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舞台
「MUSICAL ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド」





2023年6月1日、世界に衝撃走る!なんと、「ジョジョ」が世界で初めて舞台化される事が報じられたのです。第1部がミュージカルとして、2024年2月に東京・帝国劇場で上演されるとの事。後に明かされましたが、2024/2/6~28の東京での公演を皮切りに、3/26~30には北海道札幌市、4/9~14には兵庫県西宮市をツアーで巡回する予定となります。演出は、かつて舞台「死刑執行中脱獄進行中」で演出・構成・振付を手掛けた長谷川 寧氏が担当!私はミュージカルというものを生で観た経験がないんですが、こいつはスゴイ事になりそうな予感です。もしミュージカルにするなら、一番合いそうなのは1部だと前々から思ってましたし。
そして、それから3ヶ月近く経った8月下旬、ついにキャストが発表されました!ジョナサン役には、松下優也さんと有澤樟太郎さんのダブルキャスト。ディオ役に、声優としても活躍されている宮野真守さん。エリナ役に清水美依紗さん。ツェペリさん役はダブルキャストで、東山義久さんと廣瀬友祐さん。……等々、錚々たる顔触れ。扮装ビジュアルの方も、各々のキャラクターの雰囲気が表現されていて、期待が高まります。「ジョジョ」の長い歴史の中に新たな1ページを刻むであろうこの作品を見届けるべく、チケットもしっかりゲットしました!

そして、とうとう待望の2024年2月。初日の幕が上がる2日前……、2月4日に、信じ難い事件が起きました。なんと、急遽、一部公演が中止となってしまったのです。中止となったのは2/6~8の4公演。
そりゃあもう大炎上ですわ。キャストやスタッフの急病・ケガといった止むを得ない事情ではなく、「準備不足」などというプロにあるまじき理由だったのだから無理もありません。初日・初回の幕開けを狙っていた人、ジョナサンの命日にあたる2/7を狙っていた人、そんなガチ勢がいっぱいいるワケで。その日をずっと心待ちにして、せっかく多くの時間とお金とエネルギーを注いできたというのに、理不尽にも直前で全てが無となってしまった。突然の裏切りに、納得できぬ人達の怒りと悲しみが爆発。当然の帰結です。私は2月下旬のチケットを買ったので、直接的な被害はなかったものの、さすがにいたたまれない気持ちになりました。
あまりの炎上に、運営側もチケット代のみならず交通費・宿泊費の全額返金を決定したのですが……。しかし、騒動はこれで終わらず。なんとなんと、開幕がさらに3日も遅れ、2/10・11の3公演の中止が発表。もはや泥沼……ッ!結果的には、どうにか2/12に幕は開き、内容自体の評判もすこぶる良さげではありました。でも、信頼を裏切られた人達が大勢いる事実は変わらないので、運営側にはせめてキッチリ原因を追究し、再発防止策を講じていただきたいもんです。


そんなこんなで、観劇前からめっちゃトラブッてケチが付きまくっちゃった今作ではありますが……、私が実際に観る時はこれら一切合切を一旦忘れ、純粋に公演そのものを楽しませてもらいます。
荒木先生が描かれる「原作」のみが唯一無二の究極であり、それ以外の二次創作は全て等しく「別物」と割り切ってますんで、大概どんなものでも気楽に楽しめる人間なのです。また、公演中止となってしまった人の怒りや悲しみは、あくまでその人自身のものであって、私の気持ちまでそれに引っ張られる必要はまったくありませんから。



―― というワケで、前置きが長くなりましたが行って参りました!私が観劇したのは、2/25(日) 13:00からの回。ジョナサンが有澤さん、ツェペリさんが廣瀬さんの回です。
まず、舞台となる帝国劇場は、明治の時代から続く由緒ある劇場。今のビルも竣工から50年以上経ったという事で、来年2025年に建て替えが予定されています。つまり、この場所を訪れるのも、恐らくは最初で最後。気品漂い、麗しくも厳かな内装は、これまで歩んできた長い歴史を感じさせます。「ジョジョ」という一大サーガを演じるに相応しいッ!
お客さんは満員御礼状態!見た感じ、客層は老若男女様々でしたが、やはりお若いレディが多い印象ですね。ミュージカルのファン、演者さんのファン、そして「ジョジョ」のファン……、それぞれが集ったのでしょう。
私の席は、1階の一番後ろの列でした。それでも舞台全体を見渡せるから悪くないし、アップで見る用にちゃんと双眼鏡も準備してきたので、抜かりはございません!



チケット


帝国劇場


本日のキャスト



実際に観劇し終えた率直な感想としましては、「感動した!いいモン見せてもらった!!」です。想像以上の出来に圧倒されました。とにかく、「ジョジョ」の最重要テーマであり中核とも言える「人間讃歌」「勇気の讃歌」をしっかり貫いていてくれたのが最高でしたね。幾度もハートが震わされ、目に涙が浮かんできましたよ。
しかし、「原作通りだったか?」「原作に忠実だったか?」というと、必ずしもそうでもないんです。ストーリーの流れ自体は同じでしたが、キャラクターの捉え方・描き方がまるで違う。誤解を恐れずに言うならば、「2024年版のジョジョ1部」なんです。「今」だからこそ作れた「ジョジョ」1部。長い長い「ジョジョ」の歴史の最先端。原作1~9部の全てを下敷きにして生まれた作品だったのです。人と人の繋がり。運命。黄金の精神。覚悟。「奪う者」と「受け継ぐ者」。呪い。世界。宇宙の一巡。「ジョジョ」ファンであればあるほど、荒木ファンであればあるほど、散りばめられたいろんなエッセンスを感じ取れ、楽しめる。そんな新解釈「ジョジョ」新訳「人間讃歌」でした。





