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「ジョジョリオン」の謎と考察・予想をまとめたよ


No.2 【 「壁の目」とは何なのか? 】






【第1版】
大震災が起こった日の深夜、杜王町沿岸部の土地が突如として隆起。それはやがて「壁の目」と呼ばれるようになりました。この「壁の目」には、踏み入った者のスタンド能力を引き出す力がある模様。また、今まで人の目に触れる事こそなかったものの、「壁の目」自体は昔から存在していたようです。「等価交換」の力を宿す土地として、東方家が利用していたらしいのです。
ストーリーの根幹に関わるであろう、この「壁の目」。そもそもの話、これは一体、何なんでしょうか?



2000年もの遥か昔、磔刑から復活したイエス・キリストが、現在の杜王町がある土地を訪れた際、「二本松」が聖なるパワーを受けて「生命の樹」と「知恵の樹」になった……という予想を前提とします。(⇒ No.23 【第1版】参照)
「生命の樹」に成る「生命の実」を食べると、あらゆる病気やケガも治ってしまうほどの強い生命力と不老長寿が得られ、それと引き替えに「岩人間」として生きる宿命を背負う。「知恵の樹」に成る「知恵の実」を食べると、追い求めるものに辿り着くための深遠なる知恵と知識が得られ、それと引き替えに石化の「病気」の宿命を背負う。どちらも、その「果実」を食べた者を、「呪い」と引き替えに進化させる(=「神」の領域に近付ける)樹木なのです。

「果実」を食べた者は、「果実」を実らせる聖樹や、聖樹が生える地(聖地)と、聖なるパワーを通じて繋がる事になります。そしてその「繋がり」ゆえ、最期には必ず、聖樹・聖地へ還る事になっているワケです。個人の意思・感情を超え、「果実」によって進化した者だけが持つ本能・運命のようなもの。だから、「岩人間」と化した者も「石化病」に罹った者(以下「発病者」)も、やがては聖樹・聖地へと引かれていく。最終的には、その地に埋まって、生物としての活動を完全に停止してしまいます。
地中に埋まった「岩人間」も「発病者」も、人としての存在を失う代わりに、土地そのものと一体化して永遠の存在となるのです。それはある意味、福音と言える……のかもしれません。こうして長年に渡り、「岩人間」と「発病者」が土地と融合し、連結し、「塊」となったものこそが、今の「壁の目」なのです。
(夜露の死体も、今は化学分析されていますが、やがては自ずと「壁の目」に引っ張られ、「壁の目」に取り込まれる事になります。)



(追記1)
「壁の目」が震災の日の深夜に隆起した理由とは何だったんでしょうか?
仗世文と吉良が愛唱から「ロカカカ」の枝を盗み、東方家の果樹に「接ぎ木」して育てている真っ最中に震災は起こりました。しかし、震災当時の描写はまったく無く、過去編も2010年から2011年8月まで一気に場面が飛んじゃいました。震災時に何か特筆すべき怪しい大事件があったのなら、2人も当然気付くでしょうし、色々と調べ回るはずです。でも実際は、気にしていたのはあくまで「枝」で、「壁の目」隆起の事など完全スルー。彼らにとっては、大震災の一要素ぐらいの出来事に過ぎなかったようです。
ただ……、「壁の目」とは特別な力を持つ土地。それがこうして大っぴらに姿を現すのには、大きな意味があって然るべき。康穂のモノローグでも「海から来る何かを守るかのように」と語られていましたが、確かに、まるでバリケードか城壁のようにも見えます。だとしたら、何を守っているのか?先に述べた、朽ち果てた「岩人間」と「発病者」の塊こそが「壁の目」の正体という予想を前提にした場合、守るべきものは「二本松」=「生命の樹」と「知恵の樹」でしょう。震災の危機から2本の聖樹を守るため、聖樹を安全な場所に移動させるため、「壁の目」の意志が杜王町の地形そのものを変えたのです。



(追記2)
第99話にて、「岩人間」のさらなる生態が明らかになりました。「岩人間」は地面と岩と石にこだわり、「大地からの恵み」こそが真の利益。「岩人間」に特別な力を与えてくれる「特別な場所」こそが真の棲み家、なのだそうです。
まず、「大地からの恵み」とは恐らく、生命を育む力であり、育まれた生命そのものなんじゃないかと考えます。土地や岩石自体はもちろん、大地に根付く木々や草花、野菜に果実。そこに集まる虫や動物達。それらが創り出す「自然のサイクル」。「岩人間」は、その全てを尊いものとして大切にしているのではないかと。だからこそ、良い果物が実るような肥沃な土壌をこよなく愛し……、また、大地への敬意を忘れて、地球の支配者ヅラで「自然のサイクル」を滅茶苦茶にしている「人間」とは相容れないのでしょう。
そして、「特別な場所」としては、アメリカ大陸の「悪魔のてのひら」と、「二本松」や「壁の目」のある杜王町の地面が列挙されていました。
(ちなみに、この一連のシーンでは、ディオらしき人物が被った「石仮面」やエンヤ婆が持つ『矢』まで描かれていますが……、これらは、吉良と仗世文を融合させた杜王町の地面と同等の存在である、という説明に過ぎないと思います。杜王町の地面はそれほどまでに重大な意味と力があるもの、という事。別に、「ジョジョリオン」のストーリーに「石仮面」や『矢』が絡むという事ではありません。「SBR」と「ジョジョリオン」が描かれる「新世界」に、「石仮面」や『矢』は存在しないはずですから。)

「悪魔のてのひら」と杜王町の地面に共通するものは、「聖なる遺体」。「悪魔のてのひら」は、バラバラになった「遺体」が眠るポイントでした。杜王町の地面はと言うと、1901年、「二本松」の根元の洞にジョニィが持ち出した「遺体」が隠されたポイントです。どちらも「遺体」が持つ聖なるパワーを受けた土地なのです。そのパワーゆえ、これらの土地に入り込んだ者はスタンド能力を目醒めさせています。大地との繋がりが強いであろう「岩人間」にとっては、それだけではない「何か」もあるのでしょう。
その「何か」こそが、先に述べた、「岩人間」や「発病者」がみな「壁の目」に還り、土地そのものと一体となるという事。そういう奇妙な引力のある場所なのです。本能的に安らぎを感じるのかな。だから、「悪魔のてのひら」や「壁の目」の周辺には、「岩人間」が自然と集まって来るんだろうと思われます。




(2015年1月9日:【第1版】更新)
(2020年5月9日:【第1版】追記1)
(2020年7月23日:【第1版】追記2)




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