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ここに書いているのは、スタンドの個人的な解釈に過ぎません。
原作の設定・描写をベースに、
勝手に考察・妄想しただけのものです。
正確な公式データが欲しいという方には何の役にも立ちませんので悪しからず。




メイド・イン・ヘブン / 本体: エンリコ・プッチ
< 「時間」を加速させる能力 >





<特徴>
かつてDIOは『天国』を目指し、追い求めていた。『天国』とは、精神の進化が行き着くところ、本当の幸福がある理想郷の事を指す。その実現のための方法をDIOは突き止め、彼の死から20数年後、親友:エンリコ・プッチが代わりに実行に移した。結果、「この世」に呼び戻されたDIOの魂は『ツリー・オブ・ライフ (仮称)』の能力を発動させ、そこから生み出された「緑色の赤ん坊」はプッチと融合する。
こうしてプッチのスタンド『ホワイトスネイク』は、「緑色の赤ん坊」とそのスタンド『グリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム』に宿る「永遠」「無限」の力を獲得。さらに、プッチを祝福し押し上げるために現れた「DIOの血統の三兄弟」のスタンド(『ボヘミアン・ラプソディー』『スカイ・ハイ』『アンダー・ワールド』)が持つ要素・因子をも取り込む。そして、『C-MOON』へと進化したスタンドは、『天国』へ至る最後の条件「新月の重力」を手に入れた。2012年3月21日、究極のスタンド『メイド・イン・ヘブン』はついにこの世に降臨したのであった。
(なお、『天国』へ行く方法の詳細については、コラム「『天国』へ行く方法の研究」にて述べる事とする。)


初めてこの世界に姿を現す際には、時空の彼方から眩い光を放って顕現する。
本体:プッチのすぐそばから時空を裂いて現れるが、ちょうどそこに重なって存在していた物質は物理的にも切り裂かれてしまう。作中においては、ナルシソ・アナスイの左腕を裂いて現れた。


人馬一体となったヴィジョンを持つ、射程距離が2m程の近距離型スタンド。
一見、ケンタウロスのような姿にも見えるが、実際は2本脚で、股間に馬の頭部が生えている。そして、馬の頭部には馬具が装着され、そこから繋がる手綱を両手で握っている。顔面や両手の甲など、全身のあちこちにスピードメーターが付いている。また、首周りの羽飾りや、人型の上半身と馬型の下半身を繋ぐかのような背中のケーブルも特徴的。


「能力」の方にスタンドパワーの大半を使っているため、スタンド・ヴィジョンの「基本スペック」は決して高くない。アナスイ曰く、攻撃パワーは並の上といったところである。
ただし、後述する能力の効果によって「基本スペック」は相対的・加速度的に跳ね上がり、事実上、最強に近いレベルにまで達する。その動きは誰の目にも止まらず、その手刀は人体をも易々と切断する。射程の短さを補って余りある、別次元の強さなのだ。




<能力>
「時間」を加速させる能力



「重力」が強くなればなるほど「時間」の進行が遅くなるなど、「重力」と「時間」の間には特別な関係がある。このスタンド『メイド・イン・ヘブン』は全宇宙の「重力」を利用し、徐々に「時間」を加速させる事が出来る。その加速はやがて無限大にまで達する。能力射程も全宇宙であり、「完成した能力」「完全なる能力」「究極の能力」と呼ぶに相応しい、人智を超えたスケールのスタンド能力なのである。
「新月の重力」のパワーを得る前から、この能力の片鱗が表に現れた事も何度かあった。本体:エンリコ・プッチが触れた物質の時間を進めた事もある。この時は、生物に対しても能力の効果が及び、赤ちゃんの左半身だけが歳を取ってしまった。また、「新月の重力」のポイントに近付いた時点では、空条承太郎の『スタープラチナ』が止めた時間の中を無意識的に動いたり反応したりもしていた。