大まかな感想はこんなところです。ではでは、細かい感想なんかは、以下に箇条書きで延々と書きまくっていきましょう!
一応断っておきますと、たった1回観ただけじゃ理解も消化もし切れていません。記憶だってあやふやなところも多々あります。セリフや構成について語るにしても、あまり正確ではなく、あくまでもニュアンスに過ぎません。あしからず。



1. ジョナサンとディオについて

ことんジョナサンとディオを描いてくれていたのが嬉しかったです。やはり1部の魅力・真髄って、この2人の対比だと思うので。人間が持つ善性と悪性、この分かち難い表裏一体の性質をキャラクター化したのが、この2人だと思うので。「人間讃歌」を表現するからには、この2人を真っ向から描かなければ始まりません。
しかも、原作が執筆された1980年代当時のそのまんまじゃなく、今の時代ならではのアレンジが随所に効いていましたね。原作では基本、どんなキャラも健康的でクヨクヨ悩んだりはせず、ディオなんかはもう常に超人的にイケイケです(笑)。ところがミュージカル版では、より人間臭くと言うか、よりリアルな1人の人間として描かれていました。その心の弱い部分病んでいる部分を浮き彫りにしていたのです。
恐らく、誰しもが驚いたポイントでしょうけど……、ディオの悲哀や葛藤が克明に描写されています。生まれ育った環境の劣悪さ、父:ダリオという血の呪い、気高き母への思慕の情。それらが特に色濃くディオの人生に影を落とし、彼に対する印象が根本からガラッと変わってしまいました。ディオには生まれ付いての絶対悪であってほしい気持ちもありますが、こういう方向のアプローチもまた面白いです。ディエゴやジョディオの人物設定を鑑みれば、むしろ自然な改変にすら思えるし。


ダリオの死後、ディオが坂道を上りながら、人の頂点に上り詰める事を誓うシーンがありましたが……、これはなんとも象徴的でディ・モールト良かったです。
「上って行く」という、ディオの行動と目的が視覚的にもリンクして、さらにはジョディオの事も頭によぎったりして。ちょっと応援したい気持ちになっちゃいました(笑)。


原作のディオは完全に振り切れちゃってて、悪事を働く時も堂々たるものでした。一方、ミュージカル版のディオは割と繊細に慎重に立ち回っています。
例えばダニーを蹴り飛ばした時には、ジョースター卿に「驚いて足がぶつかってしまった」と言い訳していて、自分の意思で蹴ったワケではないという主張をしていました。ボクシングの時も、親指がジョナサンの目に入った事をあえて自己申告して謝り、周囲の心象を良くしていました。ジョナサンに毒薬を奪われた時も、企みがジョースター卿にバレてしまった時も、彼らに必死に縋って同情を得ようとしてる感じでした。ミュージカル版の方がまだおとなしめっていうか丸いっていうか、けっこう等身大な印象です。改めて考えると、原作ディオの突き抜けた邪悪っぷりはマジ異常(笑)。


唇を奪われたエリナが泥水で口を洗ってるもんだから、ディオはブチ切れてビンタをかましてしまいます。そして、女に手を上げる最低のクズ行為をしてしまった自分と、病気で苦しむ母をさんざん苦しめた父:ダリオを重ねてしまうのでした。あんなに憎んだ父と自分が同じ?自己否定・自己嫌悪などという言葉も生ぬるい、まさしく血の「呪い」
この「呪い」は事あるごとに発動し、「吸血鬼」になった後でさえ、ダリオの幻影が付き纏います。ダリオは、たとえ人間をやめたとしても「お前は何も変わらない」とディオに告げるのでした。しまいにはジョナサンにまでも、「死人だらけの虚しい世界が、君が望んだ世界なのか?」と、「君は人間を超えたんじゃない。人間から逃げただけだ。」と、手厳しい言葉で責められる始末。
もしかするとディオは……、自分以外の人間の血を吸う事で、あるいは最も自分と遠い存在であるジョナサンのボディを奪う事で、他ならぬ「自分自身」から逃げたかったのかもしれないな、と思えました。自分がダリオの子であるという、耐え難い「呪い」を解くために足掻き続けていたのかも。自覚はなくとも、そういう側面もあったのかも。
「人間」をやめてまで「自分」を貫いたはずなのに、実は「自分」から逃げたかっただけ。逆に言えば、「自分」から逃げる事こそが、何よりも「自分」らしい事になってしまっていた。その皮肉、矛盾、ジレンマ。そして、それがまた「呪い」となって、ディオ自身をさらにもっと縛り付けていたのかもしれません。


