編」から12年も経ってしまった事に驚きです。1986年かよ!もうDIOも復活しとるじゃん!しかも、のっけから不穏極まってまして、アマゾン奥地に存在する「夜」が明けない麻薬カルテルっつー時点で、どう考えてもイヤな予感しかしません。ここからどんでん返しで、オクタビオ達が復帰・活躍するルートになってくれないかなと期待してましたが、やっぱりそうはならなかったよね。
実際は、2人が悪に堕ちて、麻薬カルテルのボスとなり、リサリサ達の敵として再会するという展開です。一番そうなってほしくなかった展開。こうなっちゃうなら最初っから、輝かしい未来が約束されているかのように「これからの時代の立役者!」とか書かないでほしかったなぁ~。グアテマラとペルーで多少の活躍はしたとは言っても、そこまで大袈裟なもんじゃないし。この物語の完結後も含めての話だとしても、もはや取り返しのつかないところまで行っちゃったのに、また財団にのこのこ戻るってのは不自然だしね。


ラスボスかと思ってたアルホーン、この12年の間に、とっくにオクタビオ達と出会って戦い、敗れ去っていました。しかも、なんと生きた生首と化してました。あんなに大物ぶってたクセして肩透かしもいいトコですが、こいつの柄の悪い語り口は割と好きです。
アルホーンのスタンドは『闇の奥 (エル・コラソン・デ・ラス・ティニエブラス)』。殴った物質の中身を「付け換える」能力。人を殴れば人体の部位が、建物を殴れば壁の位置が、入れ替わってしまうという能力。アルホーン本人が「エクスチェンジ」と言ってた通り、「両替」や「等価交換」とも受け取れます。こいつにとっては、全てが「等価」であり「無価値」なのかもしれません。生首のままで生きてられるのも、自分の「心臓」と「右頬骨」を交換したから。絵を想像すると、かなりエグい能力ですよね。
結局、『エクエ・ヤンバ・O』はアルホーンのスタンドじゃなかったか……。そもそも再登場すらしなかった。


ホアキンの正体には意表を突かれました。よく考えれば予想できた事だったかもしれませんが、私はまったく思い付かなかったなぁ。でも言われてみれば納得。『矢』に射られるよりずっと昔に、オクタビオにはスタンド能力が目醒めていて、その能力によって創られた存在こそがホアキンだったのです。オクタビオの能力とは、生涯でただ一度だけ、自分が望む者を「産み出す」能力。孤独だったオクタビオ少年は以心伝心の「親友」「相棒」を望み、無意識のうちにホアキンを産み出したってワケですね。アイデンティティを喪失したホアキンの姿は、ちょっと定助も重なって見えました。
自らの能力を自覚していなかった頃は、オクタビオの目にもスタンドが見えなかったものの、いつしか真実に勘付き始めるに従って見えるようになっていった模様。その辺は、ちょっと「ジョジョランズ」っぽさもありました。ただ単に才能があれば良いという事ではなく、見ようとしなければ見えないものなんでしょうね。
そして、そんなホアキンに発現したスタンド『無限の王 (エル・アレフ)』。決して明けない「夜」の力。その真の能力とは、やはり「産み出す」能力。なんと、夜の闇から「未知なる生物」を産み出しました。その生物は、この世のどこにも存在しない生命。分裂・増殖を繰り返し、膨張していく。大きさも形も様々で、生物もスタンドも構わず捕食していく。その数は無限。太陽の光の下で生きる我々「表の生命」「光の生物」とは対極の、「裏の生命」「闇の生物」とでも言うべき者達。ある種、「吸血鬼」や「闇の一族」と近い領域に位置する生物です。なるほど~。明けない「夜」はあくまで、こいつら「闇生物」が棲息できる環境を整えるための準備段階に過ぎなかったのね。「レクイエム」級のとんでもない能力ですわ。
……ところで、リサリサ達は何故、明けない「夜」がホアキンの能力と気付かなかったんでしょうか?『矢』で射られたホアキンの体調をずっと診てたろうに、明らかに不自然にみんな爆睡ぶっこいてたのに、まるで気付かなかったとでも言うんでしょうか?「夜」に覆われている真っ只中なら、思考力が低下するのも仕方ないけど、ホアキン達が去ってからは情報を整理・分析する事だって出来たろうに。


12年経って、リサリサもとうとう100歳近い婆ちゃんに。でも、凛とした雰囲気は昔から変わりません。……にしても、まさか自らを『矢』でブッ刺してスタンド使いになるとは思わなかったな~。かなりビックリ。
しかも、『矢』の入手経路が「結石」のスタンドからとは。過去に肌で触れ、血と混ざり合った物質を、本体の皮膚下に「結石」として出現させる『血の祭り (ヤワル・フィエスタ)』。そのものズバリで『矢』を手に入れる展開のためだけに作られたようなスタンドだけど、ちゃんと能力が本体の害となって、それをリサリサが諭し、能力をコントロールできるようになって……という自然な流れになってるのは良かったです。
そして、目醒めたリサリサのスタンドは『ザ・ハウス・オブ・アース』「太陽風」を起こす能力。超伝導の粒子を含んだ「風」は、電気抵抗がゼロであるため、「波紋」のエネルギーさえも送り込める。つまり、離れた場所にいる相手に対しても自在に「波紋」を流せるってワケで。まさしくリサリサに相応しい能力と言えましょう。明けない「夜」に対する「太陽」、「闇」に対する「光」。その対比も美しい。実際、「闇生物」は闇そのものでもあるためか、太陽のエネルギー=「波紋」に弱いという性質がありました。設定として、非常に良く出来てますね。「太陽」の力なのに「地球の家」「大地の家」って名前なのが、自分の居る場所を、居るべき世界を、しっかり解ってる感じがして好きです。
これはオクタビオとホアキンとの戦いでのみ使われたスタンド能力で、同時に、恐らくは「波紋法」の最後の檜舞台ともなりました。かつての波紋使い達の姿が「風」の中でリフレインされるシーンは、ちょっと感動です。でも、いくらヤワな人生送ってないからって、ラッシュの掛け声が「ヤワヤワヤワヤワ!」って(笑)。