完成した『メイド・イン・ヘブン』の能力において、生物は時の加速に付いて行けず、置いて行かれる。また、生物の精神が操るスタンドも同様に、時の加速から取り残されてしまう。
つまり、命のない物質だけが時間と共に加速し、生物との間に時間・速度の齟齬が生じてしまうのだ。そのため、例えばコップが手元から落ちた場合、落ちていく様子を人間の感覚では認識できず、気付いた時には粉々に割れていたりする。しかし、スピードガンで速度を計ってみても、スピードガンもコップと一緒に加速しているせいで、数値自体は正確に表示される。あるいは、ボールを他人に軽く投げた場合、本来ならそれが命中しても大して痛くもない。ところが、時間が通常の10倍の速さに加速していたら、人間から見るとボールの速度も10倍になり、命中した時の威力もそれに応じた衝撃となってしまう。加速すればするほど、何気ない事でも生物にとっては危険になるのだ。
その中で、プッチ本体に限り、時の加速に「乗る」か「降りる」かの切り替えが可能である。加速に乗れば、他者から見たプッチの動作もどんどん速くなっていく。プッチ自身の感覚では、逆に他者の動きが遅くなっていき、究極的には時が止まったかのように感じられるのだろう。加速から降りれば、加速し続ける時の中でも、他者と通常通りに会話したりできるようになる。また、肉体だけは加速に乗り、精神は加速から降りるという器用な事も可能。


時がどれだけ加速しようと、その加速に乗ろうと、プッチ自身の身体能力は変わらない
持ち上げられる物の重さも、走ったり泳いだり出来る距離も、普通の人間と同じなのである。体質にも変化はないため、人体に有害な毒も普通に効く。


「ジョジョ世界」はある超越的・絶対的な力で満たされており、ありとあらゆる存在がこの力を共通して保有している。『フー・ファイターズ』(が引用した天文物理学者フレッド・ホイル)の言葉を借りるなら、その力とは「知性」である。全ての物質や生物はこの「知性」に導かれて生まれる。そして、この「知性」は大なり小なり互いに反応し合い、影響し合い、「物質世界」において1つの巨大な流れを形作る。何者にも抗えぬ「因果の流れ」、なるべくしてなる「必然の連続」。人はそれを「運命」と呼び、「運命」を決定付ける「知性」そのもの(が持つ意志のようなもの)を「神」と呼ぶのである。即ち、「知性」こそが宇宙や世界を創り出したのだ。
「ジョジョ世界」において、宇宙は幾度となく誕生と消滅を繰り返している。ビッグバンによって「無」から宇宙は生まれ、途方もない時間を経て、やがて終焉を迎えた宇宙はビッグクランチによって再び「無」へと還っていく。この「無」とは……、すべての「終わり」であると同時に「始まり」でもある、そんな「特異点」と言えよう。「特異点」に物質は存在しないが、唯一、「知性」だけは変わらずに在り続ける。そして、この「知性」に導かれるまま幾度も繰り返す宇宙では、その中で起こる出来事もまた繰り返される。つまり、宇宙規模で「運命」はあらかじめ決定されており、何度生まれようとも宇宙は同じ時間と歴史を歩む事になるのだ。この宇宙のシステムは「永遠回帰」、または「永劫回帰」とも呼ばれている。
『メイド・イン・ヘブン』の能力を考える上で、この「永遠回帰」という円環を成す宇宙観は、大前提として理解しておく必要がある。


時間の加速はさらにスピードアップし続け、やがて物質は崩壊・風化し、地形や気候すらも変動していく。昼と夜の区別も付かなくなり、回り続ける太陽が輝く帯のように空を覆う。そして、ついには地球が滅び、時の加速は無限大に達する。宇宙は終焉を迎え、「特異点」へと至る。
加速する時の中で、生物は『メイド・イン・ヘブン』の能力によって保護されているようだ。その保護力は、加速が進めば進むほど強くなる。そうでなければ、ただ突っ立っているだけで風や波の動きに飲まれたり、加速する物質が衝突したりして、瞬く間に全滅してしまうであろう。地球が滅ぶ段階にまで来ると、保護力も最大となる。地球が消滅し、宇宙に放り出されても、生物は死なない。そして、長いトンネルを抜けるかのように光り輝く球体が現れ、その裂け目に吸い込んでいく。これは恐らく、「特異点」を超えるイメージと思われる。
「特異点」は最果てであり根源でもあるがゆえに、あらゆる時間と空間をそこに内包している。そのため、『メイド・イン・ヘブン』ならば、「特異点」を通って好きな時刻・好きな場所へと一気に飛び超える事が可能である。プッチと他の生物は、新たに誕生した宇宙に出て、プッチが望んだ時刻と場所へと到着した。この途方もない時間の旅は、生物にとっては当然、ほんのわずかな時間にしか感じられない。プッチ本体も、時の加速から降りて、他の人々と同じように時の旅を一瞬のうちに終了させる。
ただし、『メイド・イン・ヘブン』だけはそのまま「特異点」に残り続け、時間を加速させ続ける。やがて新たな宇宙が誕生し、加速は徐々にスローダウン。新たな地球で新たな生命が生まれた時点で、加速は無限小となる。つまり、限り無くゼロに近い加速で、加速していないにほぼ等しい時間の流れとなる。これは全て、新たな地球で生まれた生物を加速の影響から守り、前の地球と同じ進化を辿らせるために必要だからである。そして、気の遠くなる果てしない時を経て、ようやくプッチが望んだ時刻に到達。『メイド・イン・ヘブン』とプッチが「特異点」以来に再会する事になるのだ。
生物を新たな世界へと運ぶこの能力は、言わば「ノアの方舟」であり、「天国への階段 (STAIRWAY TO HEAVEN)」なのである。