ディオだけではなく、ジョナサンの迷いや躊躇いみたいなものも垣間見えます。
少年期には、父からタルカスとブラフォードの処刑エピソードを聞かされ、それについてどう思うかという哲学のお勉強シーンがありました。彼らは処刑前夜、鉄格子の窓から「星」を見たのか、それとも「泥」を見たのか。「泥を見ていた」「彼らは何も掴めずに無駄死にしただけ」と答えるディオに対し、ジョナサンは「星を見ていた」「彼らは最期まで誇り高く主君への忠誠を貫いた」と答えます。フレデリック・ラングブリッジの「不滅の詩」をそのものズバリ持って来て、対照的な2人の精神性を明示した良改変でした。この時点のジョナサンは、ただただスーパーヒーローに憧れる少年でしかなく、無邪気にのんきに「かっけーなー!」とハシャいでる感じです。
しかし、数年の時を経て、ディオに刺された父が自分の腕の中で息絶えた時……、悲しみの中、ジョナサンは自問を繰り返していました。紳士?誇り?大切な父さんも守れないで、そんなものに何の意味あるのか?……と。折れそうな心をすぐに持ち直したものの、彼の内面からそのような疑問が出て来た事にちょっと驚きでした。この自信や覚悟の足りなさが、等身大の人間らしいよね。また、「波紋」という力に対しても、ディオの「吸血鬼」の能力と表裏一体の同じ力である事に妙に引っ掛かってましたし。ツェペリさんに説得されたとは言え、あのディオと同じ力を使う事に抵抗があったっていうのは、ジョナサンの新たな一面を覗いた気分。呪われた忌まわしい力なのでは、とか考えたんでしょうね。
そして、様々な経験を重ねた末、最後には「生か死か?」の結果じゃなく、「どう生きたか?」過程こそが大事と結論するまでに成長。「ジョジョ」を愛する者なら分かるでしょう。死んだらおしまい、なんかじゃない。死=バッドエンド、なんかじゃ決してないのです。死んだら不幸だっていうなら、この世は不幸な人間しか存在しなかった事になる。自分なりに楽しく生きたはずの生涯を、死後、他人に「かわいそう」などと勝手に評されては堪りません。誰かを大切に想い、何かを遺し、伝え、託す事が出来たのなら、それはもう最高のハッピーエンドじゃないですか。これぞ「人間讃歌」ですよ。


ラストは、なんかジョナサンがディオの手を取って、仲良く一緒に舞台から退場していっちゃいました。つまり、2人とも死んだって解釈でイイんですかね?この世界では、もうディオの復活はなさそう。
何もかもが対照的な2人でしたが、最後の最後に、ディオも「星」を見ていたって感じにまとめられてました。ジョナサンとディオは、人間が持つ「光」と「影」。表裏一体の存在であり、「裏返しの自分」、あり得たかもしれない「もう一人の自分」なのです。だからこそ、ジョナサンはいつもディオの背中を追い駆け続けたし、奇妙な友情を抱き、自分とディオの運命を全て受け容れた、という事なんでしょうか?正直、ディオのやった事は許される事ではありませんが、それでもディオへの救いを描くという側面もこのミュージカル版にはあったのかもしれませんね。ディオ自身も、いつも背中にジョナサンを感じていて、良くも悪くもジョナサンばかりを見ていたワケで。それはもう、「泥」の中からずっとジョナサンという「星」を見上げていた、という事でもあったのでしょう。それを認める事こそが、ダリオという「呪い」に囚われて生きてきた自分を解き放つ事だったのでしょう。
全ては繋がっていて、全てに意味がある。今作で何度も繰り返し語られる言葉です。人との繋がりを肯定するジョナサンは、その繋がりによって強く優しい紳士に成長する。人との繋がりを否定するディオは、その繋がりによって最期に救われる。まさに2人でひとつ。ジョナサンという「光」と、ディオという「影」は、当たり前のように同時に消えていくのでした。ある意味、これ以上ないほどに美しい終わり方
そこんとこを踏まえて思い返すと……、ミュージカル版のディオには、母親を「屍生人(ゾンビ)」にして自ら赤ちゃんを食い殺させるシーンがありませんでした。これはきっと、尺の都合やR指定的な制限というよりも、ディオさえも救うというラストを描く上で意図的にストーリーから消されたのだろうと推測します。あのシーンはなんていうか、決定的ですもんね。母親の我が子への愛情を否定し侮辱する、あまりにも残酷で邪悪すぎる行為。ディオの「母への情」が完全に消え去ってしまっている事を、身も心も完全に化け物に堕ちた事を、何よりも明確に示すシーン。これをやっちゃったら、もう救いようもなくなるって判断だったんでしょう。


ディオがやたらと空を「濁った空」と表現しているのも気になりました。
幸福に生きられる者にとっての空は、当然のように青く美しいもの。昼は「太陽」が眩く輝き、夜には「星」が煌めく、見上げる価値のあるものです。でもディオにとっての空は、いつまでもどこまでも曇り、濁ったものでしかなかったのでしょう。見えもしない「星」を探して空を見上げるぐらいなら、誰にとっても濁って汚れたものである「泥」を見てる方がマシ。遥か遠くにある「星」を求めて手を伸ばしたところで、手に入るワケもなく、かえって惨めになるだけ。そんな卑屈な気持ちも、ディオの中にはあったのかもしれません。


赤ちゃんリサリサの存在があんまり触れられてなかったので、もっと目立たせてほしかったです。
ジョナサンが命を賭してエリナと赤ちゃんを救うというのは、テーマ的にも超重要なシーン。彼自身が赤ちゃんだった時の母の行動の再現でもあり、ジョナサンが「受け継ぐ者」から「託す者」となる大切な瞬間。だからこそ、リサリサの母親が我が子を守りながら死ぬシーンを見せるとか、赤ちゃんの泣き声を入れるとか、もっと分かりやすく深くやってほしかった。
また、エリナの妊娠についても触れてなかったよね?ジョナサンの誇り高き血統と魂が次なる世代にも受け継がれていくんだ、という事をキッチリ示してほしかったものです。いや、もし見逃し・聞き逃しだったら申し訳ないですが(汗)。


ウインドナイツ・ロットでの決戦後、ディオが首だけになったって事がかなり分かりにくかったですね。特にセリフでの説明もなかったような気がするし、頭部にスポットライトが当たるだけで普通にボディあるし(笑)。
たぶん原作読んでないと分からないと思う。あれでは、ディオがなんでジョナサンのボディを執拗に狙っているのか、どうして今までのように機敏に動けないのかが全然伝わらんよなぁ。せめて首から下は黒いマントで覆い隠すとか、何かしらしてほしかったです。