サーシャのスタンドの名は『夜のみだらな鳥 (エル・オブセノ・パハロ・デ・ラ・ノーチェ)』。12年のうちに雛鳥達もすっかり成長し、能力として完成されたっぽい。イメージとしては、『ピストルズ』と『ハーヴェスト』を足して割ったような感じで、要は「鳥の大群」のスタンドを自由に操るというシンプルなもの。食い意地が張ってて、排泄までするので、随分と世話の焼ける鳥さん達ですが……、広範囲に渡る情報収集、爪や嘴による攻撃、さらには本体をも連れての飛行能力と、かなり万能な活躍を見せてくれました。
また、複数の鳥さん達が集まって、伝説上の巨鳥「鵬 (おおとり)」を出現させる事も可能です。これはスタンド自体が融合・合体したって事なのか、はたまた(スイミーのように)群体が1つの怪物を作り上げているって事なのか、どうなんでしょうね?
もし、この「鳥の大群」そのものに波紋を帯びさせる事が出来れば、シチュ的に大活躍間違いなしだったんですけど、そんな事はありませんでした(笑)。でも、糸を鳥達に張り巡らせて「結界」を作るとかも出来たろうに、今回のサーシャは脇役すぎて物足りなかった。ちなみに……、今作において、波紋はスタンドに効かないという設定になっていました。う~ん、そうかなぁ?ジョセフとDIOのやり取りを見る限り、スタンドにも波紋は流れそうですけどね。


何度も書いた通り、オクタビオとホアキンの末路は全然好きじゃないんですが……、でも、2人が抱える孤独と苦悩、絶望はビンビンに伝わってきました。望んだようには生きられなかった悲しみ。どこまでも堕ちていくしかなかった弱さ。理不尽な世の中、不条理な運命。それらに翻弄されて、悪の道を歩まざるを得なかった者達なんですよね。ジョディオ達にも通じる悲哀がありますよ。そういう切ない読み味は良かったな。リサリサの願い通り、せめて2人の命は助かって、その心も多少なりと救われていてほしいものです。閉幕を示すオーロラがニクい演出でした。
エピローグ。リサリサはようやく、激しい戦いの日々から離れ、穏やかな余生を送っていました。なんと、ジョセフまで登場!まさにこれから承太郎に会いに日本へ発つところだったようです。未だ明確に呼び名が定まっていない「驚異の力 (ラ・マラビジャス)」……、オクタビオとホアキンを想い、それを「友達」と呼ぶリサリサ。その言葉にも影響を受け、ジョセフは「そばに立つもの (スタンド)」と名付ける事になるのでした。ほほう、なかなか粋な話じゃないですか。でも、3部開始直前の時点なのに、いくらなんでも財団に「スタンド」や『矢』の情報が集まりすぎだよね(笑)。
爽やかで、どこかもの寂しく、微睡むような余韻のあるエンディングでしたが、釈然としない気持ちも残りました。これって、元々構想していた通りのストーリーだったのだろうか?もっとじっくり続けてくれても良かったのに、なんか打ち切り漫画みたいな急展開に感じちゃいましたねぇ。意外性重視の展開よりも、やっぱアゲアゲの王道の物語こそが読みたかったっつーのが偽らざる本音であります。


(2024年4月9日)




(ちょびっとだけ追記)

2024年4月18日、とうとう「無限の王」の単行本が発売されました。特筆すべきは、第2話「ペルー編」冒頭の「神」と「王」にまつわる話が、序文として再構成され、その内容も書き直されていた点ですね。やはりここで言う「王」とは「スタンド」の事でもあり、それがまた新たな時代と危機を生み出していくっつー事で、スピードワゴン財団が後世の助けとなるべく遺した記録こそがこの「無限の王」だったワケです。どうやらリサリサの手記やメモを網羅し、他の様々な証言や情報を集め、資料や文献の域を超えた1つの物語を目指したらしい。
こういうの、個人的には好きですよ。とうに過ぎ去ってしまった時代の記憶を紐解く、みたいなの。この本自体に特別な意味がある、みたいなの。財団が遺した物が今、自分の手元にあって、それを読み解いていく……という、ちょいメタな体験になるもんね。「The Book」にも似た仕掛け。この序文だけでも、本編の読み味はけっこう変わりそうですよ。
ちなみに、「神」と「王」の話が丸々抜けてしまった「ペルー編」冒頭も必然、再構成されております。アルホーンという人物が歩んだ足跡が延々と書かれていますが、その前段階として、読者に彼という存在を紹介する文章が追加されました。うん、分かりやすくはなってる。連載版と単行本版をじっくり比べれば、もっと変更点が見付かったりするかもしれませんね。


(2024年4月21日)




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