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第5部 ジョルノ・ジョバァーナ
― 黄金なる遺産 ―


「黄金の風」





「週刊少年ジャンプ」1995年52号〜1999年17号にて連載されました。
ジョナサンの肉体を奪ったDIOの息子:ジョルノ・ジョバァーナ(本名:汐華初流乃)が主人公となる第5部。2001年のイタリアを舞台とし、ギャング組織での抗争を描いたピカレスク的異色作です。ギャングという「悪」の中での、正義と悪の戦いが繰り広げられます。DIOとジョースター、両方の血統を受け継ぐジョルノだからこそ可能な設定でした。当然、内容もダーティーでバイオレンス。4部がじわじわ忍び寄る恐怖を描いたのだとしたら、5部はもっと直接的で攻撃的な脅威が描かれます。(これでもかなり規制・修正されたらしく、当時の荒木先生はマンガ表現についての苦悩や葛藤が渦巻いていたそうですが。)たまにギャグシーンやブラック・ユーモアもあるとは言え、戦いの連続で息つく暇もありません。その辺で好みが割れそう。
5部は集団劇を描きたかった」という荒木先生の言葉通り、チームでのやり取りやチーム戦が多くを占めています。1人1人仲間が増えていった今までの部とは違い、ジョルノがチームに加わる事で一気に仲間が出来ました。ジョルノの存在が仲間達の正義の心を呼び起こす。孤独主義っぽかったジョルノも徐々に仲間に認められ、仲間を信頼する心を得ていく。真の意味でのチームになっていきます。敵もまた、徒党を組んで襲って来ました。ズッケェロ&サーレー、暗殺チーム、親衛隊、チョコラータ&セッコ、そしてディアボロ&ドッピオ。ボスVSリゾットや『レクイエム』戦なんかは、5部ならではの多元的な展開ですね。
私は全ての部をこよなく愛していますし、どれが一番面白いかとか好きかなんて決められるワケもありません。ただ、この5部が一番自分に合っているかもしれないとは感じています。いろんな部分がツボにハマッて、何度でも自然に読み返せる部なんです。




<ストーリー>

基本的には3部的な一本道のロード・ムービーですが、中盤にて大きな転機が訪れます。ボスと組織への裏切りです。それまで組織からの命令に従うだけだった彼らが、紛れもない自分自身の意志で歩き始めます。ここを境に、ジョルノ達の立場は一転。裏切り者を始末し、ボスの援助を得ながら旅をして来た彼ら自身が、裏切り者として組織から追われるようになりました。そして、仲間の犠牲やポルナレフの協力を経て、ついにボスを倒します。ジョルノは新たなボスとして君臨。これがほんの一週間程度の出来事だから驚きです。まさに風のように吹き去って行った物語。
4部で登場した『矢』もストーリーに深く関わってきます。何せ『矢』を発掘した人物こそ、組織のボス・ディアボロだったぐらいですし。その上、意外にも『矢』のルーツや原理が判明。2部での「エイジャの赤石」に近い位置付けで、『矢』はウイルスによってスタンドをさらに進化させる道具だったのです。やはり「ジョジョ」という物語では、「進化」も大事なキーワードになっているのだと改めて痛感させられました。


この5部で最も重要なエピソードは、やはり「今にも落ちてきそうな空の下で」エピローグ「眠れる奴隷」でしょう。ここに5部のテーマが集約されていると思います。基本的に荒木ワールド内では、運命は決して変えられないものとして扱われています。しかし、たとえ死の運命から逃れられなくても、誰かに何かを遺し、伝える事は出来る。自分が成し遂げられなかった事は、後の者達が受け継いでくれ、それをさらに次なる世代へと託してくれる。この連続によって、生命は、人間は「進化」してきた。だからこそ、正しい心を持ち続け、信じる道を歩き続けないといけない。「先」へと進んで行かなくてはならない。それこそが生きる事の意味。言葉にすると陳腐ですけど、これは「運命」に対する回答です。『矢』や『レクイエム』の設定も含めて、「究極の精神とは何か?」という問いへの1つの答えを示した部でもあるかもしれません。
自分の運命を受け入れ、死んでも戦い続けたブチャラティ。そんなブチャラティの心を生き返らせ、そして彼の遺志を継いでゆくジョルノ。「去ってゆく者・託す者」と「残された者・受け継ぐ者」。この両者の関係は言わば、人間讃歌の体現なのです。彼らに相対するディアボロの、結果だけを追い求める孤独な姿と能力はその対比ですね。




<キャラクター>

ギャング組織のメンバーだけあって、敵味方問わず、どいつもこいつも覚悟が決まりまくってやがります。命乞いなど一切せず、自分の信じるもの・望むもののために全てを懸ける男ばかり。腕の一本や二本、平気で切り捨てられる連中です。甘えの無い真に厳しい世界に生きている彼らの姿には、時には恐怖を感じ、時には強烈に心を打たれますね。
そして、各キャラクターのギャングになった理由が丁寧に描写されており、それが現在の戦う動機にも繋がっていました。そこには暗黒の世界に身を堕とした者達の哀愁が漂っております。荒木先生自身、「一番キャラクターが描けたのは5部」とコメントしているように、5部はそれぞれの人生と運命が絡まった必然で生まれたものであると言えるでしょう。文庫版のあとがきで語られていますが、5部は荒木先生にとって愛着とか思い入れ以上に、主人公達の仲間に入れてもらったという気持ちがあるようです。単なる「作られたキャラ」を超えて、「生きた1人の人物」になっていたんでしょうね。