2. サブキャラクターについて

このミュージカル版は、なんと後の世(2部の時代)のスピードワゴン老人が「語り部」となって語られる物語。メキシコで発見された遺跡に向かう直前、万一の事を考え、自分がかつて見聞きした「ジョナサン・ジョースター」の物語を記録に残す……という体(てい)で幕が上がるワケです。「ビーティー」や「岸辺露伴は動かない」にも通じる構成で面白いし、リアルに目の前に聴き手がいるミュージカルで「語り部」の存在はドンピシャでハマりましたね。最初、「これ、ちゃんと映ってる?」とか我々観客に語り掛けてくる風だったので、てっきりメタなウケ狙いの演出なのかなって思ったら、実は映像を録画していたという設定にも膝を打ちました。
かくして、忘却の彼方へ消え去ってしまった、しかし、宇宙が一巡するまで誰かに語り継ぐべき物語が語られるのであります。
時代は遡り、スピードワゴンも老いた顔をルパン三世のようにペリペリ剥がして、若かりし頃の顔が現れた!そして、なんとスピードワゴンによる時代背景説明ラップが始まるッ!族長(オサ)や生贄の少女、アステカの民も登場し、舞いを踊る。19世紀の民衆も、激動の時代と渇きをダンスに乗せる。う~ん、フリーダム(笑)。ミュージカルでラップとは意表を突かれましたけど、彼のキャラには合ってるかも。スピードワゴン役のYOUNG DAISさんのハスキーボイスも、ずっと耳に残りました。


ミュージカルというものは大概、休憩を挟んでの2部構成らしいです。今作も同様。第一幕はジョナサンとディオの出逢いから、炎上するジョースター邸での死闘まで。で、25分ほどの休憩。第二幕は「波紋」の登場から、ジョナサンとディオの消滅まで。一幕も二幕もおよそ90分の上演で、全部含めるとざっくり3時間半。そーゆー感じでした。
第二幕の幕開けも、第一幕と同じくスピードワゴン老人が登場。またもや我々観客に語り掛けてくる風の演出……かと思いきや、「ちゃんと休憩とれた?」なんて、今度はガチにこっちに話し掛けてきてて笑いました。観客の心理を巧く欺いてくるなぁ~。
そしてラストは、全てを語り終えたスピードワゴンがクールに去って完結と相成ります。こうして舞台から誰も居なくなる、っていうのが、原作とはまた違った情緒があるね。


第一幕は本当に「スゴいものを観た」と、震えが止まらないぐらいの衝撃でした。ただ、正直言って、そんな第一幕に比べると第二幕はパワーダウンしちゃいましたね。やはり、ダークでゴシックでドラマティックな前半はミュージカルとも相性が良いというか、後半はいかにも熱血少年漫画的でバトルバトルしててどうしても単調になるというか。
その上、ストーリーもかなり端折られており、登場しないキャラも多い。ポコもねーちゃんも、トンペティ一行も、アダムスさんもドゥービーも、丸々カットです。(でも、軟骨さんがいたのは笑った。) 結果、ポコの代わりをスピードワゴンが、ダイアーさんの代わりをツェペリさんが務める形に。まぁ、それ自体は仕方ないし別に構わんのですが、端折り方が雑なんですよね。ジャックも、ブラフォードも、タルカスも、ツェペリさんも、どういう理屈で死んだのかよく分からない。ジョナサンがどうやってディオに勝ったのかも今イチ不明瞭で、なんか勢いだけの泥試合っぽい印象になっちゃいました。せっかく譲り受けたブラフォードの剣も、凍ったら即手放して、ほとんど役に立ってなかった気がします。諸々、もう一度見直して確認したいなぁ。
ぶっちゃけ、ウインドナイツ・ロットが舞台である事の意味も必然性もあまりなく、劇場版同じ過ちを犯した感がありました。どうせこんなに端折るんなら、ウインドナイツ・ロットじゃなくったって良かったんじゃね?無理に詰め込んでるので、どうしても11つが爆速で流れて大味・淡白になるし、感情が付いて来ないんですよ。そこは非常に残念なポイントでした。


ジョースター卿の「逆に考えるんだ」も、ブラフォード戦で出せなかったからか、けっこう無理矢理出てきました(笑)。
かつて、ダリオが自分の指輪を盗んでいた事を知った上で、それでもダリオを許し、彼に指輪を渡すジョースター卿。若い頃の「警察(サツ)のだんな」ことアーチャー警部の「この男はあざ笑っている!」という言葉を受けて、ジョースター卿は語るのです。「逆に考えるんだ」と。物事は全て繋がっていて、全てに意味がある、と。確かに、ジョースター卿がダリオを許し、ディオを迎え入れたから、物語は始まったワケで。妻が「石仮面」を買ったから、物語は動いたワケで。そんな行動1つ1つが連綿と繋がっていって、今の第9部「The JOJOLands」にまで続いているワケで。まぁ、何も間違った事は言ってません。
人の善性をどこまでも信じ抜く「覚悟」も高らかに叫ばれ、ジョースターが持つ「黄金の精神」を感じずにはいられませんでした。もっとも、そのせいで子々孫々に至るまで、大変な宿命を背負わされるハメになっちゃうんですがね(笑)。


