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ギャング側の証人





2022年12月19日に発売された「JOJO magazine」2022 WINTERに掲載されたのが、安藤敬而氏による「ジョジョ」の短編小説「ギャング側の証人」です。スクアーロとティッツァーノがボスの親衛隊になる前の話。双方の舌剣と物事の白黒が交わる、たった1つの部屋の中の「裁判」という戦場。『トーキング・ヘッド』の本領がこの上なく発揮できるシチュエーションであり、入り乱れる様々な思惑をも全て一手でひっくり返してしまいます。「正義」と「真実」を踏みにじる「邪悪」な「嘘」。その恐ろしさと悍ましさが書かれていました。
読み終わった率直な感想は、「ほぉ~ん、なるほどねぇ」ってとこですかね。正直言って、想像を超えてくるような展開はほぼ無く、そこまで大きな盛り上がりどころもありません。この物語独自のテーマ性みたいなのも深くは感じ取れず、あくまで2人の過去の一部分を切り取っただけのエピソードという印象が強いです。ただ、確かにこういう過去があって2人は親衛隊に選ばれたのかもっていう、それなりの説得力がある描写でした。まぁ、あえてテーマを探るなら……、本編でもスクアーロがついぞ理解できなかった、まるで「希望」があるかのような精神力、なのかな?それはまさに「黄金の精神」「真実に向かおうとする意志」そのものなのでしょうが、彼は最期の一瞬、ナランチャの姿に検事ファルコが重なって見えたのかもしれませんね。



では、例によって、細かい感想等を箇条書きしていきたいと思います。



舞台はシチリア島最大の都市パレルモ。この街の裁判所にて、国中が注目するギャング大裁判が開廷するワケですが、まずイタリアの裁判についての描写が細かくてリアリティがありますね。安藤氏は資料を集めて読み漁っていたらしく、その取材の賜物。そういう姿勢は好感が持てる。実際、検事ジルベルト・ファルコと「パッショーネ」構成員ポッロ・アルバテロの関係は……、マフィア撲滅を目指して暗殺された裁判官ジョヴァンニ・ファルコーネと、彼に情報を提供したマフィア構成員トンマーゾ・ブシェッタによく似ています。
ポッロの証言内容がコロッと変わり、二転三転する裁判。しかし、実は「パッショーネ」がすでに、彼の腹違いの妹を人質にして脅していたからなのでした。ギャングらしいゲスで汚い手口です。……にしても妹さん、拉致されてたって割に、なんかリアクション薄いな(笑)。自分が拉致された事にさえ気付いてなかったんかな?ちなみに、妹さんはアランチーニ店を営んでいるとの事で、私はアランチーニという物の存在をここで初めて知りました。調べてみると、シチリア名物のライスコロッケ的な料理みたい。美味しそう~。


妹さんを救出して逆転勝利と思われたファルコですが、そうなる事もティッツァーノは読み切っていました。法廷は彼の手のひらの上。あわれファルコは『トーキング・ヘッド』にまんまと嵌められ、『クラッシュ』との華麗なコンビネーション・プレイを喰らい、勝利も栄誉も命すらも奪われてしまったのでした。スクアーロもティッツァーノも好きなキャラなんだけど、それでも何の罪も落ち度もないファルコが気の毒で気の毒でしょうがない。
でも、死の間際に意地と矜持を見せ付け、2人に一矢報いてくれたのは意外性があって良かったです。スタンド使いでもないのに2人の存在を認識できたのは、「正義」を真っ直ぐに信じる者として、自分に向けられた「悪意」「敵意」を敏感にキャッチしたって事なんでしょうかね。そして、「正義」の意志を未来に託して、死んでいく。立派な最期でしたぜ。心の強さでは、明らかに2人を上回っていましたよ。


ポッロの証言が変わる辺りは、原作を読んでいるからこそミスリードしてしまう叙述トリックもありましたね。てっきりティッツァーノは、最初っから『トーキング・ヘッド』をポッロに仕掛けているものと思い込んでましたが、そうではなかった。実際は、妹を人質に取られていたから、嘘をつかざるを得ない状況だったってワケで。
「いやいや、最初から使ってれば良かったじゃん」とも思ったものの、そこはさすがに理由付けもちゃんとありました。『トーキング・ヘッド』は「嘘」をつかせる能力。という事は、「本音」や「真実」の想いが強ければ強いほど、つかせる「嘘」もドデカくなる。ポッロのファルコに対する信頼と感謝が確固たるものになるまで待ち、そのタイミングで能力を仕掛けたからこそ、言葉となった「嘘」は大きな意味を持ったのです。なるほどねぇ。
でも……、どうせなら、読者にあらかじめ「スタンドはまだ使えない」という前提を示しておいた方が、「あれっ、じゃあどうするつもりなんだ?」って思えたはず。「『トーキング・ヘッド』があるんだし余裕やろ」って思わせちゃうよりずっとサスペンスが生まれそうだし、先が気になってドキドキハラハラじゃない?そこはちょっと残念だったかも。