時の加速が行き着く究極のところ、それは宇宙の一巡であった。上記でも述べた通り、宇宙の「運命」はあらかじめ固定・決定されており、それを何度も何度も繰り返している。前の宇宙と同じ「歴史」を繰り返している。細かな出来事に多少の差異はあっても、大筋は変わらない。俗に言う「パラレル・ワールド」と考えても良い。その宇宙の「運命」と「歴史」は、全て「特異点」に内包されている。よって、加速する時の旅の中で「特異点」を通過した者の(肉体や頭脳ではなく)「魂」「精神」に刻み込まれる事になる。ある意味、それこそが『メイド・イン・ヘブン』の真の目的とも言えよう。
そのため、「一巡後の世界」では、未来に何が起こるのかを全人類・全生物が無意識的に予知・予感できるようになっている。ごく近い未来の「運命」なら、具体的なイメージさえ自然に想起されるほどである。そして、「運命」は避けようとしても避けられない。どんなに変えようと努力しても、決して変えられない。それは絶望かもしれないが、受け取り方を変えれば希望にもなり得るだろう。余計な回り道や足踏みをする苦悩から解放され、「運命」や「神」から与えられた役割・使命を個人個人が自覚し、「今」という時を大切に愛する事も出来るはずなのである。運命を「覚悟」した者は幸福である。そんな人類全体の精神の変革が、プッチの求めた『天国』であった。


時の加速後に生まれた「一巡後の世界」は、前の世界から生物が到着する事を「運命」の中に最初から組み込んでいる。「同じ人物」が複数人いるという矛盾した事態には陥らない。
そもそもの話、この宇宙や世界が「舞台」だとして、運命が「脚本」だとしたら、そこに登場する人物達は「役」に当たる。要は、「脚本」通りに進めば、「役」を演じる「役者」は誰だろうと構わないのである。そのため、前の世界から生物が到着したと同時に、それまでその「役」を演じていた「役者」は消滅する。そしてその「役」は、前の世界から到着した者達が引き継いで演じていく事になる。そうして「舞台」は「脚本」通り、滞りなく進行していくのだ。
ただし、「一巡後の世界」に到着する前に死んでしまった者については、この「役者」の入れ替えは行われずに続投という形になる。作中では、「一巡後の世界」に空条徐倫や空条承太郎に似た別人がいたが、彼らは加速する時の旅を経て辿り着いたのではない、元々「一巡後の世界」で生まれ育った者達である。その世界で「空条徐倫」や「空条承太郎」の「役」を演じるために生まれてきた存在で、徐倫達がすでに前の世界で死んでしまっている事により、そのまま「代役」を務め続けるというワケだ。
もちろん、この「役者」の入れ替えのせいで、人々に混乱は生じるだろう。だが、それでも世界は「運命」に従って動く。ここで言う「運命」とは、あくまで時間の経過に伴う物質の動きやエネルギーの流れといった、物理的な変化のみを意味している。具体的には「形状」「材質」「座標」、これらの変化こそが「運命」の形となる。たとえ頭が混乱しようと、誰が何を思おうと、人の心は「運命」とまったく関係ないのだ。よって、「役者」が入れ替わっても「運命」の形は必ず実現され、何事もなかったかのように世界は回り続ける。