エリナを助けに現れたら、逆にいじめっこ達にやられるジョナサン。そこに颯爽と登場し、いじめっこ達を追い返したのがダニーでした。
原作以上の活躍っぷりを見せるダニーでしたが、ミュージカル的には、ダニー型の人形を黒子が動かす事で表現されています。その黒子の顔も手も丸出しだったもんで、見た瞬間、思わず吹いちゃいました(笑)。いやいやいやいや、なんで顔隠さないの??
ちなみに、炎のダニーはガチで燃えてました。毎回毎回、燃やすためにダニー人形を作らなきゃいけないから、小道具係の人も大変だろうな。


エリナの歌声はとても伸びやかで美しく、今作の大きな癒やしでした。
少女時代の微笑ましくも慎ましい純粋な恋、立派な淑女(レディ)に成長した彼女の深く大きな愛。さらには、原作では触れられていなかった、戦いに出向いたジョナサンを待ち続け、信じ続ける覚悟も歌われていたのが印象的でした。


ツェペリさんは原作より早い登場。第一幕からちょいちょい出て来ては、「石仮面」の在り処を探しています。そのおかげで、ポッと出感が薄れ、第一幕と第二幕の接続がスムーズになりましたね。
彼のダンディーでコミカルな魅力もしっかり表現されてました。アドリブなのか、ジョナサンの事を「ジョジョジョジョ」と何度もおどけて呼んで、客席からも笑いが起きたり。1部は基本シリアスなノリなので、ムードメーカー的存在のツェペリさんがいてくれるだけで空気が変わるのよ。でも、決める時はバッチリ決めてくれる男。「波紋」を披露した時の曲も、めっちゃジャジーでカッコ良かった。


ジョースター邸での「こいつはくせえッー!ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッ――――ッ!!」のシーン、スピードワゴンがディオの体を本当にクンクン匂ってたので笑っちゃったな。それで「くせえ!」なんて言われたら、ディオも傷付いちゃうよ。


「屍生人(ゾンビ)」の皆さんも、物語を恐怖と腐臭で彩り、時にはおどろおどろしく、時には滑稽に、大いに盛り上げてくれました。
ジャックが原作通り狂気的・猟奇的に馬の中から現れたのは「おおっ!」ってなったし、ワンチェンも機敏かつ妖しい動きで魅せてくれましたね。その他の「ゾンビ」達は、なんか「枠」みたいな被り物を頭に被って、人外の化け物らしい見た目と個性を演出しています。タルカスブラフォードに関しては、その「枠」でかたどった兜や鎧を装着してる感じ。「もっとちゃんとした衣装にしろよ」って思う人もいるかもしれませんが、要するにこれは、この作品における「ゾンビ」達の「格」を示しているんでしょう。公式HPにもビジュアル付きで載ってるジャック&ワンチェンは1軍の「ゾンビ」で、それ以外が2軍扱いなのです(笑)。それが一目瞭然なので、見てる側としては「あぁ~、今は雑魚共と戦ってるのね」と分かりやすい事この上なし。
タルカスとブラフォードが2軍の雑魚扱いには納得いかない気持ちもありますが、 あくまでこのミュージカル版でのストーリー上の扱いですんで。やっぱ1軍の2人に比べると、明らかに活躍の場面も時間も少なくなってますから、仕方ないんですよ。




3. その他色々

脚本のアレンジ具合がやはりスゴいな、と思います。前述の通り、第二幕の端折りっぷりは残念ではあるんですけど、物語のテーマの「芯」をしっかり押さえてくれてて。ジョナサン、ディオ、エリナ……、この3人それぞれの「父」と「母」を深く描いてくれていたんですよ。まぁ、全ての因縁の始まりであるジョースター卿とダリオは言わずもがな。
ジョナサンは、いつも自分を守って支えてくれるダニーの大きな愛情に、亡き母の面影を重ねていました。また、母が買った「石仮面」の謎を解き明かしてセンセーションを巻き起こせたら、母の死にも何か意味が生まれるかもしれない……的な事も言ってましたし。ディオは、母をとても大事に想っていたようで、その想い出が度々語られていました。「どんなに貧しくても気高さを忘れてはいけない」と、ディエゴの母親と同じ事を伝えていたり、ひと通りのマナーをディオに仕込んでくれたのも母だったのです。エリナの場合は、いじめっこに取られたのが人形ではなく、誕生日に母からプレゼントしてもらった帽子になっていました。また、ディオにキスされた後、医者である父も登場し、自分の仕事のせいで引っ越さなければならなくなった事を娘:エリナに謝っていました。
原作にはない、両親が関わるエピソードやセリフを追加してくれたのは、「血統」の物語である「ジョジョ」だからこそでしょう。両親がどんな人間なのかが、その人物を形作る重要なファクターになるっていうのは、荒木先生がキャラクターを生み出す際に最も注力しているポイントですからね。そこをマジに考えてくれた事がありがたい。


脚本という事で言えば、改変も非常に丁寧なのが好印象です。細やかなフォローが行き届いている。
犬にとってブドウは危険な食べ物なので、ダニーが食べるフルーツをリンゴに変更してました。でもさ、「種と皮」ならともかく「芯をよりわけて食べる」なんて言うのか?(笑) 原作ではまったく触れられなかった、少年期のエリナとのお別れも描かれています。お互い気マズくて、とうとう顔を合わせる事もないまま離れ離れになるのが切ない。7年の間、ディオがダニーの代わりに支えてくれた、なんていうジョナサンのセリフもありました。傍から見れば、本当に仲の良い「親友」「兄弟」を装ってたんだろうなぁと、空白の期間を想像させてくれるセリフです。
ツェペリさんが教える「北風とバイキング」の解釈も、原作とは微妙に違います。原作では、ピンチをチャンスに変える強かな思考、といった意味合いでしたが……、ミュージカル版では「痛みを知る勇気」という心構え的なものになってましたね。身を突き刺す冷たい北風を知るからこそバイキングという勇者が生まれた、みたいな。痛みこそ生の証、痛みを受け入れる勇気があれば呼吸は乱れない、みたいな。その後、「恐怖を我が物とする勇気」の話もするから内容モロ被りなんですが、まぁ、「波紋」を扱う上でそれだけ大事な心が「勇気」って事ですよ(笑)。