5部どころか、全荒木作品中で最も好きなキャラかもしれないのがジョルノです。てんとう虫のようにひたすら上を目指して登っていき、高みへと飛び立っていく男。その名前と能力が示す通り、太陽のように生命の力を注いでくれる存在だと思います。歴代ジョジョの中で唯一、(否応なしに戦いに引き込まれていったのではなく、)自らの意志で過酷な戦いへと身を投じたのがジョルノ。それは自分が正しいと信じる夢を強く持っているからこそ。だから、生きる目的を見失った仲間達の「死に逝く心」に光を照らせたのです。ジョナサンの穏やかで紳士的な態度と、DIOの上昇志向や冷酷さ・容赦のなさが程良くブレンドされた、ジョルノの善と悪を併せ持った性格大胆かつ綿密な行動には本当に震えが来ました。群像劇であるが故にイマイチ目立ってないかもしれませんが、「物語の主人公」というより「希望の象徴」として位置付けられているのが彼なのです。
フーゴも好きですね。一見するとジョルノとキャラが被ってるようにも見えますが、あの不完全で不器用で不安定な所に好感が持てます。普段は礼儀正しく知的なのに、ちょっとしたキッカケでキレて爆発してしまう。一時の感情に流される事を嫌いながらも、自分の凶暴な衝動を抑え切れない。そんな危うい二面性が魅力でした。組織を裏切るブチャラティ達と袂を分かつのも、逆にフーゴらしくて良かったです。危険を冒してまで理想や正義を貫く事はせず、あくまで現実を見据えて自分の損得を優先。彼の思考と決断はごく当然のものでしょう。むしろブチャ達の方が異常なくらい。でも自分自身が不安定だから、何よりも安定を求める部分があるのかも。エリートから墜ちに墜ちて、ようやく居場所を見付けた彼には、これ以上の変化を恐れる心理が根底にありそうです。「ボスのスパイって構想だった」とか「能力がヤバすぎる」とか、そーゆー裏事情は置いといて、フーゴのリアルな描写が印象に残りました。
暗殺チームの連中もカッコ良かった。いかにもならず者のアウトローで、悪の美学を感じますね。それぞれ個性的で、みんな任務遂行を第一に考えるクールな仕事人です。やる事は冷酷で残酷だけど、覚悟する者が持つ気高さと熱さが確かにありました。ブチャチームも暗殺チームも、ちょっと運命が違っていれば立場が逆だったかもしれないなどと考えると、どこか物悲しさを覚えてしまいます。




<バトル>

4部から一変して、全ての戦いがマジに命懸け。けっこう衝撃を受けました。敵も味方も相手を殺すために戦っているので、バトルも当然のように激しくなります。腕が吹っ飛ぶのも、弾丸をブチ込まれるのも日常茶飯事。戦いが終わる時、それはどちらかが死ぬ時なのです。ハードでスピーディーなバトルが5部の持ち味。
スタンドというシステムもすっかり円熟し、能力は複雑化が進みます。もはや軽く流し読みする程度では、理解が追い付かないレベル。いろんな評価を見たり聞いたりする限り、この5部あたりから「何やってんだか分からん」という人が急激に増えるようです。それなりの脳内補完力も要求されると言えましょう。ジョルノの回復能力のおかげで、ケガの描写を毎回ド派出に演出できるようになった反面、ダメージの重みが薄くなってしまい、読者的にも手足が吹っ飛ぶくらいでは何とも思えなくなってしまう欠点もあります。


お気に入りバトルは多くて選び切れないんですが、3つほどピックアップ。

イルーゾォ戦は4人の能力が入り乱れる名バトル。死の街・ポンペイ、死の世界を創り出す『マン・イン・ザ・ミラー』、死のウイルス『パープル・ヘイズ』、死を前提に戦うアバッキオ。「死」に囲まれた中で、ジョルノの「生」の輝きの力強さが際立っていました。フーゴの最初で最後の戦いでもあるし。
ボスVSリゾットは、敵同士が戦うという珍しいパターンです。ボスのもう1つの人格「ドッピオ」と、暗殺チーム・リーダーのリゾットの熾烈なバトル。電波なドッピオの頑張りに燃え、リゾットの未知なる能力に驚き、攻守が次々と入れ替わっていく戦況に興奮させられました。お互いに謎を解き合い、その隙を突き合う、先が読めない高度な戦闘が楽しめます。しかも、ナランチャの『エアロスミス』を利用しての、実に意外な決着。リゾットの最期の意地と誇りもまた壮絶で心に響きました。
『レクイエム』〜ラストバトルは悪夢のような、それでいて神聖な雰囲気があってイイ。ボスの二重人格設定をうまく活かせた『レクイエム』の精神入れ替え能力。ジョルノ達とディアボロが、『レクイエム』の持つ『矢』を巡って間接的に戦う構図が新鮮です。『矢』こそが勝利の運命の証。コソコソと逃げ隠れ続け、自分の半身・ドッピオを切り捨て、娘の命をも踏みにじるディアボロ。覚悟を持って、信じられる仲間と共に戦うジョルノ達。彼らの運命に対する姿勢そのものです。運命がどちらを選び、どちらを裁くかなど分かり切った事。『矢』=運命を手にしたジョルノの前には、ディアボロの邪悪な意志なんて無駄無駄なのです。ディアボロにはもう少し粘ってほしかったけど、あれも必然なのかな。かなりテーマ性が深いバトルで、厳粛な気持ちにさせられました。




(2005年9月24日)




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