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『矢』と『レクイエム』について





第4部で存在が明かされ、第5部においてルーツが語られた『矢』。数万年前に飛来した隕石の中に含まれた未知の殺人ウイルスが、感染して生き残った者に特別な力を授ける。これがスタンド使いの生まれる秘密であり、その隕石こそが『矢』の原料でした。そして、スタンドを更に『矢』で貫く事で、『レクイエム』という全ての生物の精神を支配する力を手に入れられるのです。
しかし、それでも多くの謎を残したまま、「ジョジョ」は新たな世界に突入してしまいました。恐らくはもう描かれる事もないでしょうから、自分の解釈を書いてみる事にします。



まず結論から言うと、隕石や『矢』に含まれたウイルスとは「運命」そのものであると思います。「運命」という全てを超越した力の一部が、ウイルスに極めて近い形・性質を取った姿なのです。……え?突拍子もない?電波?でも、魂やスタンドにまで作用する以上、常識の計りを超えたウイルスである事は間違いありません。『フー・ファイターズ』が話していた、宇宙が形作られる以前から存在している「大いなる知性」のかたまりとも言えるのかも。『矢』が射抜くべき者を自ら選び出すのも、射抜かれた者が射抜いた者の味方になるのも、スタンド使い同士が引かれ合うのも、全てそこに「運命」の意志が直接働いているからです。
つまり、スタンド使いとは「運命」に選ばれた者なのです。この世の誰もが縛られている「神の法」を、1つだけ破る事が出来る力を与えられた者。たとえば「壊れたモノは元には戻らない」という法を破る許可証が『クレイジー・D』であり、「時の流れは止められない」という法則から自由になれるのが『スタープラチナ』や『ザ・ワールド』なのです。(なお、選ばれなかった者は、自然の理を超える程のエネルギーに肉体も精神も耐え切れず、死ぬ事となります。)
『キング・クリムゾン』は『矢』を発掘したディアボロのスタンドだけあって、とりわけその力が大きい様子。「未来を予知した場合」での未来を予知し、その上で都合の悪い未来を変える事さえ出来ます。これを打ち破るために使われたのが『矢』と、それが生み出す 『レクイエム』。第5部レビューでも触れましたが、5部ラストで『矢』は勝利の運命の象徴として扱われています。無敵のはずの『キング・クリムゾン』をも一蹴してしまう程の圧倒的パワーは、神にも等しい力と受け取って構わないでしょう。「運命」そのものの力でなくては対抗し得なかったのです。


ジョジョ世界における「運命」には、3つの階層があるものと思われます。それぞれ「表層運命」「中層運命」「深層運命」と仮称するとしましょう。
「表層運命」とは、「運命」というシステム自体に何者も介入していない状態での運命。
この「表層運命」の流れが(断片的であれ)読み取られ、変化させられた状態での運命が「中層運命」。つまり、『トト神』や『エピタフ』の予知、『バイツァ・ダスト』の時戻しによる運命改竄、『メイド・イン・ヘブン』の天国創造・・・などの特殊な能力で変えられた運命の事。
そして「深層運命」とは、運命が変えられた事さえも「シナリオ」に組み込んでいる運命。つまり、あらゆる存在・あらゆる事象・あらゆる次元をも内包した、「運命」の本当の形。これだけは何者も抗う事は出来ません。

『レクイエム』とは、この「深層運命」の意志のようなものを宿らせた存在なんじゃないでしょうか。 『レクイエム』を生み出すのは、ポルナレフが持っていたデザインの違う『矢』だけと私は考えています。それはミケランジェロの言うように「彫るべき形の限界」が、そこに秘められた可能性が、他の『矢』とは違うからこそのデザイン。同じ隕石から作られたとしても、「運命」の意志が特に強く宿っている部分から作られた『矢』なのでしょう。他の『矢』にはそこまで深い「運命」は宿っておらず、『ブラック・サバス』戦を見るに、スタンドを貫いた場合は逆にスタンドを消滅させて(本体も死ぬ?)しまうと推測されます。


『チャリオッツ・レクイエム』は暴走状態だったためか、地球の生命が辿って来た数十億年の歴史と運命を捻じ曲げるような形で発現してしまいました。あのままだったら恐らく、全ての生物達は『矢』を手にしようとする意志さえ持てない、仮に『矢』で貫いても何の変化も起こらない生物へと変貌を遂げていたと思います。『矢』を護るためだけに「運命」の力が使われた結果です。
しかし、『ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム』はジョルノに制御されました。制御と言っても、その力の一端すらジョルノ自身も知る事はありませんでしたが。ディアボロに語り掛けた『G・E・レクイエム』の言葉は、まさに「運命」からの言葉であったと思います。『矢』をその身に取り込んだ事によって、「深層運命の具現」という究極の存在となったのです。『キング・C』を持つディアボロでも、「運命」の最深部にまで潜っていけるだけの力や資格はありません。「運命」の表層から中層を行き来する程度が限界の彼など、取るに足らないちっぽけな人間。結局、「正義の道」を歩むように書かれている「深層運命」のシナリオに従って、邪悪・ディアボロは然るべき裁きを受けるのみです。
ディアボロが見た「勝利の予知」はいつか必ず起こる真実。ただ、『G・E・レクイエム』は彼の行動や意思を無にする事で、その「いつか」を永遠に先送りにしてしまったのです。そして無駄無駄ラッシュでディアボロをブチ殺し、この時、彼の「運命」を輪っか状に閉じて固定してしまいました。これで彼は、無限に「生」と「死」を繰り返し続け、どこにも向かう事が出来なくなったのです。真実に向かって行けば、いつかは辿り着く。しかし、どこにも向かえない彼は、決してどこにも辿り着く事も出来ない。
もう少し詳しく言うと、固定されたのはディアボロが「死ぬ」という「運命」のみ。「いつ」「どこで」「どのようにして」死ぬかまでは固定されていません。そのため、時間も場所も死に方も次々と変わります。死が繰り返される度に、本来の「自分の死の形」から徐々に離れて行ってしまうのでしょう。なお、彼が死んでもすぐゼロに戻されるので、その「死」自体が無かった事になります。ディアボロ以外の者には、記憶にも記録にも一切残りません。言い方によっては、彼だけが別の次元にいると言っても良いと思います。もっとも、プッチが死んで新世界になった今、ディアボロも普通にパラレルな存在となって別の人生を歩んでいるでしょうけど。



ちなみに、「深層運命」の意志を宿す『レクイエム』の『矢』で発現したスタンドは、必然的にこの世の「運命」に深く関わる能力となります。『ホワイトスネイク』と『ウェザー・リポート』がその代表。DIOを貫いて『ザ・ワールド』を目醒めさせたのも、この『矢』なのかもしれません。
『メイド・イン・ヘブン』による時間加速〜宇宙一巡を『G・E・レクイエム』で阻止できなかったのも、「運命」=「神」がそれを望んでいたからと考える事が出来ます。「神」がウイルスの形を取って地球に飛来したのは、6部ラストの新世界へと生命を導くためだったのかも。
第7部「SBR」では隕石とかよりも、聖なる「遺体」の力が人々にスタンド能力を授けているような描かれ方です。ひょっとすると「SBR」のラストで、「遺体」と共にスタンドの概念自体も消滅し、第8部からはもう二度と描かれない……なんて可能性もありますね。




(2006年1月14日)




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