舞台の仕掛けには驚きがいっぱいです。
回転するドーナッツ形階段は、その高低を巧く利用していました。ジョースター邸の外観のセットが分離・回転して、屋敷の中のセットに早変わりするのも面白かった。ドデカい円形の穴が空いた壁も、実は左右2枚の壁が合わさっている物で、左右を動かす事で穴が閉じたり開いたりして。また、シーンに合わせてプロジェクション・マッピングも投影。吹雪や炎なんかはもちろん、なんと、ジョースター邸でのジョナサンとディオの死闘の際には、螺旋階段が映し出されました。アニメOPのオマージュっつーかリスペクトっつーか、ニヤリとさせられましたわ。その上、それによって視点そのものも上方からのアングルに変わり、普通に歩くだけでディオの壁上りも再現ッ!
よくもまぁ、こんな事を次々考えるよなぁ~。創意工夫のアイディアに感服いたしました。ひょっとしたらミュージカルでは珍しくもない事なのかもですが、初めて観る私にとっては、比較対象もないので素直にビックリです。そもそも舞台セット自体が精巧でリアルで、ムード満点ですからね。馬なんて最初、本物と見間違えちゃったもん。そこにギミックまで仕込むとなったら、最高に刺激的ですよ。


脚本や仕掛けもさる事ながら、ミュージカルだけあって歌とダンスにグッと来まくりでした。ホント、必見です。キャラの心情のみならず、あの時代のイギリスの空気感までも表現されています。
食屍鬼街(オウガーストリート)のあたりは、太陽の如きジョナサンの誇り高い精神がスピードワゴンや周りの人々にも伝播していく感覚があって大感動!ツェペリさんが「波紋」を披露するシーンでは、波々模様の全身タイツの人々が登場。彼らの肉体とテープによって「波紋」が表現される様は、まさしく舞台「死刑執行中脱獄進行中」そのもので懐かしかったなぁ。でも、まさかズームパンチや波紋疾走(オーバードライブ)まで全身タイツで表現するとは思わなかった(笑)。
生演奏も大迫力。効果音まで楽器の音になってて、「ジョジョ」らしくもあり。ただ、演奏とセリフの音量バランスが悪いのか、セリフが聞こえにくい時もあったのが惜しいところです。


タルカスとブラフォードの巨大ねぶた登場には、ド肝を抜かれました。「えっ!?ウソッ!何作ってんの!?」って(笑)。
この2人とのバトルが味気ないものになっちゃってただけに、ねぶたのインパクトの方が圧倒的だった。


そして、カーテンコール。演者の皆さんの敬意溢れる所作。本当に本当に、観客に楽しんでもらおう、喜んでもらおうっていうひたすら純粋な熱意。自分の役と向き合い続け、その表情・一言一句・一挙手一投足にまでこだわり抜いたであろう真摯な姿勢と矜持。それらをビンビンに感じまくり、魂奮え、めっちゃ感動して泣きそうになったよ。観客全員、万雷の拍手!最後はスタンディングオベーション!!間違いなく、この時、会場は一つになった。言葉は一言も無かったけど、もはや言葉など不要。
メインキャラを演じたキャストだけじゃなく、名も無きモブ役の方々(「アンサンブル」って言うの?)も、1人残らずハートがこもってました。それを見てたら、なんていうか……、誰もがみんな、我々もみんな「主人公」なんだよなって思えました。紛れもなき「人間讃歌」だよ!最高でした。大満足で、心地良い疲れと余韻に浸りました。






―― メチャクチャ長々と書きまくりましたが、それほどの濃密世界を体感させてくれたって事です。あの感動を無性に誰かと熱く語り合いたかったのに1人だから出来なかったもんで、ずっと内に溜め込み続けていた熱を一気に放出しちゃいました(笑)。初めてのミュージカル、掛け値なしに素晴らしかったです!圧巻でした!
双眼鏡でアップで観るべき場面と、全体を引きで観るべき場面とがあるから、その辺の判断はなかなか難しかったですね。その意味でも、やっぱ1回だけじゃ全然足りないですよ。他キャストの時の公演も見たいですしね。くぅ~、「生」だからこそ味わえるあの世界観にまた酔いしれたいよ……。4/13・14の兵庫公演ラスト2日はライブ配信があるので、せめてそれは絶対観ようと思います。そして、この帝国劇場での公演も円盤化して後世にまで遺してほしい。超希望ッ!

ただ、こんなにも素晴らしい舞台だったからこそ、尚のこと中止の一件が残念でなりませんね。この作品を語る上でどうしても付いて回る問題になっちゃったし、忘れてもいけない話ですし。
私は関係者でも何でもないけど、チケットを買った人全員に楽しんでもらいたかったなぁ。あれだけの内容だから時間が掛かる事自体は理解しますが、それとこれとはまったくの別問題だもんね。


このミュージカル版を観劇できて、やっぱり1部っていいなあって思いました。前よりもさらにもっと1部が好きになりました。この作品に携わった全ての方に、最大級の敬意と感謝を。
あえてキャストのインタビューや他の人達の感想、パンフレット的な公演プログラムもまだ読んでないから、これをアップし終えたら読み漁る事にします。新たな発見や異なる視点などの気付きもありそうで楽しみ!また、原作を読んでない人の感想なんかも是非知りたいところですね。これをキッカケに「ジョジョ」のファンが増えてくれたら嬉しいな。