ちなみに、「一巡後の世界」に生まれた者達も未来を予知できるものと思われる。より正確に言えば、前の世界の人々が到着した時点から予知できるようになるのだろう。
前の世界からの到着自体を「運命」の中に組み込んでいるのなら、恐らく、到着した瞬間から「未来予知」という概念・理も「一巡後の世界」に新たなルールとして組み込まれるはずである。プッチの立場から考えると、人類がせっかく運命を「覚悟」できるようになっても、それがたった一世代だけで終わってしまうのなら意味がないからだ。永遠に続いてこその『天国』。前の世界の人々が「運命」を「魂」に刻み込んで到着した時点で、それがキッカケとなり、人類全体のステージが一段引き上げられるという事なのだ。
今までの宇宙では存在し得なかった新しい概念の誕生。とは言え、実はこれは、それほど大した変化にも当たらない。今まで「脚本」を読まずに演じていた「役者」が、読んでから演じるようになったという違いでしかないのだから。「脚本」を読もうが読むまいが、結局、全ての「役者」は「脚本」通りに「役」を演じてしまうのである。個人個人の心には大きな影響を及ぼしたとしても、「運命」への影響は皆無である。つまり、「運命」の形にはまったく無関係な人の心に関わるものだからこそ、いとも簡単に世界のルールとして組み込めるのだ。


「運命」の形が決定されている世界において、『メイド・イン・ヘブン』(と本体:プッチ)だけは「運命」を変える力を持っている。それは「時間」を加速させる能力を持つがゆえである。
上記で述べたように、この宇宙は円環を成し、時間は循環し続けている。その「永遠回帰」の中では、未来は過去でもあり、過去は未来でもある。そして、「時間」と「運命」は決して切り離せぬ密接な関係があり、「時間」を操るという事は「運命」を操る事に等しい。「運命」とは「因果」であり、「原因」は過去に、「結果」は未来に在るからだ。未来や過去を操れるのなら、必然、「運命」を操れるのである。時を無限に加速できるという事は、どの時間にも行けるという事であり、即ち、永遠に存在できるという事。それはもはや、「時間」の外側とも呼べる領域であり、「運命」の超越とも言えるだろう。自分の意志で「運命」を変える力、「運命」という名の脚本を思うがままに書き換える力、それこそが『メイド・イン・ヘブン』の本質なのだ。(その特権ゆえに、プッチだけは他の人々よりも遥かに遠い未来まで予知できるようだ。)
全ては、「生命の実」=「緑色の赤ん坊」から「永遠」「無限」の力を得、そこから「逆転」の力を派生させた賜物である。時を止める『ザ・ワールド』の能力とは、「その時間に留まり続ける能力」と言い換える事が出来よう。これを「逆転」させる事により、「どの時間にも移動できる能力」を生み出したのである。
……なお、『メイド・イン・ヘブン』以外の者が「運命」を変えようとして、強引に逆らった行動を取った場合、「運命の修正力」が働く。伸ばしたゴムのように「運命」が本来の流れに戻ろうとする力であり、抗えば抗うほど、足掻けば足掻くほど、強くなる反動と言っても良い。第3部での「(『トト神』に描かれた運命に)逆らおうとすると苦しむだけ」というボインゴのセリフも……、「一巡後の世界」にて、エンポリオ・アルニーニョが「屋敷幽霊」の部屋から離れようとして、かえって余計なダメージを受けて部屋に辿り着いてしまった事も……、この力が原因なのだ。