逆に、ミスリードを誘ってるんじゃあるまいかと深読みしちゃったけど何も無かった部分もありまして(笑)。この小説の主人公の名前ですよ。1ページ目の「バンダナ」だの「青年」だの「水筒」だのって時点で、スクアーロって事はバレバレなのに、一向に名前が明かされないんだもの。
そうなると、スクアーロと思わせといて実は別人って線もあり得るな、なんてついつい考えちゃいますよね。でも結局は、予想通りのスクアーロ!なら、最初から明かしても問題なかったじゃん!もしこれが2人の出逢いのエピソードだったのなら、ティッツァーノに名乗るまであえて明かさないとしても納得なんだけど、別にそういうワケでもない。なんであんなに引っ張ったの?


スクアーロはチームのリーダーに、ティッツァーノ暗殺の任務を命じられていました。リーダーは暴力大好きな脳筋野郎なので、パワーを使わずに口先と知恵で悪事を働くティッツァーノを嫌悪していたらしい。だからってマジに殺しに掛かるあたりに、器の小さいクズっぷりが表れてますなぁ。スクアーロはこんなリーダーの命令を律儀に守ろうとしているのかと思いきや、彼の真の狙いは、ティッツァーノではなくリーダーを殺す事だったのです。うんうん、そう来なくっちゃね。
リーダー同様にティッツァーノをナメていたスクアーロが、裁判を通じてティッツァーノの有能さを尊敬し出し、2人が本当の意味で仲間になるまでの物語……な~んて予想もしながら読んでたんですけど全然違って、2人は裏ではメチャメチャ仲良しでした(笑)。2人の距離感の近さ、なんとも艶めかしくエロティックな空気がありましたね。荒木先生の絵で見ると、もうただただ美しくてカッコイイんですが、文字・文章で書かれると途端にセクシャルになっちゃう不思議。
ともあれ、どうやらこの物語の後、2人はガチでリーダーをブッ殺しちゃった模様。本来、内輪揉めでの「殺し」はけっこうヤバい行為であって、ブチャラティチームとサーレー&ズッケェロとの戦いでさえも、(理由が理由だし)同じ組織のメンバーを極力殺さないようにしていました。そんな、ある種の「禁忌」をも犯しちゃったのね。でも、リーダーはボスの益にならない「組織の癌」と断ずる事で、一応のフォローにはなりました。むしろ裁判での功績がボスに認められて、2人は親衛隊入りしたっぽい。出世して結果オーライ!


このギャング大裁判のそもそものキッカケ。それは「麻薬」でした。「パッショーネ」が麻薬の密売に手を染め始め、自分や妹の住むシチリアにまで広がりつつあったため、ポッロは組織を裏切る決意をしたのです。やっぱ5部の世界観において、麻薬は唾棄すべきものという思想は一貫してますね。ブチャラティのように市民の助けになってくれるヤツがいる事も事実ですが、所詮はギャング組織。善良な人々の暮らしを脅かす、危険で邪悪な存在です。早いとこジョルノに乗っ取られてほしい、なんて思っちゃいます(笑)。
一方で、主人公達が麻薬の売人をやってる9部「ジョジョランズ」がいかにヤベー世界観なのかも、改めて分かるってもんですね。そこんとこに拒否反応を示す人がいるのも理解は出来る。まぁ、私個人は「それはそれ」って感じで割り切って楽しめますが。


それにしても、荒木先生の挿し絵が1点だけでも良いから欲しかったですよね。「無限の王」にも「野良犬イギー」にも描いてくれてたのに、何故この作品には描いてくれなかったんでしょう?今の先生が描くスクアーロとティッツァーノ……、見てみたかった……ッ!!




―― 「JOJO magazine」発売からほぼ1年、ようやく読んで感想を書けました。次号が出るまでにはギリギリ間に合って良かった(笑)。
『トーキング・ヘッド』の能力と、「裁判」という状況。思い付きそうで思い付けなかったこのベストマッチを見せてくれただけでも、大いに価値がありました。エンターテイメントっていうよりかはドキュメント寄りな構成なので、ぶっちゃけ「あ~、面白かったな~」的な読後感にはなりません。ですが、彼らのクールな仕事ぶりと、人生の重大な分岐点の1つを垣間見れた気分。恐らく、スクアーロとティッツァーノを主役にしたスピンオフはもう出て来ないと思いますし……、このせっかくの機会に、2人それぞれの生まれと育ち、そして2人の出逢いと交流なんかも、安藤氏なりの解釈と想像で書いてみてもらいたかったですね。




(2023年12月9日)




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