(追記)
さてさて、あれから1ヶ月半ほどの時が流れまして……、4/13(土)・14(日)。ついに来ました!全ての旅路の終わり、兵庫県での大千穐楽ッ!!4/13(土) 17:00からの公演と、4/14(日) 12:00からの大千穐楽公演、この2つの回がライブ配信(5,500円)されるワケです。当然、私は両方購入し、リアタイで視聴させていただきました!
ダブルキャストの内訳は、4/13がジョナサン役:松下優也さん、ツェペリさん役:廣瀬友祐さん。4/14の方がジョナサン役:有澤樟太郎さん、ツェペリさん役:東山義久さん。劇場で観た時とは異なる組み合わせなのも嬉しい。
もちろん、ミュージカルというものは五感で浸る世界だから、あの空間で「生」で観てこそ最強ではあるんでしょうけど、カメラ越しでもその熱気と感動は伝わってきました。シーンに合ったカメラの切り替えもしてくれて、しかも公演ごとに違ったカメラワークやアングルで、とても観やすかったです。劇場では気付きにくいところにも気付かせてくれました。例えば、ディオの左耳の3つのホクロがあった事なんかも、配信で初めて分かったしね。担当のスタッフさんが色々計算や工夫をしてくれたんでしょう。ありがたい事です。



2人のジョナサンの違いがハッキリ分かって面白かったです。やはり、本人に元々備わっている個性も表現の仕方もまるで違うから、まったく印象の異なるジョナサンに仕上がっていました。
松下さんが演じるジョナサンは、「正義」の人。心のどこかで常に「紳士であろう」と振る舞ってる、少し背伸びしてる感じが良いです。高い理想が先にあり、現実の自分をそこへ近付けようと成長してきたイメージ。有澤さんが演じるジョナサンは、「純粋」な人。どこまでも無邪気で真っ白で、目的に向かってガムシャラな感じが良いです。現実の自分と一緒に、理想も育てて成長してきたイメージ。歌声にしても、松下さんは高音、有澤さんは低音。ラストシーンでは、生きようと手を伸ばすディオに対し、松下さんは手首をガッシリ掴んで、有澤さんは手をギュッと握って、ディオと共に去って行きました。
個人的には、有澤さんのジョナサンの方が、より友情や人間愛を深く感じて好きですね。まぁ、最初に見たのが有澤さんだったから、刷り込みもありそうですが(笑)。


2人のツェペリさんも同様、違いがよ~く見えました。
廣瀬さんはアドリブがますます冴え渡り、大いに笑いを取ってました。ジョジョの呼び方もますます可笑しくなってるし、「いい前髪だ」なんてジョナサンの前髪イジリまでしてるし。ツェペリさんのコミカルでユーモラスな部分を重視して演じている印象。対して、東山さんの方はダンディーさやカッコ良さを重視している印象。幾度も「グラッツェ」と呟き、渋いイタリアの伊達男って感じ。笑いを取るのではなく、あくまでスマートに演じていました。歌声もやたら甘い美声だしね。廣瀬さんはTVアニメ、東山さんは劇場版アニメのツェペリさんってイメージ。
これまた初めて見た時のキャストだったんで廣瀬さんの方がしっくり来るんですが、ジョナサンもツェペリさんも素晴らしいダブルキャストでした。


ディオについて。見れば見るほど、ディオが哀れに思えてきます。産まれた場所と父親が違うだけで、あんなにジョナサンと対照的な呪われた人生になってしまうなんて。ダリオが今さらの父親ヅラで、遺されるディオの面倒をジョースター家に頼ったのも、ディオを愛していたワケじゃなく、ろくでもなかった自分の人生の「復讐」のために利用したかっただけなんだろうな。自分の所有物である息子が金持ちになれば、それも含めて自分の手柄だぜ!世の中の連中を、フザけた運命を、見返してやれるぜ~!みたいな。
「人間」の限界をジョナサンに語る言葉。悔しくてたまらない。何も掴めず、奪われ続け、泥に塗れるだけの人生。濁った空は何もかも押し潰す。清らかな血を持つお前には分からないだろう。それでもオレは、星を掴む。あれはきっとディオの本心だったんだろうな。「石仮面」をかぶって人間をやめる直前、「仮面」を脱いだ1人の人間としての正直な想いをジョナサンにぶつけるディオ。大千穐楽では、「石仮面」をかぶる際に一瞬「母さん……」と小さく呟いたんですが、とにかく悲しい。許されない罪ばかり重ねてるけれど、スピードワゴンのように「生まれついての悪」と断ずる事は出来ないなぁ。


スピードワゴンについて。我々観客は選ばれし者達。スピードワゴンが語る物語を継いでいく者達。こちらも物語の一員になれるのがニクい演出です。だからこそ、ラストもクールに去っちゃう前に、こちらにもうちょい語り掛けてほしかったところ。「これでわたしが知る物語は終わりだ。これからわたしに何が起こったとしても、どうか忘れないでいてほしい。」とかさ。
で、なんか取って付けた印象があったスピードワゴンの「あしたの勇気」ですが……、ディオの威圧感に恐怖してしまうシーンや、自分だけ戦えない無力感に打ちひしがれるシーンなど、なるべく唐突にならないように布石は敷いてあったのね。とは言え、凍ったツェペリさんの腕を自分の体で溶かそうとするあたりは、もっとじっくり見せてもらいたかったです。怒涛の勢いで過ぎ去って、感動どころか、置いてかれちゃうもんね。
そして、休憩終わりの挨拶で、13日にはアクスタコンプを目指している事を語り、14日にはついにコンプした事を報告してくれたのでした。あと、14日の初っ端でアステカの時代を16世紀と言っちゃったもんで、「13世紀だった。歳は取りたくないね。」と訂正してました(笑)。お茶目な語り部、スピードワゴン。