『メイド・イン・ヘブン』最初の発現直後、徐倫達は光に包まれて意識を失い、吹っ飛ばされた感じもないのに200mほど離れた地点に移動していた。これも実は、「運命」を変える力が原因である。
あの時、生まれたての『メイド・イン・ヘブン』は、能力がかなり不安定な状態だったものと思われる。プッチもまだうまく扱い切れず、能力が解除されてしまったのだろう。事実、『メイド・イン・ヘブン』発現からプッチが徐倫達に攻撃を仕掛けるまでには、相当な時間が空いてしまっている。意識を失っている隙に皆殺しにすれば手っ取り早いにも関わらず、それをしなかったという事は、つまり「出来なかった」という事だ。プッチもプッチであの時、新たに生まれ出た『メイド・イン・ヘブン』の途轍もないパワーを制御するのに手一杯だったのである。
『メイド・イン・ヘブン』には「運命」を変える力があり、ただ姿を現すだけでもその影響は多少なりとも生じてしまう。そして、能力を解除すると、「『メイド・イン・ヘブン』が関与していない場合」本来の「運命」に引き戻されてしまう。本来の「運命」の中で徐倫達は、あの時刻、200mズレた地点にいるはずだったという事なのだ。もっとも、発現してすぐに解除されてしまったし、プッチと直接関わっていたのは徐倫達だけだったため、彼女らの「運命」がほんの僅かに変化したに過ぎなかった。だから、あの程度のズレで済んだのである。
即ち、『メイド・イン・ヘブン』は基本、一度発動したら解除してはいけないスタンドなのである。解除すると、全てが元の木阿弥となってしまうのだ。作中にて、プッチは「一巡後」の刑務所の時点に到着し、時の加速を止めていたが、厳密に言えば、完全には解除していなかったのだろう。上記でも述べた無限小の加速の状態のままで、体感では通常の速さとほとんど変わらなかったのである。


一度発動したら解除してはいけない『メイド・イン・ヘブン』だが、時の加速によって宇宙が完全に一巡した時点でその役目を終える。
時の加速を開始した時点、もしくは、「運命」を新たに大きく変化させた時点を「起点」とし、そこからピッタリキッチリ一巡させると、そこが「終点」となる。『メイド・イン・ヘブン』の能力によって上書きされた「運命」も、そこで円環に閉じられ、完全に固定されるのである。そして、固定された「新しい運命」は、もう永遠に誰にも変える事は出来なくなる。つまり、完全なる一巡が完成する前に、「運命」を望んだ形に変える必要があるという事だ。思うがままに「運命」を幾度も書き換え、やがて一巡が完成したなら、そこは何者にも脅かされる事のない真の理想郷となる。「神」が書いた脚本さえも書き換える力、自らが「神」の座に就ける力。それこそがDIOの求めた『天国』であった。
なお、一巡が完成すると、もしかすると『メイド・イン・ヘブン』は消滅してしまうのかもしれない。『天国』の守護者として、宇宙や運命そのものと一体となるのかもしれない。その場合、プッチのスタンドは元の『ホワイトスネイク』に戻るのであろう。


「運命」を変える力を持つ存在であるがゆえに、『メイド・イン・ヘブン』を操る本体は、同時に恐るべき危険と代償も背負っている。「運命」に縛られない外側の存在だからこそ、「運命」の加護も受けられず、「運命」とは無関係に命を落とす可能性があるのだ。もし一巡完成前にプッチが死んでしまったなら、「運命」はプッチが始めから存在しない歴史へと再構築される事となる。「運命」から完全に排除され、歴史から消滅してしまうのである。
そして、「運命」というものは、蟻1匹の存在でさえもしっかり組み込んでいるものである。そこから消え去るという事は、必然的に、世界が根本から大きく変わるという事だ。特にプッチは、多くの人々の人生を狂わせたDIOの親友だった。プッチが存在しなくなれば、DIOの人生もまた大きく変化し、それに合わせて世界の過去も未来も変わるのだ。それでも、かつての世界で出逢って心を通じ合わせた者達は、その魂の「因縁」愛の「引力」で引かれ合い、いつかどこかで再び巡り逢える事だろう。
このようにして生まれた「新世界」が、第6部ラストのアイリンやアナキス達のいる世界であり、第7部「STEEL BALL RUN」や第8部「ジョジョリオン」の世界でもあると推測される。この「新世界」は「一巡後の世界」とはまったく異なる世界で、誰も未来を予知など出来ないし、かつての世界にいた人々の完全な「同一人物」は存在しない。唯一の例外は、プッチを殺して世界を新生させた張本人、エンポリオだけである。彼だけは、かつての世界での存在を保持したまま「新世界」に到達できた。
(なお、これらの世界の構造については、コラム「パラレル・ワールドについての考察」や「「ジョジョリオン」の世界観について」の方で詳しく述べる事とする。)




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