ダニーについて。初見の時は正直、黒子がパペットを操ってる事に衝撃を受け、つい笑っちゃったんですが……、それだけの感想じゃあ演じられた工藤広夢さんに失礼でした。
パペットの方に注目すると、犬らしいリアルで細やかな動きをしている事が分かります。頼もしくも愛らしいダニー。工藤さんはさぞや、犬の観察や自分の肉体の動かし方を研鑽されたんでしょう。


ディオのしもべ達について。
ワンチェンの動きを改めて見てみると、その軽やかさ、しなやかさ、妖しさに驚かされますね。キレッキレで、まさに人外の動作。舞台「死刑執行中脱獄進行中」での森山未來さんを思い出させます。
ジャックは、異常性や恐ろしさの中に、アドリブでキュートなところまで出して来ました。「波紋」でほっぺが溶けてベロが出ちゃった事をディオに報告すると、なんかディオまでしっかりノッてくれるという(笑)。
ブラフォードとタルカスは、つくづく惜しいキャラだったな~って思います。せっかく昔話が披露されたのに、結局、「死髪舞剣(ダンス・マカブヘアー)」すら使わなかったもんなぁ。タルカスもタルカスで、ツェペリさんを殺す際にせめて「天地来蛇殺(ヘルヘブンスネーキル)!!」とか技名だけでも叫んどいてほしかった。これといった盛り上がりもなく、ふんわりとした曖昧なバトル描写だから、強いんだか何なんだかよく分からん感じになっちゃってたよね。


「ジョジョ」という作品は名前が重要な作品です。主人公は必ず「ジョジョ」と略される名前じゃないといけないし、「ディオ」という名も非常に特別な意味を持つ名前。
だからこそ、このミュージカルにおいても、ジョジョやディオの名を呼ぶ歌が多く、何度も何度も繰り返し歌われていましたね。ジョナサンとエリナが互いの名を呼び合う歌、ダリオがディオを呼ぶ歌、ディオがジョナサンを呼ぶ歌……等々。また、戦いに出向いてしまったジョナサンの帰りを待つエリナも、歌の途中で「ジョジョ……」とそっと呟いていました。う~ん、エモい。


ウインドナイツ・ロットでのジョナサンとディオの最終決戦も、ようやくちゃんと見返す事が出来ました。なるほどなるほど。動きだけだとドタバタで分かりにくいけど、ジョナサンがディオを倒す理屈はセリフや歌詞に落とし込まれていたんですね。ディオが顔のズレを手でトントンやって直す仕草もあったのね。
それにしても、ここの攻防はジョナサンとディオが対極の「炎」&「氷」になって、真っ向からぶつかっていくのがイイですね。そして、2人の青春が浮かんでは消えていく。音楽もグッと来るもんで、とにかく燃えて泣けるシーンでした。


あと、細かい色々もメモ的に書き残しておきます。
アーチャー警部。ダリオとの因縁もあり、息子ディオに対しての複雑な気持ちが時おり垣間見えます。頭ペチペチも愛嬌たっぷりで、好きなキャラですね。
ディオに「石仮面」をかぶらされた浮浪者。「吸血鬼」になった後との比較として、足を怪我してる設定だったんですね。
ジョナサンの「波紋」で再生した。これをツェペリさんは胸ポケットに入れ、ディオの目ん玉にブッ刺したんですね。なかなか巧いな。
新婚旅行でのエリナの髪飾り。ジョナサンはこれを別れ際に抜き取って、最後にディオに突き刺したんですね。
赤ちゃんリサリサ。よくよく見れば、出航シーンではジョナサンの隣にいるし、母親が襲われるシーンもあるし、ちゃんと泣き声もありました。


そして、カーテンコール。私はカテコ(って略すみたい)が大好きなんだと判明しました。あの一体感と幸福感がたまらなく好き。こんなにも心震わされるのは……、スタッフさん達が全身全霊で舞台を作り上げてくれて、役者さん達が生命を燃やしてキャラクターを演じてくれて、それを心で直に感じるからに違いない。
大千穐楽のカテコに至っては、メインキャストの皆さんの挨拶があって。これがまた、いい事言うんだよ。もうね、万感の想いよ。一番泣けたわ。皆さん、今までずっと胸に秘めていたんでしょうけど、最初の延期騒動にはやっぱり心痛めていて、苦しい想いを抱えていたんだな……。無論、美談にするような話じゃない事は重々承知の上で、それでも最後の最後に吐露せずにはいられなかったんでしょう。始まりこそ最悪でしたが、誰も欠ける事なく、この最高の終わりを迎えられて本当にホッとしました。
ちなみに、ジョースター卿役の別所哲也さん曰く、このミュージカルの企画は5年前から始動しており、脚本は17回も書き直ししたらしいです。ほえ~、ガチで大作ですな。



―― 「人間ってスゲーな」と、「生きるっていいな」と、そう思える舞台でした。そんな舞台を魅せてくれた関係者の方々に、そんな舞台を共に楽しんだ名も知らぬ同士の方々に、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
全て繋がっている。全てに意味がある。ここで生まれた繋がりが、いつかどこかで引かれ合い、新たな「ジョジョ」ミュージカルの舞台で再会できる日が訪れる事を祈ってます。とりあえずはアーカイブを見返して、もうちょいあの世界に居座るとするかな!




(2024年3月2日)
(2024年4月16日:追記)




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